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17 工場

 次の朝、痛む体と自己嫌悪でリードの気分は最悪だった。


 兄と派手に殴り合いをしてしまった。こんなことは生まれて初めてだった。

 いつも冷静で理知的な判断を下すといわれていたリード・ヴィオラはどこにいってしまったのだろう。


 先に殴ってきたのは兄だったが、その言葉に激高してしまったのはリードのほうだった。そのことを思い出すと、いまさらながらに恥ずかしい。


 もう、日は高く昇っていた。こんなに何もする気が起こらない朝は初めてだった。もう、護民官という役職にふさわしく振舞おうなどという気持ちはなくなっている。


「リード、大丈夫?」

 ノヴァが訪ねてきた時もまだリードは寝台に寝転がっていた。


「どうしたの、その傷は」

 ぼろぼろのリードを見たノヴァは息をのむ。

「誰かに殴られたの? 大丈夫?」


「大丈夫だ。ただの兄弟げんかだから」

 リードは捨て鉢な気分で答えた。


「ひどい傷じゃない。ちょっと待って」


「だから、たいしたことはないから、きにしないでくれ」


「リード、私は神官よ。怪我のことはあなたよりも詳しいの。手当をするから、ちょっと座ってちょうだい」

 確かにノヴァは治療には慣れていた。手際よく、傷を確認して手当てをする。


「いったいどうしたというの? お兄さんと喧嘩なんて」


 ノヴァにどこまで話せるだろう。リードは答える代わりに、礼を言った。

「昨日はありがとう」

 ノヴァの手が一瞬止まった。

「……アンナの面倒を見てくれて。彼女はどうしている? 彼女の兄さんと隠れるようにと、集会所の人に話しておいたのだが」


「あの子は無事よ。昨日の話は聞いたわ。すぐに二人は安全なところに移動させたわ」


 ノヴァの細い指が背中をあらためる。ここにいるのはいつものノヴァだ。

 彼女の表情が見えない状態でよかったと思った。とても面と向かっては話せない。


「変な連中はいなかったか?」


「まだ、わからない。現れるかもしれないし、来ないかもしれない」


 リードは、眼鏡をかけようと机の上を探って、昨日の殴り合いでどこかに飛んでしまったことを思い出した。きっとあの屋根のどこかに壊れた眼鏡が転がっているだろう。


「どうした?」

 その様子をノヴァがじっと見ていることに気が付いたリードは首をかしげた。


「眼鏡、なくてもいいの?」


「ああ、別に不自由はしない」

 リードはため息をついて打ち明けた。

「あれは伊達だから」


「だて?」

「見えないわけじゃぁないんだ」

 ただリード・ヴィオラというキャラクターが眼鏡をかけていたから、彼もかけていただけだ。

「何か変か?」


 まだリードを見つめているノヴァはにこりと笑った。


「いえ、ただ、見慣れていないから」

「そうか」


 これからどうしよう。何もせずに寝て過ごそうと思っていたけれど、ノヴァが来たことで、気分が変わった。


 兄の口から何か情報を得られるかと思ったが、自滅してしまった。あと、手掛かりといえば昨日アンナといったあの場所である。もう一度あそこまでたどり着く自信はなかったが、あそこ以外の手掛かりはあっただろうか? そこまで考えてからリードはもう一つのことを思い出した。


 あの時襲ってきた男の顔だ。どこかで見た顔だと思った。いったいどこでみたのだろう?


「はい、手当は終わったわ」ノヴァが肩をたたいた。「思っていたよりも、たしかにたいしたことがなかったわ。精霊たちも元気みたいだし……大丈夫ね」

 彼女は目を細めてリードの見えないものを見る。


「ねぇ、リード」

 ノヴァがまじめな顔で話し始めた。

「あなた、精霊の使い方を学んでみない? 」


「精霊の使いかた? 精霊使いみたいなことか?」

 彼の仲間にも精霊使いはいる。イエローリンクだ。彼は“仲間”の中で唯一の精霊使いという設定になっていた。


「でも、僕には精霊は見えないよ。精霊使いは精霊が見えて、操れないといけないんだろう?」


「そうできるのが、理想的だけれど、見えるか見えないかは呪を使えば関係ないのよね」

 ノヴァはまた遠い目をした。

「あなたたちの言う魔法が使えなくなったのでしょう。ならば、私たちの使っているような呪を学べばいいじゃない」


「いまさら神殿の神官になれというのかい?」

 リードは肩をすくめた。

「無理だよ。もうこんなに年を取ってしまって、神官になるには遅すぎる」


「遅すぎるなんてことはないわ。引退してから神殿に入る人もいるじゃない。それに、別に神官にならなくても精霊を使う人たちはいるわ。精霊剣の使い手とか、必ずしも神殿に属しているというわけではないでしょ」


