近くて遠い
入学式から1週間。オリエンテーションも一段落ついて、通常の授業が開始されてくる頃合い。ロックウェル魔法学園は、その名が表す通りに魔法に関する授業も多かったが、半分以上は数学歴史教養その他諸々の授業だ。もう何十年も前の学生生活を思い出して懐かしさに胸をほっこりとさせながら、それらの授業を特に目立つこともなく受けて、いや、平民出身がSクラスの授業についていけているだけでも十分に目立つことなんだけれども、……先生に指名されても間違えることなく答え、ただしでしゃばりすぎることはせず、平穏な学園生活を送っていた。
SクラスやAクラスではそうでもないけれど、Bクラス以下のクラスではSクラスにすごい平民出身の女の子がいるらしいと、そこそこの噂になってはいるらしい。高嶺の花ルートの走り出しは、今のところ順調、だと思う。
そんな平和を乱すようなお声掛けが、第二王子殿下の婚約者様、セシリア様から発せられる。
「はあ、ダンジョン」
「ええ、ぜひシェリー様もご一緒なさらない?」
ダンジョンは入学後1週間で新入生に解禁されるのだけれど、これがまた曲者で、なんと4人以上8人以下のパーティではないと挑戦できないらしい。オリエンテーションでそれを聞いた時の私の絶望感は、うん、皆様のご想像にお任せしよう。
そんな感じで半ば諦めていたダンジョン攻略だけれど、思わぬところからお声が掛かってきたものだと、私の返答を目をキラキラさせながら待っているセシリア様を眺める。メンバーも大体想像はつくけれど、念のため尋ねることにした。
「あの、他のメンバーについてお伺いしても?」
「ええ。ウィル様……ウィルフレッド殿下と、パトリック・ミルフォード様──ええと、ウィル様の近衛騎士候補、現騎士団長の息子様ですわね。そして私、セシリア・ローゼンバーグ。以上、3名ですわ」
セシリア様の言葉に、なるほどと頷く。
魔法学園の生徒にダンジョンが解放されているのは、彼らの将来を見据えてのものだ。ダンジョンは国で管理を行っているのだけれど、実態としてはダンジョンが存在する土地の領主がその役割を担っている。魔法学園には将来領地を持つ貴族の子息が数多く在籍しているから、ダンジョンのなんたるかをしっかりと理解するための場を提供しているのだ。ダンジョンの管理を行う上で、ダンジョン攻略の経験があるのとないのとでは雲泥の差が生じる、ということだ。
ウィルフレッド殿下は第二王子ではあるが、兄が健在の今、殿下の王位継承順位は二位。本人も、王位は兄が継ぐものだと考えている。……となると、おそらく将来は公爵として領地を治めることになるだろう。だから、彼がダンジョンに挑戦するのはおかしいことではない。
そんな彼の護衛を務めるパトリック様は、攻略対象のおひとりだ。そして、トニ様の想い人である。……つまり、パトリック様を攻略しようとなると、トニ様がライバルキャラクターとして登場するわけだ。騎士団長息子でもある彼は、ウィルフレッド殿下の護衛を兼ねてSクラスに在籍しており、殿下の隣の席にいる私とは顔見知り程度の仲である。もちろん、彼を攻略するつもりは毛頭ない。
パトリック様は、魔法よりも剣が得意な前衛型ディフェンダー。ウィルフレッド殿下は剣も魔法も使える万能型アタッカーで、セシリア様は攻撃魔法が得意な後衛型アタッカー。
とくれば、私に求められる役割はもう決まっている。
「回復支援役、ですね」
「ええ」
回復魔法が扱える人は、実はあまり多くはない。このSクラス内でも、実戦レベルでとなると私や例外様を除くと、もう一人ぐらいいるかいないか。そのぐらい貴重な存在だ。
とはいえ、回復魔法が使えなくてもダンジョンには潜れるし、実際にそれで運用しているパーティも多い。けれど、そこに回復魔法の使い手が加われば、潜れる階層数がぐんと上がるのは自明の解というやつだろう。おそらく、そういう理由で回復魔法も使える私に声が掛かった、というわけだ。その中でなぜ私なのか、という部分に関しては疑問が残るけれど。
