敵
プルテニス「奴らのボス…だと…?奴らは会えないだと?どういうことだ。」
???「ん〜……どういうことだといわれてもねぇ…そのままの意味さ。彼らは僕に会うことができない。だから、何らかの暗号で伝えるしかなかったわけさ。」屋根の上で月を背にし立っているその男は影でどんな顔か分からなかった。
カイロ「じゃあ、お前があの黒い連中のボスってことか…!」影の塊に向かいカイロが怒りの表情を露わにする。
???「そういうこと。とは言え、僕は君達と闘いに来たわけじゃあないんだ。今日用があるのはそこのプルテニス君だよ。悪いがカイロ君にはしばらく眠ってて貰うよ。」パチンと指を鳴らすとカイロは膝から崩れる様に倒れた。俺はすぐに抱き抱え、揺さぶり名前を呼んだ。
???「安心してくれ。カイロ君は眠っただけだよ。明日の朝にはいつも通り起きるだろう。それよりも、だ。」フワッと屋根から飛び降り着地。その瞬間、柱の間にかけてあった提灯の灯が一瞬にして消えた。散歩でもする様な警戒心のない足取りでこっちに向かって歩いてきた。
それに引き換え俺はというと、冷や汗を流し、肩で呼吸をしていた。手足に痺れを感じて頭も真っ白になりかけている。目の焦点も合わなくなり始め、膝がガクガク揺れているのを感じた。完全に恐怖に支配された自分を情けなく思い、強く歯軋りした。
男はついに焚き火の灯りが届くところまで来た。俺との距離、僅か3m。
暗がりから出てきた顔は幼さと同時に何処か年上の様な存在感もある。透き通るような青白い肌、白く長い髪は後ろで一つに結んであり、色素が少ないのであろう白い瞳。怪しげな笑みを浮かべて更に近づいて来た。
俺は思わず後退りした。俺を産まれてまもなくマトモに走ることすらできないオリックスとするならば
奴は腹を空かせたチーターだ。億に一つも勝ち目がないということが本能的に理解できた。
不意に男が口を開く。
???「どうせ、忘れてしまうことだろうが……取り敢えず自己紹介させて貰おう。僕はムドゥルアルギュエスという。ムドゥルと呼んでくれ。いや、もう呼ぶ事はないか。」
ムドゥルアルギュエス。何処かで書いた様な名前だが、思い出せない。奴は忘れてしまうと言っていた。頭が勝手に考えても無駄だと思っているのだろうか。
ムドゥル「さっき…君達が飲んでいた祺門紅茶……だっけ?僕も飲んでみたいんだけど、いいかな?」奴は更に近づき聞いてきた。
俺が黙りこくっていると皮肉ぽくふふんと笑い「その沈黙はYESという意味だと受け取っておこう。」
ムドゥルが指を鳴らすと奴の手には豪華な装飾の施されたティーカップが現れた。火のそばにあった陶器製のヤカンを持ち上げ、それに丁寧に注ぐ。
ニコッとした笑顔で俺の方を向き、乾杯の動作をゆっくりとした後にカップを顔に近づけた。
ムドゥル「なるほど……心が落ち着く香りだ。」口の中で独り言を呟くのが聞こえた。
カップを口につけて上に向ける。味わう様に少し口に含み静かに飲み込んだ。
ムドゥル「……僕好みの味だ……」と言い、再びカップを口につけた。
俺は自分の目が信じられなかった。どうみたってちょっと人懐っこい変人じゃないか。何でこんなやつに怯えているんだ。と心の中で自分を怒鳴った。
お茶を飲み終えたムドゥルは深呼吸をしてから俺を観察するように俺の周りを回った。
息を飲み、ムドゥルを目で追った。
ムドゥル「ふむ……ちょっと呼吸が荒いな。リラックスしなよ。」ペットに指示を出すような口調で言い、ムドゥルは浮かび上がり、俺の肩に手を乗せてきた。更に後ろから顔を近づけて耳元で囁いてきた。「ほら、リラックス……」と。
奴が浮かんでいる事なんてどうでも良くなった。身体中に鳥肌が立った。一瞬、走馬灯が見え、あの世に魂を運ぶアヌビス神が迎えに来る様子も見えた。何より恐ろしいのがムドゥルの雰囲気もさることながら奴の声に一瞬でも安心感を覚えた自分の精神だ。これから死ぬかもしれないと言う時に俺はそれを受け入れかけた。必死でタネンの首とカイロの涙を思い出してムドゥルは敵だと再認識しなければ完全に精神がおかしくなっていたかもしれない。
ムドゥル「君の精神を狂わせるつもりはなかったんだが……無意識にしてしまったようだね。ごめんよ。……それにしても今の誘惑に耐えるのか……ちょっと意外だったね。」
俺から一歩離れて今までの穏やかな目からキッと鋭い目つきになった。
ムドゥル「いいね。だから僕は君に興味が湧いたんだ。」
胸に手を当て、呼吸を必死で整えて俺も口を開く。
プルテニス「焦ったいな……俺に用があるってなんだ……!」
ムドゥル「そんな大層なものじゃないさ。ただ、君と話をしたかっただけだよ。原始的な君とね。」
プルテニス「原始的……だと。」
ムドゥル「討伐隊の者はみな国が魔物に対抗するために考え出された情報と共に更新される、所謂、最新鋭の戦術を用いている。その中で君が、1426人もいる中で君だけが古代より伝わる武術、それも対人用のものだ。それを使っている。それでいて君の討伐成績は国の数百年の歴史の中でも上位300人に入る程の優秀な成績を持っている。何故か。」
トーンを落として説明口調で話してくる。
プルテニス「知らねぇよ……成績なんか気にして討伐隊やってられるか。ただ目の前の敵に集中しているだけだ。それに……今の俺は……噂にのぼる様な俺じゃねぇ……」
ムドゥル「やっぱり……君は超原始的考え方をするんだね。」自分の予想が当たっていたのか、勝ち誇った表情で言う。
ムドゥル「君は目の前のことにしか興味を示さないんだ。君は、人生の夢や目標考えたことがあるかい?」
いきなりの話題でどう反応すればいいかわからなかった俺はムドゥルの白い目を見つめるしかなかった。
ムドゥル「人生を長いと思うか短いと思うかは個人の勝手だけど、人生に夢も目標も見出さないのは愚かなことだと思うんだよ。もし、人生を長いと思うなら、その長い時間を飽きずにどう過ごすか。もし、人生を短いと思うならその短い時間は自分のしたい事に集中すべきだと思うね。だというのに君は目の前の事だけを追いかける。そんな人生に意味はあるのかい?」
プルテニス「俺にも……目標はあったさ……どこかに行っちまったけどな……」
ムドゥル「消えた夢か。全く、君の生き方には同情するよ。でも、お陰でよ〜く分かったよ。君という人物が僕の研究対象になり得る事と…僕の夢の邪魔になるという事が………」
その言葉を聞いた瞬間、床が抜けた様に恐怖が消え俺は戦闘態勢に入った。それを見たムドゥルはさっきまでの怪しい笑みではなく見下すような冷たい笑みを見せた。
ムドゥル「ククク……さて、どれほど僕を驚かせてくれるかな……これからは君達を見ておくよ……君達は……変えないでおくよ……それじゃ、ゴキゲンヨウ…」
旋風がムドゥルを覆う様に巻き起こり、それと同時に俺の意識も消えていった。