シャルロッテ 夜想曲(ノクターン) dolente − ドレンテ
「えっ?だって、こっちの方が早いかなって」
「だからといって窓から入ってくる人なんかいません!」
「あら、『ミランダとジョシュア』ではジョシュアは窓から入ってきましたよ」
「それは、お芝居の話です!
現実の貴族というものは窓から入ってきたりはしません」
えーん。もういいじゃないのさ。どっから入ったって結果は同じじゃない。早くて簡単な方が良いと思うけどなぁ。これだから、貴族ってのはめんどくさい。
「まあ、良いです。
そんなことよりみなさんにあなたを紹介をしなくてはなりませんね。
私についてきてください」
二、三、小言を言ってようやく気が済んだようで、ギャゼルは、はぁ、はぁと荒い息を吐きながらそう言うと歩き出した。
慌てて私はついていく。
ギャゼルはゲストホールの片隅へと向かった。そこは高価そうなテーブルやらソファが置かれていた。
ソファには一人の女の人が座っていた。真っ赤なドレスに艶のある黒髪。とても綺麗な女の人だった。
年のころは17、8に見える。でもチルドレンディナーに参加出来るのは15歳までだから、きっと15歳なんだろう。なんかスッゴク大人びて見える。いや、私から見たら完全な大人だ。
私は懸命に女の子が身につけている物に目を凝らす。最初に目についたのは大きな扇だ。広げたら上半身を丸々隠せそうだ。先端にふわふわなレースが付いているけど、家紋ぽいものはついていなかった。手元、胸元と視線を上げていくとチョーカーに目が止まった。紺色のチョーカーを止める金具。金地の金具には鷲が翼を広げた紋章が刻まれていた。
それはファーセナンの五大公爵家の一つ、バーミング公爵家の物だった。
いきなり、大物だ。その名も知らないご令嬢様は、ギャゼルと私が目の前に居るのにまるで目に入っていないような風で、悠然と構えていたが、不意に扇を広げるとパタパタと仰ぎ始めた。
なんとも話しかけにくい。
ギャゼルは少し戸惑っていたけれど、ようやく口を開いた。
「こちらレディ・シャルロッテ・ベルガモンドです」
妙な沈黙があった。
女の人は、ギャゼルの声がまるで聞こえなかったように、上の空で扇をパタパタと仰ぎ続けていた。
もしかして、本当に聞こえなかったのかも知れない。ギャゼルもきっとそう思ったのだろう。ゴホンとわざとらしく咳き込むと再び声をかけた。
「おくつろぎのところ申し訳ありません。マイ・レディ・メアリー・バーミング。
少し、宜しいですか?
ご紹介したい人がおります。
こちら、レディ・シャルロッテ・ベルガモンドです」
はーー、メアリー様と言うのか
扇の動きが止まると、メアリー様がこちらをじろりと睨んできた。
うわっ、すごい圧。眼力すごい。さすが公爵令嬢様。
「ベルガモンド……?
そう言えば、リンゼロッタには妹君が居るとか、聞いたことがあるわねぇ」
「そうです。その妹君がこちらのレディ・シャルロッテです。
レディ・シャルロッテ。
こちらはマイ・レディ・メアリー・バーミングです」
「お初にお目にかかります。
マイ・レディ・メアリー・バーミング」
私がお辞儀をするとメアリー様は、ふん、と鼻で笑った。
「まあ、まぁ、これは驚きました。
先ほど窓のところから猿が飛び込んできたと戸惑っておりましたのよ。
どうしたものかと思っていましたら、ミスター・ギャゼルが窓のところで右往左往して、山猿を連れてこちらに歩いてくるではありませんか。
わたくし、てっきりミスター・ギャゼルがペットの山猿でもこっそり連れ込んで皆様に見せびらかしているのかと思っておりました」
山猿……?
山猿ってもしかして私のことか?
……これって、もしかして
「そうしたら、まあ、『こちらはレディ・シャルロッテ・ベルガモンドです』って?!
なるほど、よくよく見れば。猿ではありませんことね」
やっぱり、私、苛められてる?
「お、面白いご冗談を。マイ・レディ」
ギャゼルが、ややひきつった笑いを浮かべながら言った。いや、私的には全然面白くないから。
「それでレディ・シャルロッテ。あなた、お幾つ?」
こっちのことは完全に無視ってことか。
今夜は良く歳を聞かれる日だこと。苛立つ感情を抑えつつ答える。
「10歳ですわ。マイ・レディ」
「10! 10と言われましたか?
