10、一人の少女の復讐譚
家族が、その少女の存在の全てだった。
☆
アコルテ・ローズマ・アミルトミトンは、少数種族ミトン族の族長の一人娘として生まれた。
アミルトミトンとは族長の一家に与えられる称号だ。
両親から受け継いだその称号にふさわしく、彼女はミトン族で教えられる技能のほぼ全てにおいて確かな才覚を示した。
弓を握れば的に当て、座学に取り組めば優を取る。
いくつかの分野においては大人を遥かに凌駕する結果さえ出して、何度もミトン族全体を驚かせた。
族長の娘で、才覚もある。
この一文から考えれば多少のやっかみもあってもおかしくないが、それを直接ぶつける人間は誰もいなかった。
ミトン族では強さは尊敬されるものであって卑下されるものであってはならない。そういった一種の誇りを、種族全体で共有する種族だった。強いヤツを僻むだけならまだしも、それを言動に反映させるのはありえない。この認識を種族の誰もが持っていた。
結果としてどうなったかというと、アコルテは一族全体から愛された。
もちろん影で悔しさを持ち燻っている人間もいたが、そういう人間の存在を察することはむしろアコルテにとって刺激になった。私にはきっと弓兵としての才能がある。けれど、あの人達だってもっと凄いのだから、自分も負けないように頑張らなくては、と。
まあ、ちょっかいをかけてくる人間がゼロだったかというとそうではなかったが。
☆
十一歳のアコルテはミトン族の学校から帰宅して、木を積み重ねてできた家の中の木のベッドに倒れ込むようにして寝転んだ。
(最近、ラルヴァ君がすごいつっかかってくるなぁ……)
ラルヴァとは同年代の男の子だ。本名はもうちょっと長い。前からずっと、アコルテに対して嫌味や皮肉を言う。
そして最近は特にひどい。顔を合わせればその度に悪口を言ってくるのだ。一体何がしたいのかよくわからない。
服が似合ってないとか言われても困る。自分が着ている服は、一つ残らずお母さんに見繕ってもらった大切な服なのに。
(やり返すか)
確かラルヴァは蛇が苦手だった。
おもちゃの蛇かなにかを放り投げて、びっくりさせてやろうと思う。
そして、驚いて腰を抜かしたら、からかってやろう。
からかってやり返したら、舐められているのならわからせられるし、何か事情があるのなら話が進むに違いない。
アコルテはうろたえるラルヴァの姿を想像して、密かに笑った。
(……ふふっ、たのしみ)
ミトン族の婚姻は、暴力によって行われる。
そのため、しばしばそのことを知った吟遊詩人など別の種族の人間から野蛮と言われる。
内容はこうだ。
求婚する側は、求婚された側と戦闘を行う。
そしてこの戦闘に勝てば結婚成立。負ければ結婚不成立。
厳格な父権制社会であるミトン族では、求婚はいつも男によるものだ。
確かに歪な制度だと言われても反論はできないのかもしれない。
要するにこの制度下では妻はいつも夫に武力で負けることになる。
しかし、ミトン族以外にはわからない。
戦闘が成立することの絆を。二人のどちらもどちらを殺しうるということの絆を。
第一、ミトン族の女が、多少殺し合いで劣る程度で、黙って理不尽な暴力を受けるはずがない。
(……わたしもいつか、お嫁さんになれるのかな)
アコルテは暮れきった空に浮かぶ星を見ながらそう思った。
☆
普段、集落は閑散としている。あまり人口が多くない上に、少なくない数が常時外で出稼ぎを行っているためだ。
けれど、今日集落は少しだけ活気を取り戻している。
明日は年に一度の、一族全員が集まる祭日。
もっとも、別に何か奇習があるわけでもない。大人は酒を飲んで今と未来を語り合う。子供は友達と遊んで、戦場に出るようになって里からいなくなってしまっていたお兄ちゃんやお姉ちゃんと会話をする。ただそれだけの日だ。
でも、それだけのことがとても楽しみで、アコルテは朝日のなか足を弾ませて学校に向かった。
「アコルテ様、おはようございます。明日何か肉が入用になるなら持っていきますと、族長様にお伝え下さい」「りょうかいです。でもお婆ちゃん、『様』はやめて下さいってもうっ」
「アコルテちゃん、おはよう。今日もいい朝だね」「グミお爺さんおはようございます。とても晴れましたねー!」
