戦場の夫婦漫才
「陛下!」
地面に落ちる寸前になんとかセドリック様の体を掴むことができた。そのまま、力任せに引き上げる。
「くっ!」
肩から首筋に掛けて鋭い痛みが走った。微かにブチリと何かがちぎれる嫌な音が耳の奥でした。急速に右手の握力が失われていく。
「このっ!」
セドリック様の襟首に慌てて左手を伸ばし、掴む!そのまま、馬から落ちる気で体を後ろに反らす、その落下する自分の体重を利用して強引にセドリック様の体を引き上げる。鞍上で暴れる私に驚いたのか、愛馬アベルが落ち着きなくいななき、前足を上げた。
のけぞる速度が加速する。まずいっ!ホントに落馬する。
「どう!どう!落ち着けアベル!」
慌てて手綱を掴み、馬に向かって叫ぶ。と同時にズリズリと滑り落ちそうになるセドリック様の体を押さえようと右手を動かした。とたんに肩に激痛が走る。腕が肩より上にあげられない。握力は完全になくなっている。仕方ないのでセドリック様の脇に手を滑り込ませて、抱きかかえる。顔が胸にめり込む。
「モガモガ」
顔が埋もれて苦しいのか、セドリック様が呻きながら、顔をもぞもぞと動かした。
ちょっ!もがくな。落ちる。くすぐったい
くすぐったさを我慢つつ、暴れるアベルをなだめる。同時に落ちないように、さらに強くセドリック様を胸に押し付けた。
「モガモガ」
「どう、どう!アベル、落ち着け」
「(モゾモゾ)」
「(くっ!くすぐったいって)」
「モガモガモガモガ(モゾモゾモゾ)」
「どう!どう!(あはは、くすぐたいから。やめれ!)」
………………
…………
……
「ふうぅぅぅ」
格闘すること数十秒。ようやくアベルも落ち着いて、一息入れることができた。
「陛下、大丈夫ですか?」
「えっ……あ、ありがとうカルディナ」
解放されたセドリック様は何故か顔を上気させ、目が涙で潤んでいた。
こうやってまじまじと見るとすごい美青年ではあるかしら。評価がそんなに高くない私が見ても思わず背筋がぞくぞくする。
こんなのをお嬢様が見たら、羨まし過ぎて悶死するかも知れない。
「そこぉ!!なにやってるのーー!」
そうそう、そんな金切り声をあげて、のたうち回ると思う……って、あらまっ、お嬢様だ。
声の方を見ると、最大速力で猛然と近づいてくるお嬢様の姿があった。
「カ、カ、カ、カ、カルディナぁ、あなた、何をしてるのですか」
お嬢様はあわあわあわと口をわななかせて、私とセドリック様を交互に指差す。
いや、これは成り行きだから。完全な誤解だから。だけど、面白いから、このまま誤解させて放置するのもいいかも。
「見ての通りです」
「みみみ、見ての通り!
私には二人して抱き合っているように見えるけど」
「気のせいかと」
「そうかぁ、気のせいかぁ……
んっなわけあるかー!どう見ても同じ馬に乗ってんじゃない。
それにセドリック様の目もぽやんとしてなんかおかしいしっ!」
「はぁ、先ほど行き掛かり上、危うくセドリック様を私の胸で窒息死させかけましたので、それで逆上せてるかと」
「なんですって!
何がどう行き掛かると、セドリック様がカルディナの胸で窒息するなんて事態に陥るのよ!」
お嬢様は必死の表情で詰めよってきた。
テンパるお嬢様って結構好きだ。
「そのようなことを私の口からは言えません。セドリック様にお聞きください」
落馬しそうになるのを助けたなんて、セドリック様の名誉のために私の口からは言えません。建前上は。
むむむ、とお嬢様の口が尖る。そして、思った通りにセドリック様へと詰め寄った。
「セドリック様!一体全体どう言うことですか?」
「えっ、それは馬がね、急に倒れて、そ、それで僕が落馬しそうになったんだよ。その時にカルディナが助けてくれたんだけど、馬が暴れてね。だから、カルディナがギュウっと抱えてくれたんだけど、その時にカルディナの胸に顔が埋まっちゃって」
「か、顔が、む、胸に、う、う、埋まる!
