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5、開く勝ち負けと龍の呪い

 勝ち負けが開いてきた。


 ルトナとユノは、毎朝一緒に鍛錬をしている。

 かつては双子星の宿の中庭を借り、今はせっかく入手した家(だいぶ良い感じの住み心地になってきた)のその庭で。

 鍛錬のメニューは、二人並んで魔力や筋力の基礎の鍛錬をした後、鬼ごっこという構成だ。


 鬼ごっこは鬼ごっこだ。半径三メートル程度の円を地面に描き、追いかけあって一日三回程度の勝負をする。一回の勝負は、一定の時間内に鬼になった回数が少ないほうが勝つ。最後に鬼になったほうの負けとほぼ同義だが、それでもいくつか読み合いが生じる。

 注目するポイントは、タッチの判定は、かわしたら無論無効だが、防御しても無効になることだ。腕や脚で(まあ脚は少ないが)ガードすると、タッチは無効で、鬼は続行。ガードではなく逃げる腕に手が触れればタッチは有効。髪の毛は無効だ、もし手が剣であっても傷にならないから。その辺りの曖昧な部分の審判は二人でやっている。喧々諤々しても仕方がないので、特に揉めたことはない。むしろ、ユノに譲りたがるルトナと、ルトナに譲りたがるユノで言い合いになるくらいだ。


 勝ち負けが開いてきたというのは鬼ごっこの話だ。

 通算二体目の魔力大龍までは六対四くらいでルトナの勝ちで来た。勝ち越しっぱなしで申し訳ないという反面、主従の関係もあるし勘弁してくれと思っていた。だが、三体目を抜けた後だんだんと、ルトナが手を抜かなければ勝負にならなくなってきている。

 ルトナもいろいろ試した。戦法を縛ったり、四肢に重りをつけ負荷をかけたり。それでも、最近の勝負は九対一くらいだ。


 そんな感じのことを、ギルドでばったり会ったチェリネに話した。

 引っ越しの話はタイミングを逃してまだできていない。


「ルトナ、お前馬鹿だろ?」


 チェリネは開口一番に罵倒を放った。


「なんだいきなりお前、馬鹿って」


「いや……馬鹿だろ。相手は何歳の、種族は何か、もう一度思い出してみて下さいよ」


 知っている。チェリネなんかに言われるまでもない。

 年齢を考えれば手加減するべきなのだ。エルフとハーフフェアリーという種族を考えれば手加減するべきなのだ。そんなことはわかっている。


「……でも、それは失礼かなって」


 けれど、これは鍛錬だし、ユノだって、一歩も引くつもりはないらしくて。

 普段は別にそんなこともないのに、鬼気迫る表情が頭から離れない。

 ユノがルトナの先に何を見ているかは、わかっている。


(あれを相手に、どう手加減をしろっていうんだ)


「ええまあ失礼なんでしょうね。けど、仕方ないものは仕方ないんです。そろそろ潮時。潮時はどんなことにも存在する。……てかユノちゃん凄すぎませんか? エルフ相手にまともにやりあうって、凄い頭使ってると思うんですが」


「うん。多分同じ身体能力じゃ敵わない」


 最近の半径三メートル鬼ごっこは、フェイントとフェイントと速攻とフェイントで超スピードになっていた。お互いの回避も凄いし、それに追いすがってラッシュをかけるスピードと的確さも凄い。

 ルトナはエルフの反射神経とエルフの肉体制動でそれを実行していたが、ユノがルトナに勝敗比六対四でついてくるには、布石と伏線を巧妙に張り巡らせる必死の知能闘争が必要になるはずだ。体力だってついている。子供の、女の子、のレベルは少なくとも超えている。今のユノは、加藤一拠が相手なら三秒でひねり殺すだろう(鬼ごっこで)。それは彼女の努力に違いなくて。

 だから、と思っていた。


 だから――。

 でも。


「……今日あたりなんか甘いものでも買って帰って、ちょっと話してみるよ、中止とかの方向性で」


「そーしなさい。少なくとも、現状はいずれ破綻しますから」



(? これ、は、一体なんでしょうか?)


