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広大な国土を誇るパールマニア帝国。
その国土をほぼ砂漠に囲まれ、点在するオアシスにて農業を営み生計を立てていた。
現在の大国になった要因はガルーダの家畜化の成功により点在するオアシス同士の交流の活性化や、水が貴重である砂漠においてオアシス内で上下水道の整備が進んだ事も挙げられるが、1番の要因は砂漠の地下にあると言われていた鉱石が発見された事であろう。
現在、様々な鉱石が砂漠で発掘されパールマニア帝国の資金源となっている。
〜ガルーダでも解るやさしいパールマニア帝国史〜
「陛下はとても公平な方よ。その内きっと、アイーシャをお召しになるわ。」
セツカは私を励ます様に言う。
私が後宮に入内して1ヶ月。
相変わらずアウロスは来ない。
が、代わりにセツカが毎日果物持参でやってくる。
「この後宮には100人以上の妾妃がいるし、小さな小国の娘なんて忘れてるに決まってわ。セツカは綺麗だから陛下の愛妾になるのも分かるけど、私にはとても無理よ」
「そんな事はないわ。アイーシャは絶対に愛妾になるわ。陛下は私達をとても大切にしてくれているの。見てこの果物。毎日陛下から届けられるのよ。アイーシャも陛下からのお召しがあれば陛下の優しさがすぐ分かるわ」
セツカは綺麗な黄色の金柑を口に含みながら笑う。
本当にアウロスは私を愛妾にするだろうか?
召し上げてもらわないとアウロスを殺す事が出来ない。
今は自信満々のセツカの言葉に縋るしかない。
セツカとは仲良くなれたと思う。
セツカのお陰で他の妾妃達ともそれなりの関係を築けている。
セツカが慕っているアウロスを殺したらきっと私を許さないわね。
掌で転がしている内にどんどん温くなっていく金柑を食べる気にならず、机の上に置いた。
◇◇◇
それは不意に訪れた。
侍女が持ってきてくれた朝食を食べ、読みかけの本を読もうとしていた時に、いつもは無表情の侍女が微かに微笑みを浮かべているのに気がついた。
「本日は陛下がこちらにおいでになります。お出迎えの準備がございますのでこちらへどうぞ。」
浴室のドアを開けて待っている姿を見た時に、穏やかな時間が終わったのを知った。
大丈夫、閨の間はアウロスと2人きりだもの。
あの男が寝てしまったらナイフで刺して、その後私も皆の元に行けばいいのよ。
朝からお風呂にマッサージに脱毛まで。
捻りこねくり回され疲労困憊だ。
匂いの強い香油を肌に塗られて頭痛がする。
この匂い好きじゃないわ。
そうだ、ナイフ。
すぐ出せる所に置いておかないと。
寝室を見渡す。
小さなナイトテーブルとベッド。
これしかない。
ベットは天井から布が掛かっていて、それを下ろせばベットの中は見えない。
「何もなさ過ぎて隠す場所がないのよね。」
布を触ってみる。
薄過ぎて隠し場所には向かない。
ナイトテーブルの上の花瓶の中に入るかしら?
試しに花を数本抜いて入れてみる。
うん、ぴったり。
よし、これであとはあの男が来るのを待てば良いだけだわ。
その時、トントンとドアを叩く音がして侍女が寝室に入ってきた。
「アイーシャ様、これより陛下がこちらへ参ります。こちらでもう少しお待ち下さい。」
頭を下げて部屋を出て行こうとしていた侍女がふとナイトテーブルの上を見つめる。
気づかれたかしら?
緊張で汗が吹き出て来る。
心臓の鼓動が耳元でなっているみたい。
どうか、神さま!
「お花の量がいつもより少ないみたいですね。
大変失礼致しました。只今、他の花とお取り替え致します。」
「あ、あの!お花はこのままがいいわ。ありがとう」
「いけません。アイーシャ様。これから陛下がいらっしゃるのに…」
バシャ!ガチャン!!
