6-2、大切な人を取り戻すための暗闇に抗う戦い2
「そうだ。間違いない」
男はその言葉を肯定した。
短く綺麗に整えられた暗い灰色の髪、赤い瞳。
手にはこの世界の盃を持っている。酒を飲んでいるように見えるが、顔の赤みや呂律が回らない口調は見られない。
「俺は……ギャリイ・キャストリアテだ」
暗闇を切り裂き、高い位置の赤い瞳がルトナを見下ろす。
静かで、倉庫かなにかのようにがらんどうな部屋の中の、主として。
ギャリイ・キャストリアテ。偽物の可能性はあるが、とはいえどこか堂に入った威圧的な口調は、その辺の素人を捕まえてきてギャリイ役をやらせているものではないだろう。
そもそも立場を逆転すれば、魔法が使えるこの世界で、魔力がほぼ無いただの人が、ルトナに対して対峙し、笑みを浮かべられている時点で充分おかしい。
仮に影武者というやつだったとしても、おそらく本人との意思疎通は可能だと考えて問題ないと思われる。
ルトナはアコルテの元まで歩み寄った。
抱き起こす。異常に軽い。羽毛みたいだ。ユノよりも軽いかもしれない。体重を軽くさせられた? 何かやっているのだろうか?
状態は、寝ているか気絶しているか。呼吸はしている。
そっと寝かせて、もう一度立ち上がる。
「アコルテさんに、何をした?」
一つ忍び笑いを漏らして、ギャリイは口を開いた。
「この鳥には……眠ってもらってるんだ。何、まわしたりはしてねえから安心しろよ。家畜で性処理をする農夫の話はあるが……あれって変な病気にならねえのかなあ。お前どう思う?」
「眠らせた……体重がやけに軽いが?」
「は? ミトン族の体重はそんなものだろう」
(ミトン族? また新情報かよ。ただマジで何言ってんだこいつみたいな反応だし、この体重はアコルテさんの素か)「どうやって呼び出した?」
「大人しくしてないとお前らをな、ひょっとしたらちょーっと傷つけちゃうかもな~って、言ッたんだよ」
「私らを人質に? それこそバカまる出……」(そうか、ユノか……)
言いながら自分で納得する。ユノのドラゴンインストールは知られていない。
そして仮に知られていたとしても、攻略法は簡単。一日以内に三回アタックをかけるだけだ。
自分達を守るために大人しくやられたアコルテを見下ろして、ルトナは内心自分に腹を立てる。
(私ら二人、対人間組織に弱すぎるな……ホントに……)
弱点をはっきりと自覚する。たった二人の救世主パーティ、これからの課題だ。
そして、今はそれはいい。
大切なのは、目の前が何を考えているかだ。
「……で、本人が直接私呼び出して何をしたいの。何の用なの」
「何をしたいって、簡単だ」
男は大きく手を広げて、笑いながら力強い声で言った。
「ハハハはハ死ね。二人まとめて。抱き合いながら。死ね。――死ね……!!! ハハハハハハハハハハハハはハッ!」
ルトナは沈黙した。
イカれている。
「私は用を聞いたんだけど。アコルテさんや私に何がしたくてこれをしてる? 何があった? だから要するに何が目的なのって聞いてるんだ」
「だから『死ね』って言ってるんだよ。聞こえねえか難聴か?」
会話が通じない。
この魔力量なら脳が焼けているはずがない。会話をする気がないのか?
