16 喧嘩
評議会軍の本部はまだたくさんの人が出入りしていた。多くの人たちが行ったり来たりしていたので、よそ者のリードが入り込んでも誰も気に留めていないように見えた。
リードが兄の居場所を聞くと、見回りの兵士はあっさりと教えてくれた。
兄のいる部屋は酒場と化していた。
兵士たちが集い、カードを広げてゲームを楽しんでいた。
「ヴィオラ隊長? おーい、隊長さん、弟分が来たぞ」
軽く酔っ払った兵士が奥でゲームをしていた兄を呼んだ。
クロードはリードを見ると驚いて立ち上がった。
「おい、リード。どうしたんだ。こんなところに来て」
「兄上、話がある」
リードは外で話したいと合図をした。
「え? 本物の弟? こいつが、噂の弟君かい」
兄の相手をしていた男が大げさに目を見張って、けたたましい笑い声をあげた。
クロードはカードを見直して、札を伏せて机に置いた。
「おい、俺が戻ってくるまで見るんじゃないぞ」
「はいはい、了解でーす」
「いってらっしゃーい」
卓を囲んでいる男たちがひらひらと手を振ってクロードを送り出す。
「なぁ、リード。どうしてここに来たんだ」
ゲームの邪魔をされて明らかに不機嫌そうなクロードは部屋の外に出ると文句を言う。
「兄上、込み入った話がある。どこか人がいないところで話したい」
肩をこするようにしてすれ違った兵士を用心深く振り返りながら、リードがそういうと、クロードはリードを兵舎の平屋根の上に連れて行った。
「ここなら、誰も来ないだろう」
リードはぐるりと周りを見渡した。下のほうで灯りをもって持ち場を守っているらしい兵士の姿が見えた。周りにはあまり高い建物はなく、遠くまで街の明かりがよく見えた。
「で、なんのようだ、リード」
クロードが不機嫌そうに灯りを揺らす。
「“ゴールドバーグの遺産”とは何ですか?」
リードはきいた。
クロードの灯りの揺れが止まった。
「おまえ、コリンを見つけたんだな」
「“遺産”とは何のことですか?」
「コリンは、あの野郎はどこにいるんだ?」
「兄上!」
詰め寄る兄にリードは距離をとる。
「お前は、あの男を見つけたのか?」
「その前に、兄上はコリンをどうするおつもりですか?」
「どうするって、なんでそんなことをお前が気にするんだ?」
「コリンを見つけたら、彼に何をするつもりなんですか?」
「お前の知ったことじゃぁないだろう」
クロードは体をゆすった。
「あいつは俺の部下だ。俺が処理をする」
「兄上は、コリンが“ゴールドバーグの遺産”を調査していることを知っていて隠しましたね。それが、最大の手がかりになるかもしれないのに」
「大したことじゃぁないと思ったんだ。“ゴールドバーグの遺産”なんて言う与太話をだれが信じるもんか。お前だって、そんなものがあるとは思っていないだろう」
「でも、評議会軍はそれを探し回っていますよね。違いますか?」
「一部の連中はそういう噂を信じているけれどな。だが、そんなものがあるならとっくの昔に誰かが見つけている」
「それじゃぁ、なぜ、そんなにコリンを探し回っているんです? 与太話ならば、それほど必死になるわけはないですよね。ひょっとして、探しているのは別の“遺産”のことではないですか?」
「リード、おまえ、どこまで調べた?」
クロードの口調が変わった。
「兄上こそ、まさか、家名に傷をつけるような行為に加担しているわけじゃぁないですよね」
クロードが顔をしかめた。
背筋がひやりとした。幼い時のように殴られるかと思った。とっさに目をつぶる。
クロードの太い手が伸びてリードの服をつかんだ。
「生意気いうんじゃない、チビ。お前はいつもいつもそんなに反抗的な目で俺をみる」
襟首を絞められて、リードは兄の手をつかんだ。
「お前は、言う通りに動いていればいいんだよ。何が家名だ。そんなものがなんになる」
揺さぶられた。