 ルトナは今、依頼を受注しにギルドに行っている。その間、家の掃除をするのがユノの仕事だ。

 普段着にエプロン(のような感じのもの)をつけ、髪の毛を軽くまとめて、ユノはルトナに言いつけられた通り、家の掃除を続けていた。


 そのユノの目の前には、魔法陣を描くように配置された石がある。

 ここは前の持ち主が収集品を集めていたらしい地下室の奥だ。奥まって荷物でぐちゃぐちゃに埋め尽くされた場所を、掘り起こすような形で発見した。

 領主はここには手を付けなかったらしい。


 魔力は不思議と感じないし抑えられている感じがある。だが、石を魔法陣として補強するかのように、うっすらと塗料で六芒星が引かれているのが見えた。

 いや、引かれた当初はうっすらなんてものではなく、全体がしっかりとした魔法陣だったのだろう。明らかに尋常のものではないし、尋常の気配ではない。


「えと、これ、どうしましょう……ひゃっ」


 ユノが軽率だったとは言い難い。後ずさった際に石をかかとで蹴っ飛ばしてしまった。それも、魔法陣の一つだったのだ。


 そして、魔力の破裂とともに、現れたのは、羽が生えた蛇だった。



 しばらく呆けた後、ユノは気を取り直して問いかける。


「蛇さん、ですか?」


 返事をするみたいにちろりと舌を出して、しゅるしゅると(空中を)這い寄ってくる羽の蛇。

 ユノは好奇心からついつい手を差し出してしまう。


 すると、蛇はユノの腕にゆるゆると絡みつき、ユノの顔の至近に自分の顔を近づける。


「ぁ、ぁは、くすぐったいです。貴方は、一体?」


「良い肉体だな」


「……ぉおぇえ喋ったぁ!!??」


 びっくりしすぎて、めちゃくちゃな声を出してユノは、腕を振り回し蛇をぶん投げた。


「あ痛たたた」


 蛇が喋った。



 蛇は自分を龍の幼体と名乗った。

 話によれば、彼はこういう経緯でここに封印されていたらしい。


 ――全くひどい話だ。オレは龍に成りかけの体なんだが、ある日どうしても腹が減ったんだ。龍は、何かを口にする必要があるはずもないんだが、成りかけだからだろうか、生憎なぜかどうしても何か形のあるものが食いたくなってな。空から道端で菓子を食ってる子供を遠目に見て、心が欲しがってしまったのかもしれない。


 そこで、うまそうな匂いがしたこの家に忍び込んだ。だが、この家の前の主人がかなりやる奴だった。オレは成りかけとはいえ龍なのに――台所の高級干し肉を食い荒らしたのを見られた結果、戦いになり、負け、こうして封印されてしまったんだ。


「それは自業自得というのでは……」


 話し終わると、しゅるしゅると蛇はユノによってきた。ユノは細い指で顎を撫でる。


「まあそうとも言うのかもしれない。美味かった」


 何年生きているのかわからないが、泰然自若としている。ユノのツッコミにも、どこ吹く風だ。

 オレというのはこの世界において若めの一人称だが、しわがれた響くような低音の声からは、やはり人外の生物であることが感じられる。


「私は、龍に初めて会いました。魔力大龍と龍って、魔力の色が、こんなにも違うものなのですね」


 ユノは魔法感応力が低く、魔力の目で見てようやく実感する。


 龍についての話は、ユノは以前から聞いていた。魔力大龍とは似て非なる魔力の集合体。どのようにして生まれるか不明だが、絶大な魔力を身に纏う、この魔法の世界においてなお魔法の生物。御伽の存在。


 魔力大龍が撒き散らす黒く煤のような魔力と比べ、目の前の蛇の魔力は、同じくらいに膨大ながら、近くにいるだけで心が清浄に満ちていくのを感じられるものだ。ユノが戦慄を感じず普通に喋れているのも、神聖な気配あってこそ。


「嘘では、ないのですよね? 龍が悪さをするとは思っていませんが……ってまあ盗み食いも悪さなんですが……」


「? お前、フェアリーだろう。他者のつく嘘は見抜けるはずだが」


「私は、ハーフなんです」


「ふうん? まあ、込み入った事情は聞かないがな。ともかく、嘘ではない。証拠だってお見せしよう。ちょっと肌に触れてもいいかな?」


「私の体は今はご主人様のものです」


「……良い忠義心だな。いや、まあそれでよいと思う。ただいろいろとごまかして、どんな味がするのか、ハーフフェアリーの肌を舐めたかっただけだったからな」


「すみません、私から離れて下さいますか?」


 にゅるにゅるとユノの懐に入り込もうとする蛇を、手を使って無理に自分と離す。しばらく抵抗した後に、くつくつくつと蛇は笑ってすんなり間合いを取った。からかわれたらしい。


