#004. 事情通
これがプライベートで。
おれが冷静だったのなら。
今すぐ彼女の目元を拭ってやっていた。後に格好つけた一言だ。
『任せてくれ』『俺が何とかしよう』『泣くのをおよし』エトセトラ。
通報されようがそんなもんは知らん。拭うといったら拭うし、言うと決めたもんは言う。
しかしこの場の俺は無言だった。冷静沈着を無理矢理にでも地で行く。
これは――夢の中の話ではあったが――演劇である。
俺の役どころが勇者だというならどう言うのが正解なんだ?
いや――待て。
今更に気付いちまった。
――台本が無え!
彼らは頭にたたき込んだストーリーラインに沿って台詞を喋っているのだろうがおれの頭は全くの白紙。指で擦ろうが火で炙ろうが白紙は白紙。何も無い。
この場の正しい答えはもはや一切不明である。こうなりゃアドリブだな。
『よっしゃ任せとけ!』だとか『あい分かった。我は汝の願いと慈愛の涙に応え、世を救済の光で満たそうぞ』とでも言えばいいのか。
よし、言うぞ、言うぞ言うぞ、やっぱ無理。
沈黙を少女は悪いものだと受け取ったらしく、
「あ、あの……私は何か、ご無礼を……」
と身を縮めて俯いてしまった。
まずいな。
燭台に揺れるキャンドルの灯りを照り返す、銀のティアラが似合う少女へ俺は声をかけようとした。
「勇者よ。心を落ち着かせよ。そして我が声に耳を澄ませるのだ」
しわがれた声が聞こえたのはそんなタイミングだった。
裾をずるずると引きずるような野暮ったいローブに身を覆い、背中の丸まった老婆。しわだらけの顔に後頭部で結った豊かな白髪。
この既視感。どこで見た? どこで会った?
コンビニか? 巣鴨でか? あるいは前世でか?
いや……いや、待て!
「あんたは……!」
記憶がはっと蘇った。
怪しげな風体ではあるが、この場にうようよしている貴族グループの中ではおれにとって最も縁がある顔であった。ああ、忘れもしない――……いや忘れていたが。
「轢かれかけた婆さん! 無事だったか!」
「なんと無礼なやつ……!」
「彼女になんて口を利くのだ!?」
「賢者様、この場はどうかお鎮まり下さい!」
外野がどよどよとざわついた。老婆は口元に微笑みを讃えると、構わんよといった意味合いで手を振ってそれらを制し、
「轢かれ……?」
老婆は一瞬だけ記憶を振り返るような顏をして、
「ああ、事故のことだね。あの時はありがとうよ。
あんたのお陰で助けられた。ところであんた、ここがどこだか分かっているかい?」
「助かったんならいいんだ」
おれは安堵に胸をなで下ろし、辺りを見回して、
「今が夢の中ってのは分かる」
なにが面白いのか老婆がひっひっとひきつって笑う。
ちんまりとした老人が肩を上下させて怪しく笑うのは正直不気味だな。取って食われそうな気になっちまう。
「夢じゃあないよ。ここは現実さ」
なんだと?
どうやら説明役らしいあんたぐらいはまともでいて欲しかったんだが。
「ついでに日本でもない。ここはあんたで言うところの……異世界だ。
世界の名はルヴェリア。勇者選定の儀式によって、あんたは召喚されたのさ」