7 苦い記憶
前作とつながりが深い話になります。読み飛ばしても大丈夫かと思います。
次回頭にあらすじを入れます。
この区画には前からリードの気にしている場所があった。
悪の親玉として糾弾され、死んでしまった豚公爵の言い残した場所だ。
『私の友達がブルーウィング公の庇護のもと店を開いた』
もし彼の言ったことが本当ならば、その店はこの区画にあるはずだ。
豚公爵は、この王国を支える高位の貴族でありながら私利私欲にはしって、敵国にこの国を売ろうとした、ということになっていた。戦争が終わった後、断罪され処刑される直前に牢死している。
リードは当時から豚公爵が罪を犯していないことを確信していた。彼の冤罪を晴らすことができなかったことに罪悪感を感じている。
豚公爵も“仲間”だった。友愛会の“仲間”たちとおなじ”転生者”だった。
それを知っていながら、見殺しにした。ほかの“転生者”たちもそれはわかっていたはずなのに。“自由 平等 友愛”を説くくらいならば、なぜおなじ“仲間”を救わなかったのだろう。
そのことを考えると気持ちが沈んだ。
漫然と町の通りを歩き回る。その店は意外にもすぐに見つかった。
正面に大きなバルコニーのついた三階建ての建物だった。リードの知るこの世界の酒場と違って表はひっそりとしていた。まるで、どこかの商店のような構えだ。そこが酒場だとわかるのは正面に掲げられた酒場の印である看板だけと戸口にもたれかかっている酔っ払いだけだ。
それでもそこが料理店であるとわかるのは、どことなく懐かしい吉川の故郷の香りだった。むこうの知識の中にある料理店とその店の外観は奇妙に一致していた。
店の前では幼い女中が大きなホウキを振り回していた。幼い子供が働くことが珍しくないここでも際立って幼い少女だ。彼女は、眠りこけている酔っ払いを蹴飛ばして起こし、店の前にあるごみを両隣の店の前に捨てていた。
リードが見つめていることに気が付いた少女は彼の前にホウキを引きずりながら歩いてきて、挑むようにホウキを立ててにらみつけた。
「おじさん、何の用? 店に来たのなら、さっさと入る。邪魔」
「ああ、すまない。この店は最近できたんだよね」
リードがかがんで少女と目線を合わせると、少女は悪びれもせずにリードの顔を覗き込んだ。平民にしては無礼な態度だ。
リードの笑顔が凍りそうになるほど時間がたった後、少女は目を細めた。
「おまえ、評議会のヤツ。豚を焼こうとした奴」
ホウキが飛んできた。リードのよけられないような攻撃ではなかったが、まさかこんな年端もいかない少女の攻撃されるとは思っていなかったリードの体をとがった枝がかすめる。
「アン、なにをしてるの!」
どこかで見ていたらしい別の女中がとんできた。
「ごめんなさい。お客様」
どこかあだっぽい雰囲気のある娘が少女の襟首をつかむ。
「エリン、こいつ、評議会の犬」
少女はむっつりとホウキでリードをさした。
娘は、はっと顔を上げてリードの顔をまじまじと見た。彼女の顔が見る見るうちにこわばっていく。
「し、失礼いたしました」
娘は子供をそのまま店に引きずり込もうとした。
「エリン、なんで、こいつ、豚の裁判の時に……むぐぐぐぐぐ」
「………」
リードはただただバタバタとする二人を見守るだけだった。
二人の姿は扉の向こうに消えた。しばらく待ってみたが、扉の向こうは静かだった。居眠りしていた男もどこかへ消えている。
どうするべきか。リードはためらった。この店に入るのは危険かもしれない。
だが、ここで引き返すと二度と彼らと接触する機会はないかもしれない。彼らが本当に豚公爵とゆかりのあるものだったら、どこかへ逃げてしまうかもしれない。
彼は、豚公爵の死に関する報告書を思い出した。ゴールドバーグ公爵に毒を盛ったと思われる下手人の足取りは全くつかめなかった。状況からして犯人はゴールドバーグ家ゆかりのものに違いないということで評議会も随分手を尽くして捜査した。だが、いまだ持って犯人が単独だったのか、複数だったのかすら、わかっていない。
『ゴールドバーグ家に最後まで使えていた者たちの所在は今をもって不明。あらかじめこうなることがわかっていたかのように、行方をくらませている』
それを読んだときに、ああ、やはりと思った。あらかじめ死ぬとわかっていたから、それなりの手をうったのだろう。あの男は。
落ち着いた、穏やかな表情が今でも目の前に浮かんでくる。
やはり、行こう。
リードが店の入り口に向けて足を踏み出しかけたとき、扉が開いた。
扉の向こう側から一人の男が姿を現した。
