3 告解
「ラルフ、今日はここに泊まらせてもらおう」
リードがそういうと、従者のラルフはもちろん賛成する。
「部屋の用意を先にしておきますね」
ラルフは父から送られた召使の一人だった。戦場に行く息子のことがさすがに心配になったのか、古くからいる家臣の息子を従者としてつけてきたのだ。今ではその能力の高さから評議会の事務作業には欠かせない人材となっている。リードも彼だから信頼してこのヴィオラ領までついてきてもらったのだ。
ラルフが準備をしている間に、リードは神殿に残り、運び込まれた本の残骸を一つ一つ確認していった。黒焦げになって一部しか残っていないもの、水にぬれて文字がにじんでしまっているもの、リードはため息をついた。
この世界では本はとても貴重なものなのだ。それを、こんな無残な残骸に変えてしまうなんて。
寺ちゃんの考えていることはわからない。寺ちゃんは学園のモブとして召喚された大学生だった。吉川文夫よりもずっとランクの高い大学に通っていたと聞く。彼はここの世界の肉体が名乗っていた名前を拒絶して向こうの世界の名前を名乗り続けていた。友愛会を最初に立ち上げたのも、寺ちゃんとその友人だったはずだ。
それまで斜めに差し込んでいた日が翳ってきた。手元の灯りでは焦げた本を丁寧に確認するのは難しい。
リードは本を整理するのをあきらめて、ぼんやりと神殿の祭壇を見つめた。リードにとっては当たり前で、吉川にとってはなじみのない祭壇の上の祭具を見るともなしに見つめる。揺れるろうそくと、それに照らされて鈍く光る盃や箱、見慣れたようで初めて見るもののようで。よく考えてみるとリードも祭壇をここまで子細に眺めたことはなかった。
「ずいぶん、熱心に祈りを捧げるのですね」
彼女に声をかけられたとき、リードはその存在に気がついていなかった。
薄暗い神殿の中に女は静かに立っていた。
足首まである長着に、髪を隠すかぶり物。神殿に仕える神女だろうか。
彼はこわばった足を伸ばして立ち上がった。
「これは失礼しました。神に仕える方々にご挨拶もせず、勝手にここを使わせていただいております」
女はゆっくり首を振った。
「どうぞ、心ゆくまで祈りを捧げてくださいませ。評議員様」
リード・ヴィオラは内心ため息をつく。彼はどこまでいっても評議会員だ。仕事だろうと、休暇だろうと、お構いなしに評議会員認定される。
「申し訳ない。お邪魔でしたか」
「いえいえ、ずいぶん長い間そうして祈っておられたので。どなたか大切な方のことを思っておられたのですか? 精霊が騒いでいます」
女は祭壇のほうに目を泳がせた。リードも反射的にそちらを見るが、何も見えない。この世には精霊を見る力を持っているものがいた。彼女もその一人なのだろうか。
「あなたは精霊の目を持っているのですね」
「それほどまでの力ではありませんけれど。ただ、これだけ濃い気配があれば、わたしにも見ることができます」
女はじっと彼には見えない何かを見つめている。
ここは静かな空間だった。
外の喧噪とはかけ離れた空気が漂っている場所だ。
まるで、あの男のいた塔の部屋みたいだ。
彼は、評議会が断罪した男のことを思い出した。それが冤罪だと知っていながら、悪役としてのシナリオを押し付けたのだ。リードはその男と最後に会って会話をした。
あそこも、ここも、静かで神聖で、外側から完全に切り離された場所、少しもの悲しい気分になる空間だった。
だからだろうか、前にも似たようなことがあった気がしたのは。
女は静かに彼のそばに進み出ると膝をついて祈りをささげる姿勢をとった。
祈りをささげるというのもいいかもしれない。
リードも、昔、習ったように印を結び、膝をついた。
ずっと胸のどこかが痛んでいた。その痛みから逃れるためにがむしゃらに目の前の仕事を片付けていた。でも、刺さったとげのように痛みは抜けない。
繰り返し、繰り返し、考える。
僕たちはどこで間違えてしまったのだろう。
正しい道を選び続ければ、素晴らしい世界に行き着くはずだった。みんなで笑える大団円がまっているはずだった。それが今は袋小路にはまり込んでいるような気がする。何をやっても解決されず、問題が積み重なっていく。
いったい何を見落としてきたのだろうか。考えても考えても答えは出ない。
どのくらい長い間膝をついていたのだろう。
リードは自分の考えに没頭していて、彼女の存在を忘れかけていた。
まだ女が隣で同じようにまだ祈っていることに気がついて、彼は慌てた。
女はリードに合わせるように、祈りの姿勢を解く。明らかに彼に合わせて祈りをささげてくれていたのだ。
そうだった。彼は思い出す。神官は信徒とともに祈るのがここでの当たり前だった。一緒に祈りをささげるときには必ず信徒が祈りを終えてから立ち去る。だから、彼女はいつまでもここに残っているのだ。
「失礼しました。わたしは、リード・ヴィオラと申します」
彼は詫びを入れてから名乗った。
「神官様、祈りに付き添っていただきありがとうございました」
「こちらこそ声をかけてしまって申し訳ありません。わたしは神殿の婢、ノルヴァと申します」
