6 再会
朝一番にリードが向かったのはかつての職場だった。そこで、まだ働いているはずのかつての副官ラルフを探した。
「リード様、こんなところで何をされているんですか」
生真面目な副官はいつものように誰よりも早く仕事を始めていた。
「ラルフ、すまない。ちょっと頼みたいことがある」
リードは人目につかないようにラルフを物置部屋に引き込んだ。
「王都評議会軍にいるコリンという男について調べてほしい」
「評議会軍ですか?」
ラルフは眉をそばめた。
「クロード様が隊を率いている組織ですよね。それならば、クロード様にお尋ねするのが一番かと思いますが」
「その兄上からその男を探すように頼まれたんだ」
リードは昨日の晩のことをかいつまんで元副官に説明した。もともとヴィオラ家に仕えていたラルフのことだ。リードとクロードとの関係は周知のことだろう。
「調べてはみますが……」
元副官はしぶしぶ了承した。
「こちらに記録があるとは限りませんよ。あの組織はかなりの急ごしらえの組織でして、幹部でもなければ名簿の類もないと思います」
そうだろうな。リードは自分が長のはずの組織のことを思った。彼自身、見たこともない部下が大勢いる。
「すまない。忙しいのだろう。そちらは」
「いえいえ、リード様がいらしたころよりもずっと暇にしております」
かすかにラルフは笑った。
リードが護民官の仕事場とされている建物に戻ったときにはまだ誰も仕事に来ていなかった。副官のムラもだ。もうさぼりを注意する気もうせてきているリードは平服に着替えてコリンが住んでいたらしい地域に向かう。
先日そこを視察した時にはそこまで治安が悪いとは思わなかった。確かに遠巻きにされてはいたけれど、それはいつものことだ。もっと殺伐とした雰囲気のある町に慣れてしまったためなのだろうか。ここの住人は大人しめだと思っていたのに、神殿跡、とか。見えない悪意にリードは内心おののく。
「“気配感知”」効かないかもしれない。それでも一応、索敵の呪文を唱える。
本来、敵意や敵性ユニットを感知する風魔法はリードの得意とするところだった。「華学」の中ではダンジョン探索や戦闘で欠かせない呪文だったといっていい。気配を感知してからの先制攻撃というパターンが風魔法の使い手の必勝法だった。
だったのだが……
明らかにその威力は落ちてきていた。成功率100パーセントだつた索敵が機能してないと感じることが多くなってきているのだ。
たとえば、昨日の兄の訪問。以前ならば、部屋に入る以前にその存在は感知できていたはずだ。スキルと風魔法特性で、呪文を唱えていないときでも常に作動していたはずの魔法が全く機能していなかった。
ひょっとして、ゲームのシナリオが終わるから、ゲームの中の魔法が作用しなくなっているのかな?
吉川の部分がそうささやく。だけど、魔法自体はゲームの始まる前から存在していたはずだ。そうリードは思う。吉川がとりついたのはほぼ三年前。彼が学園に在籍していたころだった。そのころにはリードは風魔法を既に使っていたから、彼個人の力が何らかの原因で減退しているのだろう。
今回の左遷はそのあたりのことを見抜かれたからだろうか。
町は店が開き始めて徐々に活気の出てくる時間帯だった。たしか、この辺りにある神殿の近くに住んでいるという話だった。
普通、神殿の建物は周りよりも一段高く、区画のどこから見ても見つけやすいようにできているはずだ。しかし、見慣れた白い尖塔がどこを見ても見当たらない。
「あの、失礼だが、このあたりの神殿はどこだろうか」
リードは道を行く男に尋ねた。
男は警戒心を丸出しの目でリードを見て、黙って道をさした。
ひょっとして、評議員というのが見破られたのか。リードは内心ヒヤリとした。制服を着て部下を連れてくるべきだったか? あいまいに礼を言って、男から離れるようにして歩いた。
魔法を丁寧にかけながら、ゆっくりと曲がりくねった道を進んでいく。
