シャルロッテ 夜想曲(ノクターン) con spirito − コン・スピーリト
ややカールした金髪に、丸く優しそうな顔立ち。濃い藍色の上着に同じ色合いのタイトなズボン。上着の襟は細かな刺繍が施されたレース生地。雰囲気、服装からして間違いなく貴族の子息だ。
あなたは誰?と問いかけそうになって慌てて口をつむぐ。
自己紹介をするのは下品な行為ということをマーサから言われていたのを思い出したからだ。
~~~
「よろしいですか。およそ、貴族の子息、令嬢たるもの自らしゃしゃり出て名乗るなどということをしてはなりませんよ。
基本は共通の知り合いを通して、家と名前を紹介してもらうのです。
紹介する時は家格の低いほうから高いほうへ先に紹介されることになります。この順番をたがえてはなりません。
家格が同じなら。女から男。家格が同じで、さらに同性ならば年下のほうから年長者へ、という順番になります」
「紹介者のいない時に見知らぬ者同士が出会ったらどうするの?」
マーサに素朴な疑問をぶつけてみた。マーサは眉間を寄せて変な顔をした。
「そのような事は滅多に起こるものではありませんが、万が一にそうなった場合は、家格の高いほうが先に自己紹介をするのがマナーでございます」
「でも、お互いに初対面だったらどっちの家格が上か分からないじゃない」
「相手の服か持物を良く見てください。各名家の子息、令嬢はかならず自分の家の家紋の入ったアイテムを持っているものです。
お嬢様の場合は、当面の間はこのブローチになります」
マーサが、ベルガモンドの紋章の刻まれた銀製の小さなブローチを手渡してくれた。
「アイテムに刻まれている家紋でどこの家の方か分かります。家が分かれば家格も分かるといった仕組みでございます。
良い機会ですわ。
そのような状況になっても困らないようにお嬢様にはこの家紋名鑑を暗記していただきましょう」
マーサが後ろの棚から分厚い本を取り出し、でんと机の上に置いた。
何?その重装甲騎士を甲冑ごと撲殺できそうな本は?
目を丸くしている私を無視してマーサは言葉を続けた。
「まずはファーセナンの主要名家36家とその派生家系402家から参りましょう」
ひ~~~、マジですか!
~~~
ぶるぶると頭をふって過去の悪夢を振り払う。
結論言うと無理でした。とりあえず主要36家と今日の晩餐会に来る可能性の高い71家を覚えるのが精一杯でした。はい。
どうかこの男の子の家がその覚えた中に入っていますように!
……
…………
あれ?家紋を示す物をなにももってないじゃない、この子。どうなってんの?
マーサ!こういうときはどうすればいいの。
私、聞いてないよぉ~
「珍しいところにいるんだね」
きまずい沈黙に男の子が痺れを切らしたように口を開いた。
えっと、自己紹介も無くいきなり話し出しけど、これってマナー的にどうなんだろう。それともこの子はマナーとかあんまし気にしないタイプなのかな。だとしたありがたいわ。
「えっと、迷子になってしまったようです」
意を決して、本当のことを言うことにした。
「迷子?」
と少年は不思議そうな顔をした。
「私、今日が社交界デビューなんです。このペンガナ宮殿も初めてで、いつのまにかどこがどこだかわからなくなってしまって、困っていたのです」
「なるほど。確かに見慣れないわけだ」
男の子は鷹揚にうなづいた。
なんだろう。そこはかとなく立ち振舞いに優雅さというか気品が感じられる。これは、きっと名家の子息なんだろうなぁ。公爵とかかしら。
「それで、どこへ行こうと思っているの」
「えっと、ゲストホールです」
「それなら、あっちだね。ほら、あの屋根に塔が三つ並んでいる建物。あの一番左の窓のところ。あそこがゲストホールだよ」
男の子が指差す方をみる。言われたように塔が三つ立った建物がみえた。
「ありがとう。行ってみます」
お礼を言い、改めて男の子を見る。年は私より上に見えた。人懐っこい瞳で興味深そうに私を見つめている。なんだかくすぐったい。
「あなたも私と同じように今日の晩餐会に招待されたの?」
私の質問に男の子の目が驚いたように微かに見開いた。そして、くすくすと笑いだした。
えっ、なんで笑うの?私、変なこと言った?
