EX5、神敵追撃掃討戦
「神によれば、それを授けたのは私であるが、急に事情が変わってしまいまして、早急にその力を返して貰う必要がある、ということなのです」
「な、……!」
ルトナは、絶句した。
話が急すぎる。
何がなんだかわからないし、説明になっていない。
「事情とはなんですか?」
「それは、言えないとのことです。世界に影響が出てしまうから、と」
「……それ自体はわからなくもないけれど。じゃあ、彼女と直接話をさせて下さい」
「それはできかねます」
「理由は」
「お話しできかねます」
ルトナは頭をかいて、
「意味が、わからない。力を返せというのはわかる。事情が本気でヤバいんなら、一度こっちの世界に降りたやつには言えないことだってあるだろう。会話できない意味は!? 会話させて下さい。何かおかしいんだ。そして、おかしくないんなら俺は黙って返します。会話できない意味はなんですか。さっきまで俺は、さっきの俺はそもそも会話させてやるって言われてここに来たんですよ」
ミシェルカは沈黙している。
力を返せという要請は有無を言わさないものであると、そして理由も何も言えないのだと、その沈黙だけが説明していた。
そして、ルトナは――
☆
「理由さえ聞かずにはいそうですかって返すバカが、いると思いますか?」
何かがおかしい。
黙って従っていい状況とは、とても思えない。
ルトナ個人にだってやりたいことはあるし、神の領域でルトナが世界を救うことを待っている、神と名乗った女の子のためにも、黙って従う道理はない。
ミシェルカは俯いたまま答える。
「残念です」
形の良いまつげが震えたのが見えた。
悲しがっている。この聖女は、眼前のエルフが彼女の言葉を断ったことを、本当に悲しがっている。
悲しい表情のまま、言い放った。
「それでは、貴方を聖女ミシェルカの名の下に、『神敵』であると宣言致します」
神敵。
ルトナはその単語を聞いて、硬直した。
別に戦慄したわけでもない。単純に、何を言っているのかわからなかったのだ。
「神敵……?」
しかし、状況は硬直を許さなかった。その言葉を合図として、約三十人の聖職者が、同時に一つの呪文を詠唱する。
「「「「「「“我らが主の名の下に、――来たれ、猟犬”」」」」」」
「なっ……」
無数の光の矢が、ルトナ目がけて疾走する。
何の魔法なのかわからないが、今のが全てスキル名らしく、胎動する魔力がそれを示していた。
「舐めんな!!」
魔法になる前の魔力によって、それを逸らす。
この防御方法には自信があった。あまり冒険者の間で一般的ではないようだが、魔力大龍の魔法さえ逸らした、ルトナにとっての伏せカードともいえる力だ。
けれど、逸らされた光の矢は一度綺麗な曲線を描いてもう一度ルトナの体に殺到。二度目には反応できず、無数の矢をすべて体で受け止める羽目になった。天井から見たら、花でも咲いたように見えただろうか。
「ぎぅゥぅっっっ」
痛い。痛い。焼ける。灼ける。体中が光の熱線に貫かれ、体は、風穴こそ開かないものの中まで高熱を感じている。
(威力は……そうでもない……エルフの体なら全然問題なく動ける……けど、痛いぃ……)
ぼうっとしている場合ではない、ルトナは苦痛にまみれた声で反撃を仕掛ける。
「“劫火の肺臓”っ!!」
テンペストアルファは空気を高温にする自作魔法だ。空気に作用するために、水属性の障壁等、防御手段があまり意味をなさない。対処法は呼吸をしないことだけ。
何と言っても教会のシスターと言えば防御と回復だ。ゆえに、ただの攻撃魔法では通用しない予感があったため、この攻撃魔法を使った。
けれど、その予感は、より嫌な方向で当たった。
「防げ!」
ミシェルカの号令と同時に、半数の僧侶たちが“光よ”と詠唱する。中級の魔物が五秒で悶絶死する壮絶な魔法、のはずだったのだが、彼女らの肌と肺は十秒経っても焼ける様子が見えない。
「二節!」
「「「「「「神敵よ、跪――
ヤバい! ヤバいヤバいヤバい!
