プロローグ 星空と女エルフ(元男)
べしゃっと音を立てて腰から着地した。
星が綺麗だった。ものすごく深い夜の青に、木々が溶け込んでいる。草原と森の境目で、木々が薄くなり始めるような位置の場所に着地したようだ。
神様とやらが言ったとおりだ。明らかに日本ではない。草原が広大すぎる。日本だとしても、相当の田舎だろう。そして、日本ではないとかどうとかいった考えはすぐに捨てた。まず見えてる木である。木自体の見た目は一見普通の広葉樹とはいえ、ついてる果実が、ブドウの青さのりんご。そして、月明かりの下、草原の辺りを、角が生えた鼠がうろつきまわっているのが見えた。異世界だ。明らかに異世界だ。
主人公、加藤一拠はそういった景色に見とれた三秒後、忘れていたことを思い出したみたいに、慌てて耳を確かめた。理由はただ一つ、自分の体が、神(って名乗った女の子)の言ったとおりになっているか確認するために。
ぺたぺたと触る。
(おっ、おおお……)
尖っている。耳たぶは普通で、耳の中も普通だ。けれど、耳の先端の、肉が薄くなってるほうが、
(尖ってる! めっちゃ尖ってる!)
そう、加藤の耳は今、尖っている。
(長すぎない……長耳タイプじゃないのか)
触った感触だと、耳がすごく細長いタイプのやつではないが、先が尖っていて、ちょっとだけ細長い。
いわゆるひとつのエルフ耳である。
彼は耳を触るだけでなく、自分の全身を眺めてみた。ちょっと足元とか腹の方はなぜか障害物があって見えなかったが(嬉しくて興奮していたので深く考えず無視した)、ほっそりした手指、腕、さらさらの長い金髪……
完全にエルフだった。
「うおっうおおおおおおお!!」
そのことがわかった瞬間、加藤一拠は嬉しさで叫んだ。叫んだ声まで森の精霊みたいな美しい声だった。
なぜ彼がこうも喜んでいるかには理由がある。
ある事情があって、彼はこうして異世界に転生する前、そういう系のコンテンツにおいて、エルフが好きだったのである。理由はいくつかあるが、美しい姿、主人公だけが触れられる神聖性、森のなかに佇む健康的な生活なんかが好みだった。
そして、エルフの女の子とイチャイチャするにはエルフの男になるのが速い。完全なる正解であった。彼の常識の中では。
(うはははは! すげえ! 走っても走っても息が切れねえ!!)
さて、彼は、そのあと走った。エルフの体で、木々の間を走りまくった。
ファンタジー世界特有のヤバい魔物とかに見つかることを心配して、あんまり声を出さないようにしていたが、夜の森を全速力で走る人間大の生物を察知できない魔物はいない。彼の走りが充分に速いので、この森では追いかけようとする魔物がいないだけである。
くわえて、走っても息が切れないどころか、試しにやってみると、倒れている木も「えいや」という声とともに軽々と持ち上げることができた。
(おー、力も強いのか。華奢な感じのエルフじゃないんだな。この世界のエルフは、肉体的にも強くて、万能な感じのエルフか。まあ俺としてはどっちでもオッケー!)
彼は笑っている。
念願のエルフになることができた上、走っても走っても息が切れないのが嬉しくてたまらないのだった。
(この先は……このファンタジー世界で、可愛い女の子のエルフと仲良くなって、なんかこうがんばって仲良くなって、いやその前にエルフのスーパーパワーを使って有名冒険者にならねーとな? そうだ、まず魔法の練習を……そんな感じでやってったら、エルフの女の子がいーっぱい身の回りに集まって、ハーレムを作って、エッチなこともしまくって……ヤベエエエ! 悪い母さん、俺一度死んだけど、俺こっちの世界で憧れのエルフの女の子といっぱい子供を作って麗しい家庭を作ってしまうみたいだわ! 本当に悪い)
……しかし、十分くらいで熱狂が冷めて、違和感を覚える。
(なんか、胸についてねえ??)
走るとどうにも胸が跳ねてめんどうくさい。かんたんに固定されているので痛くはないが、そもそも固定しなければならないものだったか。足元も見えない。影になっているというか、隠れている。胸に手を当ててみると、むにむにした感触がする。
一体何なのか、頭のなかで考えようとして、頭が勝手に拒絶している感じだ。
股間もやたら軽い。
あるべきものがない――。急激に頭が冷えていくのを感じた。
(……鏡……鏡を見よう、というか鏡というか水面だな、ここなら)
水場は探すとすぐに見つかった。エルフの聴覚は優れているようで、集中すると水を飲む小動物くらいの大きさの魔物の音が聞こえたのである。
音が聞こえればそっちの方角に向かうだけだった。
水音がかすかに聞こえる。月明かりに照らし出される自分の姿は、やはりエルフらしく美しかった。
ふわふわでゆるくウェーブを描く金髪、青色の瞳(加藤的には緑色の瞳のほうが好きなので少しがっかりだったが、問題があるわけでもない)、長いまつげ、儚い雰囲気をまとう顔。見ただけで震えがくるような美形。
ここまではよかったのだが、ここから下がまずかった。大きくてやわらかい胸、ほっそりした二の腕、くびれとあわせて確かな存在感を持つ腰、腕に負けないくらいほっそりした足。手を滑らせていって、やたらと敏感な感覚にぞくぞくした。なんというか、太ももを指の腹で撫でただけなのに、てのひらを爪で引っ掻いたようにくすぐったい。
何故気づかなかったのか。今自分はスカートを履いている。エルフというだけではない。エルフな上に、明らかに女だった。
「俺、女になってる――――――ッ!?!?!?」
流石に声が出た。