#008. 勇者の素質3
俺自身、力が強くなったわけで無ければ、頭の中で正体不明の声が聞こえたり、もうひとりのおれが『力が欲しいか』なんてささやいてもいない。
角も無ければ翼も無い。
高校指定のワイシャツに夏ズボンとローファー。
それから学生カバンにスマートフォンのみ。
勇者の身なりからは……ちと遠いな。
これでどうしようかね。物々交換を続けて伝説の剣でも貰うとするか?
「勇者ならば勝てる。
だが勇者であっても素手であっては勝利は望めないのだ。
――……強い武器が要る。
そして幸いにも武器は我が陣営の内にあるのだ。エヴァ王女、剣を」
「はい、ジル様」
老婆のしわがれた手が王女の背を撫で、それを合図にエヴァ王女が一歩を進み出た。いつの間に持ってきたのか、細く白い腕で抱きしめるようにして一振りの剣を手にしている。
それは白い鞘に収まり、鍔には翼の意匠が施されていた。
鞘の各所には金色のラインが幾何学模様に走っており、神聖な雰囲気を漂わせている。チープな表現になって恐縮ではあるが、これを言葉で言い表すのならば『聖剣』と呼ぶ以外にないだろう。相応しい、の方が的確かな。
ともあれ俺にとっては驚嘆の思いだった。
わらしべ長者でもするかと冗談で考えたのがまさか現実になるとは。
それも自分の手持ちを一切交換することなく、だ。もはや施しだな。
「これは……聖剣……!」
物思いは知らずのうちに言葉に出ていて、老婆がほうと関心した声を漏らした。
「知っていたのか? こちらへの転移の際に情報が流れ込んだのかね。面白い」
「いや知らん」
「あ、そう……んん!
これはあんたが言うとおり、この世界においての聖剣に間違いない。
銘はガーフィンニール。
鍛え上げたるは星の主神ランドールに知神ドーンヴァールの二者と伝えられている。
神の祝福を得たこの剣は、所有者の良心を力へと変換する特性を得ている。
二百年前に魔王を封印するまでに追い込んだ英雄の帯剣でもある、心力の剣だ。
天地を切り裂き、万魔を斬り伏せる神剣ガーフィンニール。
こいつは今よりあんたのものだ。さあ――……手に取りな」
「勇者さま、どうぞ」
「あ、ああ。これはどうも」
手をぶるぶると震わせながらにエヴァ王女が剣を持ち上げている。それほどに重たいのだろうか? 受け取る際に図らずも手に触れるとひんやりと冷たく、言葉は不意に出た。
「冷えてるな。大丈夫か?」
びくり。驚いた王女が小さく飛びあがり、目を丸くする。ビー玉みたいに綺麗な目だ。
「だ、だだだ大丈夫です! お気遣いあり、ありがとうございます……」
言って王女はすごすごと引っ込み、老婆の背後へするりと回ってしまった。
古ぼけたローブをぎゅっと握った姿が愛らしくもあり、おれはそんなに恐ろしいかと悲しくもなる。まあいいさ。今はこいつだ。
「! ……重たいんだな」
右手で柄を握り込んだ。重量としては木製バットぐらいだろうか? 最初はまるで気にならないが、片手で延々と持ち続けると少し重く感じる。
鞘の頭を暇な左手で支え、全体をしげしげと眺め見た。
剣に触れるのが初めてであるおれが珍しく、面白かったらしい。老婆が声のトーンをあげ、こちらに視線を注いだままに言った。
「あんた、剣を握ったことがないのかい?」
「宇宙船地球号の日本列島に暮らしている人間は鉄製の剣には用はないんだよ」
箒でチャンバラならいくらでも経験あるけどな。
小学校に中学校と、実生活での用は無かったが憧れはある。世の男児はそういうもんだろう。
「うちゅう? ちゃんばら?」老婆が小首をかしげた。あと八十歳は若ければ可愛げがある仕草だが、いかんせん今の彼女は老人以外の何者でもない。
「全部片づけて後は帰るだけになったら説明するよ。ーー要はこいつで大物をやればいいんだよな」
そうして現れた魔力を使って門を開き、ささっと通って日本へ帰還、と。
もう目を醒ましたいとはおれは言わん。こうなりゃその気で乗ってやる。
「その通りだ。が、もう少し待ってくれ。戦いへ出向く前に、まずは聖剣にあんたを勇者として認めてもらい、適合する必要があるんだ」
「……? 早く終わらせようぜ」
「やれやれ……焦らずとも剣を抜くだけですぐに終わるよ。さあ、剣の柄をぎゅっと握り、鞘の表面に手のひらを添えるんだ。ゆっくりと手を滑らせれば鞘がほどけるからね」
いいかい、と老婆が口をとがらせて言う。こちらへぴんと立てた指先は『心して聞け』の意味だろうか。
「ここが肝心だ。今のあんたはまだ、勇者となる条件を満たした人間に過ぎないんだ。聖剣を抜き、認められた時になって初めてその肉体は勇者としての力を獲得する。ガーフィンニールと勇者の魂とが結びつき、回路を通じて身に流れ込む魔力は星の輝きに満ち、千里を一度の跳躍で跳び、万の軍をただひとりで軽々と打ちのめす無双の英傑。それがルヴェリアを救う〝勇者〟だ」
どれほどのものか具体的な想像を思い描けは出来なかったが、どうにか掴んだイメージのを寄せ集めた限りでは超人に等しい能力を得られるのだろうことが分かった。まるで漫画だな。両手の平を相手に向けたらエネルギー波が出たりしそうだ。
「でたらめな強さってことは分かった」
それだけ強いんなら、いざ意気揚々と出陣した矢先にみっともない死に方をするような無様な末路にはならなさそうで何よりだね。
少しは安心をおけそうだ。おれは老婆と続けて広間に集った人々を見やり、「任せてくれよ」と口にした。
――その言葉がまずかった。いや、行動だろうか? 正確な答えは分からない。君坂も、賢者も、王も。運命は誰にも見えないものであるからして。
老婆の言葉に従っておれ――君坂京一は鞘に手をかざした。その瞬間に何を考えていたかといえば別段に特別なことを考えていたわけではない。
剣って重たいんだなとか、剣道でもやっておけば格好がついたかなとか。
特別な流派を知っているわけでもないおれはこいつを振り回すことしか出来ないが大丈夫なのか? なんて、そんなことを。
右手で黄金の柄を握り、左手を白色の鞘にかざし、鞘の表面で互いが互いを結び、複雑な紋様を描く鮮やかな金色のラインを撫でるように手を滑らせた。
手のひらに熱を覚えた。光が細かな泡となって弾けているように感じる。手が通り過ぎると鞘が光となってほどけていた。かざした手を横へと滑らせるにつれて、鞘は光へと変わっていく。
そうして銀色の剣身が目の前に現れた。
透き通った銀、静まりかえった鉄の色。
美しい。そう思った途端、剣がちかちかと何度か明滅し、続けてまばゆい光を発し始めたではないか。
魔力を感じ取る能力の無いおれは思った。
わあ、万華鏡みたいにキラキラしてんな、と。