シャルロッテ 夜想曲(ノクターン) scherzando − スケルツァンド
「ごくろうさま」
道端で松明を掲げる騎兵の横を通り過ぎながらねぎらいの言葉をかける。その騎兵は無言で敬礼を返した。でも顔には笑みを浮かべていた。
確か、名前をジョルジオといったっけ。笑みを返しながら、今朝がた共に突撃をかけた大事な戦友の名前を反芻する。
「夜通しの行軍って聞いた時は大変だとおもったけれど、それほどでもないね」
セドリック様の声に、私は横へ目を向け頷くと前へと視線を戻した。点々と設置された松明が夜の闇を貫いて街道を照らしている。松明の光の帯はハーマンベルまで続いていた。淡いオレンジ色の光は儚くも優しく、見る者の心を暖かく包み込む。
はぁ~ (*゜∀゜)=3
ロマンチック……
セドリック様とご一緒に夜の街道を馬で散策する。なんとおいしいシチュエーションだろう。
「街道沿いに騎兵たちに松明を持たせて配置するなんて、よく思いついたね。準備するのも大変だったでしょ?」
いや~、それほどでもあります~
私、グッジョブ!
「いえ、このようなことは大したことではありませんわ~。普通です。普通。
良く気のきく女性ならば誰でもできますとも。
こう見えて私、夜通しの強行軍はなれてますので。
それに、今回は準備の時間も十分取れましたから、さほど苦労はありません。
場合によっては、戦闘が終わってすぐに転戦などということもございますからね。
そんな時は、人家もない真っ暗な平原をひたすら進まなくてはならないこともございます。それに比べれば今回は楽なものです」
「ええ、そんなこともあるの?!
でも、真っ暗だとどこへ向かえばいいかもわからないんじゃないか」
「たしかに昔の人は大変でしたでしょうね。
今は方位磁石というものがございますからそれほどでもありません。
それに方位磁石が無くても、今日のように晴れていれば星が導いてくれますわ」
「星?」
セドリック様の問いに私は空を指差す。その指の先には、光り輝く星が一つあった。
「あれです、北極星」
「ああ、なるほど。北極星か。なんか久しぶりに見たよ」
「旅人の守護者。竜の一つ鱗。片目の復讐者。さまざまな名前があります」
「アルギアの小さな指輪」
「え?」
「アルギアの小さな指輪とも言うよね。ほら、僕たちが初めてあった夜。あの時もシャルロッテは北極星を指差したじゃないか。もう忘れちゃった?」
アルギアの小さな指輪。
忘れるなんてとんでもない。それは私の大切な、大切な宝物ですよ。セドリック様。
私はすこし眼を閉じ、幼き頃へと思いを馳せた。
あの夜。
私はまだ10になったばかり。その上、初めての晩餐会に一人でいくことになっていて、がちがちに緊張していたのです。
□
馬車の扉が音もなく開く。
真っ赤なカーペットが馬車の下に敷かれていた。カーペットは更に先へと道しるべのように伸び、やがて白亜の建物へと繋がっていた。その建物が放つオーラに私は気押される。
「お嬢様、ファイトです!」
たじろいでいると声がした。横を見ると、侍女のマーサが私を元気つけようと微笑んでいる。
きっと情けない顔をしているのだろうと思う。
それでは駄目だ。自分を勇気づけるためにマーサに無理やり微笑みを返した。
うまくできたかどうかわからない。ううん、たぶん引きつったひどい出来なんだろう。
「大丈夫です。今までのことを思い出して、落ち着いてやれば心配ありません」
それでもマーサは完璧な暖かい笑みを浮かべたまま優しく元気つけてくれた。その言葉にこくりとうなづくと私はおずおずと馬車を降りた。
降りたすぐのところに男の人が立っていた。白の服に銀糸の精緻な刺繍が施された衣装を上下に着こなしていた。白尽くしだ。ご丁寧に頭もカールした銀髪。
うんと、これはきっと鬘だよね。
まじまじと見つめていると、その男の人と目があった。でもそれも一瞬のこと。男の人が慌てて、視線を切った。
「ベルガモンド家ご令嬢、シャルロッテ様、ご到着」
わっ! び、びっくりした。急に大声で叫びだしたよ、この人。
なに、なに、なんだっけ? なにか答えないといけないんだっけ?
えっ、えええ……どうするんだっけ?
「お嬢様、お嬢様 そのまま。そこまま、お進みなさいませ」
馬車の窓からマーサが顔をすこし覗かせて小声でアドバイスをくれた。
あっと、そうか。思い出した。これがコールマンか。
えっと、パーティに招待された人かどうかを判断する人だよね。
ちゃんと名前を呼ばれれば招待された人と認められたことになるんだっけ。だから、えっと、今、呼ばれたからそのまま進めばいいのよね。よし、いいわ。
落ち着いて、行きましょう。
前を向いて進むのよ。
コールマンの横を通りすぎる。
通りすぎて、コールマンの後ろのレッドカーペットの両側にそれぞれ5人ほどの衛兵が直立不動で立っているのに気がついた。
これは近衛兵の人たちだよね。
あっ、あの人、ペリュネさんじゃない!
この間、お父様に会いに家に来てた。
そっか、近衛兵団の人だもんね。警護していても不思議じゃないか。
手を振ってみよ。
……あれ、前を向いたまま無反応って。ガン無視なの?
むうぅ。見えてないのかなぁ。もう一回振ってみようかな。
お~い。やっほぉ~
……
……
ぬぅ、やっぱり無視!
なんで~?