さておき、初級とはいえダンジョンはダンジョンだ。私ひとりで3人のお守りは、……まあ、出来なくはないけれど。やや不安が残る。公爵令嬢だし。第二王子だし。と、いうわけで。
「私以外にも、2人、お声掛けしてもよろしいでしょうか?」
「……? ええ、かまいませんわ」
被害者を、増やすことにしようと思う。
―◆―
じとり。レベッカ様に睨まれる。心の中で土下座する。聞いてないわよ、とレベッカ様の視線が語る、ごめん言ってないや、視線で返事をした。「……はぁ」レベッカ様が諦めたように溜息をついた。
この二人を誘った理由は単純だ。レベッカ様の魔力もかなりのものだし、何よりもトニ様は数少ない回復魔法の使い手だ。トニ様がみんなの回復をしてくれれば、その分私がフォローに回れる。つまり、より安全にダンジョンを攻略できるのだ。許してほしい。
仕方ないわね、と、レベッカ様が首を横に振った。
そんなことよりも、だ。今の私たち二人のやり取りが可愛く思えるようなブリザードが、今現在進行形で教室を包んでいる。……原因は、トニ様とパトリック様。
放課後、無事にパーティが決まったので顔合わせをしようと教室に集まった私たち。レベッカ様に連れられたトニ様が教室に現れた瞬間、パトリック様がぴしりと固まった。パトリック様は好青年の笑顔を張り付けたままだったけれど、それでも教室内の気温が3度ぐらい下がった気がするのは、おそらく気のせいではない。
「失礼、殿下。……なぜ、彼女が」
「シェリーの紹介だ。回復魔法が扱えると」
「……。確かに、アントニアの回復魔法は目を見張るものがありますが、それでも……」
危険だ、と。口外に伝えられる。
パトリック様は、トニ様が傷付くのを異様なまでに恐れている。……トニ様が、というよりも、家族のような存在が、と言い換えたほうがいいだろうか。それについては彼の過去に関することだから、ここで私が言うのは忍ばれるけれども。
そんなパトリック様に対して、トニ様が前に出る。
ウィルフレッド殿下とセシリア様に軽く会釈をしてから、パトリック様に向き合った。
「……パトリック。あなたは、そこに──危険を承知で、行くのでしょう? だったら、わたしも行きます」
「アントニア!」
「わたしだって!! ……わたしだって、戦えます。確かに攻撃は苦手だけど、それでも怪我をした人を癒せます。わたしも、わたしだって、ちゃんと、お役に、立てます」
なんで判ってくれないのかと、悲しそうに話すトニ様。今にも泣きそうな声ではあったけれども、それでも、瞳から伝わる意志の強さは本物だ。それを否定することはできないと、最後にはパトリック様が折れる形になるだろう。
──彼女は、強いな。
心の底から思う。パトリック様がトニ様に持つ感情は、まさしく身内の……家族に対するそれだ。事実、彼はトニ様を妹のようしか思っていないし、そこに恋愛的な感情はない。近くて、遠い。もどかしさしかない距離。
いっそ捨てたほうが楽なんじゃないか、なんて思ってしまうけれど、きっとトニ様はそれをしない。彼女は彼女のままに、ずっとその想いを大切にするのだろう。──それが、パトリック様が私と結ばれる未来であっても。
だから。私が初恋のときには諦めてしまったそれを、トニ様にはなくしてほしくないと思うから。トニ様には、パトリック様と幸せになってほしいから。
レベッカ様と目を合わせて、頷きあう。
「パトリック様。……トニに近付く脅威は、すべて私が撃ち落としますから」
レベッカ様が、トニ様を抱き寄せながら己の胸を叩く。
「私も回復手です。トニ様だけに負担を強いることはないと約束いたします」
私も、彼女たちの横に並んで一礼を。
少しでも、彼女の後押しをしたいと、その想いは、私もレベッカ様も一緒だった。
少しの沈黙の後、パトリック様が口を開く。
「……もともと、私に何かを言える権利はないのですが」
顔に浮かべた笑顔を柔らかいそれに変えて、トニ様の頭を撫ぜる。
「アントニア。貴女に背中を預けます。……ですが、くれぐれも無理はしないように」
「……うん!」