脱兎ののち、修羅場
2020/05/21 初稿
「撤収!総員退却!!」
猛然と迫る敵騎兵の一団から逃れるために私たちは脱兎の如く逃げる。けれど、距離は徐々に縮まっていく。
「部隊を分けます」
横を走るミルマン大尉に向かい、叫ぶ。それにミルマン大尉も大きく頷き返した。前方に分かれ道が見えた。真っ直ぐ街道沿いに進む道と僅かに右に逸れる道だ。
「私は右に行きます。大尉は真っ直ぐを行ってください」
「了解です。御武運を!」
私は右への道を選ぶ。第1、第2小隊が続く。大尉は残りの第3、第4小隊を率いて真っ直ぐの道を行った。
私たちが不意に隊を別けたのに混乱したようで縮まっていた敵騎兵との距離がまた少し開いた。しかし、振りきれるほど引き離してはいない。私たちの逃げる姿は視界に納められていた。相手も追跡を諦める気はサラサラなさそうだった。
右の道は緩やかな登り坂で、直ぐに道の両脇に木が目立ち始めた。木立は林になり、さらに森へと変化する。私の選んだ道は森への一本道だ。
目の前で道が鬱蒼と木が繁る森に飲み込まれていた。
行き止まりだ。前も左右も厚い木立ちに遮られ馬を進ませることは出来ない。
私は馬を止め、降りた。
そこへ怒涛のごとく敵騎兵が寄せてきた。
《遂に追い詰めたぞ》
一番先頭にいた男が馬上から、北デール語、ボナンザンの言葉、で勝ち誇ったように言った。さっき望遠鏡でこっちを見ていた指揮官ぽい人だ。
《舐めた真似をしてくれたな。命乞いしても助かるとは思うなよ》
名も知らぬその指揮官は勝ち誇り、残忍そうに舌なめずりをした。なにを妄想しているのか手に取るように分かるから、内心辟易する。
《命乞いなんてする気はないから》
と、北デール語で返してやると意外そうな顔をした。私のデール語に驚いたのか、それとも物言いが意外と感じたのか。恐らくはその両方なのでしょう。
私はそっと馬の首を撫でてやると、愛馬パトラッシュは大人しく膝を折り、器用に地面に伏した。他の騎兵の馬たちも次々と地面に這う。
《な、なにをやっている?!》
指揮官が狼狽して叫んだ。けれど、もう遅い。
《追い詰められてるのはあなたたちの方よ》
デール語で答えると同時に地面に身を伏せる。と、同時に森の四方が一斉に火を吹いた。
敵騎兵の何人もバラバラと落馬して地面に叩きつけられる。弾に撃ち倒された者もいれば、轟音と閃光に驚いて暴れだした馬から振り落とされる者もいた。悲惨なのは跳ねすぎてバランスを崩して倒れる馬の下敷きになった者だ。あれは死ねる。
わーー、という掛け声と共に森から槍を持った深緑の兵士がわらわらと現れた。私が用意した伏兵たちだ。
そう、追いかけられて逃げていたのではなく、誘い込んでいたのだ。
ミルマン大尉たちを追っていったほうもご同様。今ごろは突然現れたバリケードに進路を阻まれてパニックに陥っているはず。
なんにしても。敵地で闇雲に逃げる敵を追いかけるのはやめた方が良いよ、名も知らぬ指揮官様。と、心の中で呟きながら、私は肩にかけていたマスケットを手に取った。
弾薬箱からカートリッジ、弾丸と火薬をまとめて紙でくるくる巻いたもの、を取り出す。
弾丸を歯で挟んで紙を引きちぎるとマスケットの火皿を開けて紙の中に入っている火薬を少し入れて再び閉じる。残りの火薬をマスケットの先から銃身に入れてから、口に咥えていた弾丸も放り込む。そして、込め矢でとんとんと丁寧に火薬をマスケットの奥へ押し込んだ。
目の前では、敵騎兵と槍兵が修羅場を演じている。先ほどの指揮官も右へ左へとサーベルを振り下ろしながら群がる槍兵と戦っている最中だった。その指揮官にゆっくりと狙いをつける。
ドン!
