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5 親戚

「それって、実質的な左遷ではないの」

 姉にズバリと指摘されて、リードは肉をつつきまわした。

「ようするに、それまでやってきた仕事をはずされたわけでしょう。それで名誉の出世とか、お前はバカなの?」


 そんなことはわかっていた。ただ、言葉を選んで伝えただけだ。


 リードの姉フローラは昔からこうだった。幼いころから、リードの欠点をあげつらっては鼻で笑う。下の兄のように、暴力をふるうことはなかったが、リードはいつも姉を恐れていた。


 今日も、何の意図があったのか。

 義兄の食事会などに招待されなければ、ここに来る気は全くなかった。


 こうして同じ卓を囲むのは姉の結婚式以来ではないか。姉はあれから何人も子供を産んだにもかかわらず、全く変わっていないように見えた。姉はつややかな土色の髪を高く結い上げて、きちんと正装していた。ただの食事会にもかかわらず、だ。姉は黙っていてもリードに圧力をかけてくる。制服を着ていてよかった。


 煌めく首飾りから目をそらしながら、リードは義兄のほうをちらりと見た。兄はおそらく仕事帰りなのだろう。姉と違って地味な格好をしていた。面と向かって挨拶をしたこともない義兄は今日も上座で彫像のように静かに食事をしている。政略結婚とはいえ姉とともに暮らす男がいるとは信じられない。


 結婚した当初から、この地味な黒髪の男と華やかなことを好む姉とはいつかは離別するだろうというもっぱらの噂だった。だが、今のところまだ二人は夫婦のままだ。子供も生まれている。見た目だけは立派な貴族の鏡だ。


「リー、お前、もう評議会なんてやめてしまいなさいな」

 姉はさらに攻撃をかけてくる。

「あんなろくでもない連中と付き合っていたらろくなことにならないわよ」


「……だが、彼らは、“仲間”なんだ」

 リードはむっつりと言い返した。


「仲間? お友達ごっこはいい加減卒業しなさい。あなたは彼らのことをお友達と思っているかもしれないけれど、相手はそうは思っていないかもしれないわよ」


 痛い指摘だった。

 ヴィオラ領から帰ってきたリードを待っていたのは、評議会の中での配置換えだった。


「護民官?」


 たしか、世界史でちらりと出てきた役職名だったと思う。どんな役職だったのか全然思い出せなかったが、重要な役職だったはずだ。


「平民階級と貴族階級の橋渡しをする新しい官職なんだ。このところ、貴族と平民の対立がひどくなっている。だから、主にその争いを調停するのが護民官だ」


 説明されても何のイメージもわかなかった。要するに、何をすればいいのだろう。


 新しい部屋に案内されて、部下の名簿という紙を一枚だけ渡されて、新しい部下と顔を合わせたときになって、ようやくリードは自分が左遷されたのではないかと感じ始めた。


 部下は、ただの寄せ集めだった。明らかに人数合わせでお荷物が押し付けられたとわかる面子だった。読み書きができるものは副官だけだった。ほかの連中は挨拶もそこそこにどこかに消えた。次の日には、ほとんどのものが出勤してこなかった。


 今まで彼のそばで補佐してくれていたラルフは引き離され、まだ本部で書類仕事をしているはずだ。そして、新しい副官は戸惑うリードの助けにならなかった。


「いったい私は何をすればいいのかな」

「だから、平民と貴族を仲良くさせればいいんですよ」


 仲良くいわれても……仕方なく彼は視察というものをしてみた。怖かった。昔下町で、ぼこぼこにされた経験を持つリードはそんなところに足を延ばすことすら苦痛なのに。


 今回は、殴られはしなかったが恐ろしく冷淡な使いをうけた。誰も彼に声をかけてこなかった。それどころか、視線を合わせるのも避けている。


「なんで、だろう」

 彼は戻ってから副官に聞いてみた。

「どうして、みんな私を避けるのだろう」


「そりゃぁ、その評議会の制服を着ていたら、避けられると思いますよ」

 副官のムラは当たり前のように言う。

「評議会は怖いですからね」


「でも、評議会は平民に支持されているのではなかったのか?」


「そりゃぁね」

 ムラはほほを膨らませた。

「一部の連中は熱狂的に支持していますよ。でも、今日行った場所はそんなことあまり気にしている連中はいないところですし、それにねぇ」

 彼は思わせぶりにリードを見た。

「あなたは貴族じゃないですか」


「そうだが、どうして、わかるんだ?」

 同じ制服を着ているのだ。そんなに差が出るものなのだろうか?


