踊る戦場
「始まりました」
望遠鏡を覗いていると歩兵の一団が高地に向かって進軍を始めたのが見えた。
「結構な人数が上がっていくようだけど大丈夫かな?」
「1個連隊ほどですか」
「大変だ。すぐ増援を送らないと!」
セドリック様は慌てふためいて手をブンブンと振りながら言った。
「その必要はありません。高地の砲兵隊で十分捌ける数ですから」
「そ、そうなの?」
「はい。一番怖いのは騎兵で取りに来られた場合です。それも1000単位の騎兵で、強襲されたら支えきれないでしょう」
「騎兵と歩兵だとそんなに違うものなの」
「違いますよ。歩兵だとあの坂を上りきるのに10分はかかります。対して騎兵なら3分ほど。
大砲の射撃間隔がおよそ1分なので敵への攻撃機会が歩兵と騎兵では3倍近く違います。
だから騎兵で数で押されるのが一番厄介なのですが、どこの指揮官も最初は騎兵を温存したいと考えるものです。
案の定、歩兵をつかってきました」
「えっと、それはつまり……」
「そのほうがこちらにとって都合が良い、ということです。
歩兵ではあの高地を落すのは至難ですから、敵は無駄に戦力を消耗するだけです」
セドリック様を安心させるために微笑んで見せると、望遠鏡を高地から正面の敵本隊へと向ける。
敵本隊では歩兵や騎兵が整列していた。まだこれといった動きは見られない。まずは高地攻略が先決、ということなのだろう。
「本当になにもしなくてもいいの? それにしても……
やっぱりすごい数の兵士が丘を登っていくよ」
「1個連隊ですから、およそ1800人ですね」
「1……800って、た、大軍じゃないか。高地には600人ぐらいしかいないんでしょ。2倍の人数で攻められたらひとたまりもないよ。絶対に助けにいかないと、それも今すぐに!」
「大丈夫です。砲兵をなめてはいけません。砲兵の集中砲火は1000や2000の人間を文字通り木っ端微塵にできるのですから」
それに……、と思う。高地に砲兵600。正面の前線に3個大隊およそ1500。後は私とセドリック様のいる本部の予備2個大隊1000と騎兵200。これが今の私たちの手持ちのすべて。一方、相手は騎兵およそ3000。歩兵が3個連隊規模およそ5000人。後方に控えている砲兵が2000。
今はこちらから攻めるには戦力差がありすぎる。
「高地は放置として、それで僕らはどこを攻めるの?」
セドリック様は視線を高地から私のほうへ向けるとおずおずと聞いてきた。それに対して「待ちます」と一言答えた。
「え?」
「待ちです。相手が動くのを待ちます。相手はまず、高地からの砲撃されるのを嫌って高地攻略を優先させてきました。これは私たちにとっては都合の良い展開ですわ」
セドリック様に答えながら、私は眼をつぶる。耳を澄まし、大きく息を吸い込む。
轟く砲声。それに混じり兵士たちの喚声と悲鳴が微かに聞こえる。風のざわめきが火薬と血の臭いを運んでくる。
もっと深く!
自分の体が大きく膨らんでいくイメージを思い描く。
もっと、もっと もっと大きく
自分の体が戦場全体を包み込み、支配する様をイメージする。
世界がぐるりと回り始める。不意に頭の中に稲妻が走った。
砲弾に打ち砕かれる兵士の姿。
大地を揺らし坂を駆け上がる騎兵隊。
散弾に貫かれ地面に倒れる馬体。
林を駆け抜ける騎兵。
隊列を組んで進む歩兵たち。
頭の中にそういった映像が次々、現れては消えていく。
戦場で繰り広げられるであろう光景が私の頭の中で激しく揺れ、明滅し、ダンスを踊りながら一点へ収束していく。そして、最後には暗転して何も見えなくなった。
深呼吸をして、目を開く。
「うん。敵歩兵の攻撃は失敗します。そうなれば敵は騎兵を繰り出してくるでしょう。その騎兵の攻撃に絡めて正面へ歩兵を進撃させてきます」
「なんでそんなことが分かるの?」
予言めいた私の言葉にセドリック様は面食らったように質問してきた。でもあいにく、私自身にも明確な答えをすることはできない。
「う~ん。なんとなく」
いや、本当にそう答えるしかない。
必ずではないけれど、戦場の空気にどっぷり浸ると、時折さっきのような映像が頭に湧き上がることがある。そして、たいていその映像を同じことが戦場のどこかで起きる。お祖父さまはそれを神様が私に与えてくれた才能といわれた。
魔法とか予言の力というような得体の知れない怪しくふわふわしたものではない。もっとずっと硬くて確かなものだと私は思っている。
この映像が見えるということは、自分が戦場の隅々を理解、支配できている証拠だった。
「なんとなっくって……」と絶句するセドリック様に私はにっこりと微笑む。
「大丈夫です。この戦、勝ちますから」
「わわっ! また騎兵がきたよ」
望遠鏡を覗いていたセドリック様が悲鳴に近い声をあげた。
