12 兄
今日も寒い一日だった。リードは足早に自分の部屋に向かった。冬の一連の行事が終わり、人々は日常を取り戻す時期だった。本来なら、華やかな社交の時期のはずだが、リードには一切のお誘いは来なかった。冬の寒さは身にも心にもこたえる。
最近のリードはいったい自分が何をしているのかわからなくなっていた。
探偵なる職業はこの世界にはないものだが、彼がやっているのはそれに似たことになっている。要するに何でも屋だ。
物を探したり、人を探したり、殺人事件を調査したり、仲裁をしたり。今日も最近親しくしている元神殿騎士の依頼でなくなった祭具を探しに行く羽目になった。
もう、評議会にはほとんど顔を出していない。
他の悩み事はクロード兄のことだった。コリンの件から関わり合いを持つようになった兄だが、最近は頻繁に現れる。お前のことが心配だからと理由をつけてやってくるのだが、迷惑だった。
小さい時にも同じことを言われていたのを思い出すのだ。
心配だ、気になる、守ってやる、といいながらいつも理不尽なことをいわれて殴られていた。しまいには兄の姿を見ると、身を隠すようになった。そんな記憶が兄との間に壁を作っている。
今は兄もさすがに手を出すことはないが、酒場巡りに付き合わされるのは勘弁してほしい。クロードと飲みに行くと必ず二日酔いに悩まされるのだ。
今日も宿舎に帰るとまたクロード兄が勝手に部屋に入り込んでいた。
「遅いぞ、お前」
今夜の兄はすでに酒浸りだった。
リードのお気に入りの椅子に腰を下ろし、買っておいてあった酒を開けている。
「何ですか? 今回は」
彼はあえてクロードを無視するように外套を脱いで、くぎに掛けた。
「何ですかって、かわいい弟の様子を見に来たんだ。悪いか」
「許可も取らずに人の部屋に入るのはやめてください。」
どうせ、酔いに任せて転がり込んだんだろう。すでに出来上がりつつある兄には嫌悪しか感じない。
「いいじゃないか。ここのところ忙しいんだ。お前は暇なんだろう」
クロードはリードの机の上に泥のついたままのブーツをどっかりと載せている。リードが嫌がるとわかっていてやっているのだ。リードはいらいらと机の上に広げてあった書類を足の下から引き抜いた。
「まだ、書類仕事なんかやってるのか? やめとけ。お前の報告書なんか誰も読んじゃぁいない」
読ませるつもりで書いていなかった。ただ、日々積み重ねてきた週間で何か書き残しておかないと気になるのだ。
「それで、今は何をしているんですか? また女がらみですか? それとも、くだらない喧嘩ごとですか?」
皮肉たっぷりの言い方にクロードは酔いの回った目でリードをにらんだ。昔だったらそれだけで怖がっていたリードだが、今は通用しない。いつまでも子供ではないのだ。
「人が必死になって働いているのに、なんて言い方だ」
昔のやり方が通用しないとわかったクロードはぶつぶつ文句を言う。
「お前は昔から生意気で反抗的だったよな。くそ、かわいげがない」
「どうでもいいですけれど、ここは僕の部屋です」
リードは冷たく言う。
「いったい何の御用ですか?」
「おまえ、評議会で物を買う係だったよな」
ふいにまともなことを聞かれてリードは戸惑う。
「ええ、そうでしたけれど。……酒を安く購入させろとかいう話はなしですよ。直接買っているのは部下で、僕はただそれを監視する役目だったので」
本当は、つてのある商人に頼むことはできたが、クロードのために人を動かす気にはなれない。
「おまえ、ぽーしょんをもっていないか?」
ぽーしょん?
瞬間それがポーションであることが分からなかった。あれは特殊なアイテムで、リードたち攻略組が使っていたゲーム内アイテムだ。ゲーム内のアイテムだから暗黙の了解として“仲間”内で使うことになっていたはずだ。今思うと、とても奇妙な不文律だった。
「あれは、特殊な商品で、一般には出回っていませんよ。残っているものは全部評議会が管理しているはずです」
本当は、自分用にいくつかとってあるのだがどこへやっただろうか? 実家のどこかに投げてあったような気がする。
「なんで、そんなことを聞くんです?」
「いや、お前なら知っているかと思ってな」
兄は酒を水のように飲みほした。
「そういえば、俺の部下のコリンは見つかっていないんだな」
久しぶりにコリンの名前を聞いた。クロードの頭の中からコリンのことはすっかり抜け落ちていると思っていたのに。リードはごまかす。
「行方知れずの人を見つける力は持っていませんよ」
兄は、ちっ、使えない奴、と舌打ちをした。
「お前だって、いつまでもこんなところでくすぶっているつもりはないんだろうが、少しは働け」
「誰がくすぶっているんですか、誰が」
リードは急に酔っ払いの相手をしていることがむなしくなってきた。服を着替えて、さっさと寝床に入る。寝酒にしようと思っていた酒は全部飲まれていた。
眠れないかと思っていたが、意外にも睡魔はすぐに訪れた。
「お前だって……窮屈な、貴族なんて、……それともなんだ? 兄貴のほうにつくつもりなのか?」
クロードは独り言のようにぶつぶつと何かをつぶやいていた。
明け方にリードは寒さで身震いしながら目を覚ました。この部屋でこんなふうに目を覚ますことはなかったはずだ。彼は、布団を手繰り寄せようとして、布団が何者かにしっかりとつかまれていて動かないことに気が付いた。
クロード兄上?
リードは跳ね起きた。小さいころの悪夢がよみがえってくる。
よかった。ここはリードの間借りしている部屋で、ヴィオラの屋敷ではなかった。
リードはまだ燃え残っている炉の火を頼りに隣にいる何かを透かし見た。
リードの布団を奪った相手はいびきをかきながら広い寝台の上で布団を独り占めしていた。
なんで、兄上がここに……
幼いころの相部屋での記憶が押し寄せてきた。小さい頃はこうして目が覚めた時にはそっと兄に身を寄せて暖をとったものだ。時々寝ぼけ眼の兄が手を伸ばしてきて抱きしめてくれることもあった。
……ちび、ちゃんと毛布を掛けないと風邪をひくぞ…
冷たいといって突き放されることもあったが、おおむね寝ているときの兄は優しかった。
「兄上、ちょっと」
クロードは布団を巻き込んでいた。少しくらい引っ張ったところで動きはしない。
布団を取り返そうとして失敗したリードはあきらめて時間を確かめた。
外はまだ暗かった。
リードのいる兵舎は夜の灯り以外ついていなかった。唯一、朝の準備をしている調理場にだけ人が動いている気配がする。
『気配感知』……
やはりスキルは働かなかった。わからないということがこんなに怖いことだとは。リードはあたりが明るくなるまでじっと闇を見つめていた。




