7-1、奴隷商人1
ミルからの宿の紹介は、こんな感じで進んだ。
「お願い、ミル。宿を紹介してくれない?」
「え? いいよ!」
即答だった。
はじめはアコルテに問い合わせてみたのだが、彼女個人は宿なんて知らないし(一応かなり前に少しだけこの街で活動していた時期があったらしいが、アテにならないからと聞き出せなかった)、ギルドとして紹介するようなことはしていないとのことで、途方にくれていたのだ。
またミルに借りを作ってしまうとも思ったが、宿に関してハズレを引いたら本当に困る。
なので、こうしてギルドの建物で偶然会った機会を使った。
「今私が使ってるところもいいんだけど、満員らしいから。オススメが二つあって、もう一つの方を紹介するね」
☆
はじめての依頼は無事完遂し、この世界の物価はまだまだわからないものの、いい感じの報酬を受け取った。
夕方になってそのお金を持ち、教えてもらった道どおりに移動すると、宿が見えた。
二階建ての、少し大きな建物で、路地の裏のほうにあるが、周囲の治安は悪いように見えず、どちらかというと住宅街の中の穴場といった風景だ。
午前の明るい日差しを受けて、別段新しくもないが、古くもない、落ち着いた外装が見えた。
扉を開けて中に入ると、ようこそお越しくださいました、と声。
見ると、前の世界における高校生くらいの少女が受付に詰めている。いわゆるロリというわけではないが、どう見ても成人には見えない。読んでいたと思われる新聞(だろうか?)をおいて、こちらを見る。笑顔が素敵だった。
エルフではないことと、あとは薄く紫がかった明るめの青の長い髪が特徴的だ。あとはエプロンがよく似合っている。この世界の髪の毛は、お約束というかなんというか、変な髪色なのにも関わらず、染めているみたいな変な感じはしない自然な髪色だよな、とまだ起ききってない頭でぼんやり思う。
(年齢的に、この宿の主人の娘さんかな?)「あの、泊まりたいんですけど、部屋空いてますか。冒険者で、結構長く泊まりたいんですが」
「大丈夫ですよ。冒険者さん大歓迎です。うちは入浴用の魔法器具完備ですからね。毎日ほっかほかですよ~」
言われてから気づいた。
(そっか、こんな世界なら、どこでも簡単に風呂に入れるわけじゃないよな)
エルフの体は汗をあまりかかないようだが、それでも今後もずっと風呂なしは厳しいように感じた。
(ミル様様だな)
「わ、嬉しそうな顔で私も嬉しいですよ。じゃあこちらで署名をお願いします。あと初日は三日分のお金を貰えますか。三日分前払いしてもらっております。トラブルがなければ退店時に返金です」
「うえ? 三日分!?」
「足りませんか?」
「うーんちょっとだけ……」
「じゃあとりあえず二日分で大丈夫です。明日辺り、もう一日分お願いします」
「すみません……」
首に手をやって、苦笑いしながら謝罪する。宿泊代は、食事付きで今日受け取った依頼料の約三分の一といった感じだ。安い感じもあるが、弱くない魔物と戦ったから、依頼料のほうが高いのだろう。
三日分には、ギリギリ届いていない。
「あと、署名もちょっと。字が書けなくて」
「エルフなのにですか?」
きょとんとした顔をする受付の少女。
アコルテも字がかけないルトナを不思議に思っていた。この世界ではどうやらエルフとは文字を書けて当たり前の存在らしい。どういう生態の種族なのか本当に気になる。人口はどのくらいなのだろうか。生息地は。
「まあ代筆しますが。……怪しいですねぇ。トラブルはやめてくださいよ? お客さん。逆に、あなたが何者であろうと、トラブルさえ起こさなければうちの客です」
「……善処します」
早々に暴行沙汰を起こしたルトナは耳が痛い。流石に自分が悪い状況ではなかったが。
アコルテは気を使って口にしなかったようだが、文字を書けない現在の状況はかなり不自然なものがあるようで、この世界の字を練習する必要があると感じた。
名前を申告し、台帳に代筆してもらう。
ところで、この少女の立場はどういう立場なのだろうか。はじめは主人の身内かと思ったが、気軽に前金を減額してもらっているし、口ぶりも考えるに、意外とかなりのレベルでこの宿を任されていたりするのかもしれない。
「はい、はい。ルトナ・ステファニアさんね、エルフなのに名字……。まあいいや。もうなんでも。それでは説明いたしますね。私はピコ・シェイルマンと申します。この『双子星の宿』を経営しておりますよ。お見知りおきを」
「やっぱり。同い年くらいなのに凄いなあ、よろし」
「えっ……エルフと同い年ってそれ……」
口が滑った。この世界のエルフも長寿のようで、前世の加藤と同じくらいの年であるという意味だったが、同い年といって通るはずもなかったようだ。
「あっ違います。その、見た目的に」
「まあ、でしょうね。でもそれはそれで……ね」
微妙そうな顔をする。今度の発言が何か問題があるようには思えず、ルトナは首をひねる。
「もう少し若い頃は良かったんですけどね。もう結婚してずいぶん経ちますので、落ち着いた年に見られたいなって気分もあるんですよ」
何歳だ、この人。ルトナは驚愕した。
☆
「はいはい、起きて下さいルトナちゃーん。依頼なくなっちゃいますよ~」
体を揺らされる感覚で、起きた。
実際はルトナの受注するような依頼がなくなることはない。強力な魔物は少なくないし、ルトナが殺しても殺しても増えているみたいだった。
ルトナは差し込む朝日がまぶしくて目を隠した。ん、んぅ、と自分から漏れる声は可愛い少女の声で、異世界に来て四日、そのことにようやく慣れてきた頃だ。
体を揺らしているのはピコ・シェイルマンだ。やっぱり何度見ても高校生くらいに見える。
ずいぶんと若々しい奥さんで、会ったこともないシェイルマンさんに嫉妬してしまうが、聞けばいくつも事業を抱える気鋭の商売人だそうで、嫉妬もできない。夫の事業の一つであるこの宿を、ピコが切り盛りしているらしい。
「お、起こさないで下さい……眠いです」
「朝ご飯なくなっちゃいますよ~」
「それは困る……」
この宿の料理は鬼のように美味い。そのことを知っているルトナは、退出していったピコを見送ったのち、慌てて鏡台に向かって着替えを始めた。
今日の服は、ぼろぼろだったところをピコに直してもらった、この世界における初日に着ていた服だ。
冒険者ギルドの依頼ボードを見て、アコルテの窓口から依頼を受注する。
受付嬢には人気という概念があるようで、人気の受付嬢には固定のファンがついて、それぞれが受付業務をしている。冒険者なら毎朝顔を合わせる相手だからか、かなりやり取りが多いわけだ。
アコルテは大人気だ。かくいうルトナも、最初の受付登録をしてもらったことを口実に、迷わずアコルテの列に並ぶ。アコルテの列が、一番長いにも関わらず一番流れが早いというのもある。
「いってらっしゃいませ、ルトナさん」
きれいなアコルテの笑顔と、ぴこぴこ動く頭の羽を見てから、何か飲んでから行くために飲食スペースに向かう。
店内は半分くらい席が埋まっている。一番どこに座るか困るくらいの混み具合。完全に混んでいれば空いているところに座るだけだし、空いていれば適当に座るだけで、でもそれはできない。
どこに座ろうか迷っていると、ある一席に、キリエラとミルがいて、会話をしていた。
「ルトナちゃん! おーい」
「おはよう、ミル」
歩み寄りながら朝の挨拶をした。