中肉中背の特徴のない男だった。そこら中にいそうな平凡な顔だ。
とっさにリードは気配感知のスキルを使う。かすかな時間差の後、緑色の表示と男のステータスまでが表示された。
ダーク 食業 xxxxxx 藻武xxxxxxxxxxxxxxx レxxxxxxx
相変わらず文字は見えにくいが、名前が一瞬表示された。周りの文字はゆがんでいてよくわからない。
碧表示ということは、敵意はないのか。
男は、こちらを見て目を細めた。それから深々と頭を下げる。
「尊い方、先ほどは下の者が大変失礼をいたしました。この貧弱な店に何か御用でしょうか?」
下々の者たちにとっては最上級の敬意を表すはずの決まり文句だった。まったく心のこもっていない空疎な儀礼だけの言葉だ。
「いや、ご亭主、こちらこそ失礼をした。この辺りに新しい店ができたと聞いて様子見に来たのだが……」
「どなたからのご紹介でしょうか? 私共の店はまだ開いてから間もない店で、さほど知名度もございません。旦那様のような方々がいらっしゃるような店ではないのですが」
リードは神経質に眼鏡を押し上げた。暗に一見様お断りといわれている。
「あー、ウィリアムからの紹介なのだが」
男が頭を上げた。その目の奥に潜む感情が読み取れず、リードは内心ひるむ。
「本当でございますか? リード・ヴィオラ様」
名指しされて、どきりとした。彼は、リードのことを知っている。ということは。
「本当のことだ。彼が、亡くなる前に最後にあったのが私だ」
男はまた目を細めた。疑っているのだろうか。
「彼が、去り際に言い残したんだ。友人が店を出すと。一度訪ねてみてほしいと」
男は考え込んでいるようだった。そこへ先ほどの色っぽい娘が中から走り出て男に耳打ちをした。それにうなずいた男は、リードに建物の中に入るように促す。
「ここでは、なんですから、中に入りませんか?」
リードはうなずいた。男はゆっくりと向きを変えて、足を引きずるようにして扉の中へ入っていく。足が悪いのだろうか。
「けがをしているのですか?」
リードが扉を手でおさえている男に尋ねた。
「馬車の事故で」
男は手短に話すとそのまま奥に進むように手で合図をした。
中は、普通の酒場のようだった。椅子と机、それに大きな鍋のかかった調理場。まだ日があるというのに何人もの人たちがたむろしていた。なべのそばに陣取って、中身をかき回している老婆が客だと思ったのかリードに鍋の中身をついでくる。
男は、奥の扉を開けた。その向こうは中庭になっていて、天気のいい日はそこでも酒と料理を楽しめる作りになっていた。男はさらにその奥の扉を開ける。
「お連れはいないのですか?」
男が聞いてきた。
「連れ? ああ、今日は私用なので」
リードは役立たずの副官の顔を思い浮かべた。あいつをここに連れてくるなんて考えられないことだった。
「すでに知っているみたいだが、私の名前はリード・ヴィオラ。率直に尋ねるが、なぁ、君も“仲間”なんだろう」
男が椅子をすすめるよりも前にリードは話しかける。
これだけはどうしても確かめておきたかった。目の前の男も、自分たちと同じような存在であると彼は感じていた。
それを聞いて男はかすかに鼻で笑った。今までの丁寧な応対は消え、かすかな敵意が漂う。
「“仲間”といわれてもな。あんたと俺では身分が違い過ぎる。リード・ヴィオラ、ヴィオラ家の御曹司。女主人公の取り巻き。攻略対象者。ここではなんだ? 評議会の一員であり、護民官という新しい役についた。俺か? 俺はしがないただの平民モブ1さ。民衆の出てくるイベントで使いまわされるその他大勢だ」
男はリードの言葉を、手を振って止めた。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。それで、あんたは何でここに来たんだ? まさか、あんたたちは、“仲間”を積極的に探そうとしているわけではないだろう。ちまたで噂の豚公爵の遺産を探そうとしているのならそんなものはない。ここに来るだけ無駄だ。ちがうのか? 血祭りにあげる相手が欲しくて豚公爵邸にいたものを追っているのか?」
「遺産? 追跡? いや、そんなつもりはない。わたしはただ……ゴールドバーグ公爵が、ここのことを教えてくれたんだ」
「ウィルが? あんたと? 信じられないな」
「本当だ。……たぶん、わたしが、最後にゴールドバーグ公爵と会った人間だと思う。処刑が決まった後、会いに行ったんだ」
「なぜ、会いに行ったんだ? あいつをバカにしてなぶるつもりだったのか」
男はぎゅっと口を引き結んだ。