「アコルテちゃん、おはよー!」「おはよーしーちゃん!」
「ようアコルテ! お前、またそんな服着てんのかよっ、て、うわあああああああああ!?!? へ、っび、……じゃ、ないしこれ、……ぁ……お前……」「うひひ」
「元気でいいですね、アコルテさん。たんこぶはミトン族の勲章ですよ」「先生、おはようございますっ。勝ちました!!!」
……。
帰宅すると、アコルテの父親が珍しく帰ってきていた。
「……っ! お父さん!!」
「やあ、久々だね、アコ」
アコルテの父親は歴戦の弓兵だ。内紛や政治闘争が絶えない共和国の中で、さまざまな勢力に雇われて、そのたびに凶刃を奮っている。この種族の男はよほどの無能でなければ忙しく飛び回ることになるが、中でも父親とは本当にめったに会えない。
「お帰りなさいませ!」
「うん」
アコルテは父親のことが好きだった。厳しく、時に優しい。正しいことをしたら大きな手で撫でてくれて、理不尽なことでは決して怒らなかった。
そして、同じくらいに、母親のことも好きだった。ミトン族の社会は一夫一妻制だが、大きくなったらその伝統を変え、父親と母親と重婚すると決意していた。このことを言うと、二人とも困った顔で笑うので、人には話さないようにしていたが。
今日はしばらく“国境警備隊”に指南役として雇われていた母親も帰ってくる。この広い家に一人で寝た昨日とうってかわって、明日には家族が全員揃うのだ。
確かに、通ってもらっているお手伝いさんが作ってくれるご飯や、自分で作ったご飯も美味しいけれど。
「お母さんのスープが久々に食べられる」。「お父さんも一緒に」。そのことだけで、学校の厳しい勉強を何千回受けることになっても充分にお釣りがくる事実だった。
「ただいま、アコ」
「お母さん! お帰りなさい! ずっと待ってたよ」
「ごめんね。共和国のお菓子を買ってきたから、皆で食べようね」
寝る前になると、帰ってきた母親を交えて、家族三人でお話をした。アコルテは最近学校で何をやっているのかとかを話した。父親と母親は、アコルテはそろそろ誰かと一緒に外の仕事を受け始める時期なので、包み隠さずに仕事について話した。
血みどろの政治闘争の話。国境警備隊に訓練を与える話。どちらもとても楽しそうで、アコルテは自分の未来に思いを馳せる。
自分ももうすぐこうなるのだと、強く強く意識する。
そして、夜は深まった。
「ごめんなさい、私はそろそろ寝ます」
「そうしろリーリヤ。明日は忙しくなる。必要になったら起こすよ」
普通の夫婦であれば自分の肴を作ったり自分の酒を用意したりするくらいで済むが、最低限の運営は必要であり、その中でも族長の夫婦である二人は裏方としてある程度動き回るハメになる。
昨年も一昨年もその姿を見ていた。だから、そのことなのだろうとアコルテは思った。
「ええ。明日は……明後日かもね。どちらにせよ一段落したら、一日くらいは夜もベッドで一緒に起きていたいですね、旦那様」
「……んん。まあ、それがいいな」
アコルテも挨拶をした。
「おやすみなさい、お母さん」
「お休み、アコ。……私のアコ。よかったら、今度、また一緒に料理をしようね」
「うん!」
母親はアコルテの頭を撫で、一階の寝室に消えた。
儚い印象を与える母親だが、模擬戦の時は凄く凛々しくなってカッコよくて、今でもこんな女性になりたいと思っている。
母親がいなくなった居間で、父親と二人きりになった。
「アコルテ」
「? はい。なんですか、お父さん」
真面目な口調の父親に、アコルテは気を引き締めさせられる。
「ミトン族の規範を覚えているか?」
「はい、もちろんです」
覚えている。
規範とは、行事などのたびに唱えさせられる言葉だ。
ミトン族の人間にとって、大事なことが記述されている。
ずっと昔からあるらしい。誰が作ったかもわからないそうだ。初代の族長によるものとも言われるし、解放戦争の後できたものとも言われる。ただ大切なことは、ミトン族の誰もがこの教えを守り、または守ろうと努力して動いていることだ。
アコルテは口を開いた。
「私達の行いに意味はない。私達は利益のためだけに戦争を行う。この事実だけが私達を守る。
