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23 巫女

 侍女に案内されて、足が飲まれそうな絨毯の廊下を進むとそこは白い部屋だった。

 壁も白、床も白、床に敷かれた毛皮も真っ白だった。調度品も白で統一されており、まるで吉川の世界の病院を連想させる内装だった。これまた、白い服を着た色白の侍女が扉の脇に控えている。


「おはいりなさい」


 母親は部屋の中央の長椅子に横になっている女性の近くによると、その差し出された手に額を当てた。まるで神でもあがめるようなしぐさだった。誰のもとにも膝を折りそうにない女の見せる不釣り合いなまでの忠誠心にリードは気味が悪いと思った。


 彼自身も部屋の入り口付近で膝を折り首を垂れる。


「顔を上げなさい」

 リードは初めて王妃の姿を間近で見た。遠目で見てもはっきりわかる美貌の持ち主であったが、近くで見ると神がかったオーラがすさまじかった。あれほどきれいだと思っていた母親も彼女の前ではただの中年の女に過ぎない。

 金の糸を紡いだような髪を王冠のように結い上げた王妃は先ほどのリサよりもよほど神のしもべに近い存在のように思えた。まるで、人ではなく別の生き物のようだった。

 天使? 妖精? 

 すんだ宝石を思わせる青い目がリードに向けられている。


「おまえが、リード・ヴィオラか?」

 しかし、掛けられた声は氷のようだった。

「よくも、私の前におめおめと姿をさらせたものだね」


「申し訳ありません。主様。愚息の無礼をお許しくださいませ」

 母親が地面に頭を擦り付けるようにして話す。王妃は母親の言葉を無視した。


「おまえが、私の息子の友人という肩書を使って何をしたのかは聞いています。その卑劣な男が何を語ろうというの? 詫びを入れるのなら私ではないでしょう」


「高貴なるお方、非礼をお許しください。わたしはただ…」


「お前の声は不快です。聞きたくもない。さっさと部屋を出ていきなさい」

 王妃は片手をあげる。

「衛兵を……」


「お待ちください。せめて話を」

 リードは言いかけて、これではだめだと思った。この女は嘆願など聞く気もない。でも、引くわけにはいかない。

 ここで交渉が成立しなければ、命を落とすのは彼だけではない。兄や、姉や、父や、一族の命運がかかっているのだ。


 彼は頭を上げてまっすぐにこちらを高みから見下ろす女を見た。

「あなたと取引をしたい。これは命と命を交換する取引だ」

 リードの無礼な態度に王妃は、眉をひそめたが、手を半分下ろす。

「わたしは、あなたにとっても有益な情報を持っています。これはあなたにとっても悪くない取引だと思う。話だけでも聞いていただけませんか?」

 王妃が手を下ろしたのを見て、リードは言葉を継ぐ。

「人払いを」


 王妃がちらりと侍女を見ると侍女は恭しく礼をして部屋を出ていった。


「お前もでていきなさい」

 いまだ平伏しているリードの母も外に出された。彼女は王妃の死角となる位置でリードをにらんだ。


「それで? 何が望みなの?」


 王妃は悠然と座りなおすとリードを促した。

 リードは頭を垂れて、決まりきった言葉から口上を始めようとした。


「美辞麗句はいらないわ。お前の望みは何? 数々の無礼な行為を水に流してほしいというのかしら? “猟犬”の牙を抜いてくれとの命乞いかしら? その代わりに何をしてくれるというのかしら?」


「取引があります」

 目の前の王妃に気圧されながらも、リードは言葉を紡ぐ。

「お聞き及びかもしれませんが、昨夜、親衛隊が私の兄のクロードを捕縛しました。彼を開放してほしい。兄はただその場にいただけで、何の罪も犯しておりません」


 目の前の女は無言だった。答えがないのでリードは話を続ける。


「その代わり、私にはポーションを手に入れるあてがあります。もし、兄を開放していただければ、ポーションをエイドリアン様のために提供します」


「そのポーションを横流ししていたお前が、よくもそんなことをいえる」

 しばらくしてから王妃は息を殺すようにしてリードを威嚇した。


「私は断じてそんなことはしていない」

 リードはおもわず否定した。

「あれはわたしのしたことではない。今、話しているポーションは評議会のルートからのものではなく、別の人たちが持っているものです」


「おまえは、息をするように嘘をつくのですね。あの類の薬は、評議会経由でしか手に入らないものであったはず。それ以外の入手方法はないと聞いている」王妃は目を怒らせた。「手に入れることができるというならば、なぜ、ロナルドがポーションを集めていたときに協力しなかったのですか? あの子たちがあれほど必死で探していたというのに。お前は何もしなかった。呼び出しにも応じず、仕事も何一つ行わず、ただただ怠惰な暮らしを続けていたそうではないですか?」