神殿の建物近くまで来て、なぜ男がリードのことを警戒したかが分かった。その神殿は塔が真っ黒にすすけていた。そういえば、クロードは元神殿といっていた。
だれが一体こんなことを。評議会軍か、それとも、過激な連中か。
これは冒涜だ。
そういえば、寺ちゃんたちは『宗教は麻薬だ』とか何とかといっていた。既存の神殿は腐っていると糾弾したり、神殿を焼き討ちにしたり、神官たちを、まぁ、色々好き放題したという報告を読んだことがある。彼らが“仲間”であるから、大目に見ていたのだが、破壊された神殿を見ると、特にリードの部分は何とも言えない気分になる。
「そこの人、どいてくださる?」
彼は通路をふさいでいたらしい。神殿に出入りしているらしい若い女に注意された。
「ああ、申し訳ない。あなたはここの神殿の人だろうか」
リードはおどおどと目を伏せた。こうして目を合わせなければ、評議会員とばれないかもしれない。
「あら、あなたは?」
見るな。見なければ、見られない……リードは身分が発覚するのを恐れた。
「あの、申し訳ない。あなたは……」
「リード様ですよね。私を覚えていませんか? ノルヴァです。ヴィオラ領でお会いしましたよね」
リードは驚いて初めてまじまじと女の顔を見た。あの時は、彼女の顔は薄いヴェールで隠されていた。
美しい人だと心を躍らせたのを思い出す。
今の彼女はあの時の神官服は来ていない。平民の女が普段着るような厚手の織物で作った服を着て、髪を無造作にまとめているだけだった。それでも、あの時と変わらず優美な動きが目を引いた。少し異国的な大きな黒い瞳ときれいな形の鼻が吉川の好きだったアイドルに似ている。
「ノルヴァ殿? お久しぶりです。どうしてここへ?」
確か彼女は写本を見に来たといっていなかったか? それがどうして、こんな壊された神殿にいるのだろう。
「ここの神殿には有名な本があると聞いていたのですが、この状態で……」彼女は口を濁した。「今は人手が足らないので、お手伝いをしております」
「も、申し訳ない」
リードは、寺ちゃんたちがしたことを恥じた。そして、自分がこの事態を知らなかったことも。こんなことをしているから、リード自身も白い目で見られるのだ。
「ノルヴァ殿、私は……」
少女はあたりをうかがうように見まわして、「中で話しませんか」とリードにささやく。
リードも通りで注目されるのはいやだった。
神殿の敷地は思っていたよりも広かった。神殿本体はかなりの損傷を受けていたが、それに付属していた療養院はほぼ無傷のまま残されたらしい。ノルヴァがリードを案内したのはその一室だった。
「申し訳ありません。外で話すのは、危険ですから」
そう彼女はわびた。
「それで、今日はどのような御用でしょう。その、お祈りにいらしたのですか? それとも」
「あ、今日はちょっと私用で……ちょっと人探しに」
「人探しですか?」
「ええ、知人から人を探してくれと頼まれまして、その人がこの辺りに住んでいると聞いたものですから、ちょっと」
「この辺りは、平民の町です。尊い身分の方は住んでいませんよ」
ノルヴァは首をかしげた。
「あー、たぶん平民なのだと思います。私が知っているのは、名前と職業だけなので」
リードは身振りも交えて否定した。
「神殿の近くに住んでいると聞いたのでこちらに伺ったのですが、肝心の神殿がこのような状況で、びっくりしました」
「ご存じなかったのですか?」
ノルヴァが驚く。
「ここは、反評議会の神官がいるということで焼かれたのですよ」
「反評議会?」
なんだ? それは? リードの知らないところでいろいろな事柄が起こっているらしい。
「たしか、神官の腐敗に関する布告、というのでしたか? ここの神殿はその布告で壊された、らしいです。わたしも先日ここに来たばかりで話を聞いただけなのですけれど」
その布告なら覚えていた。神殿は、リードたちに協力すると見せかけて、実は敵と通じていたのだ。魔王との闘い以上に、厄介な相手だった。そして、戦争が終わった後、向こう側についた神官たちを排除する目的で出された布告が神官の腐敗に関するうんぬんだった。
