ハーマンベル攻防戦
「まだ、ドルフ将軍の旗は見えんのか?!」
ジョルジオ将軍は、そのほほ正方形な体躯を不機嫌そうに揺らしながら叫んだ。
「まだ、見えません」と幕僚の一人が亀のように首を竦めながら答えた。
「遅い、ドルフめ、何をもたもたしておるのだ」
ジョルジオ将軍は唇を真一文字に引き結び、思った。ミッターゲンよりグランハッハからこのハーマンベルまでの行程のほうが短い。だから、ドルフ将軍が率いるグランハッハ軍の方が先に到着到着する計画だった。ところが、既に布陣しているはずの方角をいくら見ても軍旗の一本も見えなかった。
ここに至り、ジョルジオ将軍は決断を迫られていた。
つまり、単独で目の前の敵と戦うか、それともドルフ将軍の到着を待つか、だ。
最初、敵兵力3万という話を聞いていたが、別の筋からは1万程度で、軍を指揮しているのは素人同然のお坊ちゃん王子という情報もあった。真逆な情報のどちらが正しいか判断に苦しむが、眼前の敵陣を見る限りは、せいぜい1万に届くか届かないぐらいに見えた。勿論、兵力を巧妙に隠している可能性もあるが、素人のお坊っちゃん王子にそんな芸当ができると思えない。
ジョルジオ将軍の直感は、敵兵力は1万程度であろうと言っていた。気をつけねばならないのは増援が今現在こちらに向かっている可能性だ。もしそうだとすると増援が到着する前に目の前の敵と決着をつける必要があった。つまり、悠長にドルフ将軍の到着を待ってはいられないと言うことだった。
身を切るような冷たい風がバサバサと天幕を震わせた。その冷たさに将軍はぶるりと体を震わせた。こんな寒いところで敵といつまでもにらめっこをするなどごめんだ。
兵力が同程度ならば自分が素人に負けるはずはない。ジョルジオ将軍は決断した。
「まずはあの目障りな高地を奪取せよ!」
将軍は第1歩兵連隊に攻撃命令を下した。
「進め!一気に攻め込め!!」
第1歩兵連隊連隊長であるゲルン大佐は手にしたサーベルを高々と掲げると大声で部下を鼓舞し前進を命じた。急峻な坂道を兵士たちが幾つもの縦隊となって懸命に登る。彼らが高地の中頃に差し掛かった時だ。
ドン ドン ドン と砲声が轟く。と、同時に歩兵たちに砲弾が襲いかかった。
地面にほぼ平行に打ち出された砲弾は圧倒的な力で兵士たちをなぎ払う。最初の縦隊をいとも簡単に蹴散らし貫通した砲弾はなおもその勢いを殺すことなく、地面で跳ね上がる。砲弾は文字通り坂を転げ落ちながら、そのすぐ後ろ、さらにその後ろを進軍している縦隊へ気まぐれに飛び込んでいく。高速で唸りを上げる鉄の塊の進行方向にいた犠牲者たちはなす術もなく引きちぎられ、叩き潰きつぶされていく。
無数の大砲から繰り出される砲撃はゲルン大佐率いる連隊を容赦なく削る。高台に続く坂道はたちまちボナンザンの兵士たちの亡きがらと血で溢れ返った。
「大佐! 砲撃があまりに激しすぎます。このままでは全滅です」
副官が悲鳴を上げた。しかし、ゲルン大佐は血走った目で副官をにらみつけた。
「馬鹿者。栄えあるボナンザンの兵士が、この程度のことで泣き言をいってどうする!