 ここで、体から湧き上がる魔力の空気が変わった。蛇は空中に浮いて、浮いたままユノと正面で対峙する。


「冗談は良い。でも、冗談は冗談としてな、ここからは本音を語ろう。――封印から開放してくれてありがとう。何年もずっと、退屈だったんだ。本当に、本当に。オレは退屈と寂しさで死ぬかと思った!!」


 ユノも、つい佇まいを正し、向き直ってしまう。

 この威圧感は、神性の存在だ。


「そ、そうですか。でも、助けようとして助けたわけではなく」


「意図は無意味だ。結果だけがある。そこで、何か一つお礼がしたい。どうだ?」


「お礼、ですか?」


「そうだ。オレはまだまだ若輩の身だが、それでもそろそろ百年を生きる龍である。いや、二百年だったかもしれない。五百年くらいかも。まだ幼い頃は恥ずかしながら数を数えられなかったのでな。ともかく、龍であるからして、そこそこなんでもできるはずだ。何が失ってしまったもので、取り戻したいものとかはあるか。亡くなった母親のスープを再現とかできる。お前の年齢なら祖母か? あとは黄金くらいなら作れるぞ。得意不得意の関係上、砂金になるが」


「お礼、ですか」


「そうだ」


 ……。

 ユノは沈黙した。

 思いつくことはたったひとつだった。


 最近ルトナが、遠慮をしている。

 そのことが、痛いほどわかる。


 もともと、ユノのキュレアは大したことがない。

 その上、すぐにわかってしまった。キュレアの上位魔法は、ユノには難しい。年単位の練習をしても、習得可能かどうか。

 そもそもが、冥府魚型魔力大龍との戦いでも、キュレアなど必要とされなかった。


 奴隷と主人の関係は非常に近い。たった一ヶ月程度の付き合いであっても、ルトナが何を考え、何をしようとしているのかが痛いほどわかってしまう。

 もうすぐ、ユノは「降ろされ」る。


 竜。

 龍ではない、檻の中で友達になった、翼を折られた竜。

 いつも考えている。

 彼女に報いるためには、一体どうすればいいんだろう――


「チカラ……」


「ん?」


「力が、欲しいです」


「あ?」


「力が、欲しいですっ」


「……お前。何を言ってるのかわかってるのか?」


「わかりません。でも、力が、欲しいです。誰にも負けない力が欲しい。戦うための、力が欲しい!!!」


「……いいけどな、でもそれは……、おっと。そうか、お前フェアリーか。なら、いけるのかもしれん」


「?」


「いいぞ。オレは構わん。たとえ望みであっても、恩人を殺すことになるのは気が引けた。だがしかし、お前はフェアリーであって龍やニンフと似た魔力生命体だ。オレも究極的にはどうなるかわからんが、どちらかといえばオレが渡す物は馴染む可能性が高い。――力が欲しいか」


「欲しいです。……私に、よこせ!」


 ユノは一切ためらわずに即答する。


「なら、受け取れ!」


 龍は叫ぶ。そして、言葉とともに、体に魔力を注ぎ込まれた。


 そして、同時に脳裏に浮かぶのはスキル名とその使い方。


 ユノは苦痛に嘶きをあげてしまう。体が、破裂しそうだ。眼球や内臓が飛び出るような感覚を覚える。

 だがその苦痛は徐々に収まり、なんとか堪えられそうな範囲に収斂していき、やがて消える。


「ぐッ、こ、これは、……スキル、ですか?」


「馬鹿言え。スキルは人族が開発したもので、技に名前をつけて塔からの支援を受け取るだけだろう? その名前は登録されている名前でしかない、唱えれば楽になるはずとは思うがそれだけだ。肝要たるは、名前ではなく発動方法と力の性質。そう、その本質は――」



 帰宅すると、ユノの迎えがあった。

 だが、ユノはいつものエプロンを着ていない。

 魔法防御のマントはつけていないが、各部位に小さな防具をつけ、なぜか完全装備だ。


「お帰りなさい、ご主人様」


「あ、ああ……ユノ、どうしたの、その格好。や、よく似合ってて、今日も素敵だけど」


「ご主人様。お願いします。これより、朝の鍛錬の、追いかけっこの再戦というか追加をお願いできませんか」


「……」


 ルトナは黙った。

 この服、この突然の申し出を考えるに、何か新しいことを発見したのかもしれない。何か新しいこととは、コツか何かだ。でも、わからない。


 タイミングが悪い。少し、心が引き裂かれるような感じがした。

 ……いや、けれど、むしろ。


「ユノ、ちょうどいい。私もそれに関して少し話があった。先にそっちにちゃんと付き合うから、その後に、私の話も聞いて欲しい。少し長くなるかもしれない」


「承知致しました。では、準備を整えますので、庭で待っております」


「ああ」


 なんとも気まずく泥のように苦い味だ。何が「付き合う」だ。茶番を演じた自分が、嫌になる。

 これではまるで、加藤一拠に対する前の世界のクラスメートだ。


(……あれ?)