反撃の号令の直後、ルトナの直感に最悪の警鐘が鳴り響いた。
これを打たせてはならない。電撃的な反応速度で、ルトナは地面から樹木を召喚し、彼らの口を塞ぐ。
床を一瞬で食い破って伸びる数十本の樹木は、一人残らず僧侶たちを無効化した。
魔力量は、問題ない。あと数十回これを繰り返しても魔力は切れない。
数瞬の沈黙の後、聖女はさっきまでと同じ口調で口を開いた。
「……素晴らしい無詠唱魔法ですね。そのうえ二重属性ですか。魔力の色が曖昧で識別できませんでした」
「宗教で目が曇ってるんじゃない?」
「信仰は、澄み渡る晴れた青空のように澄んだ視界を私たちに与えてくださいます」
目を閉じて、ミシェルカは胸に手を当てる。
「最終通告です。私は先程の神敵認定を取り消す意志があります。私の要求に従って下さい」
「内容は?」
「我らが主に、その力をお返し下さい」
「――答えは一つだ。クソ食らえ」
いきなり武器を向けられて、交渉もクソもあるか。
聖女は、凍りついたように動かない。
「何もしないのか? このまま私は消えるぞ」
「どうぞ。私は貴方に一対一では危険ですから」
ルトナは歯ぎしりをした。ミシェルカの魔力量はルトナより明らかに多い。聖女と名乗っている以上、それを扱う力量にも長けているだろう。危険だろうとなんだろうと、やれば負ける。即ちそれは、「見逃されている」ということに他ならない。
「この教会がどういう場所かわかった。従わなきゃ神の敵か。大した神様だよ。追って来たら、全員追い返すからな」
そう言い捨てて、教会を後にした。
☆
ユノを拉致同然で自宅から連れ出した。何も無しで済むとは思っていなかった。
予想通り、ユノを連れ出したその日が自宅を見た最後の日になった。
翌日、燃え盛る炎が、遠目から確認できた。あれは間違いなく二人の家だった。
その確認も、絶え間ない追手があり、悠長にこなせる状況ではない。
逃亡生活。二人で逃げ出した。
はじめは街や都市を離れ二人で野の中で暮らした。
しかし、追撃の手は寸分違わずルトナ達の首筋に突きつけられる。
やがて、ルトナはなんとなく理解した。ルトナも、襲撃に魔力の高い実力者が混じっていると、襲撃者が近いか遠いかわかる。彼らはルトナの魔力を見ているのだ。
「悪い、ユノ……ユノだけなら、簡単に逃げられたのに」
「その言葉は無意味です。私は、今はご主人様の奴隷です」
ルトナの吐く弱音に、ユノはそう答えた。
この状況に対し二人の選んだ選択肢は、街か都市に潜伏することだった。
人の集まる場所であれば周囲の人間の魔力に紛れ、こちらの魔力は露呈しづらくなる。
しかしそれは逆に、こちらも相手の襲撃を予見しづらいということでもあった。
その上、いつからか襲撃者はより強力になった。
何人か撃退したためだろうか。
新しい襲撃者は聖女の格好をした、二人の少女だ。双子で、瓜二つの外見をしている。幼い外見ながら超強力な魔法使いで、ルトナは目を合わせただけで正面対決を避けざるを得なかった。
化物みたいな魔力量だ。ルトナにとっての最悪の強者の象徴、ヴァインシュタインが赤子に見える。
片方だけならまだなんとかなったかもしれない。全く別次元の力というわけではない。ユノにドラゴンインストールをさせ、二対一ならば、あるいは。
けれど、それが二人いる。
襲撃は苛烈になり、状況はさらに絶望的な方向に進む。
手配のような形にされてしまっているようで、しかも解放教の信者は国教だけあって多く、身動きがほとんど取れない。
何かを間違ってしまったかもしれないことについて繰り返し謝罪するルトナを、ユノは何度でも丹念に慰めた。
そんな中だった。