女は優雅な礼を返してきた。どこかの貴族の娘なのだろうか。優雅な仕草に目を奪われる。
「お気になさらず。祈りは聖なる行為です。それをお手伝いさせていただくのが私たちの務めですから。ところで、こんなことをおききして失礼かと思いますけれど、どこかで高位の神官の祝福を受けられたご様子。一体どなたの祝福を受けられたのかと気になってつい声をかけてしまいました」
「祝福ですか?」
リードは内心首をかしげた。彼はここのところ忙しく神殿になど足を運んでいない。それどころか、こちらに来てから数えるほどしか神殿に足を踏み入れていなかった。
「そのようなものは覚えがありません」
「そうですか」
薄い面覆いの向こうでもあからさまにわかる落胆ぶりだった。
「それは失礼しました。あまりにあなたの周りの加護が強いものですから、てっきりそうなのだと。今日は何のご用でこちらにいらしたのでしょう、評議員様」
「用など何も…」
そう言いかけてリードは思い直した。
「こちらで告解をお願いできればと思いまして」
「告解でございますか?」
「ええ。お願いできますか」
「わたくしでいいでしょうか。ただいま、ここの神官は出払っておりまして」
「ええ、是非お願いします」
下心がないといえば嘘になる。薄い布を透してさえ、彼は彼女の容姿に惹かれていた。まだ若い娘だ。彼と同い年か、神官を名乗っているところを見ると少し年上かもしれない。
「楽になさってください。ここでの話はわたしと精霊だけが聞いています…」
狭い部屋に通されて女と机を挟んで向かい合う。それは、ここでの告解の時に繰り返される決まり文句だった。小さいとき神殿に行ったときから何度も繰り返されてきた儀式だった。最近は神殿にご無沙汰しているリードにとって本当にこの文言を聞くのは久しぶりだ。
「評議員様?」
上の空になっていたのを見抜かれた。彼女の柔らかい声に我に返る。
「実は…私は悩んでいまして…」
何を話そう。リードは神経質に眼鏡を押し上げた。本当はここに来たのは偶然だった。逃げるようにしてこの神殿に避難してきた。ここが静かな場所だったから…
「わたしは、ある人を見殺しにしてしまいました」
気がつくとリードは彼のことを話していた。みんなが死に追いやった人のことを。
「私は、彼が罪を犯していないことを知っていました。知っていながら、彼を救うことができなかった」
そう、救うことができなかった。そのときリードは救えるとどこかで思っていた。すぐにそれが思い上がりだったとわかるのだけれど。
気がつくと、彼は女にいろいろなことを話していた。疑問に思っていること、おかしいと思っていること。どうしていいのかわからないということ。どこかに本来の自分のいる場所があって、でもそこに帰る道が見つからないことも。
誰もこの話を聞いてくれなかった。“仲間”ははっきりとこの話をすることを拒絶した。一番近くにいてわかってくれるはずの人たちだと思っていたのに。そして“現地人”にはとうていこんな話はできなかった。
彼女が初めてだった。黙って、口を挟まないでリードの話を聞いてくれたのは。
こんなにいろいろなことを心にためていたのだと、自分でも驚くほどいろいろなことを話した。気が付くと、ずいぶん時間がたっていた。
「大変、申し訳なかった。こんな遅くまで話を聞いていただいて」
女は柔らかく首を振った。
「お役に立てれば、こちらこそうれしいですわ」
「ところで、あなたはここの神殿でおつとめされているのですか?」
リードは彼女のことを聞きたくなった。
「いえ、違います。元々の所属はフライスビューネ神殿で、古い写本を見るためにここに滞在しています。実は古い精霊語が専門でして」
「写本ですか…それは申し訳ないことをしました」
リードは今日広場のたき火にくべられた本を思い出して、身震いをした。
「何か手違いがあったようで、私は、私たちはけしてあんなことを命じるようなことは…」
「わかっております。リード様は本がお好きなのでしょう。ものすごい顔をして、にらんでいらしたから」
「あ、見られていましたか。お恥ずかしい」
本を焼くような奴を呪い殺したかったのは事実だ。
「それで、ここには何をしにいらしたのですか?」ノルヴァはさりげなくこちらに話を振ってきた。
「実は人を探していましてね」
「人捜し、ですか? いったいどんな方を。大切な方ですか?」
「ええ、まぁ、大切というか、仲間というべきなのか……先日までここにいたらしいテラという男なのですが」
ああ、とノルヴァがかすかに顔をしかめた。写本を焼くように命じた張本人なのだから、いい感情を持っていないのだろう。
「どうも、行き違いになってしまったようです。できれば、捕まえてなぜあんなことをしたのか、いろいろな話を聞きたかったのですがね」
リードは冗談めかして女に笑いかけた。女が布の向こうで笑い返す気配がする。
様々な厄介ごとに巻き込まれたきょう一日の中で、彼女に出会えたことはただ一つのいいことであったようにリードには思えた。