「そりゃぁ、ねぇ」

 ムラは上から下までじろじろとリードを見た。

「身に着けているものが違いますよ。雰囲気も」


 その次に出かけたときは貴族を思わせる装飾品は全部外していった。それでも遠巻きにする雰囲気は変わらない。


「なぜなんだ」

 副官に聞いた。


「リード様は有名ですから……その制服を着ていたら、ねぇ」


 制服を脱いでいこうとしたら、慌てて止められた。


「評議会の制服を着ているから、襲われないんです」

「一般の格好をしていたら襲われると?」

「ええ、私ではだめです。もっと屈強な衛士が必要だと思います」

「これでも、多少の剣術は……」

「路地に引きずり込まれたら剣は使えないでしょう」


 王都の評議会部隊に兵士を借りようかとも考えたが、すぐに諦めた。今の評議会の部隊を仕切っているのはクロード・ヴィオラ…リードのすぐ上の兄だった。絶対に、絶対に顔を合わせたくない。


 そんなことをしているうちに、久しく連絡のなかった義兄からの招待状だ。この前の長兄といい、姉といい、どうしたというのだろうか。これまでリードのことなど気にもかけていなかったはずなのに。


 久しぶりに、姉の針のように心に突き刺さるお小言を聞きながらリードは耐えた。吉川だった時の記憶がなければ、泣いていたかもしれない。吉川の姉もまた別の意味で毒姉だった。

 あれと比べれば、リードの姉は腐った沼に足を突っ込んでいないだけましだと思う。


 たしかに彼女の言うことは正論だった。まともに言い返せないのがつらい。


 リードが説教されている間、義兄は黙って、食事を続けていた。そして、デザートをまたずに言葉を垂れ流している姉とリードに小さく詫びを入れて席を立った。


 義兄も姉のこぼす言葉に耐えられなかったのだろうか。

 食後の果物の甘ささえ感じられないまま、リードはほとんど無意識のうちに皿の上を片付けていった。


 拷問は館の門を出るまで続いた。いつもは食事が終われば解放されるのに、今日は姉が彼を送って外まで出てきたのだ。


「それはそうと、リード。クロードがどうしているか知らないかしら」

 姉は最後にこう付け足した。


「クロード兄上ですか?」


「ええ、実は今日彼にも招待状を送ったのだけど、返事さえ来なかったの」

 僕もそうしたかった……一人で姉の口撃を受け止めることになったリード・ヴィオラは兄のことを強く恨んだ。

「あなたと同じ評議会の職に就いているから、何か知らないかと思って」


「さぁ。兄上のことですからうまくやっていると思いますよ」


 思いますよ、ではなく確信していた。兄は、どこでもうまくやっていける。本が友達のリードと違って、クロードは外交的な体を動かすのが好きな男だった。吉川流に言えば陽キャというやつだ。よく友人たちを連れてきて、剣術の練習をしたり狩りに行ったりしていた。本当に軍人になるために生まれてきたような男だった。王都の評議会部隊なんて、彼にうってつけの職場ではないか。


「そう? そうだといいのだけれど」

 とにかくお前は早くお父様の仕事の手伝いをなさいと、最後に念を押されてようやく解放された。


 くたびれた。ささくれた神経が早く寝床に入りたいとささやき続けていた。おせっかいな姉がつけた送りの者が戻ってようやく一人になったと、息をつく。


 これから、お気に入りの椅子に座って寝酒でも飲んで……そう思いながら自分にあてがわれた部屋に入った。

 そして、外套を脱いでいるとき、椅子から声が聞こえた。


「おい、お前の家には常駐している召使もいないのか」


 いやな声だった。記憶の中から消そうとしても消しきれない声。兄、クロードの声だ。

 先ほどの姉といい、兄といい、いったいこのところ何なのだ?


 久しぶりに間近で見る兄だった。きちんと刈り込んだひげを蓄えた兄は年齢以上に貫禄があった。一目で鍛えられているとわかる太い首と大きな手もその印象を強めていた。ヴィオラ家の血をひくものらしいまっすぐな濃い茶色の髪をきちんと後ろで束ねている。どこか、細い印象を与えるリードと違っていかにも軍人らしい。


「兄上。いったいどうやってここに入り込んだのです?」


 声に険が混じった。きちんと鍵は閉めておいたはずだ。外からの侵入者を防ぐ軽い防護の呪も唱えてあったはず。また、風の魔法が作用しなかったのだろうか。


「入り込んだとは失礼だな。お前の部下が招き入れてくれたから、ここで待っていただけだ」


「兄上。今日が何の日だったかご存じのはずでしょう。姉上が心配してましたよ。手紙に返事もしなかったそうですね」


「ああ? 何の日だったかなぁ」

 兄はうそぶいた。この表情からすると本当に忘れていたのかもしれない。

「おまえ、姉上のところに行っていたのか。どおりで、遅いはずだ。どうせ山のようなお小言を食らったのだろう、ええ?」


 リードは答える気力なく、棚に行って酒を注ごうとした。


 ない。おいてあったはずの酒の瓶がない。


 きっと、振り返ると兄が酒瓶をかざして見せた。


「お前が探しているのはこれか? 悪いな。もう空だ」


 言葉もない。リードはよろよろと置いてある水桶のところへ行って水をあおった。


「しっかし、不用心だな。お前。召使の一人でも雇っておけ。いくら、三男とはいえこのありさまではヴィオラの名が泣くぞ」


 しるか。リードは不思議そうにあたりを見回す兄の姿を見ないように背を向けた。ここは評議会が借り上げている宿舎の一角だ。もともと小さな砦だった一角を占拠している。共用の召使はいるから専用の召使など雇う必要はない。そんな必要性も感じたことはなかった。