そのことがイヤになったのなら、戦場で最も強い私達が子供を守り非戦闘員殺しを捨てれば戦場から悲惨が消えると信じろ。それだけでいい。それ以上は要らない。
たとえ花を踏み躙り虫を食いちぎっても私達は独立して私達でなければならない。このことに論理は必要ではない。これ以上前の論理はない。
ミトンはミトンであるためにミトンはミトンでなければならない。
――あとは、いつも笑顔で」
正直、意味はよくわかっていなかった。
暗唱できたら褒められるから、覚えていただけにすぎない。
なぜ努力するのかについても同じ理由だ。
この狭い集落の中で、家族が、皆が、褒めてくれるから。
やればやるほど褒めてくれて、そのためにもっと頑張りたくなって周りが褒めてくる。
おそらくこれはケンゼンなあいじょうというやつなのだろうと思われた。甘やかすのでもなく、虐待するのでもなく。
間違ったことをしたら叱られるけど、それはもっと褒めてくれる前振りだと、賢いアコルテは知っている。
アコルテにとって家族とは家族であって種族である。
家に普段誰もいない寂しさは、目の前のかぞくが褒めてくれるだけで全て埋まった。
「完璧じゃないか。偉いぞ。アコ」
「えへへっ」
頭を撫でられて、アコルテは今回もとても嬉しかった。
「忘れるなよ。自分が自分であるっていうのは、とても大事なことだから」
ずっと、お祭りの日だったらいいのに。と思う。
ずっとお祭りなら、誰も里から出ていかない。お父さんとお母さんはずっとおうちにいるし、しーちゃんともメルちゃんともずっと遊んでいられる。外で死んで無言の帰郷を行うものもいない。一人だけ知り合いにいた。お世話になっていたお姉ちゃんが外で死んで魂だけでここに帰ってきた。ああいうこともなくなる。
けれど、そういうわけにはいかないことはわかっている。
ミトン族の人間は、大人になったら外で戦う。
それが決まり。それが掟。
だから、思うだけだ。
☆
ぱちぱちという音と、暑苦しい熱気で目が覚めた。
「……え……?」
暑い。
眠りから覚めてしまうほどに、暑い。
窓から外を見ると、
祭りの当日、朝焼け直前の暗闇の中の里が、燃えていた。
「何……これ……何で、」
慌てて窓を開けて外に飛び出そうとする。
だが、体が動かない。
重い。倦怠感もする。アコルテには一発でわかった。これは、何らかの妨害魔法だ。それも、異常な練度のもの。
「ぐ、っぐ、ぐぅっ、……何、これ……落ち着いて……落ち着いて、あこ……」
小声で自分を落ち着けて、魔力を自分の中で回して、調子を取り戻す。
……それなりに得意な魔力操作をもって抵抗しても、まだまだ体は重い。重すぎる。ずいぶんと強力な魔法。
だが、ちょっと走ることくらいはできるだろうか。
何が起きているのかわからない。わからないけど、戦わなくては。何かが起こっているのだ。起こっていることと、戦わなくてはいけない。
だって、私はミトン族の人間だ。ミトン族の皆の、仲間だ。
そう決意して部屋の扉を開けようとする。
違和感があった。扉が重い。
体が重いからというわけではない。本当に扉が重い。まるで、何かがもたれかかっているみたいに。
そして、体全体の力を込めて扉をこじ開けると、
その扉には全身がずたずたに切り裂かれたアコルテの母親がもたれかかっていたことがわかった。
「っひっ……おか……」
驚愕に体を硬直させた後、アコルテは自分を一瞬で落ち着かせた。
大声を出してどうする? これをやった人間が、すぐ側にいるかもしれないというのに。
「お母さん。どうしたの? 声を聞かせて。まだ、生きていますか?」
跪き抱き上げて脈を測る。……まだ動いている。
だが、弱々しくて、その脈動は今にも消えてしまいそうだった。
「アコ、私の、アコ……」
脈拍と同じくらい弱々しい声で、満身創痍のアコルテの母親、リーリヤは口を開いた。
「お母さん。これは何? 何が起きたの? 戦う。私も戦います。教えてください何が起きてるの?」
母親は一切答えなかった。
「逃げなさい。このタイミングで出てきてくれて良かった。情けないけど、部屋の中に入って貴方を起こす体力は……もうなくて」
言って、アコルテの体を“雀の4”という土属性魔法で回復させる。
かなりのレベルまで、アコルテの体を覆っていた重圧は解けた。これなら、戦える。