 けれど、去っていく背中を見ながら、ユノのさっきの表情が、少し気になったのも事実だった。

 ――こんなにも、この子は、熱の宿った目をしていただろうか。



 庭の土に円を描き、その端と端で向き合う。


 完全に覚悟が完了した表情をしているユノを見て、ルトナは思いついた内容で軽く声をかける。


「少し円のサイズが大きくないか?」


「これでいいんです。これでやらせて下さい」


 そう言われては反論などない。


 そして、直後、ユノから莫大な魔力の胎動を感じた。


(はぁ!? 魔法!?)


 そう来るか、と思った。

 鍛錬で魔法はお互いに使ったことがない。なるほど、そのことを考えればお互いの戦術に幅が出るようにも思える。

 さらなる訓練に、なるのかもしれない。


 ただ、すぐに次の違和感に気づいた。この魔力の量と質は、おかしい。明らかに異常だ。狂っている。ルトナでもそうぽんぽんと打てるようなものではない。

 ユノとルトナの魔力量は次元が違うはずだ、本来は。明らかにこの魔力量はルトナの領域。


(というか、ユノはなんで短剣を腰に差してるんだ? いや、フル装備だから装備するってのはそうなんだろうが、やるのは鬼ごっこだぞ。事故に見せかけて俺を殺そうとしてるとかか!? でも、もしそれが可能だったとして、初めから寝首をかけば……)


 ユノが大きく息を吸い込んだ。


 意図を尋ねようとしたが、プレッシャーと時間がそれを許さなかった。

 体の魔力を展開させて、万が一に備える。一体何のスキルなのか。

 何をするかわからないが、構えないと死ぬ!


 来る――



「“龍熱入水ドラゴンインストール”ッッッ!!!」



 絶叫し、ユノは自らの左胸に短剣を突き刺した。


 ルトナが手を伸ばす暇さえない。全くためらいのない速度だ。

 びしゃっ、びちゃ。水の塊が落ちた音がした。



(は……!?)


 あっけにとられる。目の前の奴隷は、何をしている?

 境遇が苦になり、自殺しようとでも言うのだろうか。


「何やってッ!! ぅ、ぇ、……?」


 重圧を振り切って寄ろうとしたルトナは、立ち止まる。

 今ユノが自らを貫き、大量に流れたはずの血。地面を見れば、その血には、色がない。水だ。地面に落ちてしまっているから真水かどうか知らないが、どう見ても水だし、少なくとも血ではない。

 そして、最初に落ちた量以上が、流れてこない。


 その答えは、ユノの持つ剣にあった。


(刃の部分が、無い……? 金属が、水に変わったのか?)


 死ぬはずの短刀で死なず、その短刀が逆に消滅する。心臓に突き刺さったはずの刃は、水になり溶けて消えていた。

 ユノは持ち手の部分だけになった(元)短剣を、邪魔にならない場所に放り投げた。

 そして、


「ぁ……」


 ルトナは、死を覚悟した。ただ立っているだけの、自分の奴隷に対して。


 膨大な魔力量。その位階は、魔力大龍にも引けを取らない。獣型はもちろんのこと、下手をすれば、冥府魚型並だ。それだけの魔力が、ユノの小さな体を取り巻くコンパクトな領域に押し込められている。

 そして、何より、そのプレッシャー。


 強い敵は大きく見えるという話がある。格闘描写で、ルトナは見たことがあった。

 アレの正確な意味を、今知った。

 強い敵と対峙すると、敵が大きくなるよう、周囲の景色が歪んで見える。

 巨大な敵がそこに存在するように感じるのではない、変なレンズを通した時や変な画像編集をした時のように、世界が、その敵を中心に歪むのだ。恐怖を覚えた自我が、それを拡大するかのように。自分の全存在が、それに向けて投射させられるかのように。


