15 疑惑
リードは再び酒場らしくない酒屋の場に来ていた。
ここに来るには覚悟が行った。前に、拒絶された時の苦い思いがよみがえってくる。
あの時は、なぜこの店を訪れたのだろう、そんなことを思ったのだった。
だが、リードは気持ちを無理矢理かきたてた。
“遺産”について話を聞くのなら彼らに聞くしかないだろう。
おびえるアンヌを兄のいる療養所に送り届けて、リードは考えた。
アンヌを襲ったのは誰だろう。
今残されている手掛かりは、アンヌの兄のコリンと“ゴールドバーグの遺産”という言葉くらいだった。療養中のコリンは論外として、“ゴールドバーグの遺産”というのは何のことなのだろう。リードも随分調べていたが、噂話以上の情報を手に入れることはできなかった。
これ以上はゴールドバーグ家ゆかりの人たちでないとわからないだろう。そう思って、あきらめていた。
でも。聞かなければいけない。あの男たちは、アンヌをつけ狙う。彼女を守るためには、情報が必要だ。
そして、ゴールドバーグ公をよく知っていた人たち、おそらくは彼の腹心の部下だったと思われる人たちがここにいる。
この前来た時とは違って、もう日が落ちていた。この町は先ほどまでいた街とは違って灯りがともされて明るかった。
入り口を開けると店はすでに混んでいた。前と変わらず、老婆が一人鍋の番をしており、見たことのある女中が給仕をしていた。
彼は奥の席に座って、目で亭主を探した。お世辞にもかわいいとはいえない女中がやってきたので、リードは酒とつまみを頼んだ。その女中はほかの男たちに容姿をからかわれながらも、明るく笑っている。
今日、あの男はいないのだろうか。リードは亭主の姿を探す。
「何の用だ」
その時亭主がゆっくりと奥から現れてリードの前の席に座った。目立たないどこにでもいそうな容姿だが、目の奥に宿る光は忘れられない。
「もう話すことはないといったはずだが」
「“遺産”についての話が聞きたいんだ」
リードは単刀直入に切り出した。
目の前の男は椅子を引いて立とうとした。
「待ってくれ。話を聞いてくれ」
リードは必死で引き留めた。
「この前は本当に“遺産”のことは知らなかったんだ。だけど、ここのところ、立て続けに“ゴールドバーグの遺産”の話が出て、それで、それを探していた男が廃人になって発見された。そのあと、その妹が襲われて……」
「治安維持はお前ら評議会の仕事だろうが。俺たちとは関係ない」
「違うんだ。聞いてくれ。評議会の動きがおかしい。彼らに話を聞くことはできない。わかるだろう」
「評議会がおかしいのは前からだろう」
それでも、リードの真剣さを組んだのだろうか。亭主は斜め後ろに座っていた男に目配せをした。目つきの鋭い男がゆっくりとうなずき返す。
「いいだろう。奥の部屋にこいよ」
リードが通されたのはこの前の小部屋だった。酒場のほうからすんだ歌声が聞こえてきた。素晴らしい美声だ。
「話してみろ。最初から順序だてて」
リードは話した。変な気分だった。“仲間”ではない、敵かもしれない人間にこんな打ち明け話をするなんて。最近ではジムにすらこんな話はしていなかった。
一通りのことを話した後、いくつかの質問を男はしてきた。
「その女の子を最初に襲った連中と、通りで襲ってきた連中は同じ奴らか?」
「わからない。最初の奴らは彼女を殺す気はないようだった。だが、今日の連中は本気で僕たちを消すつもりだった」
そう、“鴉”がいなかったら、無事に逃げ延びられたかどうかはわからなかった。彼女のことを考えるとリードの頭はますます混乱しそうだ。リードは無理やりそのことを頭から追い出した。
頭を抱えたリードを見て、男はゆっくりと腕組みをといた。
「まず、最初にいっておく。“ゴールドバーグの遺産”なるものはない。それが、金品財宝をさしているのならな。ゴールドバーグ家は貧しかったんだよ」
意外な告白にリードは驚いた。ゴールドバーグ家は贅沢三昧、放蕩の限りを尽くしていたのではなかったのか。学園にいる間も、金で敷石を作ったとか、毎日贅沢な夜会を開いているとかそんな話が持ちきりだった。この物語はそれに反発した平民たちが立ち上がったというシナリオではだったはずだ。
「豚嫁がいろいろな工作に資金を湯水のように使っていてな。向こう流の言葉でいうなら赤字の垂れ流し、自己破産寸前だった。お前らの知る金満豚公爵ウィリアムは極貧生活をしていた。まぁ、貴族基準でいけばの話だがね。あいつが太っていたのは、病気が原因だったんだ。それとシナリオの都合だな」
シナリオの都合。さらりと口にした単語は、目の前にいる亭主も“転生者”だという証明のようなものだった。
「豚邸には何も残されていなかっただろう。あれはウィリアムの遺志で俺たちが金に換えられるものは全部金に換えたからだ。
あんたが推測しているように、それで俺たちは今の生活を買った。いろいろなところに手を回して、豚邸で俺たちが働いていたという痕跡をすべて消した。今、俺たちがこうして生きていられるのもあいつのおかげだといっていい」
男が身じろぎをすると椅子がぎしりときしんだ。
「あまりにもきれいに始末をしたので、かえって下々の者にどこかに遺産が隠されているのではないかという憶測を呼ぶことになったみたいだけどな。まぁ、“遺産”や“埋蔵金”なんてそんなもんだろう」
