お師匠様
──美しいと、思った。
最初は、その剣筋に。
幼少時から騎士となるために叩き込まれてきた己のソレとはまるで違う、実戦で鍛えたと言わんばかりの剣。無茶苦茶なはずの剣筋を、力業で強引に、しかして合理的に繋げていく。強敵だったはずの魔物が、いとも容易く倒された。その美しさはまるで、かの冒険者と呼ばれる存在のようだ、と。
とある昔話で語られていた冒険者と呼ばれる存在。それに私は、幼少期から憧れを抱いていた。冒険者は、最初こそ無名であったけれど、人々の願いを叶えていくうちに誰もが知る存在となっていく。最後には、冒険の旅の中で出会った大切な人のために、大きな脅威に立ち向かう英雄となるのだ。それはよくある英雄譚だったけれども、亡くなった母が良く読み聞かせてくれた思い入れ深い御伽噺。
彼女はどこか、その冒険者を彷彿とさせて、それ故か、気が付くと彼女から目が離せなくなっていた。その立ち居振る舞いが極限まで鍛えられた戦士のようで、アントニアに向けて浮かべる笑顔は年相応の野に咲く花のようで。そのアンバランス具合に、なんとも言えない魅力を感じたのだ。
彼女と、視線が、合う。
胸の奥がぎゅっと握られたかのような感覚。思わず目を逸らした。顔に内側からの熱が集まる。変な男だと思われていないだろうか。彼女の顔を、直視する事ができない。
彼女は今、どんなことを考えているのだろう。彼女の好きなものはなんだろう。どんな人と話して、どんな話をすれば、彼女は楽しいと思うのだろうか。
そこまで思い至ったところで、自覚する。
──私は彼女に恋をした、と。
─◆─
週が明けた。ダンジョンでの出来事については、学園長から直々に箝口令が敷かれた。原因が究明されるまでは、ダンジョンへの挑戦も禁止とのことだ。……とても残念だけれど、こればかりは仕方がない。
それ以外に関しては、特に特筆することもなく通常通り授業も実施されている。
パトリック様の様子といえば、たまに視線を感じるぐらいで、必要以上に話しかけてくることもなければあからさまに避けられるようなこともない。好意を持たれているということに関しては間違いではないだろうけれど、あちら側からのアクションと呼べるようなものはない。
殿下の護衛という重大な任務の最中でもある訳だからおかしなところはないけれど、色々と身構えていたから少しだけ安心した。……となると、こちらからは何かを出来ることはない。現状維持で大丈夫だろう。
案ずるより産むが易しとはよく言うけれど、まさにそうだ。……とはいえ、トニ様たちとの会話がなければ今も狼狽えていたと思うから、彼女たちには感謝の念しかない。付き合いは短くても信頼に足る友人達だと思うし、彼女達からもそう思って貰えていたら嬉しいと思う。
さて。そんな私の現状は、というと。
「……なんだ」
目の前にはツンドラ少年。もとい、ラルフ・シルヴェスター公爵子息。私はいま、彼と対峙している。双子の兄とは正反対の夜色の髪。だけれど、その瞳はシルヴェスター公爵家の血筋だと証明する、月のような金色の瞳。しかしその目付きはかなり悪い上、眉間には皺が刻まれている。
入学式があった日。実技試験では私よりも卓越した魔法技術を見せた、今も学年のトップに君臨するラルフ様。私の直感が、彼と関わるとややこしくなると告げていたから近寄らないでおこうと決めていた。
そんな私がなぜ彼と対峙しているかというと、彼らにラルフ様のことを聞いたことがきっかけだ。ダンジョンを攻略しに行ったあの日、彼らは私の戦闘に対して多少驚いたレベルで済ませていた。どう考えても12歳とは掛け離れたそれに、私はバケモノと呼ばれる覚悟すらしていたのに。翌日には、普通に談笑すらしている始末。そのことに違和感を持った私は、彼らに直接聞いてみたのだ。私をパーティに入れようとした理由はなにか、と。
そこで出てきたのが、目の前にいる、ラルフ・シルヴェスター公爵子息の名前。
当初は彼を誘う予定だったそうだ。性格に難はあれど、実力は本物だからと。その彼は当然と言わんばかりにその誘いを断り、代わりに私の名前を挙げたという。
「アレのほうが適任だ」
……と。
いやいやモノ扱いかい、だなんてその時は思ったけれど、今この場所に立って納得した。
その表情からは不機嫌であることぐらいしか読み取れないし、魔力から感じられる感情もない。
彼が纏う魔力量が極端に少ないこともあるけれど、これは隠すことを知っている人の魔力だ。そして、私はこの魔力を嫌という程知っている。
