カーランバ王国での朝
翌朝、控えめに叩かれるドアの音でカイウスは起床した。
「失礼します、カイウス様。朝食の御準備が整いましたのでそのお知らせに参りました」
「え、あ、はい!」
反射的に飛び起きて返事をしたカイウス。
使用人と思われる人はカイウスの返事を聞くと、失礼いたしましたと言って去って行ってしまった。
「えー……案内してくれるわけじゃないと……じゃあゆっくり着替えるか」
ドアの先からの気配が完全になくなったことで安心しきったカイウスは、ググっと背伸びをして体を起こしつつ、ゆっくりと朝の支度をし始めた。
朝の支度といっても服を着替えて終わるので、すぐに終わる。
「そういえば、さっきの人朝食の場所とか教えてくれなかったなぁ……さて、どうするか……うん、とりあえずナナさんとレイ兄さんに合流しよう」
服を着替え終え、まだまだ起きない体を起こすために一、二回頬を叩きドアを開ける。
「お待ちしておりました、カイウス様。では、朝食の席へとご案内させていただきます」
「おおぉ……」
朝で完全に気が緩んだ状態で扉を開けた先に居たのは、先ほど声を掛けてくれたと思われる使用人の人だった。
声を掛けてくれるまで、一切気配がなく、カイウスはただただ驚いて固まってしまった。
(そんな……黒猫のメイドさんだなんて羨ましい……って違う違うそうじゃない、そっちじゃない。この人がここにいるってことは、さっきからずっとここにいたのか……なんの気配もなく?)
「……?」
(ハハハ、ヤバいな……気配の消し方が野生の魔物レベルじゃん……ポロロとかくれんぼしていい勝負できそうだな)
気配のなさがあまりにも衝撃的だったのだろうか、カイウスは黒猫のメイドさんと視線をジッと合わせたまま、怒涛の勢いで思考が加速する。
「あの、どうかいたしましたか?」
(いえ、あまりにも見事な気配の消し方で驚いてしまいまして……ああ、にしてもメイド服に猫耳が良く似合いますね)
「……カイウス様?」
(はい? なんでしょう……か? あ、え、ヤバい、僕一人で完結してたッ!?)
「すいません、ちょっとボーっとしてまして……ええっと? なんと呼べば?」
やっと、自分一人で完結していることに気づいたカイウスは、慌てて頭を下げて愛想笑いを浮かべた。
そしてすぐに、ごまかすようにして話題を変えていく。
「はい、私カーランバ城上級メイドのフラウと言います。カイウス様が城に滞在する際の専属使用人となりますので、今後ともよろしくお願いします」
「これは、ご丁寧にありがとうございます、フラウさん。こちらこそ、よろしくお願いいたします。モーリタニア王国から来ましたカイウス・ノムストルです」
よろしく、カイウスはそう言って、笑顔で手を差し出した。
「……っ」
「? どうかしましたか、フラウさん?」
黒猫のメイドさんであるフラウは、カイウスの自然に差し出された手とカイウスの瞳を何回も往復して見つめ、信じられないような、驚いたような表情を浮かべた。
朝、と言うこともありあまり働いていないカイウスの頭には、その表情の意味が分からず不思議そうにフラウを見つめることしかできない。
そうして、少しの間、手を差し出してカイウスが待っていると、おずおずと少し震えながらフラウから手が差し出された。
「……はい、よろしくお願いします」
「うん、今後ともよろしく、フラウさん」
「……はい」
その後は、フラウの先導のもと、朝食が用意されているという場所に向かって城の中を歩いていく。
歩く途中に会話らしき会話はなかったが、
「……」
時折、自分の手を信じられないような瞳で見ていたフラウが、カイウスにとっては印象に残った。
(うーん、握手は別に大丈夫だとユウリには教えてもらったんだが……僕と握手するのがそんなにいやだったのか? うわ、それはちょっと泣きたくなるなぁ)
フラウの後ろをゆっくりとついて行きながらカイウスは少しの落ち込みを感じていた。
朝食の場所はそう離れた場所ではなかったようで、そう思っているうちにも会場へと着いたようだ。
少し大きめの扉の前に立ち止まったフラウが、ゆっくりと扉を開け、カイウスを中に誘う。
「こちらが朝食会場となっております。すでにレイ様、ナナ様、ともにお食事をしていらっしゃいます」
「ここまで、案内ありがとうございますフラウさん」
「カーランバ国ならではのお食事もいくつかご用意させていただきましたので、是非楽しんでいただければと思います、では、失礼いたします」
そう言って、フラウはカイウスに向かって一礼をして入ってきた扉の向こうへ行ってしまった。