それが、こんなひどいことに使われているなんて知らなかった。
こんな布告はゲームのシナリオに出てくるはずもなく、だから、リードは評議会の公平性をみんなに知らしめる小道具くらいにしか考えていなかった。ほかの“仲間”たちも似たようなものだったと思う。
「そ、そうなのか」
そういうのがリードには精いっぱいだった。そういうことは把握していてしかるべきことのはずだ。そんな意識が言葉を詰まらせる。
そしてなにより、ノルヴァがじっと自分の顔を見つめていた。珍しい生き物として観察されているような気がして、いささか居心地が悪い。
「それは、この地域の人たちには申し訳ないことをした。わたしは、その布告を出した時にまさかこんなことになるとは思わず、いや、こんなことが起こっていることを知らなかった」
事実だが、言葉に出してみると白々しい。
「本当に残念なことです」
本当に残念なのは、リードの頭の中身だったのだが。ノルヴァの反応を見るのが怖くてリードは目を伏せた。
「ここの神官殿はまだおられるだろうか。神官殿なら、きっとこの周りの人のことを良く知っておられたはずだ」
「しー、そんなことをここで言ってはいけません。ここには神官も信徒もいないことになっていますから」
ノルヴァが鋭く口止めをする。
「申し訳ない、ノルヴァ殿。ここには神官はいないのだな。了承した」
「私のこともただのノヴァとお呼びください。わたしもまたただの平民の娘で、ただここを手伝っているだけなのです」
「わかった。…それなら、私のこともただのリードと呼んでほしい。評議会員ではなくただの平民の」
思わずそう付け加えてしまう。露骨すぎる言葉だっただろうか。
「そうですね。そのほうがいいかもしれません」
ノヴァは気にした様子もなくうなずいた。
「ここの人たちには、あなたたちの制服を嫌っている人も多いですから」
それから、二人は“このあたりのことに詳しい昔からここに住んでいた人”のところへ向かった。本当にノヴァがいてよかったとリードは思う。リード一人で踏み込んでいたら、どうなっていたことか。
「それで、誰を探しておられるのかな」
初老の男はじろじろとリードを観察した。おそらく神官長か、上級神官だったのだろう。くたびれた服を着ていたが、堂々としている。
「魚河岸に住んでいたコリンという男です。茶色の髪で茶色の瞳。妹さんもいると聞きました」
「そんな奴はいたかな?」
「確か、一週間前に結婚式があるといってこの辺りに戻ってきているはずなのです」
老人の目が鋭くなった。
「結婚式だと?そんなもの、この状態でどうやって上げるというのだ。見てみろ。この惨状を。奴らは神殿を捜索するといって、火までつけていきおった。罰当たりどもめが」
老人は、その時のことを思い出したのだろうか。怒りのあまり口からつばをまき散らしながら叫んだ。
「長、老師様。どうか気を静めて。奴らに聞かれたら大変なことになります」
周りにいた人たちが飛んできた。
「す、すみませんでした。じ、事情を知らなくて」
彼が評議員であることは絶対に言えない。平民の格好をしてきてよかったと、思う。彼らがリードがここを焼き討ちした仲間だと気が付かないことを祈るばかりだった。
目立つ色の髪を隠して来ればよかった。眼鏡も外したほうがよかっただろうか。
周りの人に頭を下げながらもそれとなく尋ねたが誰もコリンなる男のことは知らなかった。
「結婚式ならば、おそらく近場の神殿で行ったのではないでしょうか」
親切な、おそらく神官だった男が教えてくれた。
「ここは無理ですが、隣の地区ならば結婚式も執り行えるかと」
隣の地区か。ここから歩いていくにはかなりの距離がある。
「リード様……リードさん、私、近道を知っているんです。送っていきましょうか?」
ノヴァが申し出てくれた。