「……まあ私を殺すのはいいけどさ、無理だし。どうやってアコルテさんを無力化したの。ってまさか……人質の話の流れのまま、私らを庇って自分から薬でも飲んだのか」
「違う違う。そんな性根じゃねーだろう。簡単だよ。そいつは確かに弱くはないが、もう何年も戦闘をやめて事務職なんてやってるグズだからな。ルルシィ商会最新の毒の匂いは……わからんよな、そりゃ。警戒はしてたみたいだけどな??? いやー、人ってのは一度前線を離れるとゴミだな。お笑いだったよ、あっけなく倒れ込む瞬間は」
(怒らせようとしてるらしいな? ……乗せられないように……)「仲直りの印にお茶でも勧めたの? ずいぷん気前がいいね? 流石はバルトレイのチンピラの親分だ」
「茶なんて勧めるわけねえだろう、ハハハハハッッッ!」
笑っている。
激情による笑いではない。その笑みと瞳孔はルトナを見ておらず、壊れた機械が台本を読んでいるみたいな声だ。
ヴァインシュタインの狂気とは別の、理性的とも言える狂気に、言葉を仕掛けた側のルトナが気圧される。
「……き、気体だな? 私にはそれは仕掛けないんだ?」
「エルフに効くようなものは予防しようがタダでは済まん」
「どっちみち、……これからただで済ませる気は無いけど?」
一歩踏み出してルトナなりに凄むが、ギャリイはそれをもう一度笑い飛ばす。
「なるほどそれは怖い。魔法を使うわけだな?」
回っている魔力が視えるらしい。
それにしては、慌てる素振りは見えない。
今のルトナを見れば、どんな魔物だって慌てて逃げ惑うはずで……なのに、落ち着いて、笑いを浮かべる様子さえある。
「怖いなあ。だがその前に一つ聞いて欲しいんだ。ひょっとしたら、聞かないと後悔するかもしれない。とても、大事なことだ。よく嗅覚に集中してくれ。
――――――この部屋。火薬の匂いがしねえか?」
瞬間、ルトナの体を電撃が走ったように驚愕が貫いた。
(……匂う。嘘じゃない)
すんすん、と二回息を鼻から吸って確かめる。
(この匂いは、ヤバい。花火みたいな匂いと……ガソリンそのものじゃねえだろうが、ガソリンスタンドと同じ、油の匂いが……する)
ハッタリの可能性もある。
けれどこれでもう、手元にあるアコルテの体のために、魔法が使えない。
(こいつ、頭がおかしい……)
アコルテを人質に取ったつもりだろうが、今ルトナが火属性魔法を使えばギャリイだって死ぬ。
その状況を一切なんとも思っていない。
……なら。
「私の魔法が火属性魔法だけだと思ったら大間違いなんだけどな……?」
火属性魔法を封じられた。
そのために、木属性の魔力を練り上げて、ギャリイに打撃の攻撃を与えようとする。
「確かに。では、確かめてくれ――――お前の魔法を!」
嫌な予感がする。けれど、確かめろと言われたからには確かめてやる。
その思いで作り上げた魔力の巨大な生物組織は、しかし、
(なん、だ、これ……)
しかるべき巨大な樹木にはならず、双葉の芽っぽい形の魔力の塊が床下に見えた感じがして、それもすぐに消失した。
奇妙な手触りだ。全く魔力がルトナに応えない。
草原で魔法を使うときとは絶望的なまでに感触が違いすぎる。岩にかじりついているみたいだ。
まるで、――この床の下にある土が、土でないような。
「楽しいなあ、ルトナ・ステファニエ。これは土属性魔法を殺す土だ。お前の木属性魔法にも効くようで安心したよ……効かなきゃ自爆してただけだが」
ルトナはその言葉を上手く飲み込めない。
「意味が……わからん。まるで……土に細工したみたいなことを言いやがる。いや……床下に撒いたとかか?」
「いいや? この建物はお前のために建てたんだよ。いつでもバラせる建物をバラして、土を入れ替えた。嬉しいだろう? 家のプレゼントだよ。女は喜ぶだろ?」
「ッ……!! ……こんなバラック小屋みてえな家、いらねえ……」
言い返す言葉に、力が入らなくなってきた。
めちゃくちゃをする。一人を殺すために、建物一つを作るなどと。
でも、確かにこれでこちらは、魔法は、何一つ、使えない。
ギャリイはルトナの反応を見て満足に頷いて、体を翻した。
「じゃ、死にたくなければ制限時間内にこの家を脱出することだ。楽しい脱出ゲームだなぁ。お互い頑張ってクリアしたいもんだ……俺は答えを知っているが」
「待て……」
「待たねえ。俺はそろそろこのデートから帰るよ。デートの終わりと言えば爆発だって相場が決まってるよな。お前も頑張って三十数える以内に脱出してくれ。でないと……お前はまあ全身ズタボロでも無事だろうが、その女が……残念なことになってしまうだろうな。いやあ、残念だ。その残念さは、残念なくらい、世界のためになる。そうだ俺は……世界を救う立場を受け継いだわけだ……」
「ッ!! 待てって言ってんだこの……ッ!!」
陶酔したような独り言を残して、この場を離脱しようとするギャリイ。
ルトナは手を伸ばしそれを追いかける。
肉弾戦なら、負けない、はずで――
「ぁ、ぇ……?」
ルトナの手の指が数本、ぽとりと地面に落ちた。
――ぴちゃ、ぴちゃ。
突如として空中に、赤い糸が出現した。
その赤い糸からは、ねとっとした赤色の雫が垂れている。
瞬間、見えた。ルトナとアコルテの二人と、ギャリイの間に張り巡らされた、蜘蛛の糸のような無数の糸が。
(なんだこれ!? ワイヤー、トラップ……!? ってやつか!?)