「え、ねえ、何が……逃げなさい、じゃわからないよ! わからないです。戦いたい。私も、戦わせて……」
「死体の捏造は……済ませた。一人逃がして……ここの人間は全員殺したと思い込ませてあるから……今誰にも姿を見られずに逃げれば……大丈夫だから」
息が絶え絶えだ。必死になって、アコルテに今後の動き方の指示を出す。
まるで、そうしなければ今すぐにでも死んでしまうかのように。
「ねえ、何が起きたんですか。教えてください、お母さんっ!」
「お父さんが……貴方の為に戦ってくれているから……大丈夫……だから」
もう会話の体をなしていない。
リーリヤはアコルテに向かって話しかけているのではないことがわかってしまう。
もう、彼女の眼は虚空を見ているだけなのだと。
「ね、ねえ、お母さん……お母さ、……」
リーリヤは目を閉じた。
アコルテの魔法の才覚はかなりのものだったが、二重属性とは言えず所持する属性は風だけだ。風属性魔法で、今の彼女をどうにかできるということはない。
「アコは大丈夫。だいじょうぶ……だから…………いつも………………」
死んだ。
そして、同時に……
誰かがこの家に押し入ってきたことがわかった。声か、気配でバレたのだろうか。
最早一刻の猶予もない。アコルテは気配を感知し避けつつ家を出た。
こんな時のために習った技術ではないはずだった。それでも、そうしなければ死んでしまう。
朝日から逃げるようにして、夜の森を駆けた。
一人で行動している人族がちらほらといたので何人か排除した。
一人ひとりならなんとかならないこともない。
しかし、問題なのは人数だ。
アコルテは自分なりに現在の戦況を診断しようとした。
里が見渡せる場所に立って、アコルテの戦術眼で考えた。
……おそらく、相手方の払暁の強襲が完全なレベルで成功した。
こちらは最悪レベルの弱体化を強いられ、初撃で主戦力の多くが落とされている。
火計も高レベルで成功している。爆撃とは違う形で、全家屋に同時に火を付けたのだと思われる。卑怯な魔法だ。
人数比はおそらく二倍近いといったところか。現在稼働できる人員がというだけで、おそらく種族全体と比べれば遥かに少ない人数のはずだ。ずっとずっと自分たちより弱い相手。けれど初撃を許した時点でこちらの負けになってしまった。
相当な悪意と殺意によって、この里は雁字搦めになって殺されかけている。
……こんな状況を、いくら普段褒めそやされていようが、まだ実戦経験すら無いアコルテ一人で覆せるわけが、無い。
(逃げるしか……ない……逃げたく……でも……でも、逃げるしか……)
アコルテ・ローズマ・アミルトミトンは優秀なミトン族だ。
この状況では、感情を殺し自分ひとりだけ逃げることができる。そういうふうに、訓練している。
夜の森の中をスキルは使わず走って、麓まで降りるよう動く。どこかの街を目指し。
もし他のミトン族が逃れているのなら、そしてミトン族の皆でまた集まりたいなら、現族長の血を引く自分が生き残ったほうがずっとずっと良い。長いミトン族の歴史の中では、そういった出来事もなくはなかったはずだ。まさか自分の代で起こるとは思わなかったが。絶対に、起こって欲しくはなかったが。
そして。
わずかな距離を走ったあと、
恐怖でアコルテの脚が止まった。
☆
森の中で接敵したその女は、森で排除した人員たちと同じように、東の王国の文官の服装をしている。
だが、同様の服装に反して、魔力、立ち姿の威圧感、全てがここまでの相手と別格だった。
今のプレッシャーは、向こうがこちらに気付いたためのもののようだ。
小さな弓では届かないような距離の先から、その殺意に、憎悪に、アコルテの脚は釘付けにされる。
「はっ、……はぁっ……」
やっぱり、ここまで会ったのは雑兵だったのだ。下手をすれば、戦闘要員ですらなかったのかもしれない。
泣きそうだ。息が、できない。
殺される。
こいつが、王だ。
この里を襲った人間の、王。
(私も、殺される。他の皆と同じように、殺される……!!)
無論、そんなことはあってはならない。
アコルテはすぐに考えを切り替えた。
(ダメだ。逃げる。私は、生きないといけない。たとえどんなに強い相手であろうとも――!!)