なんということするのですか!」
「いや、あれは不可抗力だよね。ねっ?だよね、カルディナ?」
セドリック様は答えに窮して、私に助けを求めてきた。その鼻からすっーと赤い筋が垂れた。
鼻血っ!
私は一瞬言葉を失う。なんとナイスなタイミングなのでしょう。私はどきどきしながらお嬢様の反応を見守った。
お嬢様は目を見開き、固まっていたが、すぐにプルプルと体を震わせた。
「鼻血!セドリック様はカルディナの胸に当てられ鼻血をだしますか!
私の胸を鷲掴みにしても一滴も出さなかったのに、カルディナの時はどばっと出すのですか!
キーーッ、悔しい」
いや、お嬢様。引っ掛かるのそこですか?
「いや、人聞きの悪いこと言わないでよ。シャルロッテの胸を鷲掴みにしたことなんかないでしょ」
「してますぅ(↓)。
この間の朝、さわさわとポニョンをそれぞれ4回やってますぅ(↓)」
「あ、あれは寝ぼけてたから!」
「だから?」
「だ、だからノーカンだよ」
「ノーカン?あれを無かったことにしょうとしてますか?!
そうは行きませんからね。
私、もう日記に書きましたから」
「日記!?そんなことを日記に書くのは止めてよ。け、消してください」
「嫌です。私、将来的に回顧録を書く予定ですので」
「なんで、公にする気満々なのーー?!」
お、面白すぎる。
なに?このバカップルの夫婦漫才。
話が完全に明後日な方向に行ってる。
なんか、愛の空回りっぷりが尊い。
このまま、ずっと見てみたいけれど、そうも行かないのが残念。そろそろ、収集をつけないと。
「お嬢様。セドリック様の鼻血が軍服に垂れそうです」
「えっ、ああ、大変!」
私の言葉にお嬢様はハンカチを取り出してセドリック様の鼻を優しく拭われた。
さっきまで顔を真っ赤にして怒っていたのに、その甲斐甲斐しさが、なにかいじらしかった。
実のところ、あの鼻血も私の胸に逆上せたからじゃなくて、抱き締めたときに胸の金具かなにかにぶつけたからなんですけどねぇ。面白いから黙っていました。
「どうやらモグラの穴に脚を突っ込んで馬が転びそうになったようです。足に異常はなさそうです」
ちょうど良いタイミングでパノン大尉が馬の手綱を引いてやって来て、助け船を出してくれた。そこでようやくお嬢様も今回のことは不幸な事故だと納得してくれたようだ。
セドリック様は私の膝の上からご自分の馬に移動した。これでこの騒動も終わりだ。
「なんだか釈然としないけど。
とりあえず、置いておくわ。
それで戦況はどうなってるの?」
お嬢様が馬を寄せて、戦況について聞かれたので、手短に説明した。
「分かりました。
敵を掃討しつつ、部隊の掌握を急がせて。
その後、小休止。その間に食事も取らせて。
日没前に出発よ。明日の朝にはハーマンベルに戻れるように」
「了解です。
……それはそれとして」
私はハンカチを取り出すと、お嬢様の顔をごしごしと拭く。
「うにゃ?」
「鼻の頭が火薬の煤で真っ黒ですよ。
額もテカテカ光ってるし」
「えっ?嘘。私、そんな顔をセドリック様に見せてたの。ヤダ。最悪」
私の言葉にお嬢様は顔を赤らめ動揺をする。
「じっとしてください」
頬についた泥を払いつつ、お顔に傷などついていないかを入念に調べる。
良かった。どこにもかすり傷ひとつない。
後は髪を少し整えて、と。
「はい、これで良いです」
「うん。ありがとう」
お嬢様がにこりと微笑まれた。
その微笑みに私の心臓がコトリと跳ねた。
2020/05/30 初稿
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