怖い。幼いころの記憶がよみがえってきた。リードは手に力を込めた。その力に驚いたのかクロードの手が緩む。
突然突き飛ばされてリードはしりもちをついた。
「お前だって、同じように成り上がろうとしているくせに。俺より年下のくせに、こっちの気も知らずに、俺のことをそうやって非難してバカにする」
記憶の中にある、怒ったときのクロードがそこにいた。
足が飛んできた。なすすべもなく蹴られていた幼い時の記憶がよぎる。
でも、今は、リードも大きくなっている。リードは蹴りを止めると、逆に足をつかんで兄を引きずり倒した。
「馬鹿にしているのはそっちだろう。いつまでも子供の時のように殴られて……」
殴られた。久しぶりに味わうこぶしの痛みに、だが、リードは怒りを掻き立てる。
たいしたことはない。もう、背もリードが追い越している。こんな酔っ払いの拳なんて、たいしたことはない。
「お前だって、しょせん部屋飯食い、じゃないか」
繰り出すこぶしの下から、クロードはうなる。
「たまたま、運よく王子に、引き立てられただけだろう」
リードは自分が兄のこぶしをかわせるようになっていることに気が付いた。いつから兄と交渉がなくなっていたのだろう。
酔っぱらって威力のない拳を防御して、殴り返すと意外にもきれいに決まった。
「兄上だって、評議会軍に入ってるじゃないか」
うまく取り入っているのはどっちだよ。リードは思う。
彼には選択肢はなかった。リード・ヴィエラというキャラクターである限り、彼には第二王子とともに戦う以外の道はなかった。それがゲームの既定路線だといわれていたから。
「兄上こそ、選んで入ったんだろう」
「俺が、選んだ? 馬鹿を言うな。俺のような次男坊にどんな道が残されているというんだ。兄貴の下で、小さくなって働けというのか。好きでもない騎士のまねごとしかさせられなくて、それしかできなくなっている。お前に、俺のことが分かるのかよ。自分で、小金を稼いで何が悪い」
酔ったクロードはたちが悪かった。
勢いだけでリードに殴りかかってくる。でも、その鬱屈した怒りは本物だった。
悪いことに、兄の感情はリードにも伝染しかけていた。
「だからといって、不名誉な行為に手を染めるというのか、あんたは」
「俺は、兵士を指揮しているだけだ。お前こそなんだ? 評議会などという訳の分からない奴らとつるむなんて、お前のほうこそ家名を汚しているだろう。そうでもなけりゃぁ、血のつながらない平民連中なんかとつるむわけはない」
仲間を侮辱されたリードはかっとした。
「彼らは僕の友達なんだ! 大事な“仲間”なんだよ」
そうだ。大事な”仲間”なんだ。くだらない乙女ゲームの物語の中でリードを支えてくれた大切な仲間たちだ。彼らのことを想って、リードは拳を固める。
「大切な仲間なんだよ」
クロードの口元が下がった。その表情を彼は知っている。かわいそうな、弱いものを憐れむときの表情だ。
リードはクロードを殴り飛ばした。床に倒れた兄が口元をぬぐうと血が付いた。
「チビ、お前は本当に馬鹿だな」
兄が血の混じったつばを吐く。
「そんなふうに思っているのはお前だけなのに」
頭の中で熱いものがはじけた。無我夢中だった。
そこから先は記憶が飛んでいた。気が付くと羽交い絞めにされて、兄から引き離されていた。がやがやと騒ぐ兄の部下たちに囲まれていた。
「もういい」
兄が鬼のような形相で周りをにらんでいた。
「もういいから、放してやれ」
クロードはよろよろと立ち上がって、垂れてくる血をぬぐった。
リードを拘束していた腕が離れて、よろめいた。鉄の味が口の中に広がる。
「何事ですか? 隊長」
クロードの部下が駆けつけてきているようだ。
「なんでもない。ただの、喧嘩だ。兄弟げんかだから、気にするな」
クロードは部下を下がらせようと手を振った。
「酒に戻るぞ、おい」
クロードは部下の手を借りて屋根から降りて行った。
あとにはリードだけが取り残された。