「君は本当に初めてなんだね。
珍しいなぁ。君は何歳なんだい?」
今度は私が驚く番だった。
「まあ!淑女に歳を尋ねるなんて失礼ですよ」
「えっ?ああ、確かにね。
淑女に歳を尋ねるのは非礼だけど、今日は晩餐会と言っても子供たちの晩餐会だからさ。今日、招待されるのは淑女でも紳士でもなくてみんな子供さ」
「なるほど、私はお子様で、お子様なら歳を聞いても非礼ではないと、そういう意味ですね?」
「そんなにあからさまには言わないよ」
まあ、顔の皮の厚いこと。私の皮肉に全く動じないわ。それどころかイタズラっぽい笑みを浮かべてる!
「あからさまに言おうが迂遠に言おうか意味が同じなら同じではないかしら?」
「いいや、同じではないかなぁ。少なくとも高貴な人たち流では同じじゃないね」
なんだか意味が分かんない。『高貴な人たち流』って、なんか私、ディスられてる?
「ああ、もう!
高貴な人。
マナー。
高貴な人。
マナー。
高貴な人!
マナー、マナー、マナー!
だから高貴な人たちって嫌い。本当に馴染めない。
良いです。
10(とお)です。10歳になります。
これで満足ですか」
大声を上げ、地団駄を踏み、少しずつ溜まっていた鬱憤を爆発させた。
とたんに男の子はお腹を抱えて笑いだす。それが余計に勘に障った。
きっと顔に出ていたのだろう。男の子はうっすらと浮かべた涙を指で拭いながら言い訳を始めた。
「あはは、いや、ごめん。
そんなに怒らないでよ。悪気は無いんだよ。
それに君もその高貴な人の端くれだと思うけどね。
もっとも、確かに君は慣れていないね。
本当に、見掛けよりもずっとなれていないんだなって思うけどね」
悪気が無いって……、どう聞いても悪意の塊じゃないの。
そ、そりゃ、たしかにね。うちの家系は貴族の末席だし、私は見かけよりもずっと高貴な人たちの習慣になれていないわよ。それは本当のこと。うん、認めるわ。
でもね、こっちにはこっちの事情ってのがあるのよ。今日のためにどんだけ努力してきたと思っているの!
ああ、なんかすっごく腹立つ!
「ありがとうございます」
内心の沸沸と燃える怒りを圧し殺し、ああ、高貴な人のマナーっていうのは!、お礼を言ってさっさと、このいけ好かない男の子との会話を打ち切ることにする。
「では、ごきげんよう」
取り敢えず皮肉混じりのお礼を一言言って、くるりと背を向ける。そのまま、教えてもらったゲストホールに向かって歩いていく。心臓がなぜか、ばくばくと暴れまくる。
静まれ、心臓!
苛立ちと不安を紛らそうと、わざとがしがしと足音を立てて歩いた。
呼び止められるのじゃないかと心配したが、男の子が呼び止めることはなかった。
ああ、もう!ほんとっ、イライラする。
それでも歩いているうちにだんだんと気が静まってきた。
段々と男の子のことが気になってきた。
結局、あの男の子は誰なんだろう?中庭で何をしていたのだろう。
今もまだ、私の後ろに立っているのか?
それとも、私のことなんかにはもう興味を無くして、どこかへいってしまったろうか?
………………
…………
……
気になった。
こっそりと後ろを見てみた。
! うわっ、こっち見てる!!
男の子はどこにも行かずに熱心に私を見ていた。
私は慌てて正面に向き直る。落ち着いた筈の心臓が再びドキドキと脈打ち、顔がやたらに熱くなった。
ああ、もう。落ち着け私。
もう、なんなのよ。あの子。嫌い!
結局、どこの誰かも分かんなかったし……
ゲストホールへと早歩きで移動する。正直、少しでもあの男の子と距離を置きたかった。
「えっと……あれっ?」
建物のところまで来て、はたと困った。出入り口が見当たらない。右も左も延々と壁が続いており、目につくのはやたら背の高い窓ばかりだった。
う~ん、困った。
途方に暮れながら窓から中を覗いてみると、いかにも高貴な人たちって服装の子供たちが笑いあっているのが見えた。ここがゲストホールであるのは間違いないようだ。
窓全体は私の身長の倍ぐらいある。大きさ的には申し分ないけれど、窓のついている位置がやたらに高いのだ。窓枠が肩の位置ぐらいあった。これはひょいと気軽に乗り越えられる高さではない。
どうしょうかなぁ。
誰か知り合いがいれば助けを呼ぶんだけれど……あっ!いた、いた。
「ギャゼル。おーい、ギャゼル卿。やっほ、こっち向いて~!」
ドットハン子爵の令息、ギャゼル・ドットハンの姿を見つけた私は、窓をコンコン叩きながら名前を呼んだ。彼は私を今夜自己紹介してくれる手筈になっていた唯一の知り合いなのだ。頻りにホールの入り口を気にしていたようだけど、私の必死のアピールにようやくこっちの方を見てくれた。
窓から首を覗かしている私を認めるとドットハンは慌ててこっちにやって来た。
「シャルロッテ嬢、一体全体どうなっているのですか?