横隊だ。兵士たちを横隊に組み替えよ。横に広がり前進せよ。
そうだ、前進だ。たとえ死んでも前進する――」
ゴキュ、という鈍い音を立ててゲルン大佐の体が大きくひしゃげた。砲弾が大佐の腕や肋骨をへし折る。声をあげる間もなく、ゲルン大佐の体は砲弾を抱えたまま、坂を転がり降りて行った。
「うわ。 うわ。 うわあああ」
大佐の血しぶきをまともに受け、真っ赤に染まった顔で副官は意味も無い悲鳴を上げ続けた。
「壊滅したと?」
「ゲルン大佐率いる第1連隊は半数以上の兵士を失って撤退しました。
敵は高地に大砲をならべ、猛烈な砲火を我らにしてきて、つけ入る隙がありません」
「それを何とかするのがお前たちの仕事であろう」
ジョルジオ将軍は、激昂して怒鳴り散らす。
「騎兵だ! 騎兵を投入して一気に占拠せよ」
ミッターゲン本隊司令部のすぐ横に、色鮮やかな軍服に身を包んだ騎兵が整然と整列していた。その数3500。2000が頑丈な胸甲に身を包んだ重騎兵。残りの1500が軽騎兵と呼ばれる者たちであった。
耳元を銃弾が掠めようと、砲弾が破裂して、土塊が雨のように我が身に降りかかろうとも平然としているのが彼らボナンザン騎兵の矜持であり、誇りであった。その騎兵たちの目前を一騎の騎兵が速足で幾度も幾度も通り過ぎる。ミッターゲン騎兵の総大将、モルデオン准将である。
「今! 我ら、モルデオン騎兵連隊にぃ! ジョルジオ将軍閣下から攻撃命令が下されたぁ!!
我々にぃ、あの高地を奪取せよとのご命令だぁ! さぁ~、どうするお前たちはぁ~!」
「「「 奪取します!! 」」」
准将の問いかけに騎兵たちは声を揃え、大声で答えた。
「そうだぁ~、奪取するんだ!!
だぁぐぅぁ! 高地にはぁ、敵がいるぞ~! どうするお前たち?!」
「「「「「 蹴散らします!! 」」」」
「そうだぁ、蹴散らすんだぁ!!
だぐぅあぁぁ! やつらは卑怯者だぞぉ! 大砲の壁に隠れて、俺たちにバカスカ砲弾をうちこんでくるぞぉ~!
どうするお前たちはぁ!?」
「「「「「 蹴散らします!!! 」」」」」
「そうだ。俺たちはぁ、勇敢にして無敵のボナンザン騎兵隊だぁ。
離れたところから弾を撃ち込むしか能のない糞野郎はぁ、物の数ではないわ!
いくぞ、いくぞ、いくぞぉ~~!」
モルデオン准将は顔を真っ赤に染めながら大声で叫び、騎兵たちの目の前を何度も闊歩し、大声で怒鳴り散らす。
准将が怒鳴るたびに騎兵たちは興奮していく。その興奮が最高潮に達した瞬間、モルデオン准将は一人の騎兵を指差した。縦長の帽子に白い羽がついている。それは大隊長の印であった。
「ボー大尉! 突撃!!」
「はい、ボー大隊、突撃します!」
ボー大尉は弾かれたように馬を走らせる。その後を、ボー大隊の騎兵600人が続く。目指すは、ゲルン連隊を血の海に沈めた高地である。
モルデオン准将は、走り去るボー大隊を満足げに見届けると、すぐ横に控えているフィジー大佐へと目をむけた。
「フィジー大佐は、軽騎兵2個大隊を率いて、高地の正面を迂回、左の林をひそかに抜けて、高地頂上を強襲せよ」
「はっ、軽騎兵2個大隊にて高地頂上を強襲します」
フィジー大佐はさっと敬礼をすると走り出した。その後を軽騎兵隊1200、ミッターゲンの軽騎兵のほぼ全戦力が追従する。
重い胸甲を装備した重騎兵では、たとえ坂を登りきれたとしても馬は疲弊して動かなくなる。馬が動かなくなった騎兵はただの大きな的でしかない。ゆえにボー大隊は囮であり、攻撃の本命は後発の軽騎兵隊であった。
ボー大隊が派手に相手の注意を引いている間に、高地の北にまばらにある林を抜けてフィジー大佐率いる軽騎兵で敵砲兵隊を駆逐する。それがモルデオン准将の戦略だった。
すでに豆づぶほどの大きさになっているボー大隊へと再び目を向けるとモルデオン准将は、ふんと鼻を鳴らすと吐き捨てるようにつぶやいた。
「まあ、せいぜい、敵の注意を引き付けるのだ」
2020/07/04 初稿
次話予定「ミゼット 騎兵と対峙する」 です