歩兵の攻撃が失敗してから敵は予想通り騎兵での攻撃をかけてきたが、戦力を小出しにしたためにそれも失敗していた。
それから1時間ほど経過して、再度騎兵で攻撃をかけてきた。最初の攻撃とは一転、数を揃えての波状攻撃だった。
「ああ。あれは駄目ですね。支えきれません」
「ええ。まずいじゃないか。すぐに増援を送らなければ!」
「今から増援をおくっても間に合いませんよ。
大丈夫。ミゼットには支えきれない時は無理せずに陣を放棄するように指示してありますから」
「陣をとられちゃったらちっとも大丈夫じゃないよ」
望遠鏡を覗いたまま、ぱたぱたとじれったそうに足踏みをされている。
か、可愛い。戦場の真っ只中なのに顔がどうしても緩んでしまう。
「でもありません。騎兵というのは攻撃が得意ですが、守りは苦手な兵科なんです。
一旦退いて、陣形を組んだ歩兵で攻めると意外と簡単に取り返せます。
そのための配置をしています」
「そのための配置?」
「はい。砲兵陣地の後方にヴォーゼル大尉率いる歩兵隊を待機させています」
今頃、ミゼットたちはその歩兵隊ががっちり組んだ方陣の中へ逃げ込んでいることだろう。
「それに今、気にすべきは正面の戦線ですよ」
セドリック様が覗いている望遠鏡を優しく正面のほうへ向けさせる。
ぴたりと足踏みがとまり、じっと望遠鏡を覗いていたが、また足踏みを始めた。さっきよりピッチが早い。
トテテテテって感じでとても可愛らしい。
「わわわわっ! 大変だよ。敵が、敵が攻めてきたよ」
「はい。攻めてきました」
「えっと、えっと。どうしよう。そ、そうだ。砲兵だよ。シャルロッテ。砲兵で攻撃しよう」
「落ち着いてください。砲兵を配置した高地はついさっき敵にとられています」
「うわ~、そうだった」
セドリック様は頭を抱えてうろたえる。なんか小動物みたいで、見ていて飽きない。
「大丈夫です。これから正面歩兵同士の押し合いが始まります。歩兵の戦いとは士気を維持し、陣形を維持し続ける戦いです。逆の言い方をすれば先に陣形を崩されたほうが負けです」
「そ、そうなのか。じゃあ、きっちり陣形を組んで戦えばいいんだね」
気を取り直したセドリック様は望遠鏡をもう一度覗いた。どうやら私たちの正面陣形を確認しようとしているようだ。
「えっと、シャルロッテ……
なんか僕らの歩兵……なんか変な陣形だよ。
こういう時は横隊のほうがいいんじゃないの?
なのになんか四角くて、それにいびつに段々になっているよ!
◇
◇
◇ みたいな感じ。
あれじゃ、一番左の隊が正面と側面から集中攻撃を受けるんじゃないの?
そ、それになんで敵にむけて ◇ みたいな向きになってんの!?
□ になっていないといけないんじゃないの?
…………うわぁ~。大変だよ、シャルロッテ!
僕らの陣は戦う前から陣形がぐちゃぐちゃだ!」
再びセドリック様はおろおろとし始めた。
セドリック様は普段は割かしおっとりした感じだから、こういうわちゃわちゃする姿はとても新鮮だった。ずっと眺めていたい、としみじみと思える。
はぁ~、とこっそり熱い吐息を漏らした。
そして、ゆっくりと状況を説明する。
「無問題です。
四角に組んでいるのは方陣と呼ばれる陣形です。
もともとは歩兵が騎兵に対して取る陣形なんですが、四方に対して死角のない堅牢な陣形なんですよ。
敵の正面に対して ◇ にしているのは敵にマスケットの火力を最大限発揮させるためです。
□と四角の1辺を敵に向けると、敵を攻撃できるのは1辺のみです。こんな感じですね。
□
それに対して、辺の頂点を敵にむければ
◇となり2辺の火力を敵に向けることができます」
「あっ!
な、なるほど。ちゃんと理由があるのか。
で、でも。段々になっているからやっぱり左の隊が正面と左右から攻撃されるよね!」
「段々にしているのはそれが狙いです。相手は左の隊が突出していると思い、正面と側面から攻撃しようとするでしょう。
しかし、それは自分も正面と側面を同時に攻撃されるリスクを負うことになるのです」
「どういうこと?」
「こういうことです
■
◇→■
↑
◇ 」
「あっ! 本当だ。確かに攻撃しようとすると敵もこっちの攻撃をうけることになるんだ」
「そうです。そして、こちらの陣形は方陣のため側面という概念がありませんが、敵は縦隊なので私たちの真ん中の隊に対してまともに側面を晒すことになります。
加えて、さきほど説明したように私たちは2辺のマスケット火力を使えるために、敵の縦隊の倍の火力を集中させられるのです」
「なるほど」
私の説明にセドリック様に感心したようにうなずく。そうこうしているうちに敵の真ん中の隊が総崩れになった。
2020/07/25 初稿
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