ずっと来ないから心配していましたよ。
今日は大事な社交界デビューなのに、なにを中庭で遊んでいるのですか!
すぐにこっちに来てください。晩餐会が始まる前に皆さんに紹介しなくてはなりませんから!」
なんか、凄い剣幕で怒られた。
「いや、まぁ、好きで中庭にいるわけではないんですけど。
私もそちらに参りたいと思っているのですが、入り口が見当たらなくて困っていたんです。
あのぉ、すみませんけど、少し手を貸して頂けないかしら?」
と、言いながら私は手をギャゼルに差し出した。すると、ギャゼルはなにか恐ろしい物を目の前に突きつけられような表情になった。
「手を貸すとは、どういう意味ですか?」
「どういう意味って……
そりゃ、手を持って引き揚げてもらえるとありがたいなぁと思っております」
「窓から入るおつもりですか?」
「はい。そのおつもりですけど、なにか?」
「とんでもありません!!」
うわっ、また、怒られたよ。
もう。そんなに真っ赤になって怒らなくてもいいじゃない。あんたは、マーサかっての。
「この建物には中庭から入ってこられる入り口はありません!
早く中庭を越えて、向こうに見える建物から入ってきてください!!」
ギャゼルは窓から身を乗り出して、中庭の向こうに立つ別の建物を指差した。
えーーー、結構遠いじゃん。面倒くさいなぁ。それに中庭を横切らなくちゃなんないから、またあの男の子に出会うことになるかもしれない。どちらかと言うとそっちのほうが気が重かった。
私は窓をしげしげと値踏みする。
う~ん。自力でよじ登れないこともないけど、服を汚したり、破いたりしたらマーサ、怒るだろうなぁ。
仕方ないなぁ、と思った時、窓の直下の壁に小さな窪みがあるのに気がついた。
ふむぅ。
靴先で、その窪みを少し突っついてみる。それなりの引っ掛かりが感じられた。
あっ、これ。いけるかも知んない。
「すみません。ミスター・ギャゼル。これを少し預かっていただけませんか?」
私は靴と靴下を脱ぐとギャゼルに手渡した。
「えっ?えっ、レディ・シャルロッテ?なんのつもりですか?」
混乱するギャゼルを無視して、私は少し窓から離れる。
「えっと、すみませんけど窓から離れてもらえますか?危ないですから」
「なに?なに? 危ない?
レ、レディ・シャルロッテ、な、な、なにをするおつもりですか?」
渡された靴と靴下を抱えたままギャゼルは狼狽えるけど、私はそれを無視して一気に窓に向かって駆け出す。
「ふんっ!」
窓に向かってジャンプして、更に窪みに足先を引っ掛けて蹴り上げる。と、同時に窓枠に片手をつき、そのまま側転しながら窓をすり抜ける。体を捻り、体勢を整えつつゲストホールの床に着地する。
ふーーー
一呼吸入れて、服を確める。
汚れも綻びもない。うん、完璧。
「ありがとうございます」
口をあんぐりと開けて固まっているギャゼルから靴と靴下を奪う、もとい、引き取り、いそいそと履きなおした。
やれやれと思いつつ顔を上げると、ゲストホールにいるみんなの視線が一身に集まっているのに気がついた。
あれ?私、目立ってる?
おかしいなぁ、大きな音も立ててないのに。
えへへ、っと笑って誤魔化そうとしたら、我にかえったギャゼルが大声で喚きだした。
「レディ・シャルロッテ!
あなたはなんてことをするんですか?!」
2020/06/13 初稿
次話予定(投稿毎週土曜日予定です)
『シャルロッテは諦めない ~ シャルロッテ 夜想曲 dolente − ドレンテ』