「今日は何でここにいらしたのですか」

 気を落ち着けてから、リードはいい具合に酔っている兄に尋ねた。


「ああ、お前がこのあたりを見回る役についたと聞いてな。ちょっと、頼み事をしたくて立ち寄ったんだ」


 どうせろくな要件ではない。リードは、兄のお願いがどんなひどいものだったか忘れてはいない。リードをからかうためのものか、悪事を肩代わりさせるためのものしか記憶になかった。


「なんですか。夜も遅い。さっさと用件を話してください」


「久しぶりに会う兄にいう言葉か? 生意気になりやがって」

クロードはぶつぶつとこぼした。

「まぁ、いい。ちょっとした人探しだ。お前、そういうのが得意だろう」


「……」


 また人探しか。

 結局煙のように消えてしまった寺ちゃんたちのことが頭に浮かんだ。彼らは兄の城には現れず、かといって王都に戻ったという話も聞かない。本当に行方不明になってしまったのだ。


「僕は探偵(ホームズ)じゃぁない」

 思わず本音をこぼしてしまう。


「あ? たん(ホー)…? なんだって?」


「だから、人探しは苦手だといったんです」


「ああ? そうか? まぁいい。実はな、俺の部下が欠勤していてな。呼び出しても、何をしてもでてこない。ひょっとして、病気なのかもしれないと思ってな。ちょっとお前に見に行ってもらおうかと思って……」


「そんなの、兄上の部下を送ればいいことでしょう」

 これは、怪しい話だ。リードの警戒アンテナが作動し始める。


「それがだなぁ。そいつのいるところがちょっとまずいところなんだ」

 兄は額をかいた。

「そこの連中の中には、俺たちを毛嫌いしている奴らがいてな。その、俺や、俺の部下が行くとまずいんだよ」


「いったい何をやったんですか」リードはため息をつく。


「あー。まぁ、ちょっとしたもみ合い、だな」


「それなら、僕が行っても同じことでしょう。評議会というだけで嫌われているのではないですか?」

  暴動の鎮圧をした地域か、保守的な考え方を持つものが多い地域か、その両方ということもありうる。


「お前は、たぶん大丈夫だ。あー、昨日見回りに行って無事に戻ってきたというじゃないか」


 副官のくそ野郎……リードはこぶしを握り締めた。あいつ、僕をしれっと危険地帯に送り出しやがった。もうあいつの言うことは信用しないようにしよう。


「話だけは聞いておきます。いったいどこの誰なんですか?」


「魚河岸に住むコリンという男だ。妹の結婚式とかで実家に帰ってから一週間たつ。もう休暇は切れているのだが、隊に戻ってきていない。茶色の髪、茶色の瞳の痩せた男だ」


「で、その男を見つけたら、なんというんです? 祝いの酒に酔っぱらってないで早くもどれとでも?」


「そうだな。出会えたらそう伝えてくれ。出会えたらでいい。俺たちとしては居場所さえつかめればいいんだ」


 あやしい、これは絶対受けてはいけないお使いだ。しかし、リードはついつい生真面目に情報を聞いてしまった。


「それだけですか? もっと詳しい情報はないのですか?」


「妹は、地区神殿の近くに住んでいると聞いた。あ、元神殿だな」


 それは、また難儀なところだ。元神殿、とわざわざいうということは評議会が神殿を”排除”した地区である可能性が強い。要するに、リードは恨まれている。

 リードは黙って、眼鏡をはずして自分の布団にもぐりこんだ。


「おい、リード。お前、話を聞いているのか?」


「できる限りのことはします。でも、見つかるとは限りませんよ」

 リードは壁のほうを向いて返事をした。

「もう、僕は休みます。疲れてるんです」


 おまえ、兄に向かってなんという口の利き方を、とか何とか言われたような気がする。リードは耳をふさいで、その言葉を無視した。


 あんな奴、兄なんかじゃない。

 吉川の知識がそうささやく。


 吉川文夫には兄はいなかったが、兄というものがどういうものかということを知っていた。まだ二つの意識が分離していたとき、吉川はリードの記憶を見てあきれていたのを思い出す。お前の兄貴、ひどいな。


 今度も殴られるかと思った。昔だったら、確実に鉄拳制裁を受けているような行為だ。


 幸いにも兄は酔いが回っていたらしい。兄のぶつぶつ文句を言う声を子守唄にしてリードは寝た。


 だからだろうか、夢見は最悪だった。リードの過去の悪夢と吉川の悪夢がごっちゃになったひどいものだった。飛び起きたときには自分がどこにいるのかわからなかったくらいだ。


 すでに兄の姿はなかった。ただ昨日の訪問が夢でなかったことを証明するかのように空いた酒の瓶が床に転がっていた。



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