こうなるとなんか意地でもこっち向かせてやりたくなってきた。
「お~い!(ブンブン)ペリュネさ~ん! 私だよ、シャルロッテだよーー。ペリュネさーーん、お仕事ごくろーさまー!」
「ゴホン! ゴホン、ゴホン」
気を引こうとブンブン手を振って名前を連呼していたら、咳き込む声が後ろから響いてきた。振り向くと去り行く馬車から半分身を乗り出したマーサが必死になって両手でペケを作っていた。
……? マーサ、なにやって――、はっ!
『良いですか、お嬢様。本来、私たち使用人はお嬢様たちから見た場合、人ではありません。
空気です。調度品です。風景の一部です。
目に入っても居るものと思ってはいけません。
火急な用件でもなければ目を合わせたり、話しかけるなどは慎まねばなりませんよ。
コールマン、警護の兵士も然りです。
特に正式な場では、そのこと肝に命じておいてください』
マーサの言葉が甦る。
あわわ、早速やらかしてしまった。
慌てて振っていた手を降ろすと直立不動で何事もなかったようになに食わぬ顔でレッドカーペットの上を歩き始める。
少し歩くと階段があった。ゆっくりと階段を見上げる。正直、あっけにとられる。材質は大理石?雪のように白い大理石でつくられた無駄に幅広な階段がずっと続いている。余りに長く続いているので上のほうは良く見えない。代わりに豪奢なこれまた白い大理石製であろう門がそびえ建っていた。門の上部中央にはファーセナンの国旗、十字四色旗が掲げられ、その両脇を女神の彫刻が旗を支えるように備え付けられていた。
ペンガナ宮殿。
さすが王族の別荘として使われている建物だ。
聞いてはいたけど、目の当たりにするとその豪奢な造りに圧倒される。
一度深呼吸をすると階段を一歩一歩上る。
一番上まで上がると、そこに四人の人がいた。右に女性が二人、左には男性が二人。先ほどのコールマンとはちがうけれど、服装から使用人だと分かる。執事と侍女といったところかな。
私は突貫で詰め込んだマナーを思い出す。たしか、ここで帽子と手袋をわたすんだっけ。
いそいそと手袋をはずして、帽子をとった。渡そうとしてはたと困った。
えっと、どっちにわたすんだっけ?男の人、それとも女の人。
たしか……う~ん、女は女に、男は男にだったはず。
手袋と帽子を取るとドキドキしながら侍女に手渡した。
あちゃ、なんか呆気にとられた顔してるよ!
また、やらかしたな、これわ。
あああああ、もう良いや。面倒くさい。知らないっと。
スタコラと逃げるようにその場を離れる。
「お待ちを――」
うおっ!ヤバい。執事っぽいのの片割れが声をかけてきた。しかーし!ここで小言を聞くわけにはいかない。
私は走り出した。
「えっ?! ち、ちょっと、ちょっとお待ちください!」
うほっ!追いかけてきた。
ふっ。野戦練で鍛えた私の脚力をなめる、いえ、見くびらないでもらいたいわ。追いつけるものと思ったら大間違いよ!
私はさらに速度を上げて脱兎のごとくレッドカーペットを走り出す。
慌てて呼び止める執事の声がどんどんと遠退いていく。
みたか!
ほくそ笑む私の目の前に私の背の何倍もある扉が出現して、行く手を阻んだ。だけど、ここで歩みを止めて追い付かれる訳にはいかない。ほとんど体当たりをするように扉を取りつくと、勢いのままに開ける。
扉の先には少し大きめな部屋だった。
沢山の使用人が忙しそうに立ち働いていた。察するに今夜の晩餐会の準備なのだろう。
みな、突然開け放たれた扉、そして、その扉を開けた私に注目する。たけど、そんなことに構ってはいられない。私は目敏く部屋の奥に別の扉があるのを見つけると、立ち並ぶ使用人たちの間を縫うようにして走りぬけ、その扉から外へ出た。
そこは薄暗く、カーペットも敷かれいない剥き出しの床の狭い通路だった。
恐らくは使用人たちが使う通用路なのだろう。
当てずっぽうに右を選ぶ。すぐに十字路にぶっかった。今度はそれを左。そして、次も左、次の次は右。と、勘に任せて適当に走り続けた。
どれだけ長いこと走ったかは分からないけれど、とにかく人の気配がなくなったところでようやく足をとめた。
はぁ、はぁ、はぁ。
ど、どうだ。完璧に巻いてやったわ。さすが、私……
「ところで、ここどこかしら?」
きょろきょろと周りを見回す。枝振りのよい木立ちや花壇、すこし、離れたところには人の手で作られた小川が月明かりの下に見えた。
「中庭みたいね」
さて、こまったわ。マーサから聞いた段取りだと、門から一旦、ゲストホールへ行って晩餐会が始まるまで待つ予定だったのよね。その間に知り合いを見つけて初顔合わせの人たちとお近づきになっておくように、ともいわれていたっけ。
「でっ、そのゲストホールってどこよ」
中庭をぐるりと見回して、私は途方にくれた。
中庭は四方を建物に囲まれていた。どの建物を3階建てはある立派な造りで、窓からは煌々と光が漏れている。どれもゲストハウスです、といわれればそう見えてくる。
とりあえず適当な建物に入ってから目的地を探すしかないかな。そう思った時、後ろから小枝を踏み折る微かな音がした。反射的に振り返ると、見知らぬ少年が立っていた。
2020/06/06 初稿
2020/06/07 マナールール変更に伴い記述修正(ベルガモンド伯爵家→ベルガモンド家)
2020/06/09 次話のタイトルを少し変更しました
次話『シャルロッテ 夜想曲 con spirito − コン・スピーリト』