8-3、ハーフフェアリー3
部屋に沈黙が訪れた。
ルトナは十秒くらい考えてやっと目の前の奴隷が何をしようとしているのかわかった。奴隷として夜伽をしようとしているのだ。
この事態、全く想定外というわけではない。イザニは奴隷とは主人の妾でもあると言っていた。目の前の少女がそういう知識を教え込まれていないとは全く思っていない。
ただ、今の自分の外見が女だから、いったん考えから外していた。
「いや、……うん。いや、……とりあえず初日からはいいから……」
一瞬、理性がブチ切れた。こんな可愛らしい少女を相手に、やってもいいのだと思うと、なんでもしたくなる。
だが、今の自分には男だった頃の暴力的な衝動がないことも感じられた。それで堪えられた。
そのことを残念に思う自分はいない。前世の自分も、この判断を賞賛すると思う。
この年の女の子なら、もっと大事にしてもいいはずだ。自分が奪うにせよ、もっといい感じで奪いたい。
っつーか、身も蓋もないが、今、ルトナの股間に(男の)性器はない。
「?」
服を直してやる。そしてルトナはベッドに入り、少女にも入るようにと誘った。
だが、少女は従わなかった。
「……その。ご主人様は、それでは私を何のために、今日みたいに?」
疑問の意味はいまいち飲み込めなかった。逆に質問をする。
「逆に聞くけどさ。私、見た目女だよ。なんでそういう相手だと思ったの」
この質問に、早とちりを恥じるかと思いきや、すらすらとした解答がすぐに返ってくる。
「その、ご主人様はエルフです。エルフは女しかいない種族で、女同士で生殖をします。欲情する相手も女だそうです。一応人間の男と結婚したエルフも、いるとは聞いたことがありますが……だから」
「ああー……」
いろいろと合点がいった。
ルトナにとって、冷静に考えて女しかいない種族がどうやって子供を生んでいるのかは、こっちの世界に来てからの疑問だったのだ。
やはり、奴隷を買ったのは正解だったのだと思う。
間違いを恐れずにコミュニケーションすれば、今の一瞬で、エルフに女しかいないこと、エルフは同性で生殖行為を行うことが、一発でわかったわけだ。
「大事にされてるのもあわせて、自分は愛玩用の奴隷だと思った?」
「はい」
「なるほどなあ。説明不足だったな。ちょっと話そう。座って。……いや床にじゃなくて」
迷わず床に座ろうとした奴隷の少女を、ベッドの隣に座らせる。
そして、名前を呼びかけようとして、気づいた。
自分は目の前の少女の名前すら知らないのだ。
一緒に引き取った竜の名前も知らない。
「名前。君、名前って?」
「ありません。奴隷は奴隷になる際に名前を剥奪されます。あと、私は奴隷になる前から人に名付けてもらった名前を持っておりません」
「……そっか。私が名前をつけてもいいの?」
「はい。私はご主人様の所有物です。貴方様から名前を頂ければと思います」
言われて、ルトナは考え込んだ。この展開は予想していなかった。
話を進めるには名前をつける必要があった。
だが、軽々しく名前をつけたくなかった。
ルトナにとっては一瞬だったが、五分、十分くらい考えていたかもしれない。
「よっし」
決まった。少女の瞳を見据える。きっと大事なはじまりになると思ったから。
「…………ユノ。お前は今から私の奴隷のユノだ。ユノ・ステファニエと名乗って」
しっかり時間を取れなかったとはいえ、思い入れがない名前というわけでは全くない。
人生で二、三番目に好きな、主人公の奴隷という設定のエルフ(ダークエルフではあるが)の名をもじった名前であり、エルフではないがエルフ耳の、大昔のゲームの主人公の娘の名前ともかけている。
「……それは、ご主人様の名字ですか。……奴隷が同じ名字を名乗るのは、その、私の心情の問題じゃなく、ご主人様が軽い目で見られてしまいますよ」
「良いって良いって。なんなら奴隷じゃなくて私の義理の娘にでもなればいいし」
「……」
軽い気分で言ったが、何かまずいことを言ったのかもしれないと思った。
ユノが沈黙したからだ。
少し間ができた。こちらから口を開いて話を続けようかと思ったが、
「どうして、ここまでしてくださるんですか?」
苦笑した。茶番だと思った。
端的に言えば、ルトナがユノを手厚く扱うのは価値観の問題だ。この世界の人間と違う社会で生きて、暮らしていたため。理由のほぼ全てがそれで説明される。