しかし、わたくし、あなたに会うのは初めてですわね」
「……あぁ、はい。今夜が社交界デビューなのです」
「今日がカミングアウト!
あらまあ。どこのお山に籠られていたのかしら」
そりゃね、確かにね。カミングアウトは普通8歳ぐらいで、紹介も兄弟とかにしてもらうのが普通ですけどね。私の家のお祖父ちゃんは社交界とか嫌いだったから。『ベルガモンド家は軍事で仕えれば良いのだ!』とか言って、マナーやダンスよりも陣形や乗馬を教えられたのよ。
はい、そうです。お陰さまでこんな立派な山猿になりました。と内心で答えつつ、なにも言わずに曖昧な笑顔だけを張り付けておく。
そんな私のささやかな抵抗を知ってか知らずか、メアリー様は言う。
「山猿ではなかったけれど、『のようなものね』。なるほど、窓とドアを間違えるもの無理ありませんわ」
メアリー様は扇を広げて口許を隠し、声をたてて笑いだした。
さすがに何か言い返してやりたかったけど、社交界デビュー初日で公爵令嬢とやりあうのはまずいので、ここはぐっと我慢する。
「レディ・シャルロッテ。
一つ、踊って見せてくれませんか?
山猿の田舎踊りをわたくし、見てみたく思うのです」
な、なに言ってるのこいつ。
どう反応すれば良いのか分からず黙っているとメアリー様はパンパンと手を叩き始めた。回りの人たちが何事かとメアリー様と私たちのへ顔を向けた。
「皆さん。注目してください。
このレディ・シャルロッテが素敵な踊りを披露してくださるそうよ。
さあ、さあ、シャルロッテ。わたくしのために踊ってちょうだい」
あーーー、まじかぁ。
あっという間に回りに人だかりができて逃げるに逃げられなくなった。『何とかしてよ』、とギャゼルの方を見たけどあからさまに眼をそらし、こっそりと人混みに身を隠している。
ダメだ。全く仲裁する気がない。
メアリーは、狼狽える私をにやにやと楽しそうに眺めている。踊るまで許してはくれなさそうだし、踊れば踊ったで、なんか難癖つけて笑い者にしてくるんだろう。
ええ、どうするのよ、これ。
その時だった。どこかで聞いたことのある声がゲストハウスに響いた。
「やぁ、やぁ。なんだい、この人だかりは?
何か面白い余興でもやっているの」
声とともに人垣が潮が引くように左右に割れる。そして、男の子が姿を表した。
あっ、さっきの中庭の謎少年!
「ま、まあ、これはユァ・ロイヤル・ハイネス・セドリック」
中庭の男の子の姿を認めたとたんにソファにふんぞり返っていたメアリー様が慌てて立ち上がった。メアリー様のあの慌てぶりを見ると、あの子はメアリー様より格上なのかな……
ちょっと待って。
今、ロイヤルとか言ってなかった?
ふぇ?ロイヤル・ハイネスって、えっと、えっ?、えっえっ?!
王族? あわわわわ、あの子、王子様ってこと?!
バカみたい口をポカンと開けて固まっていると、セドリック王子が私の方に眼を向けた。慌てて口を手で隠したけれど、クスリと笑われた。
恥ずかしさで顔が火照る。
「良いところへ。
只今、このレディ・シャルロッテが面白いものを見せてくれるらしいのです」
「へぇ、面白いものってなんなの?」
「山猿の踊りだそうです」
「ええ?そうなの」
セドリック王子は驚いたように私のほうを見た。けれど、私、どんな顔をすれば良いか分からなかった。ひきつったバカ面か、ううん、多分、泣きそう顔になってるんだろうな、と思った。そう思うと更に恥ずかしくなった。
「ふ~ん。実に興味深いけれど。
それはまたの機会にしないかい?