「違う。そうではない。私は、あの裁判の時、彼は私たちと同じ“仲間”ではないかと思った。ここがゲームの世界だと知っている“転生者”なのではないかと。だから、会いに行った。確かめたかったんだ。彼が“転生者”かどうかを」
「確かめてどうするつもりだったんだ? それで彼の処刑を中止にでもするつもりだったのか? “仲間”だったら、助けるつもりだった?」
リードはあの時のことを思い出した。できればそうするつもりだった。ゴールドバーグを処刑から救いたいと思っていたのは本当だ。だが。
私は死ぬ。たとえ処刑されなくても、私は何らかの要因で死ぬ。
そうあの時、豚公爵は言った。
「できれば、そうしたかった。でも……彼は助けを必要としていないようだった」
男は息を吐いた。
「まさか、あんたはあいつに助けに来たとか言ったんじゃないだろうな。そうなのか? それともなんだ、なぜ、助けを呼ばなかったのか、とか」
亭主にほぼ正確に彼の言ったことを見抜かれて、リードは赤面した。
「そうか。あいつにそんなことを言ったのか。そんなことを、あんたが」
「助けられると思ったんだ。みんな、“仲間”は大切にしていたし、それに……」
「“仲間”を大切に? そうだよな。そうだろうとも」
目の前の男の怒りが込みあがってくる様をリードはなすすべもなく見ているだけだった。
「どうせ、あんたたちはこう思っていたんだろう。俺たちはシナリオを知っている。だから、よりよい未来を選ぶことができる。“仲間”で協力すれば、運命は変えられる……違うか」
違わない。そう思っていた。
「俺たちがどれだけ努力したと思っている。できることは全部やった。いろいろ手を尽くして、工夫して。あんたたちに連絡を取ろうとした。でもすべて理不尽に阻まれる。それがシナリオだから、そんな理不尽な理由でだ。変えようとする試みはすべて捻じ曲げられて失敗に終わる。あんたにはわかるか、その中にいるものの気持ちが」
男は燃えるような目でリードをにらんだ。リードは完全に男の気迫に呑まれていた。豚公爵のないだ水面のような反応とは別のものだった。
「俺は、あいつらが一人、また一人と消えていくのを見てきた。自分では何もできないのを歯噛みしながら、どこかでシナリオが変わるんじゃないか、いつかどこかで助けが来るんじゃないかって。あんたたちが“仲間”ごっこをしている間ずっとだ。でも何も変わらなかった」
男はリードの机に音を立てて手をついた。
「いいことを教えてやるよ。豚の裁判の時、あいつを吊るせと最初いったのは俺だよ。あいつに頼まれたんだよ。そう言ってくれって。シナリオ通りに、スチルそのままに叫んでくれって。それがエリザベータを確実に助ける唯一の方法だから頼むって。俺がどんな気持ちだったと思う? 残された一人の友人を処刑しろと叫ぶ気持ちがわかるか」
男はリードに背を向けた。
リードは何も言い返すことができなかった。知らなかった。本当に知らなかったんだ。
しばらくして男はリードのほうを振り返る。
「もうすんだことだ。話すことは何もない。物語はもうすぐ終わる。王子様がお姫様と結婚してめでたし、めでたし。よかったじゃないか」平静さを取り戻した男は振り返って皮肉な笑いを浮かべた。「それを食べたら、さっさと店を出て行ってくれ。ここはあんたみたいに上品な連中の来る店じゃない」
そういわれてから、リードは先ほど老婆から渡された椀をまだ持ったままだったことに気がついた。何かを言わなければいけない。そんな義務感に駆られて、リードはおずおずと男を誘った。
「君が、転生者なら、みんなのところに行かないか? そう、私たちのところに同じような転生者がたくさん集まっているんだ。みんながみんな、貴族というわけではなくて、平民もたくさんいる。その、今、君は一人なんじゃないか? 貴族が嫌いなら、平民の“仲間”を紹介しようか? なぁ。僕たちは同じような境遇だろう? みんなで力を合わせれば……」
自分で言いながら、砂をはいているような気がしてきた。目の前の男はそんな言葉で説得はできない。それでも、届かない言葉が口をついて出ていく。
男の目は何の感情も表していなかった。
「その言葉を二年前に聞いていたらな。それでは、ヴィオラ様。どうぞごゆっくり。今日の勘定はウィルの紹介ということでまけておくよ」
口をつけてみた椀の中の汁はすでに冷えかけていた。冷めているにもかかわらず昨日の晩餐で出たスープに負けず劣らずおいしかった。
本当に、何をしに僕はここに来たのだろう。自分でも説明できなかった。恐ろしく打ちのめされた気持ちでリードは店を後にした。