笑い声の後ろにぽっかりと口を開けている死
日常では有り得ない事でも、漫画における表現においては、可能になる。
通学路等といった、日常において、出逢う恐怖(ここら辺はエロ漫画の構造とも似ている)
バスという日常的、閉鎖的な空間の中で、女児が1人で乗っている。バスの前の方には”後姿”しか見えない男が立っている。
”そのうち”に女児が気づく。男を見る度に此方へ少しずつ近付いている。
見まいとするが、好奇心によって耐えきれず見てしまう....
怪談という聴くものがテレビにおいても取り上げられるのは、恐怖の性質上怪談の方がより想像力に近いからである。
つまり、聴く物と見る物とが有って、幽霊は見てしまえば終わりだが、怪談は見る事が出来ず、より想像力によって活性化される。
怪談がアニメ化されない事情もここにある。絵によって起こされると怖さが半減してしまう。
ロックの音楽は人間の心音と同じリズムを刻む。人を興奮させる。
心音より早いリズムは人を焦らせる。タカタカタカタカ....と打つドラムのリズム。踏切の音
心音より遅いリズムはリラックスさせ、やもすると眠くさせる。ジャズやクラシック
BGMとして恐怖を感じさせるのはロック乃至早めのリズム、人を焦燥させる少し早いリズムである。
我々は想像力の紙を一枚通した方が物事をより怖く感じる。
電話、玄関、扉の向こう側、ビデオ、昼よりも視界の効かない夜中、鏡の中、といった媒介の道具だけでは無く、
寝ていた自分の子供が急に起き、私の後ろ側を見つめながら「誰かいる...」と呟けば、立派な恐怖である。
これらの恐怖の結論は、我々は幽霊を見ない方が怖い、見てしまえば最早幽霊では無く、終わりを意味する、という事だろう。
恐怖、怪談のアイデアを作るには、この電話や玄関といった簡単に考えられる媒介物より、後者の、高次元な媒介物を考え出す必要が有る。
「最初は身体的理由(暴飲暴食など)が原因で下痢をしたものが、それにより人前で恥をかくという経験を幾度か重ねるうち、学習効果により人前で下痢をすること自体に異常に恐怖心を持ってしまい、長時間トイレのない場所や人目に触れずにトイレに入れないような場所に行くと不安障害の一種として下痢をするようになることもある。これはちょうど、乗り物酔いしやすい人というのが、乗り物酔いを何度か経験するうちに「また乗り物酔いするのではないか」という予期不安によって、乗り物に乗る前から意識がそれに集中してしまい、酔いやすい状態になるという、いわゆる「酔うと思うから酔う」現象に似ているともいえる。パニック障害などとほぼ同じ原理といえる。」
これは恐怖の原理「来ると思って来る」事の恐怖を一番良く説明している
もはや、貞子や呪怨は古いのだ。
我々は、想像力によっては最早恐怖を感じない。
音の無い盆踊りの怖さ。
世界が静かだと言うこと、次に何か起こるのでは無いかという不安
人っ子ひとりいない砂場、公園、広場....
こう言った現実に即した物に恐怖を感じる。




