26 祈り
リード君にあった。
本当に久しぶりだった。
ロナルドとの結婚式の前夜、王子妃としてお披露目された夜会のほんの少しの間だった。
お披露目の夜会という名前の通り、ほとんど儀式のような舞踏会だった。
偉い人への挨拶、挨拶、挨拶……大好きなダンスも最初の一回だけ。それからあとは挨拶ばかり。
昔見た映画でそういう挨拶に飽きてしまって逃げ出す王女様の話があった。
あの王女様の気持ちがよく分かった。
退屈、退屈、退屈。
緊張、緊張、緊張。
だから、リード君と話せて本当にほっとした。誰にだって、息抜きは必要なんだよ。うん。
正直言って、最初、ちらっと見にはリード君とはわからなかった。
一瞬、別人かと思った。だって、いつもの眼鏡をかけていなかったし、髪を黒く染めていたから。
「リード君」
そう呼びかけると、彼はしまったという顔をした。
困ったときによく彼が浮かべていた表情だった。
うん、いつものリード君だよ。
彼は、最初からこうだった。一緒に転生してきたほかの子たちと違って、どこか、ためらいがちで、頼りなかった。みんなが楽しんでゲームのキャラになり切っているのと違って、どうふるまっていいのか全く見当もつかないみたいだった。
だから、悪役令嬢にもてあそばれたり、ゲームの中のリード・ヴィオラなら絶対しないような行動も平気でしたり、ゲームに詳しい“仲間”内では評判がいまいちだった。らしくない、とみんなが言っていた。
最初のころは、リサもリード・ヴィオラらしくないな、と思っていた。もっとこう、紫の君らしく冷然とふるまってほしかったんだよ。
リード君を見て、これはないわぁ、とリサが思ったことも秘密だね。これを言ったらリード君、傷ついてしまうものね。
でもね、みんなはあれこれ言うけれど、リサは今のリード君のこと、好きだよ。
いろいろ攻略のアドバイスをしているうちにすっかり弟みたいな気がしてきてたんだ。冒険仲間の中で一番、友達、と胸を張って言えるような関係だったかなぁ。
彼といると、聖女のリサ、ヒロインのリサじゃなくて、ただのリサでいられる気がするんだ。素のままの自分ってやつかな? 変な恋愛感情を彼も持っていないしね。
でも、昨日のリード君は、なんだかちょっと違っていた。誉め言葉を並べてみたり、正式な騎士の礼をとってみたり。
まるで、ゲームの中のリード・ヴィオラみたいだった。
本家のシナリオで、リードが自分の恋心を封印して結婚の祝いを述べるシーンがあったのだけど、あれそっくりの行動をとっていたからかな?
びっくりしちゃった。
あれは結婚式の後にちらりと挿入されるシーンなんだよね。
本当に短いシーンなのだけれど、実は聖女様のことを想っていました、ってわかるいい場面なんだよ。
昨日のリード君もゲームの中みたいな感じだった。とても思い詰めていて、つらそうで、恋愛感情とはちょっと違うような気もしたけれど、ゲームの雰囲気と似てたんだ。
ちょっと、ときめいちゃった。恋心というんじゃないんだけどね。ああ、ゲームのシーンだなって、思っただけ。リード君は、リード君だからね。
リード君はいつまでもそのままでいてほしいよ。リサのことを、友人だと思っていてほしい。
リード君の目に映っているリサはとてもかわいらしくて、きれいで、だから、リサもそんなリサが好き。
彼が素直に聖女だと思っていてくれるから、務めをちゃんと果たせるという気がしてくる。不思議だね。
でも、ごめんね。リード君。
リサは、本当は聖女なんかじゃないんだよ。
確かに癒しの力は持っているけれど、みんなを救うことなんかできません。
神殿でおこもりしている間に気が付いたんだよ。リサの力はたいしたことがないって。
祈っても、祈っても、この世界の精霊とやらは答えてくれないんだよ。
祈っていると、ゲームの神様が降りてきたよ。お使いかな? チュートリアルに出てきた商人Aの格好をしてたよ。
君には精霊は呼べないよ。君と彼らは対立する関係にあるからね。
そのお使いは、嬉々としてもうすぐゲームが終わること。終わっても、ボーナスプレイとして続きをプレイできることを話したよ。エンディング後もこの世界で遊ぶことができる特典なんだって。
信じられる? リサは、帰れないんだよ。学校にも行けないし、放課後寄り道することもできません。町に遊びに行ってショッピングをしたり、たわいもない話を友達としたり、そんなこともここではできません。
こんなこと、他の人には言えないよ。
特にリード君には絶対言えないな。リード君は向こうに帰りたがっていたよね。
とてもショックだったけれど、リサはそのことは薄々わかっていました。
だってリサは、たくさんの罪を犯してしまったんだもの。その罰なんだよ。
リサはたくさんの人を殺してしまいました。
リード君はあの場にいなかったから知らないよね。自分の命を守るために究極魔法を発動させてしまいました。それも、ただ一人の人間を殺すために。
魔王でも、魔族でもない、“ただの人”に持っている力のすべてを使いました。
みんなは慰めてくれたよ。あれは正当防衛だ、とか、シナリオ上仕方なかったんだとか。
今でもそう思っているよ。あれは、仕方がなかったんだって。あれはシナリオ上必要なことだったんだって。
でも、罰なんだとも思っているんだよ。そのことを心のどこかで納得してしまったんです。
リーサはリサには戻れない。もうここで生きるしかないんだって。
リード君、ごめんね。戦いのときリード君がおびえていたのを笑ってしまって。
これはゲームだから、人じゃないんだから、そういってもリード君は嫌がっていた。“仲間”内でそんなリード君のこと、笑っていたけれど、あんなことするべきじゃなかった。