それらは悪意を以て二人を絡め取ろうとしている。
そして動けなくなった隙を逃さず、ギャリイは壁に備えられていたレバーを音を立てて引いた。
数発の矢がルトナの背中を捉えた。
「かは……」
苦悶の声が自分の口から漏れる。
充分な威力。ルトナの胸は背後から射抜かれた。
何か仕掛けがあったらしい。
背後を見ても何もない。壁の仕掛けか? けれど見えない。
いつの間にか、背後にも透明なワイヤーが張り巡らされている。
……そして、どうやら、これはただの矢ではない、らしい。
……奇妙な感覚がする。
(当たった、ところから、魔力が霧散して……ヤベエ、これは絶対にヤベエ、マジで……)
毒矢だ。それか、魔法の呪いか何かか。ルトナの知らない魔法の武器だ。
ルトナの体を構成する魔力が、命中した箇所から空中へ向けて霧散していく。
勢いはそうでもないものの、……力が抜けていく。
エルフの体は魔力によって動く。
例としては、食物を魔力に変えて体内に取り込んでいる。
タルトから聞いた話だ。
では、魔力が霧散する毒を仕込まれたらどうなるのか。
ただの人間なら魔法の使用が難しくなるだけかもしれないが、エルフがそんな毒をくらえばどうなるか、想像もつかない。
「くっ、……はーーーっ、はぁー………っ」
息が、荒くなってきた。苦しい。
急速に自分の体調が“ずれ”てきているのを感じる。
視界が複数にぶれて、焦点が合わない……。
(し、っぱい、したらしい……)
相手に付き合った時点で、ルトナの負けだった。
何を勘違いしていたのか。
自分を、つまりエルフを、人族に対して圧倒的に優越する種族だとでも思っていた。怪物が人間と戦うようなものなのだと。調子に乗っていたのかもしれない。そのつもりはなかったが、調子に乗っていたのと変わらない言動を取るなら、それは実質調子に乗っていることと同じだ。
そして、調子に乗った自称強者は、死ぬ。
どこからが戦いだったのか?
それとも、これは戦いではなく狩りなのか。
馬鹿にも程があると自嘲する。戦いは戦いの前から始まってるって、わかっていたことだというのに。
暗闇の中、膝をついた。
怪物を殺す人間は、こちらを表情という表情が抜け落ちた完全な無表情で観察している。
喋らない。無事に策を成功させ、喋る必要がなくなったのだろう。
……見つめているうちにわかった。その無表情の中に、たったひとつだけ、確かに存在する感情がある。
それは、アコルテへの、殺意だ。
ギャリイの眼は、暗闇を切り裂き煌々と光っている。魔力の眼で見ると魔力の光を湛えている。
その光はルトナにも見覚えがあった。グドリシアが殺された次の夜、ユノが瞳に宿していた光だ。
けれど、ユノの眼は一晩二晩辺りで、気持ちの整理とともに落ち着いた。
では、目の前にある彼の魔力は、いったいいつから渦巻き続けていたのか。
想いを抱いたその瞬間から、想いはずっとぐつぐつとその体内で、熱され続けていたのか。
二十四時間眼が魔力を宿しっぱなしというのは流石に不自然だから、想いが途絶えるたびにまた燃やし、彼が戦う理由を思い出してはその度に、湧き上がる魔力を殺意に転換していたのかもしれない。
(っダメだ……戦う。戦う。……確かにやべーが、舐めんなよ……こっちだってな、別に遊びでやってんじゃねーんだ……)
力が抜けてひざまずいてしまうが、手元にある軽すぎる身体を、ぎゅっと抱きしめる。
眼がぴかぴか光ってるからなんだっていうんだ? おもちゃのロボットだって目くらい光る。
(爆発に対処しねえと……ギャリイを追いかけないと……あるいは次の攻撃は何だ……?)