そして、そうして自分を奮い直してよく見れば、
別に特段に絶望的な強さというわけでもない。
(――――――――こいつ、殺せる)
この女は、人族にしては強いというくらいだ。アコルテにだって、全然問題なく勝ち目はある。
今のアコルテよりは格上であろうというだけで。
そんな程度の力の差、あの二人の娘である自分が、覆せなくてどうするのか。
そして、こいつを殺せば、指揮系統に打撃を与えられるだろう。きっとまだ戦っているお父さんを助けることができる。そうやっていろいろと持ち直せば、お母さんだって、今からでも治せるかもしれない。
(戦おう。こいつを殺そう)
そしてそしてもし仮に、無様に殺されるとしても。内臓を引きずり出されて、こいつが笑いながら私の死体を踏みつけるのだとしても。
(お前が、敵か)
その顔を睨みつけた。
(忘れない)
私は、忘れない。
このクソッタレな面を。大切なものを全て奪い取った、簒奪者の王の顔を。
そして、普段家で一人ぼっちでいる自分に、申し訳無さそうな表情をする母親の顔と、
全身の傷を押し隠し、それでも自分の部屋の前に立ちふさがり、自分を守った母親の体も。
(忘れない。決して、私は、忘れない。たとえ魂が天に導かれても……私は、忘れない)
じりじりと睨み合うその硬直と拮抗は、
……女の仲間が現れたと同時に解けた。
アコルテがスキルを使ってその場から音よりも速く逃げ出したからだ。
向こうからも追ってくる気配はない。
どれだけ貧弱なおまけがお供だろうと、多対一であれとやりあって勝てるはずがない。
アコルテは自分の判断を正解だと思った。
最悪の正解だった。
いっそ同時討ちでのたれ死にたかった。
☆
あの後、どうなったのだろうか。
誰か一人でも、生きていてくれているだろうか。
……あれほど丹念に襲撃されていた集落で?
それは期待し過ぎというものじゃないのか?
自分自身の期待を、自分自身がぶち壊す。
きっと、ぶち壊している自分のほうが正しい。
一人ぼっちで逃げ出して、ふもとの街の路地裏の、ベッドさえないような安宿に入って。
薄汚い鏡の中の薄汚い自分を見ながら、アコルテは笑った。
涙で顔がべちゃべちゃに濡れている。けど、口元を上げれば笑顔になる。声を出して笑うことはどうにも難しそうだが……口元を上げるだけなら、できる。
「いつも、笑顔で……」
アコルテは笑顔を浮かべながら決意する。
自分の故郷を崩壊させた相手を、決して許すことはできない。
何がどうなっているのかは知らないが。
復讐、する。
絶対に。
一人残らず、許さない。
「いつも笑顔で」
涙を流しながら笑う。悲しい。凄く凄く悲しい。
けれど、悲しさは戦場を駆ける存在には要らない。
「ひ、ひひ……ひひひっ……いつも……笑顔でっ……」
泣きそうになる。声が震える。
けれど、泣いていない。絶対に泣いていない。拳を握りしめて自分に言い聞かせる。この声は笑っている声だ。実際にだんだん笑顔は顔に染み付き、涙も引いていく。
これで大丈夫。これで動ける。
あこはだいじょうぶ。いつもえがおで。
そう心のなかで唱えると、鏡の中のアコルテの顔もそれに応えてにっこりと微笑んだ。
「いつも、笑顔で」
手がかりは、彼女たちが着ていた王国の服装と、そして、微かに聞こえた「リノ姉」という呼び声だけだった。
ただ、その手がかりを握ったのはただの少女ではなく、今や人族世界に悪名を轟かす最悪の種族、ミトン族の残り全てである。
それだけで、充分だった。
襲撃の翌日の深夜、アコルテは襲撃者の幹部格の家宅を突き止めた。
アコルテは全く問題なく侵入し、情報を得る。
意味がよくわからない。こうして討ち漏らしているわけなのに、残党に対する警戒が一切されていないみたいだった。
(素人の集団か……?? まあ、馬車でここに移動するまでのんびりなら二十日くらいはあるし、仕方ないのかもしれないが……)
馬車の遅さとうってかわって、こちらは自分一人であることと魔力が持つことさえ満たせば大陸の端から端へも数日だ。
文書は、一応暗号化されている。
だが、ミトン族の教育を受けたアコルテには、すぐに(大雑把にならば)読めた。
アコルテは心から笑った。