「精霊、けん?」

 初めて聞く単語だった。いや、聞いたことはある。頭の中でその言葉を認識していなかっただけだ。


「知らないの? 精霊の力で戦う人たちのこと。アルトフィデスの精霊剣士などが有名ね。帝国の強化術の使い手にあったことはない?」


「帝国の魔術兵とか強化兵のことか? あれは神殿の呪文の一形態だと思っていたのだが」


「そうそう、それよ。精霊剣はその元になった力の使い方で、もっと強力なものなの。戦う精霊士といったほうがいいかしら」


「精霊を強化に特化して使うようなものなのかな? 僕たちが強化魔法といっていたものに近いような気がする」


「たぶんそうね。入り口は違っても効果は似たようなものだと思う」

 ノヴァはあらましを教えてくれた。

「呪は聖句をもとにしているから、あとは発動方法を覚えて、使えばいいだけよ。簡単でしょ」


 ノヴァが言うと、何でもできるような気がしてくるから不思議だ。


 ノヴァは傷の手当の間にいくつかの簡単な強化術を教えてくれた。正直、リードは身につけられた気はしなかった。発動の効果はまるで感じなかったし、教わったやり方はほとんどまじないに等しいものに思えたのだ。ただ、不思議に心が落ち着いた。


 やらなければいけないことが見えてきた。


「ありがとう、ノヴァ」彼は立ち上がる。


「あら、これからどこかへ行くの?」

「ちょっと人探しに行ってくる」


 彼はいつもの職場に向かった。相変わらず部屋の中はがらんとしていて人が出入りした形跡はなかった。昨日、書きかけていた書類がそのまま机の上に広げられていた。


 彼はその書類を押しのけて、無造作に積んである書類の山から目当ての書類を引っ張り出そうとした。


 その書類は、ここに来た時唯一渡されたものだった。


「なに?」

 ついてきたノヴァが覗き込む。


「名簿だよ。僕の部下たちの名前が書いてある書類だ」

 彼は名簿をたどる。渡された時はそれでも一生懸命部下たちの名前を覚えようとしたものだ。


「あら、こんなに配下の人がいたの?」

 誰もいない部屋の中をノヴァは見渡す。


「ああ、給料泥棒がこんなにもいるんだ」


 どこかで見た顔だと思った。


 彼は名簿の名前を確かめる。ニコラ、職業は、傭兵、住所は……。


 あいつは、昨日襲ったのが名目上の上司であると認識していただろうか? 外套をかぶっていたし、あたりは薄暗かった。たぶん、向こうはこちらに気が付いていないだろう。気が付いていないと思いたい。

 名簿を丸めてポケットに入れると、彼は男の住所と書いてあった場所に向かう。


 偽名で、住所も偽物の可能性もあるが、たぶんそこまで嘘をつく必要はないだろうとリードはふんだ。相手もただの人数合わせの職だとはわかっていたに違いないからだ。


「この辺りにカードゲームができる店はないかな?」

 客を装って周りの者に聞いた。ぶっきらぼうに教えられた店にまっすぐ向かう。


 今日は運が付いていた。店に入るとすぐに奥のテーブルに座っている男を見つける。


「あれが、昨日アンナを襲った男なのね」

「そうだ」


 リードたちは店の隅から男を見張る。男は知り合いらしき男たちと時折笑い声をあげながら卑猥な話をしているようだった。一緒に話している男たちの中には怪我をしているものが目立つ。あの乱闘の中にいた男たちだろうか? はっきりと顔を確認できたのは、あの男だけだった。