_さて
フラウによって案内された朝食会場は、長いテーブルにいくつかの料理が並べられたもので、カイウスから見て部屋の一番奥には椅子に座り食事を楽しむレイと、食事の前で静かに佇むナナの姿があった。
カイウスはそれを見ると、ゆっくり二人に向かって歩き始める。
部屋には三人以外に一人、壁際で待機する執事服を着た使用人がおり、カイウスとすれ違うと、静かに黙礼をしてきた。
「ん? おうカイウス、遅かったな。先食べてるぞ」
「……見ればわかりますよ、兄さん。それよりナナの方はなんで食べてないの?」
カイウスはもりもりと次から次に朝食を食べている兄レイから視線を切り、朝食を前に姿勢良く座っていたナナに話しかけた。
理由は大体察しているが、一応聞いておかねばならない。
「主人より先に食べるわけにはいかなかった。朝食の準備も手伝えなかった……悔しい」
「ああ」
カイウスの考えた通りの理由で安心と言うより、少し申し訳なく感じる。
ここで先に食べてくれててもよかったのに、と言うのは簡単だが、他国の城内で、しかも主従関係である以上仕方ないと割り切るしかない。
「俺は食っていいと言ったんだけどな、ま、こればっかりはナナのほうが正しいからな、朝起きるのが遅かったカイが悪い。サッサっと食べてナナにも食わせてやれ」
「はい、そうします」
テ-ブルに乗るいくつもの朝食の中から、ササっとパンとバターを手に取りカイウスは食事を始める。
それを見たナナは、皿を手に取り、いくつかの料理を盛り合わせた物をレイ、そしてカイウスの席へと配膳する。
朝はあまり食べないカイウスにとってはナナがよそってくれた量だけで十分だったので、すぐにさらに盛り付けられたものを食べ終える。
「では、僕はこのくらいでいいので、ナナさん。どうぞ」
「ん、頂きます」
カイウスが朝食を終えると同時に、ナナの食事が始まる。
「もう食い終わったのかよ、カイ。もっと食わねぇと大きくなれねぇぞ」
「余計なお世話です兄さん」
依然として朝食を貪り食うレイが茶化すようにしてカイウスに言うが、カイウスとしては十分な量を食べているので、聞き流した。
それからは、カイウスは二人の食事の様子を眺めつつ、時折り三人で談笑しながら食事の時間は過ぎていった。
「ごっそうさんっと……ふぅ、でだ、飯も食ったしお前らはどうする? 俺は一応まだ獣王と話すことがあるんだが、用によってはそっちを優先してもいい」
「うーん、こちらは昨日言ったように少し外を見てみて、獣人国の現状をこの目で確かめたいと思います。水を引くにしても、緑化を目指すにしても、話はそれからですね」
食事を終えたレイが問うようにして二人に聞き、カイウスが今日したいことを答える。
ナナは何も言わなかったが、カイウスが言うと同時に頷いていたので、カイウスに着いて行くだろうことは予測できる。
カイウスの予定を聞いたレイは、少しの間考えた後、何度か頷きながら言う。
「……わかった。じゃあ今日は基本的には別行動だな。カイたちが外に行くことは獣王に昨日の時点で承諾は貰っといたからよ、これを持ってっけ」
「……兄さん? これは、なんですか?」
「それはこの国でお前らの身分を証明するための物だ。 絶対なくすなよ? 俺が怒られるからな?」
そう言って兄レイから譲りうけたのは、青い透明な石の板だ。
装飾は何もされておらず、特殊な気配も何も感じることのないただの石。
カイウスとナナは、不思議そうにその石を受け取る。
「ここの奴らは基本的には温厚だ、温厚だが、排他的でもある……それは、歴史的に見ても仕方ないが、特に人間のよそ者にはなかなか気を許さない。気を付けろよ」
石を二人に渡したレイが、真剣な表情でカイウスとナナを見つめ、注意する。
「ええ、少し見て回るだけですから」
「私もいる」
兄レイの真剣な様子に、カイウスとナナの二人も真剣に頷いて返す。
「一応獣王にはお前らの今日の予定は伝える。どういう形か分らんが、多分、というか絶対護衛が就くと思うから、そのつもりでいてくれ……後は、そうだな……楽しんで来い。その年齢で他国のことを知れるのはすげぇ良い経験になるし、正直俺は羨ましい。だから楽しめ、良いな?」
「「はい」」
「よっし、じゃあとりあえず分かれるか。また昼か夜にな」
レイがそう言って三人は分かれる。
レイは先ほど言っていたように謁見の間へと向かい、カイウスとナナは城の外へと向かう。
そうして、それぞれがそれぞれの予定に向かっていくことで、カーランバ王国での初めての一日は始まった。