24 取引
彼らは約束を守るだろうか。
リードは神経質にあたりを点検した。すべての用意はできている。
王都の外にある丘の上の祠がリードの指定した取引の場所だった。
ここからは王城や都、それを取り囲む城壁とその下に広がる町がよく見えた。赤々と城壁まで照らし出された王城、その下にまばらな明かりが見える上町、暗闇に沈んでいる下町とはっきりと分かれて見える。
心を落ち着かせるために、ノヴァたちに教わった聖句を唱えた。唱えながら、呼吸を整えていく。
「いいのか? 僕に味方をして」
リードは後ろで控えているラルフに聞いた。
「私は、リード様をお守りするように主様より命じられています」
「評議会の仕事を棒に振ることになるぞ。それどころか……」
「人のことよりもご自分のことを考えられたほうがいいと思いますよ」
ラルフは憮然として答えた。
「今、自分がどういう立場にあるのか自覚していただきたいですね」
耳が痛い指摘だ。
もうここまで来たら最後までやるしかない。リードは今奇妙な高揚感を感じている。
「来ましたよ」
クロードの従者であるアランがつぶやくように指摘した。松明の灯りがこちらに近づいてくるのが見えた。
「結構な数がいますね」
それも想定の範囲だった。リードは光がまばらに散らばって見える王都を不安げに見た。彼らはどう出るだろうか?
松明の灯りに照らされて、相手側の姿が見えてきた。
粗末な荷馬車とその周りを警護する親衛隊の兵士。それに馬上の騎士が何人か……
「そこで止まれ」
ラルフが鋭い声で制止すると集団は止まった。
一騎だけ前に進み出て、騎士が下馬する。親衛隊の外套を着た何人かがその後ろに警戒するようについてくる。
予想通りの顔ぶれを見て、リードはげんなりとした。彼を送り込んでくると思っていた。
相手がこちらの灯りの輪の中に入ってきたのを確認してリードも前に出る。
「やぁ、ジム。それに、ムラ。久しぶりだな」
平静な顔をしているジムと違ってムラは少し慌てた顔をした。
「リード、君の要求通りにクロード殿を連れてきたよ。だから、約束の物を渡してくれ」
「兄上はどこにいる?」
ジムは振り返って、荷馬車に合図をした。リードの後ろで、クロードの従者がうなり声をあげた。
「兄を残して、他の者に下がるようにいえ」
「まだだ。約束の物を渡してくれ」
「持ってきていない」
リードはあっさりという。
「おいおい、これは交換取引のはず……」
「違うね。僕の出した条件はここへ兄のクロードを連れてくること。そうすれば、ポーションを王妃様のところにお届けするということだった。もちろん、僕たちの身に何かあれば、ポーションは破棄される」
リードは二人の顔色を見ながら周りによく聞こえるように話した。
「王妃様?」
ムラがジムに慌てて問いかける。
「そんな話は聞いていない」
ジムが目を細めた。
「ロンから聞いた話では、君はクロード隊長の身柄と引き換えに物を渡すということだった。だから……」
「さすがに保険をかけずに取引はしない」
「君の言うことは信じられない。物も渡さずに交渉をすることなどありえない」
ジムは後ろの者たちに合図をした。
「いいのか? 王妃様との合意はできている。この取引がダメになったら第三王子は死ぬかもしれない。その時だれが責任をとるんだろうな?」
リードはムラの顔を見ながら話した。
「兄を開放してくれ」
仕方なさそうに、ジムが肩をすくめる。
「クロード殿を彼に渡してやれ」
荷馬車を操っていた御者は慌てて荷台から降りて、おいてある松明の灯りの光の外に出た。代わりにクロードの従者たちが荷馬車に走り寄って、中の様子を確認する。
従者たちが戻ってくるのには、しばらく時間がかかった。
「よくない状態です」
ラルフがリードに耳打ちをする。
「とても一人では歩けません」
控えめな表現でそんな状態なのか。予想はしていたが、やはり怒りが込み上げてきた。
「時間を稼ぐ。兄上をなるべく遠くにお連れしろ」
リードはささやき返した。平静な顔をしてクロードの様子を見ているジムのほうを見る。
「兄上に何をしたんだ?」
「クロード殿は、逮捕するときにずいぶん暴れたんだよ。やむを得なかった」