「文字の出現率に偏り……一対一対応の暗号ですかこれ、ひ、ひょっとして、……ひひ、ひひひ、ひひひゃはははははっっ!!?? 読めた!!! 嘘でしょう。こんな単純な暗号で、……名簿を管理しますか??? 普通?? こんなもの、ミトン族に通用するはずが……ひひ、ひひひひひっ……違う……違いすぎる……積み重ねてきた技術と文化の桁が圧倒的に絶望的に違う!!!!」
頭の中の冷静な部分は、これは罠であると指摘している。
だから、ちゃんとさまざまな方法で裏を取った。
そして、おそらくは、……経歴を見るに、トップの数人はより進んだ暗号を使いこなせるのではないかと推測する。つまり、頭の悪い人間に合わせたということであり、しっかり暗号という技能を浸透させることを放棄したということでもある。
「もう一つくらい操作すれば……全然……違うのに……くくっ……あははは……その怠慢のツケは貴方達の命で贖うことになる。……名前、全員覚えました。……全員、大切な人ごと、殺してやる……っっっっ!!!」
書類では、ミトン族の人間は全員殺されていることになっていた。きっとそれは正しいのだろう。
そしておそらく同時に、書類にはない事実として、アコルテが生存していることが、近いうちに幹部に共有される。
上等だ。
全員殺されたのなら、全員殺す。
多少の妨害など、問題にならない。
私は忘れない。
五年経った。
アコルテの体はすくすくと成熟し、今や完全なパフォーマンスを発揮できる。一族最強と謳われる弓兵だった父親よりも、今の自分のほうが完成されている実感があった。
身を隠しつつ、ちょっとだけ冒険者として活動したりして、力と金を蓄えた。殺しはしていなかったが、ミトン族の技術を完成させるため、いくつかの経験は大いに役立った。ミトン族の技術、ひいては幻影の万能スキル“鶫”と風属性魔法体系“梟”。どれも家族から受け継いだ大切な大切な贈り物。
一番手間がかかったのは殺す対象の調査とリストアップだが、それも五年あればなんとかなった。
そうして、大多数がミトン族のあの朝焼けを忘れるその時まで、雌伏した。
首謀者の幹部が再び多人数集結したところを狙う。
もともと関係の深い人員だったらしい。アコルテの監視下彼女たちは何度も集結した。お陰でこちらはやりやすい。
血の海になった室内を、一枚の布で織られた紋様の入ったロングスカートの服で、アコルテは歩く。ミトン族の正装(を真似て自分で作ったもの)だ。
頭を潰せば情報の伝達は桁違いに遅くなる。
あの日の簒奪者の王も、同時にこの手で全身をぐちゃぐちゃに切り裂いて殺した。
「五人殺した。これで、あと676人……」
もはや怖いものはない。
仮に何かを怖がるとしたら、復讐が完遂できないことだけだ。
殺す対象は、あの日ミトン族の里を襲った二百人弱と、その配偶者、及び子供の五百人弱。
捜査と制圧に乗り出してくるこの国の怪物と、正面切ってやりあいたくないのであれば、速やかに済ませる必要がある。タイムリミットは三月といったところか。ずいぶんとヌルい話だ。今の自分なら、二月で充分。
「……戦争を始めます」
☆
冒険者ふうの身なりで路地を歩くアコルテと、少女がすれ違う。
治安が悪めの路地だ。こんな良い身なりの少女が歩く場所ではない。
だが、子供というのはどこにでもいるものだ。本当にヤバい場所には、子供なりのネットワークで近寄らないものでもある。
少女が話しかけてきた。
アコルテは応えて会話をする。
「ねえねえ、何してるの?」
「……捜し物をしているんです」
「ふーん。何を捜してるの? ていうか、てーねーな言葉遣いだね。お姉さんのほうが年上でしょ? けーごなんていいよぅ」
「そういうわけにはいきません。イールミールという方の住所をご存知ですか?」
「え? それ、うちだようち! 案内しようか? お父さんに用事ってことだよね?」
「知っている」
「え?」
「……案内、お願いできますか?」
「うん、いいよ!」
アコルテは少女の先導に従い路地に消えた。
そして、数十秒後に路地から出てくる。
頬には血をぬぐった後が付いている。
「今から二人……それが終わればあと482人……」
☆
「奥様はどこですか?」
「んー!!! んーうううううううううううう!!!!」
「参ったな。答えが貰えないみたいだ。じゃあ殺します」
全身を袋詰にした袋ごと首を切り落とすと、うめき声をあげていた男は黙った。
この男は、アコルテの襲撃を予期し、予め配偶者を実家に逃がしていた。
大したものだと思う。