「ぁ……かっ……ユ、ノ……? ぅぅ……」


 声さえ出ない。

 ルトナは知らないうちに自分の足が一歩下がっていたのを知った。

 目の前の超高密度な魔力は、死そのものにも感じられた。


 そして。


 二秒程度手をだらんとさせて俯いていた、ユノだったはずの魔力を纏った何かは、そっと右足を引き、


 次の瞬間ルトナの目の前に現れた。

 轟音。地面のえぐれた音だ。地面を蹴った音であり、地面を踏みつけた音らしい。二つのはずの音が、重なりあってほとんど一つの音に聞こえる。

 そして、ルトナは、顔面に迫る拳を見た。次に自分の前髪が、ぶわっと風圧で浮かび上がるのを感じる。

 全身を使った殴打を、寸止めされたのだ。


「……はっ、はぁーっ、……っ……」


「…………」


 自分の心臓の音がうるさい。喘ぐような呼吸が、止まらない。強者を目前にするというより、これは、神か怪物でも目前にしているような感覚だ。

 ユノと、目が合った。普段の金色の眼ではなかった。片目は普段のままなのだが、もう片方の目だけが青色に染まっている。その片目は瞳の形も違う。まるで、爬虫類のような眼。その魔力が、ルトナを殺意で捉える。


 目が合っている中、ざちゅ、という音がして、その左目に変化があった。グロテスクな音に呼応して三秒程度、青みがかった半透明の液体がとろとろと流れ落ちていく。涙のようにも見えるが、魔力の結晶としての液体のようだ。


 こんなもの、対応できないなどというレベルの速度ではない。ここまで来ると最早知覚ができない。人間の視力には限界がある。エルフが同じ視力のわけもなく、おそらくルトナの訓練不足なのだろうが、それにしたってユノの今の攻撃が、その限界を超えた視えない領域の速度だったことには変わりない。


 言葉の一つも出せないルトナに、拳を突きつけたまま。


「――約束の一撃を、頂きに参りました」


 そう言って、ユノは眉間までの残りの五センチを進め、命中させてこつんと鳴らした。



 深呼吸をして、ルトナは口を開く。


「今のは以前の話か。ケリを付けてくれたことに感謝する。……詳しく話を聞かせてほしい」


 ようやく、重圧に慣れてきた。十秒程度経ったが、ユノはまだ「龍熱入水」を継続しており、その身に纏う魔力も変わらないままだ。


 まじまじと見れば、まさにインストール。ユノの体は普段通りの可憐な少女だが、さまざまな部分が違う。

 まず、左目が青い。瞳孔が、蛇やトカゲのような形になっている。

 次に、ユノは普段から魔力を平均程度にまとっているが、その魔力の、密度が異常に増幅されている。体積的には、普段纏っている魔力とそこまで変わらないかもしれない(増大はしている)。オーラ、といったサイズだ。だが、密度がおかしい。なんど見ても、冥府魚型魔力大龍に迫る魔力だ。

 そしてその魔力は、ユノの背後から三つの器官となって伸びている。正確に言えば、一対と一つ。翼と、尻尾が生えているのだ。魔力の。魔力の翼はゆっくりとゆらめき、時折羽ばたくように動く。魔力の尻尾も同調するようにのたうつ。

 最後に、今のユノが無意識にやっているらしいが、たまに舌で唇をほんのちょっとだけ舐める。その舌は細く、先が二つに分かれている。蛇の舌だ。


 空気が、乾いている。

 空気が乾くというのは比喩ではない。

 プレッシャーで息が自然と荒くなり、喉がひりつくように乾く。その乾きで、焼けるように痛み、凍るように傷む。

 戦意を解いてなおこうなのだから、さっきのルトナは逆によくショックで脳死しなかったものだ。


 ユノはルトナの言葉に応え、簡単な経緯を短文で二十秒くらいかけて語った。


 龍(魔力体?)から与えられたスキルは龍力呪言ドラゴンズカース。だが、スキルであるなら同じ効果で別の名前をつけて自分だけのスキルにできる。ユノは、異世界のお伽噺の英雄に、その技を重ね合わせた。


龍熱入水ドラゴンインストール……パワーアップか。どのくらい持つの? 任意でずっと?」


「いえ、長くはないです。さっき試した際は九十を数えるくらいでした。が、使えば使うほど馴染む感覚がしています。もっとも、どれだけ伸びても半時とか一時とかにはならないと思われます」