バルトレイから少し西に向かった、村以上街未満の名前も知らない町で、路地の裏でボロ雑巾のように薄汚い格好でいた二人を、一人の少女が迎えに来た。
「よ、元気?」
ミズリだった。
☆
ミズリが用意したという家に身をやつし、久々に湯を浴びて、彼女の差し出した茶を飲んだ。
隠れ家はスラムの中のボロ家だった。しかし、すきま風はない。
茶と毛布は暖かく、少量であるが甘いチョコレートが口の中で溶ける。
タルトの姿はないようだ。
「暖かいです、ご主人様」
「うん……」
ミズリは二人を見て、「少し気分はマシになった?」と問いかけた。ルトナは頷いた。そして、それが話を進める合図だった。
「タルトから派閥の話は聞いているわね」
「いや……? 派閥?」
「そう。そっか。まだだったのか。てっきり、……ま、いいわ。なんとなくわかるでしょ。――私達エルフ前進派は、貴方を匿う用意がある」
☆
ミズリの話によれば(きわめて簡単で表面的な話しかしてもらえなかったが)、エルフは二つの派閥に分かれ、派閥抗争を行っているという。
ミズリが所属しているのが前進派。一つの目的を共有している集団だ。それが、ルトナを助けるのだという。
「タルトが助けにこないこと、恨まないでやって。別に、あの子だって助けられるのなら助けたいんだから」
何もかものことがわからないが、そう言われては恨まないという選択肢しかない。
どういったカラクリなのかは不明だが、ミズリに匿ってもらってから、襲撃は完全に止まった。それどころか、変装を行い魔力を隠すマジックアイテムを持ち歩けば、この町で買い物も行えるようになった。
二人の生活水準は大幅に改善された、好きな時に暖かい毛布で眠れて、温かいお湯を頭から被って体を清めることができる。
ユノは体力が尽きたのかここに来た初日にぶっ倒れて高熱を出したが、すぐに軽快した。
「ちなみに気になるんだけど、襲撃者って、どんなのだったの?」
ミズリは数日に一回姿を見せに来る。ユノがいるから退屈はしないが、綺麗でスタイルが良いだけでなく、ノリが軽くて話していて楽しいミズリは、日々のスパイスだった。
「双子だった。双子で、ミシェルカと同じ格好をしてた。二人共同じ属性の二重属性。属性は、他のシスターと同じものと、後なんだろう? 変な感じだった」
「……“双子の聖女”。あんた、なんてモノとやりあってんの。……大変だったわね、マジで」
「双子の聖女……?」
ミズリは苦笑いを浮かべる。
「最強の聖女よ。聖女にもいろいろいるわけだけど、戦闘ばかりしているタイプで、そしておそらくこの大陸でも敵はほとんどいない。二十年前の人族の戦争の、戦場で生まれた子供らしいわ。双子の、二重属性ってこともあって、教会が“神の奇跡”として喧伝してた。聖属性と虚属性だったかな。あたし達はちょっと違う見方をしてるわけだけど……ともかく、それはそのまま二つ名になった」
「よくわからないけど、ヤバいんだね」
「ええ、ヤバい。今のあんたでアレとやり合おうなんて死んでも思わないほうが良いわ。あたしもたぶん無理。タルトと組めば、きっとなんとかしてやるって思うけど」
「……私もそう思った。だから逃げ回ってた」
「賢明ね。えらいえらい」
「頭を撫でるな」
潜伏する生活に不自由はなく、ユノにお話をするのも楽しいし、ミズリとの会話も心地よい。
ルトナは、いっそずっとこのままでもいいかなと思った。
しかし、ユノはそれを拒んだ。
☆
「出て行く?」
「ああ」
ミズリが訪れたタイミングで、ルトナはこのことを告げた。
きっかけはユノだった。ユノは「ミズリから嫌な感じを受ける」という。言われて、ルトナも遅まきながら思い至った。