深く深く深呼吸をする。まだ、動ける。動けるのなら、動かないと。
「はっ。終わりだ」
ギャリイは笑う。
けれどそんなことは関係ない。
(守る。守る。俺は、絶対に守る。戦う、最後まで……二度と誰にも悲しい顔なんてさせない……俺は……オレは……悲しい思いを……したく、ない……)
たった一つの思いを繰り返す。
脳が自分に命令する。
語りかけてくるようにして命令してくる。
(戦わないと。勉強しないと。運動しないと。舐めてくるやつがいたら潰さないと。そうして動いて……いつの日か本当に倒すべき敵を倒す力を得ないと。後悔する。必ず後悔する。大切なものを守れずに後悔する……だから……戦え。戦えるのなら、戦え。戦えないのなら、原因を排除しろ。邪魔な人間は全員殺せ……!!! そして戦えるようになった俺は、両手がぐちゃぐちゃに千切れて動けなくなるまで、戦う……!!!)
命令によって自分の思いが強まる。
脳の自分への命令がさらに強くなる。
守れ。守れ!!!
お前は、守らなくてはならない。
戦え!!!!! 最後まで!!!!!!!!
「では、三十数えた後に」
視界がかすんでよく見えないが、ギャリイは悠然と歩いて消えた。
追いかける体力はない。あると思われるトラップに気をつけながら逃げ去る体力も、ない。
……。
きっかり三十秒後、爆音が鳴り響き、
それに伴って、
☆
巨大な爆発音が、ユノの耳に聞こえた。
建物一つが吹き飛んだような音だ。
そして感じたのは悲鳴のような主人の魔力。
待機しろと言われていたが、今こそ合流するべき時間だ。
今合流せず、何のための待機だ?
「“龍熱入水”」
手早くナイフで龍の力を纏い、窓を開け放ち数歩で屋根に登る。
屋根を駆けて、音の聞こえた方に走った。
(……これ。飛べそうだな)
強い思いに応え、龍の翼が強い力を持っている。体は軽い。これを使って飛ぶことが、しようと思えばできそうだ。
もっとも、ユノ個人の魔力操作技術では難しいけれど――
思い描く。魔力の翼と、それを用いて飛ぶ自分を。
そして、それに名前をつけて、世界の果てに向けて祈る。
「“ドラゴンウイング”」
こうして新しいスキルが完成する。
ユノは揚力によって離陸して、一直線に爆発音の元に向かった。
飛行の感覚はフェアリーの羽とほぼ同じだ。気絶しないことだけが違い。
一息にも満たない時間で到着した。爆発音にも負けないほど巨大な音を立て、ユノは砲弾のように倒壊した建物と思わしき瓦礫に着地する。
そこには、木属性魔法の樹木でできたゆりかごに包まれた、自らの主人がいた。
☆
全ての魔力を使い果たして、一瞬だけ気絶していたらしい。
視界が、暗い。
体に力が、入らない。
どれだけ走っても持ちそうだった体の力は全て消えて、今はせいぜい成人男性並といったところだろう。
ヘタをすれば、加藤一拠の水準にまで戻っているかもしれない。
脱出は不可能だ。直感した。何か仕掛けていない保証が全くない。
だから、前の魔力大龍からずっと凄まじく伸びていた魔力の総量を全てつぎ込んで、防御にまわした。
対策の施された枯れた土から、強力な魔力を纏った強靭な樹木を無理に作って、全身を覆う盾とした。
「なん、だ、これ……?」
その代償は大きい。
手を見れば、酷いことになっている。酷いことになっているというか、異常事態だ。
ぼろぼろと皮膚と肉が、正四面体(三角錐)の破片となってこぼれ落ちる。触らなくても、勝手に破片が入って自重によって落ちていくのだ。中から現れたのは、五又に分かれて手のようになっている木の枝。
(魔力を使いすぎた代償……!?)