 椅子の端を握りしめる王妃の手に力がこめられていた。


「私は……」

 それを知らなかった。

 そしてリードが知らないことをロナルドたちも知らなかった。


 リードは誤解していた。王妃の不興を買って、ロナルドたちと疎遠になった理由を。


 どうしてだろうと思っていた。自分が、変人だからではないかと思っていた。うっかり情報を聞き損ねてしまっていたから、自分の力が足らなかったから、運が悪かったから。

 悪意から目をそらし、本当の痛みから逃げようとしていた。


「お前は、そのうえ、自分の存在理由すら裏切っている。ロナルドたちと同じ力を与えられ“器”としての特権と能力を与えられていながら、ヴィオラの家をすてきれない。そんな“リード・ヴィオラ”など必要ない」


 王妃の言葉はまさに神からの言葉だった。手を伸ばしても届かない至高の巫女の口寄せだった。


「おまえは、無意味な場所で、無意味な行動をし、


 王妃の声が無機質に響く。


 響く?


 無価値な………


 価値がない場所で、


 そう、物語の外で、


 そこには“リード・ヴィオラ”はいなかった。いたのは、ヴィオラ家の三男坊。家を継ぐこともできないただ部屋住みだった。母親も、父親も、彼に価値を見出さなかった。


 これはせっかくのチャンスだったはずだ。


 みんなが“仲間”としての価値を認めてくれた。第二王子たちとパーティーを組み、英雄として、物語のメイン攻略者として。ヒロインと結ばれる未来もあった。

 “仲間”と一緒に、素晴らしいエンディングを迎えるところまで行った。


 それなのに、最後の最後で、しくじった。

 彼は、本筋から外れてしまった。集会所という名の神殿に入り浸り、忘れ去られた神に祈りをささげ、女にうつつを抜かした。本当に無意味な生活だった。灰色の汚い街で、汚い連中に囲まれて、神女のふりをした、汚い犯罪者と……


 ちがう。ノヴァの優しい手を思い出す。暖かい、小さなぬくもりを。

 彼女の周りに侍っていた小さな光を思い出す。


『どなたかに加護を賜ったことはありませんか?』

 彼女はそういった。加護を与えてくれていたのはノヴァその人だ。彼女との絆がリードに力を与えてくれていた。


 彼女と過ごした日々は怠惰な無価値な暮らしだっただろうか。下町の生き生きとした情景を思い出す。酒場の光景。神殿、もとい集会所の個性的な面々、ゴールドバーグ家の人々……そしてノヴァ。

 シナリオに沿った冒険をしていたころに勝るとも劣らぬ鮮やかな日々だった。


 (リード)はそこにいた。


 記憶が色のない空間に呑まれかけていたリードをこちらに引き戻す。


 王妃の色の消えた目がこちらを見ていた。何を言わなければいけないのか、リードは思い出す。


「あなたがどう思おうと、構いません。重要なのは、今のわたしはポーションを手に入れることができるということ。そして、あなたはそれが欲しい。違いますか」


「お前は……」


 女の気配が膨れ上がった。なにかがリードの中を通り過ぎ、心をのぞかれたという嫌悪感が残った。

 リードは懸命に声を絞り出した。


「兄を開放してください。そうすれば、あなたにポーションを渡しましょう。私の家名にかけて、いえ、神々の御名にかけて誓いましょう」


 周りの白い壁が声を吸収した。すべてが白い空間に食われていくような気がしてリードは内心震えた。


「神の御名にかけて、ですか。精霊ではなく、神の? 本当に誓うというのか?」

 リードはうなずいた。言葉が出なかった。


 王妃は目を伏せた。空気が微妙に変わる。


「いかがでしょう。彼の言っていることは誠でしょうか?」

 女は打って変わった丁寧な口調で誰かに語り掛ける。


「うん。彼の言っていることは真実だよ」


 不意打ちのように別の声が割って入ってリードは驚く。女の椅子の脇に、今まで気が付かなかった人影が悠然と腰を下ろしていた。リードも知っているポーション売りの商人が、いつものメイド服を着て前からそこにいたように頬杖をついて飴をしゃぶっている。


