真夜中の駄菓子屋さん
仕事終わり、俺は夜の街をふらつきながら歩いていた。今日はかなり酔っている。金曜日だから飲み過ぎた、それもあるかもしれない。だが一番の理由は仕事でヘマをやらかし上司にこっ酷く叱られたというのが一番の理由だろうか……。
よたつきながら歩いていると何かが肩にぶつかった。
「ってーなー! おい!」
振り返るとそこには金髪に染めた髪、首に下げたごつい金のネックレス。服装は黒いTシャツ、ジーパンは今流行の腰パン。
俺よりも若い若者はメンチを切り俺に近づくと胸倉を掴んできた。
「なぁ? いてぇって言ってるのが聞こえなかった? なんか謝罪の言葉とかないわけ? なぁ?」
めんどくさい輩に絡まれた。上司や営業で伺う先々で頭をへこへこしなければならない毎日。日常に感じる無力感へのストレス。生きている事へのストレス。
胸倉を掴んだ不良の手を振りほどき、俺は渾身の右ストレートを不良に見舞っていた。拳は見事に不良の顎にクリーンヒットし不良は膝から地面に崩れ落ちた。
やばい……。やり過ぎた……。
「もしもーし……」
意識はあるようだった。
興奮した所為か酔いはいつの間にか冷めていた。俺は近くに見えた自販機で水を買い不良の男の傍らにペットボトルを置いた。
「ごめんな、やり過ぎた」
不良は小さな声でこの野郎と呟いた。俺は踵を反すとその場を立ち去った。不良を殴った瞬間、あの時の記憶が呼び起された。
母親を殴ったあの日の事。
記憶の片隅に追いやったつもりだった。でも思い出してしまった。あの時の罪悪感が再び蘇った。
実家にはかれこれ一〇年は帰っていない。あの日を境目に俺は母親を避けていった。そして高校を卒業したと同時に就職し家を出た。早くあの場所から逃げたかった。母親を見たくなかった。あの罪悪感から逃げ出したかった……。
俺はあの時の罪悪感に苛まれながら歩いていると知らない道を歩いている事に気がついた。
「ここは?」
街灯も少なく、人気もない。道に迷ったのだろうか……。踵を反そうとした時、正面に明かりが点いているのが目に入る。よく見てみるとそれは小さな店のようだった。
俺の足は引き寄せられるようにその店へと歩き出した。
トタン屋根に開けっぱなしのガラス戸。店の外装は昔ながらの商店のようだった。店の中を覗いてみると懐かしい駄菓子の数々が陳列されていた。
「……駄菓子屋?」
こんな夜中に駄菓子屋がやっているのだろうか。俺は不思議に思いながらも店の中へと足を踏み入れた。
店の中には懐かしい駄菓子が揃っていた。この駄菓子たちを見ていると懐かしい記憶が蘇っていく。
母親に一〇〇円をもらい通った駄菓子屋。大人になった俺はそんな昔のことなんか忘れていた。
店の奥から人影が現れたことに気づく。この店の店主だろうか。腰を曲げたおばあさんがこちらに歩いてくる。
「おにいちゃん、一人?」
おばあさんは優しい笑みを浮かべながら尋ねてくる
「はい。そうですけど……」
「おにいちゃん、顔色が冴えないねぇ。どうしたんだい?」
このおばあさんの優しい笑顔を見ていると何でも話してしまいそうなそんな気さえしてくる。
「ちゃっと今日、仕事で失敗してしまいまして……」
「そうかい、そうかい。それは大変だったねぇ。でもおにいちゃん? 今悩んでるのはそのことじゃないんだろ? こんなばあさんで良ければ相談相手になってあげるよ」
「え?」
「おにいちゃん、悲しい顔しているからねぇ。もっと辛いことがあったんだろうなって思ってねぇ……。話してみんさい」
おばあさんは優しく諭すように俺に温かい言葉を向けた。
俺は記憶の片隅に追いやったあの時のことをおばあさんに打ち明けた。おばあさんは俺の話を真剣に聞いてくれた。てっきり俺は怒られると思っていたがこのおばあさんは俺の話を聞き終えると優しい笑顔をつくり俺をみつめた。
「よく話してくれたねぇ。おにいちゃんが反省していることもよ~く伝わったよ。話してくれたおにいちゃんにはこれをあげるよ。手をだしてくれるかい?」
俺は言われた通りおばあさんに掌を差し出した。おばあさんは懐から小さな箱を取り出した。
お菓子の箱。俺はその箱には見覚えがあった。
おばあさんは俺の掌の上で口を開けた箱を振ると一粒のキャラメル菓子が落ちた。
やっぱりそうか……。この駄菓子苦手なんだよな。硬いうえに味は甘ったるくてしつこい。
「おにいちゃん。おにいちゃんはねこのお菓子を食べればきっと元気がでるよ。さあ、お食べ?」
おばあさんの優しい笑顔。この温かな笑みには勝てない……。
俺は一粒のキャラメル菓子を口まで運んだ……。キャラメル菓子を舌で転がし奥歯で噛みしめた。
ま、まずい……。昔と変わらずこのキャラメル菓子の味は俺には合わなかった。でも不思議と嫌じゃない……。むしろこの不味さになつかしさが込み上げてくる。俺は遠い過去の記憶を思い出した――。
「ねえ! おかあさん! これ買ってよ~! ねえぇ~」
「なに言ってるの、ダメに決まってるじゃない。そのお菓子、あなた全然食べないじゃない。最後、誰が食べると思ってるのよ」
「ちゃんと食べるからごはんものこさずにた~べ~る~か~ら~。ねえぇ、お~ね~が~い~……。ぅぅ、うわぁぁぁぁん」
俺はよくかあさんに食玩付きのこのキャラメル菓子をせがんだ。買わないと言われると泣きじゃくってよくかあさんを困らせてたな。
「もう……。じゃあちゃんと最後までたべるのね?」
かあさんの困った表情に涙しながらうなずくと最後の最後は笑顔でわかりましたと言って頭を撫でてくれたっけか――。
いつのまにか目元から涙が零れているのに気づいた。
スーツの袖で目元を擦るが涙は止まれない。
「おにいちゃん。今思っている気持ちを大切にしなさいね……」
おばあさんはにこやかに俺に笑いかけるとすーっと消えていた……。そして一瞬のうちに視界が変っていき見慣れた道の真ん中に俺は立っていった。
握った手を開くとそこにはキャラメル菓子の食玩があった――。
俺は見慣れた家の玄関前に立った。左手にはラッピングされた小包と小さな花束。手汗で若干ラッピングの紙が湿っているのがわかる。深呼吸した俺はインタホーンを右手で押した。
呼び鈴の後、少し遅れて扉が開いた。俺は緊張のあまり地面に視線を向けた。
扉を開けた人物から視線を感じる……。
無言の間。
扉の方から鼻を啜るような音が聞こえだした。俺は意を決し視線を上げた。視線の先には涙を流しながら俺を見つめているかあさんの姿が映った。
「……どう、したの?」
嗚咽を堪えながら小さな声でかあさんは囁いた。
「今日……。かあさんの……。誕生日だろ……。」
俺は再び、地面に顔を落とした。身体に熱が籠り、顔が熱くなっていくのを感じる。
かあさんは何も喋らない。
俺は緊張と恥ずかしさを振り切りゆっくりと視線を上げた。
「お、おめでとう。あとさ……、あん時はごめん……」
俺は小さな擦れた声で呟いた……。
かあさんは涙を拭くと俺に満面の笑みを向けた――。