そう、間違いなく、この庇護は純然たる悪意ではない。わざわざ人を二人匿うということは、楽なことであるはずがないからだ。しかし同時に、それと同じくらい純然たる善意でもない。ミズリは、前進派としてルトナ達を匿うと言った。労力以上のリターンがあるのだ。
最悪の最悪、明日ここがエルフ前進派と解放教会の間で取引の材料になり、明後日に敵が殴り込んでくる可能性だって否定できない。
無いと信じたい。けれど、ユノを守らなくてはいけない。
「そ」
ミズリは特に驚かなかった。目を閉じる。こうなるのがわかっていたかのような表情だ。
「マジで、世話になった」
「ホントよ。あー疲れた。指示を出したのは首長だけど、実際にここを用意したのはあたしなんだからね?」
「ありがとう」
「……ん」
背を向けて、歩き出す。旅支度は済ませてある。自分の奴隷を呼び出して、ここを出なくては。
「ルトナ」
「? ……痛っ! 普通に痛ぇよ、ていうか何これ?」
顔に投げつけられたのは小さな布の袋だ。アイテムバッグの小さなポーチから取り出したのだろう。さっきまでこんなもの持っていなかった。
手首だけで軽く放り投げられただけだが、痛いものは痛い。
中に入っているのは石のようだった。顔で受け止めた感触からそう思った。
しかし、手で触ってみて、ただの石ではないのだとわかった。
これはおそらく、宝石だ。
「ああー、あれー? おかしいわねー。大事な大事なあたしの宝石が一部どこかに行ってしまったわ。ただ落としちゃっただけだから、あれを誰が使おうが、派閥云々とかエルフ全体とかとは一切関係ないし、あたしに何か関係することは一切ないんだけど、それでも困ったわねー、乗り物一匹と小さなアイテムバッグくらいは揃うかもかしらー?」
「……ミズリ、白々しいよ」
不覚にも、声が震えてしまった。
ミズリは微笑む。
「頑張んなさい。生きてりゃなんとかなるから。たとえ、そこが魔族の住まう領域であろうとも。――また会いましょう」
☆
やはりなんらかの取引があったのか、それとも魔力の隠匿が関係していたのか。
エルフ前進派と手を切ってすぐ、双子の聖女の追撃は再開された。
また会いましょうと言われたからには、そう簡単にくたばるわけにはいかない。
目的地さえない逃避行であるが、ルトナとユノはよく持たせていた。
けれど。
風向きが変わったのは、馬を魔法の爆撃で失った後、ルトナが一度致命傷を受けてからだった。
☆
ユミスレル。この国に存在する六つの大都市の一つ。
大きな大学が、一つだけでなく複数存在する文化都市でありながら、張り巡らされた水路など、風光明媚な街並みから貴族の観光も多い。
そのユミスレルの街中の路地で、ルトナとユノは、追い詰められた。
「こんばんわ、お兄ちゃん?」
「こんばんわ、お姉ちゃん?」
薄暗い。
歩み寄ってくる双子の聖女は、ルトナを、片方がお兄ちゃん、片方がお姉ちゃんと呼ぶ。
片方曰く、男の匂いがするかららしい。もう片方はそれを強く否定する。
起伏のない子供の体型で聖女の修道服を着ており、髪の色も瞳の色も同じ色をしている。
「ここが年貢の納め時ってところか」
自分でも自分の血の臭いがわかる。もう逃げるという領域じゃない。深手を負いすぎたのだ。
「年貢? いらないよ。私達貴族じゃないよ?」「私達は貴方の命さえ貰えればいいの。そうすれば、ミシェルカが褒めてくれるわ」
――やっぱり。
薄々気付いてたことだったが、ルトナはようやく本当にその事実と向き合った。
ユノは、彼女達が殺す対象ではない。
双子は、ルトナの奴隷に目さえ向けない。
自分のわがままで、この逃避行に巻き込んでしまっているだけにすぎない。
ずっと前からわかっていたことだ。ユノを買ったことが、間違いだったってことは。