今のリサは、リード君とたぶん同じ気持ちだよ。
物語が終わるのが本当に怖い。だってここから先には聖女のリサはいなくて、ただのリサしかいない。それなのに、みんなが聖女としての役割を期待してくる。
周りにいるのはただのモブじゃぁない。リサと同じ人だよ。そう思うと足がすくみそう。
でも、お互い進まないとね。リード君が怖がりながらも手伝ってくれたように、リサもお手伝いしなきゃぁ。
いろいろいう人はいるけれど、リサはリード君の味方のつもりだよ。これからも、リサと友達でいてほしいな。
とりあえず、明日の結婚式には絶対出席。あんな場所に出るのは恥ずかしいっていつもいってたから本当に出席するかは不安だよ。眼鏡をきちんと直して、いつもの格好して、出てきなさい。
何日も意識の薄かったクロードがはっきりと目を覚ましたのは国境を抜ける直前だった。
「リード」
かすれたような声に御者台にいたリードは振り返る。
狭い馬車の中、荷物にもたれかかるようにして横たわっていたクロードの目がこちらを捕らえていた。
「ああ、目が覚めたんだ」
連れ出した服のまま毛布を巻き付けただけのクロードの胸に不釣り合いな首飾りが揺れている。あの怪しい商人から買った自動回復の首飾りだった。試作品だといっていたが、効果は発揮しているらしい。
クロードがもがくのを、馬車の外についていたクロードの従者がいそいそと世話をする。なんだかんだといって兄は人望があった。想定外の数の供回りが二人を護衛している。
「ここはどこだ?」
またしばらくして、クロードが聞いてきた。ほかのものが誰も答えないので、仕方なくリードが返事をする。
「馬車の中ですよ」
「なぜ、馬車などに……はやく、戻らないと」
リードはため息をついた。
「どこに戻るというのですか。戻る場所なんてありませんよ」
「戻る、場所がない?」
クロードがつぶやく。まだどこにいるのかわかっていないクロードに事態を説明する。しばらくすると、兄はまた、あきらめたように目を閉じた。
馬車の中はしばらく静かだった。リードたちがたどっているのは古い巡礼の道だった。この国の中を抜け、外の国の聖地へと続いている。ほかの国と交流していたころには往来も多く栄えた道だった。精霊信仰が禁止されて、信仰が薄れたこの国では使われなくなっていた道になっている。
ただひそかに人は行きかっている。そして、リードたちのような逃亡者もまた息を殺すようにしてこの道を使っていた。
「この道が安全だと思うの」
ノヴァが別れる前にそういった。
「邪神に影響されたこの土地では道はすたれてしまったわ。でも、今のあなたたちには好都合でしょう。精霊の力の強い信仰の道だから、邪神の徒の力は通用しないわ」
彼女には何から何まで世話になった。
リードは甘酸っぱい思いをかみしめる。
彼女の誘いを断ったのはリードのほうだった。
「君とはいっしょに行けない。僕は兄上と一緒でないとだめなんだ」
「あなたはいつもそうね。最初は“仲間”のため、今度は“兄上”のため、何か理由がないと行動できないのね」
ノヴァは予想していた通りだったのか、さらりと、でも、痛烈な一言を残していった。
「まぁ、いいわ。リード・ヴィオラ。また縁があったら会いましょう。精霊の導きがありますように」
ノヴァについていけばよかっただろうか。
でも、この状態の兄を見捨てることは彼にはできなかった。
あの日以来、親衛隊の兵士も、評議会軍の兵士も姿を見かけていなかった。いまごろ、彼らはヴィオラ領に向かう道あたりを封鎖しているのではないか。上の兄上に迷惑が掛かっていないといいのだが。
追手の皆様には大変申し訳ないことながら、リードたちは今回の逃亡をヴィオラ家には頼らなかった。彼らが通っているのはブルーウィング家の領地内だ。ゴールドバーグの残党が厚意で渡してくれた通行証にはブルーウィング家の正式な紋章が押されていた。前公爵名義の正式な文書を持つ一団をブルーウィング家のものが止めるわけがない。
旅は順調そのもので、自由の地はもう目の前だった。
リードは物思いにふける。
ここから先どうやって暮らしていこうか。
家にも、“仲間”にも頼ることがない、自分の力で生きていくという経験はリードにはない。
客観的に見て、状況は最悪だったが、でも悲観はしていない。
また、眠っていると思われたクロードが声をかけてきた。
「すまなかったな。リード。巻き込んでしまった」
ののしられるかと思ったが、意外にも殊勝な言葉だった。兄もまた、あまりの事態の変化に弱っているのだろう。
「兄上が謝ることなないですよ。巻き込んだのはこちらのほうだから」
また間をおいてクロードが話しかけてきた。
「なぁ、これからどうするつもりだ?」
いったいどうすればいいのだろう。リードにもそれはわからなかった。
「どうすればいいのでしょうね。もう、国には戻れないですからね」
「いいのか? 友達、だったんだろう」
あんな奴らは友達じゃあないだろうと散々指摘してきたクロードがそんなことを言うなんて。
リードは前方に続く道を見た。
「僕はそう思っていたんですけれどね。向こうはそうではなかったみたいですね」
そのことに対してはもうだいぶ吹っ切れていた。今でも思い返すと胸がずきずき痛むが、前ほどではない。
「とりあえず、安全なところに行きます。これからのことは、それから考えましょう」
道はうねりながら、緩やかに下っていた。
行きつけるところまで行こう。リードはそう思って馬車の揺れに身をゆだねた。




