終局 スナップショット ~ つわものども 夢の後、先
「あそこ。敵の陣と陣の間が少し広いですぜ。あそこが狙いどころです」
茂みから敵のようすを伺っていたジョゼ中尉が言った。
「敵と敵の間を抜けるのは危険だろう」
「いやいやあいつら、そろそろ前進をしてくる感じでやすから、この辺りで最初のやつをやり過ごしてから、そろりそろりと進めば気づかれませんよ。前進してくる奴等っての大抵前しか見てませんからね」
「そんなに上手く行くのか?」とブルクホン副官が心配そうに言った。
「上手く行くかどうかは運次第ですねぇ。ただ、ここでじっとしてるよりかは良いと思いますよ」
ジョゼ中尉はブルクホン副官の横で力なくしゃがんているジョルジオ将軍へ視線を投げかける。将軍はしばしの沈黙の後、吐息のような小さな声で「うむ……中尉に任せる」と答えた。
「よっしゃぁ、前進」
ジョゼ中尉の小声の号令で茂みに隠れていた兵士たちがそろそろと前進していく。その中心に守られるようにしてジョルジオ将軍とブルクホン副官がいた。二人とも緊張で真っ白な顔をしていた。
「止まれ、止まれ。ここで左の奴をやり過ごす。しゃがめ。身を隠せ。音立てるな。息するな!」
ジョゼ中尉たちが息を潜める茂みの左右を敵の隊列が進んでいった。幸い敵に気づかれずにすんだ。
一時間にも二時間にも感じられる緊張感のある時間を過ごし、相手との距離が十分離れたのを確認するとジョゼ中尉は一転大声で叫んだ。
「それ、走れ!
ハーマルベルの城門まで走れ!全力で走れ!死ぬ気で走れ!
行け! 行け! 行け!!」
茂みから兵士たちは飛び出ると一目散にハーマンベルに向かって走り出す。城門までは優に2クラムはあった。それなりの距離だ。ジョルジオ将軍はジョゼ中尉と配下の兵士たちに両脇と後ろをがっつり抱きかかえられていた。足はほとんど宙に浮いており、走るというよりほとんど運ばれている、という状態だった。
幸い敵からの攻撃はなかった。
「おおーい、開けてくれ!」
城門にたどり着くと、ジョゼたちは大声でハーマンベルの城門に向かって叫んだ。
ハーマンベルの兵士たちは、城壁の上から困惑したような顔を覗かせる。
「我々はボナンザンのジョルジオ将軍の部隊です。ここに将軍も居られます。直ちに門を開けて、我らを中にいれてください~!」
ブルクホン副官はかぶっていた帽子をふり、大声で叫び、叫んでは後ろのほうを気遣わしげに振り返った。今にも敵が自分たちを捕まえにくるとか、大砲を打ち込んでくるのを恐れていた。
きりきりと胃が痛くなりそうな時間の後、ようやく城門が重々しい音を立てて開いた。人が一人、二人ようやく入れるぐらいの隙間だったが、それで十分だ。
ジョルジオ将軍、ブルクホン副官、それに続いて続々と兵士たちがハーマンベルの城門をすり抜け入っていく。
最後に残ったジョゼ中尉は、ハーマンベルに入城する前にもう一度ゆっくりと戦場へと視線を投げかけた。あちらこちらから微かな人の喚声や銃声が聞こえてきたが、どこか虫の音のようなのどかさがあった。当座の目的を達成した安堵感のなせる業なのだろう。
「ふう。まずは一息つけるってとこだな」
小さく呟くと、ジョゼ中尉はするりと城門へと姿を消す。
城門はズリズリと音を立てて再び堅く閉められた。
□
その名も知らぬ女は絶体絶命の状況から一瞬の隙をついて馬を奪い取ると一目散に逃げ出した。今はもう豆粒ほどの大きさになっていた。
「全くなんてぇ、やつだ」
モルデオン准将は馬上であっけにとられる。
疾走する馬を奪う技術もさることながら、逃げると決めたら形振り構わず逃げる思い切りの良いところに舌を巻いた。
モルデオンは馬からおりると、地面に落ちている槍を拾い上げる。
ファーセナンの騎兵が槍を使うとはあまり聞いたことが無かった。
准将は物珍し気にしげしげとそれを眺める。コンラッド公国の騎兵が使う槍に似ていた。
モルデオン准将は槍から地面でのびている兵士へと目をむけた。足で小突くと、小さなうめき声を上げた。どうやら死んではいないようだ。
「おおい。だれかこの馬鹿を運んでやれ。撤収するぞ」
「えっ? 撤収ですか」
「あんな化け物みたい女がいる軍隊相手にもたもたしてたら命がいくつあっても足らねぇよ。今回のは負け戦だ。こんな時はのっぴきならなくなる前にささっと逃げるに限る」
「逃げるって、どっちへ逃げるんです? ハーマンベルに逃げ込みますか?」
「ばーか、んなところいったら、それこそ囲まれて身動き取れなくなるわ」
「じゃ、どうするんですか?」
「とりあえず、周りの騎兵を集めろ。
数を集めて、密集隊形で中央突破だ。最短距離でミッターゲンへ戻るぞ」
「ええ、マジですか?! 敵陣の真っ只中を突っ切るなんて正気の沙汰じゃないですよ」
「こういう時はそういうのが一番確実なんだよ。騎兵なら馬上で死ねたら本望だろ。
つべこべ言ってないでさっさと味方を集めて来い」
怒鳴られた騎兵たちは仲間を集めに四方へ散っていった。モルデオンはそれを見送ると慣れた身のこなしで鞍上の人になる。
「今度戦場で会うのが楽しみだねぇ。それまでこの槍は預かっておくぜ」
槍を肩に担ぎ、モルデオンは楽しげに笑い出した。
□
夕暮れ迫る戦場を二騎の騎兵がゆっくりと進んでいた。
一人はボナール中尉。そして、もう一人はボナール中隊の副官、シャルル軍曹だった。
シャルル軍曹が少しうんざりしたような調子で言う。
「ねぇ、中隊長。そろそろ諦めませんか?ほら、もう日があんなに傾いてますよ」
「馬鹿者!我らが敬愛するカルディナ様が愛馬を失って悲しがっているんだぞ。
一刻も早くアベルちゃんを見つけるのが我々の使命であろう!」
「いや、それね。カルディナ様が俺たちに命じたのは偵察だとおもうんすよ。
戦闘終了後の戦場の様子を見回るのと敗残兵の駆逐です、そう命じられたと思うんですが、なんで馬っ子なんて探してんすかね?」
「この大馬鹿も~ん!!