「ユノ、逃げ、」
「ご主人様。ここは私が引き受けます。ご主人様は逃げて下さい」
ルトナの言葉に、ユノはかぶせた。
その言葉は、そっくりそのままユノに渡そうと思っていた言葉で、少し笑ってしまう。
「冗談を言うな。……嬉しいとは思ってる。けど、もう終わりだよ。お前は逃げろ」
言葉は本当に嬉しい。まだ、主人だと思ってくれているのだ。
けれど、引き受けるもクソもない。
ユノは、一度双子の聖女に“龍熱入水”状態で敗北している。
もっとも、別に正面から圧倒されたわけではない。
強化時のユノの猛攻を、彼女ら二人は、踊るように全ていなしたというだけの話。龍の力など、苦にするまでもないとばかりにあしらわれ、そして、たやすく制限時間を使い切らされたというだけの話だ。
何か技術を学ぶ機会があればよかったのだろうが、そしてルトナとの鍛錬による付け焼き刃の戦闘技術(のようなもの)はそれなりに悪くないもののはずだったが、二人は、その全ての力を綺麗に流した。
ついでに、強化が切れた状態で呆然とするユノを無理に抱きかかえ、戦線離脱を行おうとしたその隙に、ルトナは大きな傷を負ってしまった。
キュレアを試したのだがほぼ効かない。
その傷さえなければ今も応戦できているはずなのに、と、口に出すわけにも行かないけれど。
「ご主人様。ご主人様、聞いて下さい」
「ぁ……?」
☆
後ろに隠れてばかりだった。何かをしてもらってばかりだった。けど、今は違う。
「私は、私が貴方をどう思っているかがよくわかりません。本当によくわかっていないんです。はじめは奴隷としての忠誠、そして、あの子を殺された恨み」
本当はわかっている。強靭な生存力を持つ種族のルトナは、足手まといがなければもっと効果的に逃げることができる。自分は、邪魔なのだ。気付くのが遅すぎた。何か役に立てると信じていたんだ。
「けれど、たしかに私のことを気にかけて下さって、私を助けて下さって、楽しいお話をいっぱいして下さって、あの子を殺されたのだって私を買われたのだって、誰かが何か悪いわけではなくて、そうして恨みと憎しみと愛しさが、ぐちゃぐちゃになって、なんだかよくわからなくなってしまった」
その責任は今からでも取れる。
数歩歩いて、主人の前に出て、主人を守る態勢に入る。
「ただ、これだけは言える。いま、私は貴方の奴隷です。奴隷なので、貴方を守ります。そこに疑問など、――無い」
後頭部の髪留めを二つ外して、片方を口に咥え、もう片方を両手で握った。
髪を挟む形式の髪飾りであるが、先入観を取っ払って見れば、これは少し幅広の金属だ。研げば、刃物になる。
「“龍熱入水”ッ」
思いっきり、それを、左胸に向けて突き刺した。
ぺちゃ、という音とともに、水が滴った。髪留めが水になって溶けたのだ。
「それ……髪、飾り?」
ルトナの質問に、首を微かに動かして答える。
思いっきり、でなくてはいけない。
龍の力を得ることができるのは、絶命に至るかもしれないその瞬間。
ナイフで心臓を突き刺して絶命に至るのは簡単だが、髪留めを心臓に突き刺して絶命に至るのは容易ではない。だから、力いっぱい突き刺す必要がある。
同時に、膨大な魔力がその場を包む。通常の人族であれば正体不明の威圧感で腰が砕けるような魔力。ただし、聖女二人にとっては少し風が吹き荒れる、季節がある地方の春の風のようなものだ。目を細めて様子をうかがっている。
「お姉ちゃん、まだ刃物を持ってたんだ? 一応、調達のヒマがないよう追いかけ回してたのにな」
「でも、そのチカラじゃ私達に敵わなかったでしょう? 諦めてくれると、こっちの仕事が楽だよ」