「おい。おまえ、交代の時間だろう」

 そこへもう一人派手に包帯を巻いた男が現れた。機嫌が悪そうだ。


「おお、悪い、悪い」

 男と話していたいかにもガラの悪い男がへらへらとした笑いを浮かべて立ち上がる。


 リードは目でノヴァに合図をした。ノヴァはうなずく。

 男が店を出てから、ゆっくりとリードたちは男の後をつけた。


 彼らには、ジムのような尾行を監視するスキルはないはずだ。それでも、念を入れて距離を開けて男を追う。


「もう少し近づきましょう」ノヴァが歩く速度を速めた。

「気が付かれてしまうよ」


「大丈夫」

 ノヴァは小さな声で聖句を唱える。

「隠ぺいの呪を作動させたわ。これで相手の感知をかわせるはず」


 男はこちらに気が付いている様子はなく、まっすぐに昨日訪れた地区に足を踏み入れた。

 リードたちが最初に発見された場所を通り過ぎ、さらに、先へと急ぐ。

 男は、焦ることなく川沿いの塀に沿って歩き続けた。そして、ひょいとその先にあるくぐり戸をくぐる。


「こっち」

 ノヴァが手を引いて横道に入った。道端に積んである木箱を上り、雨除けのひさしから見も知らぬ他人の家へと入り込む。


「え……それはちょっと……」

「見失ってもいいの?」

 リードは黙って不法侵入の罪を犯すことにした。


 幸いにもそこは住居ではなく、店の倉庫のようだった。埃っぽい部屋の中には人の気配はない。リードはおっかなびっくりノヴァの後をついて光のさす窓から外をのぞく。そこから先は中庭のようになっていた。先ほどの男が中でほかの男と何か話している。


 よかった。屋根伝いにどこかへ行けと言われたらどうしようかと思っていた。


 中には荷馬車や何が入っているかわからない大きな箱がいくつも置かれていた。中央に井戸があり、そこから使用人らしき男が水を汲んでいる。男は先にある建物の扉を開けて中に入った。


「行きましょう」

 ノヴァがリードに声をかける。


「行くって、あの建物にか?」

 下に人がいるんだが、といいかけるリードを置いてノヴァはさっさと隣の部屋に移った。そこも倉庫のようだった。明らかに最近使われていないものが積んである。部屋の隅に梯子がかけてあり、下の階に降りられるようになっていた。


 ノヴァはそこから下をうかがうとさっさと梯子を下りようとする。


「ノヴァ!」

 リードが抗議の声をあげた。


「大丈夫よ。堂々としていたら、かえって目立たないから」


 そういうものなのだろうか。すてるすげーむ……吉川だったころの知識が頭の中を回っている。まさか、敵が来たら後ろに回って暗殺とかするのだろうか。


「なぜ変な歩き方をしているの?」

 ノヴァにあきれられた。


 その先もとても静かだった。人の声はしない。どうやらここは倉庫の棟になっているらしい。


「ねぇ、なんだか変な音が聞こえない?」

 ノヴァにささやかれて、リードは耳を澄ました。


「いや、なにも、ああ、かすかだけれどなんだろう、この音は」

 まるでキカイが動いているようだ。吉川の記憶にあるもーたーの音によく似ている。


 どこから聞こえてくるのだろう。リードは耳を床に押し当てた。


「地下だ」


 間違いない。どこか懐かしい機械の振動に胸騒ぎを覚える。いままでここでこのような音は聞いたことがなかった。このふぁんたじー世界にはあるはずもない近代的な機械の重低音を肌で感じる。