「うーん。一応本人からも確認取りたかったんですが」
けれど実は、既にその配偶者は殺してアイテムバッグに詰めている。
繋がりのある場所に預けるのが悪い。
流石に誤魔化すのは難しそうだったので、同居人と使用人は全員殺しておいた。
どこかこいつが場所を漏らせば、そこを調べに行くつもりだった。何が待っているかで、殺した配偶者が本物かどうかの論拠になる。
死体を並べてみるが何かわかるわけでもない。歯の形や指紋がわかればいいのだが王国はそのデータを管理していない。ひとまず済んだとし、場合によっては修正することとした。
「子供はなし。あと221人」
☆
殺す相手の中には、大家族もいた。
廊下から気配を消して伺うと、十人近い子供たちに囲まれて、自分の家族を皆殺しにした男は、笑顔で笑っていた。
そういう日を狙ってきたので、今日のこの家にはこの家族の全員が集まっている。
毒のような振る舞いをするスキルをスープに仕込み、全員殺した。
そのスキルには「“断絶家族”」という名前をつけた。アコルテが自分で作ったスキルだ。極小の風の刃を対象物に仕込み、その対象物に潜む風の刃を任意の瞬間に、追加の魔力を送って炸裂させる。
おそらく、地下水に渾身の魔力を込めて仕込めば、街一つくらいなら命を自分の手中に収められる。
家庭一つなど、千回制圧しても有り余る。
食卓には腹部からぐちゃぐちゃになったたくさんの子供と、殺すべき相手と、その配偶者だったものができた。配偶者は二人いる。一夫多妻は別に珍しくない。
内臓を踏みにじり、簡単に片付ける。肉はアイテムバッグに放り込み、血は大量の水をぶっかけて薄める。このあとここがどうなるかより、速やかに次の標的に向かうことのほうが優先度は高い。
そして大量に買い込んだ認識阻害のマジックアイテムによって、この家を認識しづらくした。
簡単な掃除と、魔法によるお守り。単純な処理だが、これだけで一ヶ月程度は稼げる。充分。
大家族は楽でいいなと思った。
「あと99……です」
☆
ぽた、ぽた、アコルテのナイフから血が垂れる。
「やりました。あと……0。全て、終わりました」
最後の殺しは簡単だった。暗闇の中、通り魔のようにして切りかかった。ここまで簡単に殺せるとは思わなかった。戦闘力や逃亡できる足を持つ者から殺したので、最後の一人が一番簡単になるのは当たり前ではある。
ちょうど、最初の殺しから六十日経った日の夜だった。
(これで……久々に、……誰にも責められないで寝られるな……)
☆
そして、文字通り体を血に浸すような復讐の末に。
二百人弱を全員殺し、その配偶者と子供を全員殺して、千人殺された復讐に千人を殺す真似を完遂して。
アコルテの心に残ったものは、
何もなかった。
よく叙事詩の復讐譚で語られるように、「虚しくなった」とかではまったくない。
義務を完遂したぶんの満足感や達成感はあった。
当たり前だ。別に簡単な仕事というわけではなかった。綱渡りだって何度かしたし、速やかに完遂しなくてはいけないものだったために無理もしたし、基本は王国で話は済んだが別の国で任務を行っていた者もいた。家族に捧げるためのもので、……復讐自体は大切なものだ。
けれど本当に何もなかった。その喜びの、あとには、何も残らなかった。
考えてみれば当たり前だ。今はもう生きる上での目標を達成し、後のことは何も考えていない。かつての生活ではただ誰かに甘えるだけで、その甘える相手の大切だった家族も消え失せて。アコルテの心には何も残らなかった。やったことを後悔するとかそういう次元の話でもない。ただ、自分自身の存在全てがまるごと透明になって消えて、あとは何も感じなくなった。
仮住まいとしていた部屋で、あの日と同じように鏡を見つめながらぼーっとする。
終わりました。
お父さん、お母さん。みんな。
私は忘れませんでした。
あの日からずっと、貴方達のために生きてきました。
国と戦い、裏路地をさらい、ミトンの衣を血に染めて。
……で。
……まあいいか。
死ねば。
このタイミングに訪ねてきたのが、現在の冒険者ギルド、バルトレイ支部の支部長だった。
冒険者としての活動の繋がりから、アコルテに受付嬢になってほしいという。
「受付……嬢? というか、ここ、私の家……どうやって入ったんですか?」