「今楽にして差し上げますよ。――その首を、砕いて」
そんなことは知っている。
今の自分では、眼前の敵に敵わないということは知っている。
だからといって、引くことは許されない。許されない、……何に? それは、見ず知らずの他人でも、守りたい相手でも、存在しない何かの倫理的概念でもない。自分自身が、自分を許さないのだ。
「ユ、ノ、何を……?」
強く収束しかけた魔力が、再び更なる勢いを得て、暴風雨のように吹き荒れる。
それは物理現象となって、一瞬だけ周囲に魔力の結晶たる水を撒き散らした。
「何を、するつもり、その魔力!?」
足りない。足りない。いつだって足りなさすぎる。持てる資源は有限で、状況がそれを絞り尽くす。自分はどうしようもない無能で、敵はそれを超える。いつだって、今片目から魔力の水が止まらずいつまでも流れ落ちているみたいに、与えられた状況に対してぼーっと受け身になって、めそめそと惨めな泣き面を晒しているだけ。
だが、足りないのなら、――足すだけのこと。
もう一個の髪留めを自分自身に振りかざし、ユノは絶叫した。
「”二重龍臨”ッッ!!」
ざちゅ、という音がして、視界が暗転した。
両目からどくどくと魔力の水が流れ落ちる。
何度かまばたきをすると、視界と目の状態はようやくもとに戻った。
――世界が魔力に満ちる。自分のものだ。
呆然とするルトナの声が聞こえた。
双子の聖女の表情は読めない。
できないわけがない、と思っていた。
龍の力を得て強化を果たすのなら、強化された状態でもう一度龍の力を得ることができるはず、と。
できると信じていたと言い換えても良い。結果として、今回は賭けに勝った。
二度目のドラゴンインストールが与える影響を自覚する。
まず、気を抜くと、体が魔力体になってしまうようだ。たとえば、自分が肘の存在を意識から外すと、肘が消え、魔力大龍のような魔力だけの状態になってしまう。
どうなっているのか、自分でもわからない。髪の先が魔力になって世界に向けて消えているのがわかるので、例えば自分で見えないところ、……頭などはどうなっているのだろうか。
いや、あるいはこれを利用するべきなのかもしれない。魔力だけになった腕を伸ばせば、五メートル先に掴みかかることも可能だろう。五メートル以上腕が伸びてしまったユノが、まだユノであると言えればの話であるが。
次に、心臓の音がうるさい。心臓を通して、全身に魔力が循環しているのを感じる。普段はこのようにはならない。あるいは、心臓が血を運ぶ器官であることをやめ、魔力を運ぶ器官に変異したかのようだ。
そして、翼。
翼を自分で見ると、棘のようなものが大量に伸びている。この形は、蛞蝓の角だろうか? スライム? ……いや、蛇の舌か。両目が龍の目になったのか、常に魔力が見えている。翼が、空中の魔力を吸い上げ取り入れている。
(ぐ、ううう……これ、は……)
想いが、翼を通して流れ込んでくる。
明日は何をしよう。明日は彼とどこに行こう。この子が愛しい。夫が愛しい。妻が愛しい。今日の夕食はなんだろう。殺せ殺せ殺せ。美味しい。楽しい。憎い憎い憎い。今回の商売もうまくいったらしい。きっとこれからもっとうまくいく。これで中級を倒してやれるぜ、美味いものを食わせてやれそうだ。どうか世界に平穏が訪れますように。祈っている。どこかの教会で誰かが祈っている。どうして貴方の笑顔を見るだけで、心が暖かくなるのだろう。大切な人と一緒にいられるこの世界が、いつまでも続くと良いな。
(あ、頭が、弾け、そう……)
これらは、どこかに存在する、誰かの想いだ。魔力の力は想いの力。空気中に存在する魔力を自己に取り入れるとは、そういうことだったのだ。