「暴れただけ? その割にはひどい怪我をしているみたいだが」
クロードの従者の低いののしり声を聞いて、リードは言い返した。
「まぁ、軽症とはいえないかな」
略式な担架にのせられて、運ばれていくクロードを横目で見ながら、ジムは言う。
「クロード殿は返した。こちらの要求も本当に聞いてくれるんだろうな?」
「要求? 兄を返してくれたら、ポーションを送るというあれか? 約束は守る。僕たちが無事にここから立ち去ることができたら、必ず、ポーションを王妃様のもとにお届けする。そういう話だろう」
わざと後ろのものにも聞こえるように声を張り上げた。
「でも、君が本当にあれを持っているのか誰も知らないだろう? 証拠を見せてもらわないと」
「神の名にかけて誓う。僕たちが無事に立ち去れたならば、ポーションは王妃様にお渡しする。約束だ。それで、いいだろう」
神といっても邪神のほうだが。リードはとても楽しそうだったあの商人に笑顔を思い出す。
「なぁ、リード。なんで君はこんなことをするんだ? 今、君のやっていることは今までの君の英雄的な実績をすべてダメにする行為だろう? みんな、君の突然の行動にびっくりしている」
ここに至ってもジムはリードの行く末を心配する友人のような口調だった。
だが、もうリードは知っている。みんな? それは誰のことだ? リードの行動のことなんか、誰も気にもかけてないだろう。いや、まだ、気にかけていないのならいい。
ロナルドはリードに対して腹を立てている。おそらく一番仲のいいブルーウィングとレッドファングも、だ。そうでなければ、こういう形で親衛隊を送ってくるはずがない。
そして、何よりも、一番リードのことを消したいと思っているのは。
君だろう、ジム。
「こんなことをやめにしないか? 今なら、まだ」
「僕はただ兄上を連れていきたいだけだ。邪魔をしないでほしい」
ジムの形だけの説得にリードは首を振る。
「なぁ、ジム、今回はずいぶん大勢を連れてきているみたいだね……僕を護衛するためにこれだけの人を集めたわけじゃないんだろう」
「へぇ、わかるのか。君のスキルはなくなったといっていたよね」
「スキルなんかなくてもわかるさ。ずいぶんと伏せているんだろう? 今、僕の背後に部下を回しているところなんじゃないかな?」
ジムは仕方がないだろうという仕草をした。
「リード・ヴィオラは、英雄のうちの一人だからね。用心はする」
「でも、ちょっと数が多いんじゃないかな? こんなに動員したら、市内の警備が手薄になるだろう。いいのか? 第二王子殿の結婚式なのに」
「市内の警備は万全だよ」
ジムの横でムラが大げさにうなずいていた。
「君が心配することではないだろう?」
「心配するさ。もし、仮に、何かが起こったら、誰かの首が飛ぶことになるだろう? ロンは自分の結婚式に泥を塗ったものを許さない。彼は結構そういうことにはこだわるから。ちがうかい?」
ジムの後ろにいるムラが居心地悪そうに足を踏みかえるのが見えた。
リードはあえて周りに聞こえるように話した。
「ああ、そうか。市内で何が起こっても君は責任を問われない地位にある、そういうことだね、ジム。だから、わざわざこれだけの人を割いてここに来たんだ。誰が、責任をとるんだろうなぁ。親衛隊の中の誰か、か? それとも、評議会軍中の誰か、かい? ムラ、君は正式な命令を受けてここにいるのか? こういう荒事は護民官の任務には入ってなかったと思うんだが」
「私は、その、親衛隊の一兵士としてここにきている。普通の評議会軍よりも、親衛隊の仕事のほうが優先されるから」
ジムの励ますような目線にムラは自信を取り戻して胸を張った。
「それに、こんな祝いの日に騒動を起こそうとする輩など…」
ちょうどその時町のほうから爆音が響き渡った。
一瞬、暗闇から花火のように赤い炎が上がるのが見えた。
ジムもムラも、後ろを振り返った。
一回だけに思えた爆音はしばらく間をおいて何度も繰り返される。
それから、はっきりと炎とわかる赤い光が上がった。
「火事だ」
親衛隊の兵士の間から悲鳴に近い叫びが聞こえた。