そうだ。……この人は、そういう性格の人だった。
「いや、なんでしょ。──ずいぶんと可愛くなりましたね、師匠」
「お前は、相変わらず馬鹿みたいな魔力をしているな」
「あは、量ばっかり多くなっちゃいました」
懐かしい軽口を交わす。どうして彼がここにいるかは分からないけれど、目の前のこの人は、正真正銘、3歳児の姿で異世界に放り込まれた私を拾って育ててくれたお師匠様だった。
─◆─
ラルフ・シルヴェスター公爵子息は、その身に纏う独特の雰囲気と彼自身の無愛想さで、周囲から一線を引かれていた。それを彼自身は気にも留めていなかったし、彼の前世を知る私もそうだろうなと思う。
とはいえ、彼の容姿は攻略対象でもある双子の兄と瓜二つだ。その身分もあって貴族のご令嬢からは優良株として狙われている。
対する私は、平民出身ということもあって一部には不満を持つものもいるにはいるけれど、基本的に外からの評価は良好だ。乙女ゲームの主人公なだけあって万人受けする愛されフェイスも活用しながら、順調に高嶺の花に登り詰めつつある。
パトリック様の件があってからは意識的に異性を遠ざけるようになって、今は同性の友達と話すことが多い。
そんな無関係を装っていた二人が、──私のほうは無関係だと思っていたのだけれど、そんな二人がそれまでとは打って変わったかのように仲良さげに談笑している。その様子に、クラスメイトが騒めくのを感じる。心なしか、ご令嬢達からの視線が痛い。
ラルフ様──師匠が、顔をしかめる。そんな様子の彼に苦笑を浮かべた。
「師匠ってば、相変わらず人間嫌いなんですか?」
「好きになる理由が見つからんな」
ふん、と顔を背けて窓の外に視線を送る師匠。この人の人間嫌いは筋金入りで、私が転移したときにいた森の中に一人で住んでいたのも、それが理由だった。なんでも、昔に信頼していた人間から酷い裏切りを受けたのだとか、師匠の旧友を自称する元冒険者のおじさんが言っていたのを覚えている。師匠はああ見えて困っている人は見捨てられないお人好しで、だから私を拾って育ててくれたなんてことも教えてくれたなぁと、唐突に思い出した前世の記憶を懐かしむ。
ちなみに、私に剣を教えてくれたのも、旅をすることを勧めてくれたのも、その冒険者さんだ。
「あれ? ラルフが女の子と会話するなんて珍しいね」
「……リアム」
兄がいれば弟がいるし、弟がいるなら兄もいる。当たり前のことだ。私たちの会話の中に、ひょっこりと横から顔をだしたのは、リアム・シルヴェスター公爵子息、師匠の、双子のお兄さん。ご令嬢の視線が強くなる。……痛い。
今までは遠い存在だと思っていたリアム様だけれど、師匠のお兄さんだと思うと少しだけ近く感じる。会釈で応じる私に、笑顔で片手をあげるリアム様。この親しみやすさも人気の秘訣の一つなのか。金髪ではあるけれど、月のような金色の目は師匠と同じなのに、まったく別人にしか見えなかった。
「腐れ縁だ」
「ひどい」
「事実だろう」
「事実ですけど」
ギャンギャンと言い合いを始める私たちに、リアム様が目を見開く。
「……驚いた。本当に、仲が良いんだ」
曰く、師匠がここまで誰かと会話するのを生まれて初めて見たそうだ。なんとこの師匠、肉親に対しても不愛想を貫いてるらしい。師匠が3歳の時に体内の魔力不足で床に伏して数週間。その後、謎の復活を遂げてから、ずっと今の調子らしい。……とはいえ、会話に支障があるわけでもなく、必要に応じて猫をかぶることもできるから、家族も特に気にすることもなく、ただ彼の無事を喜んだのだとか。
(……記憶戻ったの、3歳のときなんですね)
(ああ。死にかけていたのが原因だろう。……お前は?)
(……おんぎゃあって泣いていた時には、もう記憶ありました)
リアム様に聞こえないように魔法で会話をしあう。俗にいう、念話というやつだ。
彼の証言から、師匠が師匠となった時期と原因を察することができた。……魔力不足が原因で死に至る病なら、師匠の知識と技術があればどうとでもなるだろう。現に今も絶賛魔力を吸われている最中だ。魔力量には余裕があるから、構わないけれど。
その時に記憶が戻ったとなると、生まれたときから記憶持ちの私と違って恥ずかしいあれやそれを経験していないということだ。黒歴史を思い出してしまった私が目を逸らす。師匠が肩を震わせているのが見えた。
(だって仕方ないじゃないですか、赤ちゃんって本当に何も出来ないんですもん)
(……いや、心中お察しするさ)
(ニヤけながら言っても説得力ありません!)