「地下に降りる道を探して。どこかにあるはず」

 ノヴァの顔が引き締まった。


 二人は床のわらをかき分けて地下への道を探した。拍子抜けするくらい簡単に地下への道は見つかった。隠されてもいなかった。

壁の扉を開けると、その先には金属でできたらせん状の階段があった。まるでヒジョウカイダンみたいだ。


「こんなところに階段があるなんて……」

 ノヴァが首をかしげる。

「変なつくりの建物ね」


 変なつくりなのではない。これは、あちらの世界から持ってきたような建築物だった。吉川にはなじみのあるつくりの建物だ。


 重い足で、コンクリート製の壁と手すりと伝ってリードは下へ降りた。ノヴァは何事もないように歩いて降りる。


 これをおかしいとは思わないのだろうか。


 ここは狂っている。足元で響く鈍い金属音を聞きながらリードは確信していた。ここは変なんてもんじゃない。この建築物は本来ここにないものだ。


 この建物は、異質だった。リードたちと同じように。


 地下の工場は無人だった。ノヴァが扉を開けると同時に自動で灯りが付いた。リードはどきりとして足を止めた。まさに現代の工場だ。リードは周りを見回した。


 何かを作る機械が整然と並び、その機械をつなぐベルトコンベヤーは止まっていた。ただどこかの機械はまだ生きているらしく、そこから低い振動が響いてくる。

 明らかに自動化された工場だった。


 ベルトコンベアーのそばには工場に不釣り合いな木箱がおいてあり、空の瓶が放置されていた。小さな薬を入れるような茶色の瓶だった。


「それ、嗅がないで」

 リードが鼻を近づけようとするとノヴァが鋭い警告を発する。

 かすかな独特の甘い香りが瓶には残っていた。花の香だろうか? 嗅いだことのある香りに胸が騒ぐ。


「間違いないわ。これ、夜来香よ」


 ここが麻薬の精製工場なのか。工場という名にふさわしい作りだとおもった。吉川にはなじみのある、異界から切り取られてきたような場所だった。瞬くことのない冷たい電灯に照らされた、魔王城よりも禍々しい部屋だった。


「調べてみましょう」


 いわれる前からすでにリードは部屋を調べ始めていた。埃は積もっていない。最近まで、ゴミ箱代わりに使っていたと思われる木の樽の中には中身のない見慣れた袋がたくさん入れられていた。


「なんで、こんなところに……」


 それは、ポーションの袋や容器だった。袋の中には初期の液体型から後期の錠剤、さっと使えるスプレー式のものまで、雑多な種類の袋が捨てられていた。一番多かったのは最後のころによく使っていたジェル状のポーションだ。傷に塗ってもよし、飲んでもよしで重宝した。


 ノヴァがそばにやってきて、袋の匂いを嗅いだ。


「これも、夜来香ね。精製する前の生に近い……こちらはにおいと味を消してある」


「夜来香? ポーションじゃないのか?」


「ぽーしょん? 薬のこと? 違うわ。これは……ああ、でもそういう使い方もできるわね」

 ノヴァは、薬の包装紙を樽に再び戻した。

「リード、ここは夜来香を作っていた場所だわ。コリンさんはここのことを調べていたのね」


「そして、その材料が、この薬……なのか?」


 リードはあたりを見回した。かなり使い込まれた様子の機械をなでる。いったいどれだけの量の夜来香がここで作られたのだろう。どれだけのポーションが必要とされたのか。


 あれは特殊な薬だった。あの商人からしか入手できなかった。


 彼はゴミになっているポーションの容器と、機械の終点を見比べた。


 ポーションを知らないか? そう聞かれた。まさか。

 まさか……


 その時、ノヴァがリードの腕をつかんでささやいた。

「誰か来る。逃げましょう」

 リードは空の容器をつかんだ。


「急いで」

 ノヴァは来たあの階段へと向かう。


「なんだ? 明かりがついているぞ」

「変だな? だれかここに入ったのか? 調べろ」

 ノヴァが何かを唱えると、空気が揺れたような気がした。彼女は指で上をさす。リードも極力静かに階段を上った。不思議なことに足音は消えていた。先ほどの彼女の呪文のおかげだろうか。


 上の倉庫はやはりがらんとしていた。


「誰かがいるぞ」

 階下で聞き覚えのある声がした。

「侵入者だ。追え」

 リードは思わず足を止めた。


「だめよ、いくわよ」

 階下から鋭い呼子が響いた。

 もう足音を殺す気はなかった。そのまま、入った窓から外へ、そして、ノヴァの後を追って屋根の上を走る。


「こっちだ」

 ふいに誰かが物陰から姿を現した。

「ついてこい」

「誰?」ノヴァが身構える。


 鋭い目をした男がリードを見てうなずいて見せた。

「あ、君は」

 昨日の宿で見かけた目の鋭い男だった。






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