「そうか……」


 どれだけ馴染んでも制限時間十五分くらいの、時間制限付きの自己強化。


(俺より、普通に強いんだが……何か弱点もありそうだが、少なくとも強化中の五分間は相手が人族なら負けそうにない気がする)


 そんなことを考えながら、ふりふりと振られている尻尾が気になって、ルトナは手を伸ばした。

 逃げられる。

 ユノは逃げていない。ユノは全く足を動かさない。主人の珍妙な行動を、「やめて欲しいなぁ……」という感じの微妙な顔で見ているだけだ。けれど、風にたなびく鯉のぼりに手を伸ばした時みたいに、ユノの尻尾はルトナの手を避けた。無意識のようだ。

 仕方がないので、反対側にも手を設置し、挟み込むように触り、撫でる。


「ひぃぁぁぁぁあああああ! やめて下さい!!! 触らないで……!!」


「あ、ごめん……」


 腰を抜かしそうになりながら、ユノはよたよたとルトナから遠ざかった。


「く、首筋くらいの感覚がします……ぞわぞわって電撃が……申し訳ありません、この体はご主人様のものなのに……」


「いやこっちが悪い。一声かければ良かった。翼のほうはどう……?」 触る。


「ん……翼は大丈夫です。普通に手の甲くらいな感じでしょうか? なんだか、変な感じです……」


 そして、しばらく触ったのち、使った後のペナルティはないのかどうかを聞こうとした瞬間、ユノの体は力を失い倒れ込んだ。


 ぼすっという音を立てて、ルトナがその体を受け止める。


「あれ……おかしいです。さっき試した時は、虚脱感こそありましたが、ここまででは……申し訳ありません、お手を煩わせてしまいまして……」


「この技は一日一回まで、だな」


 ユノの、柔らかい体をいたわるように撫でた。購入直後の痩せぎすだった体とは大違いだ。


(一回目のペナルティは虚脱感ってことだが、どうだろうな。危険もあると思うが、使って慣れたほうがいいはずだ。これまで通り鍛錬は朝にして、危険が予想されるときだけ使わないようにするか、鍛錬は夕方に回して、その日に使わなかったら使って鬼ごっこをするか。本当にユノの体を気遣うなら、一切使わないようにするのも、でも、多分慣れないままでいるほうが危険なやつだと……まあ、その辺りはあとで決めるか)


 ルトナは、ユノの背中と膝裏に手を差し込んで、抱き上げる。

 そういえば、この館の魔力が消えている。ずっと前から消えていた。帰宅した直後からだったかもしれない。


(原因はその龍だったわけだ)


 ともかく。


 どうやら、奴隷が超絶パワーアップしたらしい。



 ユノは退屈に耐えかねて体を起こした。


 一時間ほどベッドで休むと、体の調子は充分にましになった。当然、体も全て元に戻っている。

 まだ龍熱入水の一回使用後くらいの虚脱感は残っているが、家事も残っているので、そろそろ動き始めておくべきだろう。


 自分の主人にも説明したことだが、龍は、ユノに力を与えるとスキルについての説明もろくにしないまま空に消えた。

 龍になるための修行の続きを行うのだそうだ。

 いろいろ聞いておくべきだったのかもしれないが、すんなりいなくなったため、お礼もお別れもろくに言えていないし、仕方のない部分もある。


「……?」


 ふと違和感を覚えた。


 まず、頭だ。心臓の鼓動にあわせて、圧迫感にも似たかすかな痛み(のようなもの)が走る。

 次に、全く同じ感触を、下腹の辺りにも感じる。こっちはもう少しきゅーっとした感じだろうか。臍と性器の中間辺りというか、お行儀の良い言い方をすれば丹田であり、率直に言ってしまえば子宮だ。


(……? あれ、今私……この年で失禁をしてしまった?)


 とろ、っとしたものが、体内を流れ落ちた気がした。

 ユノはその正体を見て、全身に鳥肌を立てて、恐怖する。


 これが、……龍をその身に降ろした代償なのか?


「ご主人様!!! ご主人様ぁ!!!! 血が!!! 性器から血が!!!!! 病気です!!! 私病気になってしまいました!! ああああああああああああ!!!」



 ユノが股間から血が出てきたと大騒ぎした。

 マジかよ、と思ったが、保健体育の教科書に書いてあった特徴を備えており(完全に覚えてるわけではないが)、多分普通に初潮っぽかったので、急いで下着に詰め物をしてユノをギルドに運び込み、アコルテに世話をしてもらった。

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