面倒だと思ったのを読まれたのだろうか? 娘のつつましやかに伏せられた目が答えを与えてくれない。
「ノルヴァど……さん、ありがとう」
彼は、他の人の目を気にしながら、その申し出を受けることにした。
ここの町の道は曲がりくねっていて、まっすぐ目的地にはたどり着けないようにできている。
「ノルヴァ殿」
彼は迷路を迷わず進んでいく娘に声をかけた。
「ノヴァと呼んでください」
娘は振り返ることもなく、ごみごみした街を進んでいく。
「ノヴァ、あなたはここにきて長いのだろうか」
「いえ。この前この町を訪ねたばかりですよ」
娘は振り返った。
「どうしてですか?」
「いや、よくこんな入り組んだ道を覚えているなと思って」
「それは精霊のお導きがあるからですよ」
娘はいたずらっぽく笑った。そんなバカなとリードは思う。マッピングのスキルを使ってもこんなごみごみした街を抜けていくのは困難だ。
「実は先ほどの神殿と隣町との神殿を何度も往復しているのです。こちらの神殿は今あの状態ですからね」
残った本や祭具を何往復も運んだのだという。
「もう、大変でしたよ。荷物は重いし、変な人たちは絡んでくるし……」
ちょうど、ガラの悪い連中がたむろしている店の前を通り過ぎたところだった。値踏みするような目が二人を追う。一人だったら、身ぐるみ剥がれるパターンだろうか。
「マッピング」
小さく呪文を唱えてみる。隠密の力と同じように役に立った呪文だ。ダンジョンのマップを表示し、迷わないように助けてくれる便利な呪文だった。こういった複雑な街や森の中でも使えるので重宝していた。
彼は内心ため息をついた。やはりスキルの力が落ちてきている。ダンジョン攻略で役に立った力はここでは役立たずだ。ついでに彼は前を行くノヴァのステータスをチェックしてみた。
のXXXXXXX 、xxxxxxxx、 145 xxxxxxx。
文字化けした壊れたテレビの中のような表示にうんざりしてステータスを消す。このところ、“仲間”以外の人のステータスは覗くこともできなくなっている。いずれステータスという表示すら消えてしまうのではないだろうか。
「それにしてもすごい道だな」
重ねられた木箱の上を越えながらリードはノヴァに話しかけた。
「でしょう。わたしも初めはびっくりしたの。でも、こちらのほうが近道だといわれて……もう少しよ」
迷うことなくせまい路地の扉を開けて中を通り抜けていく。これは不法侵入に当たらないのだろうか?
その先の路地を抜けると大通りに出た。
「ついたわ」
ノヴァが得意そうにうなずいた。
今までのごみごみとした路地とは違って整然と店が並んだ大きな通りだった。リードはこの町は何度か通ったことがあった。王都の中でも治安のいい商業区画だ。ただ、評議会の制服を着てからはきたことはない。
「あそこはとても保守的な地域なのですよ」
見回りに行こうとしたリードを副官が止めたのだ。
「あの一角はブルーウィングの一族が昔から仕切っている場所ですので、リード様が向かわれるのは、どうかと」
「でも、次代のブルーウィング公は評議会にいるじゃないか」
そうはいったものの、貴族の大物ブルーウィング家の不興を買いそうな行為をするほどリードは肝が据わっていなかった。
見たところこの地区の神殿は無傷で残っていた。リードを胡散臭そうに見ていた神官たちもノヴァの姿を見るとほっとしたように表情を緩める。彼女が付いてきてくれて本当に助かった。
「結婚式ですか? 確かに、結婚の祝福を何組かに与えましたけれど、コリンですか? そのような方は、ちょっと記憶にありませんね」
ここの神官たちも、コリンという男に心当たりがないようだった。
困った。これ以上の手がかりは見つけられそうにない。後は、ラルフが何かを見つけ出していることを祈るだけだ。
「何かわかったら連絡しますわ」
ノヴァが請け負ってくれた。
「私は当分ここと行ったり来たりを繰り返していますから」
「申し訳ない、ノヴァ殿。恩にきるよ」
リードはノヴァに感謝をした。