轟音と同時に指揮官の体が跳ね跳んだ。
「こんだけ近いとさすがに当たるわね」
マスケットを肩にかけると、私は一人つぶやいた。
さっきの分かれ道に戻ると丁度ミルマン大尉たちと出くわした。
「そちらの首尾は?」
「上々です。そちらも上手くいったようですね」
「ええ。これで相手側の騎兵兵力はほとんど残っていないと思う。後は本隊だけね。
うん?」
私の耳にかすかだが銃声が届く。かなり遠く、本当にかすかであったけれど確かに聞こえる。
「どうされましたか?」
「銃声が聞こえる。もう攻撃を開始したみたいだわ」
「攻撃?本隊ですか?」
「うん。そうね。始まっちゃったみたい。攻撃のタイミングはカルディナに一任していたから……
私はすぐに本隊の様子を見に行くわ。
大尉は自分の騎兵中隊と伏兵の歩兵をまとめて頂戴。
そのまま予備としていつでも使える状態にしてください」
「了解しました。おい、ジェルミー、カルノー。お前たちはシャルロッテ様の護衛につけ」
二人を連れて馬を走らせようとして、大切なことを思い出した。振り返ると大尉に向かって軍旗を投げる。大尉は慌ててそれを受け取る。
「軍旗を返すね。さっき、それで思いっきりぶん殴ったから心棒が少し曲がっちゃったかも。ごめんね」
「あー、全く。お嬢様にはかないませんな」
ミルマン大尉は苦笑しながら、敬礼をしてきた。軽く笑みを浮かべ、私も敬礼を返す。
兵士の挨拶はそれですべて通じる。本当、楽だわ。少し微笑み、前に向き直り、馬を走らせた。
5分ほどで再び、例の坂に到達した。そこからざっと戦場を俯瞰する。
緑の軍服の兵士たちが坂からガンゼホンの周辺までちょろちょろと点在しているのが見て取れた。緑の軍服、すなわちファーセナンの兵士たちだ。
「この辺りは、ファーセナンが取ったってことかしら」
私は望遠鏡をガンゼホンに向ける。やはり緑の軍服がちらほらと見えた。
本隊旗はどこだろう。望遠鏡でぐるりを見渡すが見つからない。
作戦前の本隊はガンゼホンの北5クルムぐらいのところに位置していた。まだ移動していないなら少し小高い丘の向こうになるけれど。
ここからだと丘が邪魔で見えないな。
セドリック様は無事かしら。心配をしだすと、とたんになんか変な胸騒ぎがし始めた。
「あの丘まで行きます」
言うが早いか私は馬を駆け足で走らせる。
丘につくと一気に視界が開けた。余裕で10クラム先まで見通せる。随所に軍旗がはためいていた。ほとんどが金十字架、すなわちファーセナンのものだった。
逆にボナンザンの旗はほとんど見えなかった。北東に伸びるミュゼ河付近と視界のずっと端のところに少し確認できる。視界の端の旗はどうも戦場から離脱しようとしているように見えた。その旗をファーセナンの旗が追いかけている。望遠鏡で確認すると第3近衛師団の第1騎兵大隊のものだ。
「あっ、あった」
本隊の旗を2クルムほど先に見つけた。
早速そちらに移動する。10分ほど馬を駆り、ようやくカルディナたちの姿を目視できるところまできた。
手を挙げて二人に声をかけようとして、違和感に凍りつく。
なんか、あの二人近くない?
いや、近いって言うか……
ふむぅ、と眼を凝らす。
ぬぅわぁ?!カルディナの馬にセドリック様が一緒に乗ってるじゃないの!
い、い、一体いつの間に二人はあんな関係に!
馬を一気に加速させる。鐙に足をかけきっと立ち、びしりと二人を指差し、大声で怒鳴る
「そこぉ!!なにやってるのーー!」
2020/05/21 初稿
【おまけ】
ミゼット「ねね、カルー。お嬢様はどうやって部隊の位置とか所属を判別してるの?」
カルディナ「カルーって誰よ?
大隊以上の指揮者の居る位置に軍旗が立てられるからそれが目印になるのよ」
ミゼット「でもでも、確かにそれで指揮者の位置は分かるけど、所属は分からないよね?」
カルディナ「軍旗の横に識別用の旗が並んで立てられるの。軍旗の横の吹き流しの旗が見えるでしょう?」
ミゼット「うん、うん。短いのやら、長いのが4列並んでるね」
カルディナ「あの吹き流しのパターンで所属を区別しているの。長い、短い、なし、長いなら第2連隊第3大隊。短い、長い、なし、なしなら第1騎兵第2大隊とかね。
ファーセナンは軍の編成を敵に悟られないように暗号旗といってあのパターンを各戦闘の時にランダムに変えるのよ。
このような方式を使っているのはファーセナンだけね。ボナンザンとか他の周辺国は固有の隊旗を持っているわ。隊旗には文字と数字が記載されているから隊旗を見るだけで敵がどんな部隊がどこに布陣しているか分かるのよ。経験を積んだ指揮官が見れば相手がなにをしようとしているのかある程度分かったりするわ」
ミゼット「はーー、だから、ファーセナンは暗号旗なんてめんどくさい方式なんだ」
カルディナ「そうよ。因みにこのアイディアはお嬢様の発案よ!」
ミゼット「そ、なんだ。お嬢様ってこういう変なこと考えるの得意だよね(ベシッ@眉間に手刀の音)ぐはぁ」