奪うかのように花瓶を取り返そうとしていると手が滑って床に落ちた。
その中から出てくる1本のナイフ。
どの位の時間がたったのか。
それは長い時間のような気がしたけれど、きっとさほど時間は経っていないのだろう。
いつの間にか侍女はいない。
人を呼びに行ったのかしら。
誰もいない部屋のベッドに腰を下ろす。
ああ、失敗だわ。
このまま処刑されるのね。
お父さま、お母さま、アイーシャはすぐ向かいま
す。
あちらで会ったら力一杯抱きしめて下さいね。
ドンドン!と拳で叩く音がしてドアが開いた。
ドヤドヤと数人の男性が入ってくる。
ほとんど全員老年に差し掛かっているだろう。
そういえば、男の人を見たのはここに来てから初めてだわ。
関係のない事を考えている自分が可笑しい。
やだ、私意外と肝が座ってたのね。
扉を見ていると最後に入ってきた男を見て笑いが止まった。
引き締まった無駄のない長身で、いかにも砂漠の民らしい褐色の肌をした男。短く切っている金の髪の毛はこの男を勇ましく見せていた。
見てすぐ分かった。皇帝アウロス。
近くで見ると意外と若いわ。
てっきり皇帝という位だから中年男性を想像していたが、片手でナイフを持ってどんどん近づいてくるアウロスはまだまだ若く眉間のシワさえなければむしろ女好きのする顔だと思う。
アウロスは椅子を私の近くに持って来て腰をかける。
目の前のベッドにナイフを置く。
そのまま目を閉じて何も言わない。
私を見ない。
「全く、前代未聞です!」
「これからは後宮も他の場所と同じく所持できる物を制限しなければ。」
「とりあえず今回は無事だったとはいえ、アイーシャ殿はこのままという訳にはいかないでしょうな」
ガヤガヤと周りで私の処分が決められる。
目を閉じて処分が下されるのを待つ。
「そなたの国では初夜の際は親から受け取ったナイフを部屋に置くのが習わしだそうだな」
低く聞き取りやすい声だった。
目を開けてアウロスを見る。
琥珀色の瞳と目があった。
思いの外強い視線を浴びて身がすくむ。
「は、はい。私の国は一夫一妻制ですので、初めての夜はナイフを身近な所に置くのです。もしどちらかが裏切る様な事があれば、そのナイフで刺しても良いとされています」
本当だ。
初夜に刃物を置く事でお互いの覚悟を示す。
私の言葉を聞いてさらに周りがガヤガヤと騒ぎ出す。
アウロスはそれを手を挙げて止める。
「なるほど。祖国の習いであれば仕方がないな。ナイフはこのまま置いておけ」
「恐れながら陛下!夜伽の場に刃物を持ち込むのを前例にしてしまうと今後どの様な問題が起こるか分かりませぬ!!」
今まで私を見ていた目線が外れる。
「余がこの小さなナイフ1つで怪我を負うと?」
ナイフを手に取り鞘を外す。
そしてそのまま掌に振りかざした。
刺さる!!
思わず目を閉じる。
静寂のあとに静かな声が降る。
「錆びている。こんなもの刃物とも言えない。」
私のいるベットにナイフを投げる。
思わずナイフを手に取ると、べったりと赤茶の錆がナイフにこびりついているのが分かる。
水の中に入れてしまったから錆びてしまったのかしら。
「この件は他言無用とする。」
この言葉でアウロス以外の人達が外に出て行ってしまった。
アウロスと2人きり。
私、助かったのかしら。
頭が働かない。
何か話をしないと。
でも何を?
「そなた、名はなんという?」
不意に声を掛けられる。
目をあげると落ち着き払った男が目の前にいる。
夜伽の相手の名前も覚えないなんて馬鹿にしてるわ。
でも、私はこの男に怪我1つ負わす事が出来ないのね。
「ア、アイーシャと申します。この度は大変申し訳ありませんでした。」
「そうか、アイーシャか。ではアイーシャ。お前に言う事がある。」
私の葛藤なんか気にもしない男はひどく面白げな顔と声を浮かべて私に聞いた。
「お前の欲しいものを1つくれてやろう」