「ああ。受付嬢だ。お前、超上級を狩ってたよな。手柄は他人に譲って、自分は金だけ持ってってたが。何をやってたんだ? 何が必要になった? まあともかく、自分でも冒険ができる受付嬢ってのがいま俺はすごい欲しいんだ」
キザな人間だった。いちいちキメ顔をする。
「……何のことかわかりません」
「おいおい隠すな。あと、お前とミュールのやり取りを見てたけどな。普通お前の年で自分で税務処理の書類は書けねえぞ。どこで習ったんだ。事務処理能力高すぎる。その上可愛い。三拍子揃ってる! ぜひとも受付嬢として欲しい」
「事務処理能力、って。あんなもの、学校の授業に比べれば子供のごっこ遊びみたいなものでしたが……」
「……凄いな。流石ミトン族、教育も完璧ってところか。……おーい、殺気を出さないでくれ。この前セクハラを装ってお前の背中に触っただろう。しばらく受付嬢から白い目で見られたが、切り落とした尾にたしかに触ったぞ、俺は」
「ただの痴漢ではなかったということですか。……勘違いでは? そして、仮に勘違いでなかったとしたら……ここから生きて帰れると、本当に思っているんですか?」
「帰れるさ。そして、……えーっと今使ってる名前たぶん本名じゃないよな。本名何だ? まあいいや。君も受付嬢になるんだ。ギルドの受付で、お前の担当のミュールと同じように、地獄に向かうバカ野郎どもに、にこにこ笑顔を振りまくんだ」
「………………」
特に何もすることがなかったアコルテは、その話に従って、就職した。就業資格については支部長の世話になった。
断って自殺することをしなかった理由は特にない。特にないが、何度繰り返してもやっぱり受付嬢になっていたかもしれないなとぼんやり思う。
☆
受付嬢の仕事は、……アコルテによく合っていた。
天職だったのだと思う。
単純に向いていたようで、仕事をものすごい速さで覚えられたし、気の合う仲間だってできた。
☆
「私、リーフレッタっていうの。よろしくね」
「え、ええ、よろしくお願いします」
「経歴は、文官をやめてここに来ました。支部長に口説き落とされまして。年上ですが後輩なので、いろいろ教えて下さいね」
「その若さでですか? 凄いですね。良いですよ。なんでも聞いて頂ければと思います、リーフレッタさん」
「なんか固いわねえ~~~。愛称で呼んでくれてもいいのよ~~~」
「……では、リーフさんとかどうですか?」
「ふふ、嬉しい。アコって呼んでもいい?」
☆
たくさんの感謝を受け取った。
アコルテは懸命に冒険者の課題や悩みに向き合ったからだ。
感謝の花を、たくさん受け取った。
空っぽだった仮住まいの家が、花でいっぱいになったから、アコルテは良い給料で良い住宅に引っ越した。
新しい住宅は広く、かつての集落の自分の家とほんの少しだけ間取りが似ていた。
何も、不満のない毎日だった。
仲良くなったリーフレッタと、……多くない機会ではあったが、休日が重なると、一緒に食事なんかもした。
自分には望外な幸せだ。
そして、その日々の中でアコルテは思った。
「いつか必ず、積み重ねた殺しの報いを受ける日が来るだろう」。
自分やあの女と同じように、誰かが立ち上がり、今度は殺される立場になった私を殺しに来るだろう。
復讐という言葉で罪を許されることは、……場合によってはあるだろうが、私はやりすぎた。
――だから、その時になったら。
自分を殺す誰かが、“自分を殺せる力を持って”殺しに来たら、
「それを、受け入れて、死のう」。
自分が死んでも、もう自分のために復讐を誓う人間はいない。家族は、全員死んだからだ。
つまり、アコルテが死ねば、そこでもうミトン族に纏わる一連の流れは終幕を迎える。
誰かの死を悲しむ誰かは、誰もいなくなる。
それはきっと、素晴らしいことに思われた。
そもそも、…………決して口に出して認めはしないけれど……ミトン族だって、殺されるいわれはなかったなんて絶対に思っていない。
そして、その時まではいつも笑顔で。
自分を構成していた要素は奪われて、その要素に報いるための戦いは終わった。今の自分には何もない。でも、だからこそできることはあるはずだ。
自分ではない誰かの為に役に立って、お礼の花を一つ一つ集めよう。
この部屋を、感謝の花でいっぱいにしよう。
「私を殺す者が現れるその時まで――」
一人ぼっちの部屋で、曇って星が隠れた夜空に向かって囁きかけた。
「このバルトレイで、冒険者を送り出し続けましょう」