それとも、……この世界に生まれても、こういう価値観を持っていられただろうか? 辛い人生を送ってきたと思われる子供の奴隷を、同じ机に座らせるくらいはできただろうか。ルトナは自問したが、答えは出てこなかった。
だが、この辺の事情を言うにはまだ早い。ぼやかしながら説明する。
「まず前提として、私の生まれた近くでは奴隷は手厚く扱われててね。……あー、これもちょっと変な言い方なんだけど、おいおい話すからさ、今はこれで勘弁して。それで、……」
言葉を続ける。ちゃんとした言葉にしないと、嘘っぽくなってしまうと思った。
話す内容を整理した。下手な言い方をすれば、信用を得られない可能性が高い。
「ちょっとさ、俺、世界を救う必要があって。仲間は大切にしないといけないんだよ。力をデフォで持ってる仲間ならもちろん大切にするし、力が足りなければ大切に育てる。ずっと長く一緒にいなくちゃいけなくて。背中も任せなくちゃいけないし。ビシバシムチで叩くようなご主人様もそりゃいるのかもしれないけど……私にはそれはできないよ」
自分で言ってて、響きの冗談っぽさに愕然とする。世界を救うってなんだよ。クソウケる。
でも、実際に神に言いつけられてる通りだし、目の前の少女を大切にしたいという気持ちも嘘じゃない。
「んと……世界を救うって嘘っぽいかもしれないけど、嘘だと思うなら、そう、そのくらい大事なことで結構やることがあって。そうだ、エルフだからさ。この世界だとエルフって結構特別な位置だろ。その……それで、なんというか大事な使命的なアレが。……お前の力が、必要なんだ」
言葉を重ねれば重ねるほど、響きが嘘っぽくなっていく。全部嘘ではないというのがなおさら厄介だった。騙すための嘘なら、真剣な表情を迷わず作れる。自分で信じようと努力することができる。
けど、本当のことを改めて本当のことだと信じることはできない。本当だからこそ、だ。
だから、自分で言っていてありえないだろうと思うような自分の目標が、人に話せば話すほど嘘になっていく。
きっと、自分は人に話すのがヘタなのだ。
(……うーん、やっぱ変なこと言っちゃったっぽいな?)
ルトナは自分が喋りすぎたことを後悔した。そういえば、一人称が一瞬戻ってしまった。不自然でなければいいが。
ユノは呆然としているように見えた。
二流のご主人様の大言壮語に、彼女は何を思ったのだろうか。
「私は……」
ユノは、立ち上がり、臣下の礼を取った。
今度は本物のカーテシーだ。
小さな宿屋の一室には似合わないし、自分が受け取るにはふさわしくないものなのかもしれない。けど、しっかりした振る舞いだったから、ただのゆったりした服が、ドレスかなにかに見えた。
特に表情に何かが出ていることはない。内心では「馬鹿だこいつ」と思っている可能性はあるし、あるいは本当に敬服しているのか、感激でもしているのか。それはわからない。
だが、今日の数時間は、彼女にとって、かなりの衝撃があったようで、
「私は、あなたの奴隷になります。これまでの生活は、大変に悲惨なものでした。そして、いつまでもそうであるのだと信じておりました。ご主人様は、そこから私めをすくい上げて下さいました。どんなことでもいたします。どんなことでもお言いつけなさって下さい。私は、それらの全てに従います。私は、あなたの奴隷です。どうか、世界を救うあなたの傍にいさせて下さい」
ルトナは、気まずい思いで一瞬表情を曇らせた。
よく異世界モノのファンタジーで奴隷を買う話はあるが、的外れに与えられる忠誠が、ここまで気まずいとは思わなかった。
いずれ話す必要はあろう。私がお前に優しくしているのは、慈悲深いからなんかじゃなく、そういった価値観を持っているから、でしかないということを。
白馬の王子様にでも拾われた気でいるのかもしれないが、目の前にいるのはただの高校生なのだということを。
要するに、順調に行けば、異世界転生についてもこの子に話す。
でも、それまでは。
それまでは、この少女の好意を独占してもいいのではないか。
そう思った。
「もちろん。私の奴隷を他所になんてやるわけない。よろしくな、ユノ」
星の明かりが、窓から入ってくる。
合わせて引き取った傷だらけの走竜は厩で寝ているのだろうか。彼女にも名前を与えてやらなければいけない。でも、今はただ、ユノが少し心を開いてくれたことが喜ばしかった。
エルフではないものの、可愛らしい奴隷と一緒に。
本当の輝かしい冒険が始まったのだと感じた。