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4-1、優しいお姉ちゃんとマルミサンド1

 夕暮れに染まった見知らぬ街の、人通りがまばらになりつつある。


「迷っちゃったよ……」


 どことも知れぬ街中の道路で、中身が男のエルフは半泣きになりながら呟いた。



 その門は巨大だった。馬車が四台並んで歩いても全く問題なさそうな横幅に、その辺の樹木より明らかに高い高さ。ちょうど夜明けということもあって、加藤は扉がギリギリと開かれる場面を見ることができた。

 順番待ちをしていた、えーっと馬車……? 巨大な狼が引いているものもあって、トカゲが引いているものもあるが、ひとまず馬車としておいて、馬車の操縦者たちがあくびを噛み殺している。


「なんだ、お前は?」


 ざくざくと街道の土を踏んで歩み寄った加藤に、日本語で話しかけてくる衛兵。いや、日本語じゃないかもしれない。唇の動きを読む技術など加藤にはないが、微妙にタイミングがズレている。何かが作用して、日本語に聞こえているだけの可能性がある。ともあれ、言語が通じない心配はなくなり、あとは問題なくやり取りができるかどうかの心配だけ。

 加藤は慎重に相手の言葉を待った。


「エルフか?」


「はい、エルフです」


「……なんで自分の体を抱いて感涙してるのか知らんが……」


 衛兵にエルフかと呼びかけられて恍惚の表情を浮かべる加藤。可能な限り土埃は払ったが、一度バラバラにされて切断された以上、庭掃除に使ったボロキレを着ているようになっている。

 そんな状態で体を抱いて身をよじっては不審者という他ない。


 とはいえそういう仕草をしながらも、頭の中はしっかりと回転させていく。

 一人では慎重にいかなければ死ぬというのはさっきの魔力大龍戦で学んだことである。


(言語が通じてよかった。通じるなら……でも……一応どういう経緯でこういうことになっているかの言い訳は作ってきたは作ってきたけど……)


 どう出られるかはさっぱりわからなかった。通行料を出せと言われたら一瞬で詰む。犯罪者と間違われたらどうなる。エルフのこの世界での社会的地位は。作り込んだ話は、どこまで矛盾がないものか。


 しかしその懸念に反して、加藤の薄汚い格好と軽装を見て、


「冒険者か。ちょっと待ってろ。対応できる者を呼んでくる」


 衛兵はそう言った。

 ひとまず、門前払いで身分証明書か通行料を請求されるようなことはなくてよかったと、加藤は安心した。


「そうだ、名前は?」


「あ」


「……あ、ってなんだ。名前は」


 去り際の衛兵の質問に、加藤は呆然とした顔を作った。

 過去どういうふうに過ごしてきたか、についてはある程度考えてきたが、なんて名乗るかは、全く考えていなかった。なんでもかんでも完璧にこなせるはずもないが、名前については小さくないミスだ。


 不審者と見られないためには、考える暇さえなかった。自然な名前にしなくてはという考えさえ浮かばず、反射的に頭に浮かんできた、好きなエルフの名前だけを手繰り寄せて発音する。


「でぃ、ふぉ、……」


「?」


「ルトナ……」


「ルトナだな。じゃあ待っててくれ」


 衛兵は門のすぐ横の扉に引っ込んでいった。


(衛兵に名乗った以上、そう簡単に名前を変えるわけにはいかないんだろうな、これ……)


 もう少しちゃんと考えたかったし、ちゃんとした名前で名乗ったつもりだったのに。

 加藤改めルトナは、自分の名前が不本意に決まったことに、悲しみを覚えつつも、かなり好きなエルフの名前を少し拝借して今の自分があることに、ちょっとだけ微笑みを浮かべた。



 取り調べは約三秒で終わった。冒険者であると名乗った時点で、取り調べの兵士の態度はやけに柔らかかった。名前を聞かれ、その取り調べの横にいた非武装の役人? が、さらさらとルトナの似顔絵を書いた。それで終わりだった。


(あんなんで良かったんだろうか?)


 詰め所の扉を、街の中に面した方へと出たルトナの顔に浮かんだのはただただ疑問だった。何か騙されてるんじゃないかと思う反面、少しずつ少しずつ引き出した情報だと、どこの街でも冒険者とはこんなもののようであることと、自分がエルフであることが、その理由の一端であるようだった。


 なんとなく察せられただけなので、これが正しいかもわからない。少しずつ探っていく必要がある。


(……あと、なんか目線がやけに合わなかったな?)