「それでは、本当に彼はポーションを持っていると?」


「今は持っていないけれどね。彼の信頼する人に預けているみたいだね。そのあたりのことはちゃっかりしているというか、なんというか」

 商人はとても気やすい口調で王妃にこたえる。

「彼の話に乗ってもいいんじゃないかなぁ。彼は約束を守ると思うよ。ね」

 商人はリードにめくばせをしてきた。


「そうですか」

 リードに対する時とは打って変わって殊勝な態度だった。

「そこまで、あなた様がおっしゃるのならば」

 恥じらうような表情はまるで無垢な少女のようだった。リードを恫喝してきた恐ろしい女の姿はどこにもない。


 交渉は成立した。

 リードは悟る。

 理解の及ばない恐ろしい意志が彼の行動をよしとした。


「それで? お前の兄をどうすればいいのです?」


 王妃は淡々と尋ねる。落差に戸惑いながら、リードはクロードを開放する場所と時刻を伝えた。


「彼の言うとおりにして、本当に大丈夫なのでしょうか?」

 女は甘えるように少年に尋ねた。


「大丈夫だよ。リード君はとても誠実な青年だ。頑固で融通の利かないところはあるけれど、どこかの誰かみたいに平気で嘘をついたり、人を陥れたりはしないよ」

 メイド服の少年はにこにこと笑う。

「彼は、彼の身内を助けたい。君は息子を助けたい。まさに命と命の交換だね。この出来事で“道”が狂うことはもうないから細かいことは気にしなくてもいいかな」


「しかし、この男は、道から外れた行動をとっています。無事に自分たちが逃げられたらポーションを渡すだなんて、ふざけていますわ。彼は“代弁者”と関係を持っているのですよ」


 女はすねた少女のように商人に訴えた。あれほどリードに高圧的だった王妃が、メイド服の美少年の前ではか弱い女の子のように見える。


「彼は真っ白というわけじゃないから、疑うのは無理もないけれど、十分、範疇だよ。もう、物語に干渉することはないしね。彼の役目はもう終わっている。あとはどうしようと彼の勝手だから」


 そういうと商人は飴の残りを椅子の上に置いてスカートの埃を払った。


「これで話はついたね。じゃぁ、行こうか」


 メイド服を着た男の娘は後も見ずにリードの腕をひいて部屋の外へ向かおうとする。


「待ってくれ。まだ、話が……」


「君に手出しをしたら、ポーションを壊すとか、そういうことかな? 大丈夫だ。僕がちゃんと彼女には説明しておくよ。君をいきなり後ろから討つ真似はしないよ」

 そういってから美少年はリードの耳元でささやいた。

「ポーション、買っておいてよかったでしょう。リード君」


「君は……」

 まじまじと見返したリードを引きずるようにして少年は白い部屋の出口に向かう。


「小さいことを気にしない、気にしない」

 扉が閉まる直前に振り返ったリードは深々と頭を下げる王妃の姿を見たような気がした。




 王宮を出るまで誰もリードと商人を呼び止める者はいなかった。それどころか、誰一人としてすれ違うことはない。廊下を抜け、いくつもの入り口を通り過ぎ、王宮の門をくぐり、町へ出る。その間、商人Aは機嫌よくしゃべり続けていた。


「リード君、僕は君のことが気に入っていたんだよ」


 少年は前に立って歩きながら、楽しそうに話す。


「君は素直でとてもいい子だった。君からはいいデータが取れたんだ。本当にありがとう。

 最後に“世界”の側に取り込まれちゃったけれど、きちんと最後まで役目は果たしてくれたからね。最後のパレードに出ないくらいは大目に見てあげるよ。

 できれば、また僕らの側に戻ってきてくれるとありがたいんだけどね。

 え? 無理? 仲間に嫌われてるって。

 うーん、そうか、“代弁者”の彼女に惹かれているんだね。

 また気が向いたら、戻ってきてよ。え? お前は何者かって?」


 町の裏門を出たところで、少年は振り返った。


 そして、リードの前で深々と腰を落として、スカートをつまんで礼をした。


「僕は、ルーシー・マーチャント。このゲームの進行役です。今後とも良しなに」



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