つまり、龍とは、魔力大龍とは――
(これ、だめだ……自分が、消える……)
他人の考えを、想いを、幸福を、そして一部に憎悪を、強制的に流し込まれる。
流し込まれるそれは、今はもうきっと届かなくなってしまった、幸せの形。
こんなものをまともに喰らっていては、数分以内にきっと、自分自身も消えてなくなるだろう。廃人。この二文字が思い浮かぶ。あるいは肉体さえ空気と入り混じって溶けてしまうのかも。
(……でも、今はそれでいい)
きっと、届かない誰かの幸せを覗き込む地獄は、大切な人を守るための力だ。
「逃げて下さい、ご主人様。早く」
「んなこと、できるわけ……」
「なら、そこで見ていて良いですよ。貴方の奴隷は、勝ちます」
そして脚を一歩踏み出して、聖女を睨みつける。
もう、時間切れで終わらせるつもりはない。最悪、自らで作り出した水底に心中しよう。燃料切れはない。魔力の流れは続くはずだ。……この体が、朽ちるまで。
「行くぞ、教会の聖女――」
「私は戦う! 最後まで!!!」
「私の背中にいる人に、指一本触れさせるもんかぁッ!!」
限界などない。
たとえ今は見えなくとも、星はいつもそこにあるのだから。
「……え?」
――けれど。
忘れてしまっていたのかもしれない。
星に伸ばした手が届くときは、絶対に来ないってことを。
ぷつんという音を、聞いた気がした。
☆
「あ……え……?」
理解できない。ルトナには何が起きなかったのか全くわからなかった。
ユノが二重龍臨を発動させた直後、聖女に向かって踏み込んで啖呵を切った瞬間、その体は崩れ落ちたのだ。
「な、ユノ……? 限界が来たってことか? 体の負担が大きすぎた? ……おい、返事しろって!」
「残念だねぇ、お姉ちゃーん?」
「残念だったね、お兄ちゃん?」
笑う聖女の片割れの片手には、シンプルな装飾のナイフが握られている。
「長々とぺらぺら喋って、ほんとにそのまま力使うとは思わなかったよ。来たるべき戦争に向けて人族を守るために、常に魔力大龍と戦い牙を研ぐ教会が、龍の巫女対策を持たないなんて、そんなことあるわけないじゃんねえ」
「かわりにこのナイフ、山のようなハンコとサインが必要だったけどね」
「何を……したんだ」
「契約を一瞬切ったんだよ。そういう聖法具なの」
「半端に変質した体と、半端に流れてきた魔力で、その子は自壊した」
二人は、ユノの亡骸を見て笑った。
「あっはっは、これ凄いねえ、魔力死した人初めて見た。あーんな自滅みたいなことするから」
「ほんとだ~。この子の死に方は立方体かぁ。誰かのコトしか想えない、出来損ないの人間だね」
彼女らの言葉の意味を理解できず、ルトナはユノがいた場所に視線を向ける。
そこには、肉体が立方体の破片になって、バラバラになっている死体があった。
(は……?)
比喩ではない。骨も、肉も、脳も、全て、立方体――正六面体状になって、ばらけている。一部は、霧状になり霧散しつつある。ブロック状にばらけた骨肉に、彼女がつけていた服や防具がそのままの形で覆いかぶさっている。
本能的な恐怖があった。曲線と丸でできているはずの人間が、幾何学状の立体へと変貌する奇跡。
不思議なことに、広がる血溜まりの速度は遅い。
「魔力死……」
この世界における強すぎる力の代償、それが魔力死。
ルトナは初めて聞く単語だが、二人の言葉からそれを推察する。
「お前ら……追い詰めたと思ってるのかもしれないが」
「はい」「そうだね」
「まさか俺に勝てると思っているのか?」
ルトナは心底から後悔した。怒りと不甲斐なさで声が奮えた。
魔力を回す。
今の自分は瀕死だが、それでも、こんな場面を見て、黙ってやられるバカがどこにいる?