 目線を下にずらされる局面が多かったというか、目線が合わなくなって次相手の目線を見た時は、相手が下を見ていることが多かった。この世界の人間がどうか、兵士には何かそういうことをやる理由があるのか、何か特殊な魔法等の意図があるものなのか。

 考えても考えても今のルトナにはわからない。


(ま、今はいいか!)


 ともかく街だ。門からすぐの場所で街を見渡す。朝日にきらきらと輝く街の風景は、ルトナを感動させるのに十分だった。


(うわあスゲエスゲエ。めっちゃテンション上がるよこれ。っつーか、さっきの馬車もそうだけど、馬車引いてる大きな狼? 犬? 反則じゃねえ?? めっちゃもふもふしたい! 街のこの大通り、商店が並ぶ通りみたいになってるけど、店の人がちらほら出てきて、なんかスッゲー朝って感じがするよコレ! あれさっきの青いリンゴっぽい、八百屋かな?)


 おまけに商店から出て支度している十人程度のうち、一人が遠目で見てもわかる獣人だった。めっちゃモフモフしている。

 ルトナは走って飛びついて抱きついてみることを我慢した。だって衛兵の詰め所の目の前だし。


 次に彼がやったことは、数人の女性や女の子の耳を見ることだった。


(エルフは……いないか。まあしょうがない。この世界では神にも等しい力を持つ種族らしいし、そんなんがその辺の商店やってるレベルで街にたくさんいたらパワーバランスが壊れる)


 がっかりはしたが、楽しみが増えたとも言いかえられた。ルトナはあまり気にせず、数分くらいレンガ作りで中世風な、綺麗な街並みに見とれた。



 さて、ルトナは早速行動することにした。

 行動するといっても、街の地理を分かっているわけでもないし、門番から何か聞き出せるはずもない。


 取り調べでは、いつの間にか自分は旅慣れしている冒険者ということになっていた。それはよかった。荷物無しで遠くからきたか、あるいは荷物を紛失したがなんとか街までたどり着いたかのどちらかに見える人物にはその評価は妥当だろう。ここまで自由に動けるというのなら、しばらくはその身分を使うことにして問題なさそうだ。ここまではいい。

 しかし、旅慣れしている冒険者だったらうちの街くらい知ってるよな、という態度で来られたのは困った。ここは初めてだと言ってしまって問題があるのかどうか。結果として早期開放されたことがよかったのか悪かったのかさっぱりわからない。拘束されて領主に引き合わされ、そこで領主に気に入られて話が進むパターンも、彼が過去に読んだ小説の中にはあった。


 とにかく、街の地理はさっぱりわからない。


 けれど、ルトナには自信があった。

 言葉は通じても、聞いて歩くのは難しい。不審者扱いされたらつまみ出される可能性があるし、それ以前に学校以外は基本引きこもり生活だった彼にそんな度胸はない。度胸があっても、ちゃんとコミュニケーションを取れるか不安だった。衛兵さんを呼ばれてはおしまいである。「お、今朝の君か。街から出ていってね」。これでゲームオーバー。

 けれど――


(人通りが増えてくれば、街の人の流れを見れば、だいたい分かるっしょ――!)


 冒険者ギルドなどはあるのあろうか。あるかもしれない。ある可能性が高い。昔住んでいた世界の中世では、ギルドが組合を作り、組合に所属しない同業者を排除することで構成員が食っていっていた。でもこの世界にあるとは限らない。


 ではどういう形になっているのか。独立したギルドではなく、国の役所が仕切っているか、あるいは役所というよりは兵士が冒険者を仕切っているのか。

 少なくとも、全くそういう冒険者に関する制度はない、ということはないはずだ。魔物がいて冒険者がいて、おそらく魔物対策のために、見上げるより高い壁が街に張り巡らされている。

 でも、ではどういう形で?


(その辺りは、冒険者っぽい奴をストーキングして、調べるってことで)


 冒険者っぽい人間を見つけて、流れを追ったり、最悪後を尾行してしまえばいいのである。

 角の生えたウサギとか、血まみれの大きな獲物を抱えているやつとか、絶対いるはずだ。


 さて、この想像は当然、基本普段家から外に出ることがなかったルトナの過去による、見当違いの認識に他ならなかった。

 冷静に考えてみれば分かる。たとえば電車の駅の目の前にぽんと放り出されて、あっちは住宅街、こっちは商店街、とか、人の流れで分かるだろうか。


 一つしか電車が乗り入れていない駅ならまだわかりやすいかもしれない。駅の周囲にしか商店が並んでいなかったりするし、人の流れもわからなくもない。人通りが最も多いところに待ち合わせのフリをして張り付いて、一人、探している特徴のやつを見かければ、そいつを追いかけるだけだ。