カルディナ様は立場ある身ゆえに大っぴらにそのような私利私欲に走ったことを言えんのだ!
だからこそ、信頼厚い、このボナール・ドットハンにその想いを偵察という名目で託したのだ。そんなことも分からんのか!」
「いや、だってあの人、『これから私はアベルを探す』とはっきり言ってましたよ。だから、偵察をしっかりやっておくようにって」
「……そんなことも言っていたか?」
「言ってました」
「た、たとえそうだとしてもだ。私とカルディナ様は一心同体。カルディナ様がアベルちゃんを探しているのなら私も一緒に探すのは当然だ。なんといっても我らは『ボナール・カルディナ愛の中隊』なのだからな!」
「『だからな!』じゃねーすよ。こう言っちゃなんですがね、その名前、スゲー評判悪いですよ。みんな、そんな恥ずかしい名前を大声で連呼されるぐらいなら配置変えの申請を出そうかって言ってますよ」
「なっ!本気でそんなことを言っているのか?」
「みんな、割かし真面目に検討してますねー」
「由々しき事態だな。そこは副官たるお前が何とかしておけ」
「って、丸投げですか。名前変えるとか検討しないんですか?」
「しない。『カルディナ様ラブ』は曲がらない。決定事項だ」
シャルル軍曹は『こりゃ、駄目だ』と天を仰いだ。
「つべこべ言ってないで、さっさと探せ。
アベルちゃ~ん。どこですか~。出てきてくとまさ~い。アベルちゃ~ん」
叫びながらアベルを探すボナール中尉にシャルルは大袈裟なため息をつく。
「どうでも良いですけど、その『ちゃん』付けはやめてもらえませんか?
むさい男の『ちゃん』付けは気色悪いっす」
ボナールはじろりとシャルルを睨み付けた。
ゲシッ!
「あっ! 今、蹴りましたね?」
「あっ? すまん。足が滑った。
アベルちゃ~ん。アベルちゃ~ん、どこぉ?」
「むぅ。このクソ中尉が……そー言う了見かよ。
上等だぜ。
アベル~。どこだぁ。アベルぅ~(ゲシッ!)」
「ちょっ?! お前、いま、蹴ったろ!
上官を蹴ったな!!」
「はぁ~?
すんません。アベル探すのに夢中で良く分かりませんね。足がすべっちまったかも知れません」
「……ぬう。おまっ!軍法会議ものだぞ!」
「なんのことやら?足が滑っただけですって」
「ふうぅむ。そっか、それならこちらにも考えがあるぞ。
アベルぅ~ちゃ~ん、アベルちゃ~ん(ゲシッ!)、どこかなぁ~」
「あっ、つぅ……
アベル~、どこやぁ~、はよでてこーい(ゲシッ!)」
「……
アベル、ちゃーん!(ゲシッ!)
どこかなぁ~、早く出ておいでぇ~(ゲシッ!)」
「二回! この野郎、二回蹴りやがった。
アッ、ベェ、ルゥ、出てこーーい(ゲシッ!ゲシッ!)」
「(ゲシッ!)」
「(ゲシッ!)」
「(ゲシ、ゲシッ!)」
「(ゲシッ! ゲシッ!)」
「「(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)(ゲシッ!)
いてぇよ!!」」
ボナールとシャルル互いに蹴られた太ももをさすりながり激しく視線をぶつけ合わせる。
しばしの沈黙が夕暮れの戦場に訪れる。
そして
「アベルちゃ~ん(ゲシッ!)」
「アベルぅ~(ゲシッ!)」
再び激しい攻防が再開されるのだった。
その頃、ファーセナン軍本隊天幕近く。
「ほえ。カルディ」
ミゼットがカルディナに声をかけた。カルディナは馬に水をやっているところだった。
「アベル、見つかったんだねぇ」
「ええ。この子は賢いから、私が口笛を吹けばちゃんと聞き分けて、この子の方から来てくれるわ。小一時間ぐらいで見つかったかしら」
「ほー、賢いねぇ。良い子。良い子」
ミゼットが首を撫でるとアベルは嬉しそうにぶるるといなないた。
余談であるが、夕刻をとうに過ぎても偵察から戻らなかったボナール中尉はカルディナから大目玉を食らうことになる。
2020/09/05 初稿
次話予定 「シャルロッテ たくらむ」