「お前らが大陸最高峰の実力を持つってのは知ってる。だが、お前らにさんざん追っかけまわされた俺も、今はその領域だ。――テメエら全員、全身グズグズに煮込んで殺してやるよ!!!」
「「それは無理かなあ」」
気配。
魔力の気配だ。
目の前の相手と同格のものが、五つ。
「ぇ……は……?」
聖女。聖女、聖女、聖女、聖女。
ルトナはすべてを察して、せめてもの抵抗に軽口を叩いた。
「お前ら……教会の職務を放り投げて、こんなところで可愛いフェアリーとエルフを追いかけてナンパか? ああ?」
「これが教会の職務です」
「そうかよ……そうかよ! クソッッッ!!」
目の前に映る景色は、十人しかいないはずの教会組織の表向きの頂点たる聖女が、七人まで揃っている景色。
双子、ミシェルカ、あとは名前も知らないけれど……。
聖女の中での戦闘力最強は“双子の聖女”であるらしいが、見たところ他五人も格が落ちるということはまったくない。双子の片割れとやっても勝てるかわからない今のルトナには、その風景は、死の運命を感じさせるに充分だった。
ごろん。
景色が、回転した。
教会の神敵は、「聖なる炎」とやらで燃やされ殺されるのが習わしなのだそうだ。四肢を切断され、ついでに首も切断され、傷口に聖なる油を塗り込まれ、炎で焼かれる。それが、神の敵たるルトナの辿る運命だ。
(クソが……もう痛みも感じねえ。切断された場所ぜんぶ、ふわふわして、どうしようもねえ感じだ……戦力が違いすぎた……せめて、……ちょっとでもいい、一矢を報いたかった……)
でも、教会が考えてる以上に、エルフの体はしぶとい。首を落とされた程度なら、もうしばらく息は続く。神の蘇生魔法はもうないから、復活して逆襲することは、もうできないけれど。
(いいさ、これでいい。見届けてやるよ、その正体。薄汚え面で笑いやがれ。死体を前に安心して、ぺらぺらと真相を喋りやがれ。クソくだらねえって笑ってやる。それが、せめてもの仕返しだ)
ルトナは、ぼやけて物体が影のようにしか見えない目を開けて、きぃんという音とぼぉっとしたエフェクトがひどすぎる耳を澄まし、一体何が目的なのかを探ろうとした。
けれど。
(……は?)
そこには、憎むべき敵を倒したあとの安らかな微笑みと、お互いの無事を喜び合う無私の感動しかなかった。
「皆、お疲れ様でした。これで、また一つ私たちは神へご奉仕を届けることができました」
ミシェルカの言葉を区切りに、聖女は全員、手に手を取って喜びを分かち合う。
抱き合ってる一組もいる。
「あぁとにかく、皆無事で済んで良かった……」
「ワタシはオマエに盾にされて一度死んだんですが?」
「でも、すぐ僕が蘇生してあげたじゃない」
「こーら、喧嘩しないの」
「いや、喧嘩ってレベルじゃねえよ!? 殺人だよ殺人! 殺人幇助だよ! おいコラァ! クソチェリーナ!!!」
「皆無事で済んで良かった……」
……なんで、幸せそうなんだろう。
「ねえ、ねえ! ミシェルカ、おなか空いた、ビスケット食べたい!」
「うん、いいわよ。けれど、彼女らをちゃんと葬ってあげてからです。一度神敵になったとはいえ、いまは彼女らも私達と同じく救われるべき信徒にすぎないのですから」
「えーやだ、すぐ食べたい!」「ねえマリルビッタ、貴方もそう思うでしょう?」
「あはは。……ミシェルカ、正論だけど、二人はずっと追いかけっこをしてたわけだし、私は何かお菓子を探してこようと思う。お供えをすれば神もお許しになるでしょう」
「そう言われれば。ごめんなさいね、気が回らなかった。埋葬は、こちらでやっておきます。三人で行ってくると良いですよ」
「よっしゃー!」「ビスケット一緒に埋めてあげるから、穴塞いじゃダメだよ!」
あたりは笑顔に包まれて、幸せと幸せが波紋のように広がっていく。
神敵を倒した聖女たちは、世界を救う自分達の戦いが成就したことを、心の底から誇っている。
なんだよ、お前ら。
「まるで、――俺が悪いみたいに」