 けれど、二つ以上電車が乗り入れてるような巨大な駅で、北口も南口もそれなりに店が並んでいるっぽい、そんな駅で、徒歩二十分はかかる先の、あるかもわからない施設をどう探すというのか。今のルトナはちょうどそんな状態である。


 一応、喧騒の中に少なくない数、冒険者と思わしき服装の者はいたが、一人は外れで、一人は尾行してすぐに逃げられた。

 おそらく尾行がバレて、危害を与えようとしてる相手とも思われたのだろう。


 知らない誰かを追う途中で路地に入り込んでしまい、まだまだ道は広く人もいてぐねぐねに複雑な路地裏というわけではなさそうではあるが、今自分がどこにいるか、わけがわからなくなったのは一瞬だった。


 そして、夕焼けを見ながらルトナはへたり込んでため息を付いた。


「うう……迷ったぁ……」


 まあ当然といえば当然である。



 うろうろすればするだけ迷うだけだと気付いたが、さりとて動かなければここで野垂れ死ぬだけだともわかっている。ルトナはいわゆる手詰まりの状態だった。


 ルトナの近くを子供の集団が笑いながらかけていく。一人は金髪で、二人が青い髪だ。こうも若いと男女の区別を確定するのは難しいが、おそらく全員男だろうとルトナは思った。三人は、飛んだり跳ねたりして……跳ねたり?


(そうだ……)


 手詰まりを打開するために、試しにジャンプで街を見渡せないか。ルトナはこう考えた。

 森での身体能力を考えるに、今は常識を超えた運動力を発揮できるに違いない。


(せー、のっ)


 試してみれば、確かにジャンプは猛烈な勢いだった。人間だった頃と比べれば、であるが。

 風切り音を伴って、ルトナは家々の二階の高さにまで届いた。が、これは街を見渡せるようなレベルではない。

 もう数度方向を変えつつジャンプをすると、一度だけ屋根が特殊でちょっとだけ豪華な建物が家の間から頭だけ出しているのが見えたが、それ以上の収穫はなかった。


(結果、何も収穫はなし、か)


 落胆するルトナ。

 しかし、ジャンプが生み出した結果は収穫がないことだけではなかった。


「……あれ」


 なおもジャンプしてみようとするルトナは、ぺた、と尻餅をついた。体に力が入らないのだ。手も震えている。


(これ、低血糖……?)


 低血糖。

 ルトナはある夏の日のことを思い出した。過去のある夏の日、彼はいつものように持病の発作に苦しんでいた。ふと眠りに落ちたと思えば、時計の針は一時間どころか十三時間すぎていて、起きてもダルさがまだ残っていて、ベッドから動けず。

 ようやく収まりかけたと思って起き上がろうとすると、悪寒やら動悸やら手の震えやらが止まらなくなって、パンを食べればすぐ収まったのだが、当時の加藤は初めての低血糖にマジで死ぬかと思ったのだった。


(……いや。ただ単におなかすいてるだけか。全然気付かなかった。俺、めっちゃ腹減ってたんだな……)


 今回は特に症状はなく、あの恐怖を思い出す必要がなくてホッとしたが、どのみち危機的状況であることには変わりない。

 異世界に来て、その辺の生活的感覚が完全に消失していたが、思い出せばまる一日飲まず食わずだ。その上魔力大龍と大立ち回りも繰り広げている。

 けれど、何かを食べに行こうとしても金がなければ、飯屋の場所さえ知らない。


(……せめて、行き倒れるのはさっきの特徴的な建物を、見にいってからにしたいよ)


 ルトナの意思に反して、体は動かなかった。


「あああ……動け! 動けよ……俺の体!!! ああああああ!!!」


 こんなしょぼい場面でこんなセリフを使うことになるとは思わなかった。ルトナは心のなかで血の涙を流した。最悪だ。


 唐突に叫んだルトナを見て、数人の歩いて行く人がさっと避けていく。当たり前だと理解しつつも、ルトナはやっぱり悲しかった。今のはまあ自分が悪いとしても、今日の一日、これまでも道行く人は自分を避けた。服装のせいだろう。ルトナの今の服装は魔力大龍撃破時と全く同じでボロボロで、マフィアかなにかと銃撃戦や刃傷沙汰を繰り広げてきたように見える。

 厄介事にわざわざ関わろうとする人間などいない。それは、異世界でも同じ、ように思われた。


「……大丈夫?」


 一本だけ向こうの路地から、女の子が姿を表して、ルトナの傍に歩いてきて、声をかけた。


「……じゃないです」


 救いの手だった。

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