ぼく、お腹が空いてしまったから。すぐにでも食事会を始めたいな」
「いえ、しかし……」
メアリー様はセドリック様の予想外の言葉に戸惑い、王子と私を交互に見返す。そこへ、王子が甘えたような声でダメを押してきた。
「お願いするよ。ねっ、良いだろう?」
メアリー様は未練がましく私を一瞥したけれど、ついに折れた。
「まあ、王子がそれほど言われますなら仕方ありません」
「うん、ありがとう。じゃあ、みんな行こうか」
セドリック王子は満面の笑みを浮かべるとそう宣言した。そして、メアリー様をエスコートしてそそくさとゲストホールを後にする。外に出る間際、ほんの一瞬私の方を見て、ウインクをした。
ドキン
それを見て、私の心臓が一度はね上がった。
な、なに、なんなの今のは?
自分の胸に手を当ててみたが、心臓はもう普通に戻っていた。
ぞろぞろとゲストホールから出ていく人の群れの中、私は一人戸惑い、呆然とゲストホールで立ちすくんだ。
□
ゲストホールから移動した部屋にはものすごい大きくて長いテーブルが置かれていた。そして、今日、招待されてた人全員分の椅子も用意されているようだった。
みんな、誰に言われるでもなくどんどん座っていく。暗黙の席次があるのか、それともフリーなのかさっぱりわからない。どうしたものかと思っていると、ギャゼルが座る席を示してくれた。隣にギャゼルが座ってくれたので少し安心した。さっきはまるで頼りにならなかったけれど、いないよりはずっとましだろう。
結局、さっきの騒動で紹介が全くできていないのだ。私が知っている人と言えば、ギャゼルの他はメアリー様とセドリック王子様だけだ。
この上なく心細かった。
目の前のテーブルにはサイズ、形状の異なる多種多様なナイフやフォーク、スプーンが行儀良く並んでいた。これもまた、私の心細さを後押しする。
今から始まる上流階級の食事のマナーってやつは鬼門だった。何度、マーサに怒られたことか。
「はぁ~」
小さくため息をつき、視線を前に向けると、メアリー様と目があった。
これは偶然なのだろうか。真っ正面の席にメアリー様が座っていた。
メアリー様は猫がネズミを見るような目で私をじっと見つめていた。
正直、良い予感がまるでしなかった。
「はぁ~~」
私はさっきより大きくて、長いため息を漏らすと、耳元で「スープはいかがいたしましょう」と声がかかってびっくりした。
振り向くと給士がすぐ後ろに控えていた。横には大きな鍋を二つ抱えている。
「本日は海亀のスープとセロリとリンゴのスープでございます」
慣れた感じで料理を説明してくれた。
そうね、最初はスープなのよね。
うんと、女子は白いのを頼むのがマナーとか言ってたっけ。で、どっちのスープが白いのかしら?
あはは、わかんないわ。
「えっと、とりあえず白っぽいのをお願い」
お世辞にも優雅とは言えない答えだったけど、給士さんはなにも言わずにお皿をおいて、スープを注いでくれた。少し黄みがかった白という色だ。
う~ん、良い匂い。
それでっと、スプーンとかフォークとかは外側から使うってルールよね。だから、この右手の一番外側の円っこいスプーンでいいのよね。
スプーンを使い、一口飲んでみる。
とたんにクスクス笑いが起きた。
驚いて前を見るとメアリー様が私の方を見て、可笑しそうに笑っている。
えっ、どういうこと?
私、何か変なことしちゃったのかしら?
戸惑っている私の前に新しいお皿が差し出された。白身のお魚さんだ。
とりあえず気を取り直おそう。
メアリー様も別に私のことを笑ったとは限らないし。気にしすぎ。気にしすぎ。今は目の前の料理に集中!
えっと、お道具は外側から、外側からっと。
外側に置いてあるナイフとフォークを取ると魚を切って口に入れる。また、ビシバシと視線を感じた。目線をあげると、危うく魚を喉に詰まらせそうになった。
メアリー様がこっちをじっと見つめていたからだ。メアリー様がにぃっと気持ちの悪い笑みを浮かべると、内側から二番目のナイフとフォークを手に取った。
えっ!うっそ~、そっちなの?
私は、慌てて回りの人たちの様子を見る。みんな、一斉に内側から二番目のナイフとフォークを取るとお魚さんを切り、口に運ぶ。
なんで?
なんで、そのフォークとナイフなの?教えられたのと違うじゃない。白身魚は、なにか特別ルールが適用されるのかしら?
えっと、そんな話あったっけ?
う~ん、あったような、なかったような……
顔が火照り、頭が真っ白になる。私はパニックに襲われた。
2020/06/20 初稿
次話「シャルロッテ夜想曲
アルギアの小さな指輪」の予定です