「彼らのいう“遺産”は金ではないようだった。もっと別の何かだ」
「だろうな。いまさらそんな噂で物騒なことをする奴はいない」
亭主はふうと息をした。
「もう一つ、可能性があるとすれば、それは豚嫁の資産だ。先ほども話したように豚嫁はゴールドバーグの財産のほとんどを母国の活動資金にしたり、それこそぜいたくな暮らしをするのに使っていた。だけど、そちらも底をつきかけていた」
「豚公爵の別邸にもあまり金目のものがなかったと聞いている」
「豚嫁の住んでいた別邸に金目のものがなかったとしたら、それは豚嫁の館で働いていた奴らが盗っていったんだろう」亭主はあざ笑うように言った。「あいつら、最後に跡も見ずに逃げていったからな。本当に糞どもだ」
男は床に唾を吐いた。
「あんなくずどもの話はいい。それよりも、ここからが本題だ。それで、あんたはゴールドバーグがどうやって収入を得ていたか知ってるよな」
「貴族としての? 領地からの作物収入や、商売だろ?」
「違う、違う。普通の領地経営の話ではなく、この物語の中でのゴールドバーグの資金源だよ。お前、シナリオを知ってるんだろう」
「ゴールドバーグの資金源は……」
リードは思い出した。シナリオ上のゴールドバーグの資金源は麻薬だ。
「まさか。君たちが麻薬を本当に流通させていたのか?」
「俺たちではなく、豚嫁は、な。薬物をシナリオの神様が作った舞台でせっせと生産していた。あんたたちはそこに踏み込む予定だったんだろう?」
「そうだ、だけど……」
確かにシナリオ上では、聖女のパーティーがゴールドバーグの資金源である麻薬の工場を壊す予定だった。だが、実際には発覚を恐れたゴールドバーグ家が麻薬を始末して、だから、結局そのイベントは途中で消えた。豚の手下が妨害したのだ。
リードたちは実際にその工場を見ることはなく……
「麻薬工場が壊れていなかった?」
「それはない。ここでは、この世界では、トールたちがすべての工場と畑を始末した。俺は直接その場に行ってはいないが、そう聞いている」
「でも、今でも実際に麻薬は出回っている。質の悪い媚薬まがいの麻薬だ。下町では麻薬が蔓延していると聞いた。誰かが、まだ作っているはずだ。その誰かがまだ麻薬を持っているとしたら……」
リードは男の顔色をうかがう。
「豚嫁の関係者の誰かがまだ麻薬を作っているのかもしれないな。あるいはそれを引き継いだ誰かが」
それが、“ゴールドバーグの遺産”なのかもしれない。
「それで、君たちはその関係者を知らないのか?」
亭主は肩をすくめた。
「俺たちは、どうも、ゲームの神様のご機嫌を損ねてしまったらしい。そちら関係の調査に限って何も情報がないんだ。得られないといったほうがいいかな。むしろ、覚えのめでたいあんたたちのほうがそういう情報は手に入れやすいと思うぞ」
現に、あんたは“遺産”のことを知ることができたんだろう。そう皮肉っぽく男は結ぶ。
わからないことだらけだった。
アンヌの兄は、“遺産”が夜来香であることを知っていたのだろうか?
それなら、その害について知っていたはずだ。それなのに、なぜあのような中毒になった?
……兄さんが麻薬なんてやるわけがない……強く否定していたアンヌの顔が浮かぶ。
コリンが調査していることをしった誰かが始末しようとしたのか。薬を盛った?
ありえないことではない。
「夜来香はどんなものなんだ? どうやって使うのだろう」リードは尋ねた。
「香の名の通り、普通は香としてたく。媚薬として使うのにはそれが一般的な使い方だ。でも飲み物に入れて飲むこともできる。直接体内に入れるから、効果が強くなるらしい」
酒に入れられたのか? そういう仕掛けができる間柄だったということか。リードは爪を噛む。
量を間違えたりすると、向こう側に魂を持っていかれてしまうのよ。ノヴァはそう言っていた。
ノヴァ、なぜ、彼女は……。
リードは彼女のことを懸命に頭から消そうとする。今は彼女のことを考えている場合ではない。
今はダメだ。
リードはもう一度今日の出来事を思い出す。ジムが来て、彼を見送って、アンヌの後をつけて。
そして、アンヌが襲われた。
「そんなことはありえない」
リードは思わず口に出してしまった。暗い疑惑はじわじわと心の中に広がっていく。そんな、バカなことは、ありえない。
そもそも、そうだ。コリンを探してくれと頼んだのは兄だ。兄は評議会側で、コリンが現れてこないことを心配して……いや、本当に心配していたのか?
能天気なクロードの顔が頭に浮かぶ。さすがに、クロードはそんなことはしていないはずだ。
でも、彼もまたコリンのことを知っていた。
兄は、どういう立ち位置なのだろう。
周りのすべてが疑わしいものになっている。
もう堂々巡りを考えるのは耐えられなかった。何かをしないといけないと、心が叫んでいる。
リードは心を決めた。
「ありがとう。参考になった」
彼は席を立った。
「もう、いいのか?」
「ああ。もう行かないと。確かめることがある」
「リード・ヴィオラ、気をつけろよ。お前が何をしようとしているにせよ、薬がらみは闇が深いぞ」
亭主が警告した。




