獣王国国王と謁見
それから少し後、中からユウリが厳しい顔つきで現れ、ノイドとレイの二人を引き剥がすことで事態は収束した。
未だにレイを睨んでいるノイドはそのままユウリに連れられていき、扉の奥へと姿を消していった。
その後、ノイドを連れて行ったユウリが再び扉から現れると、申し訳なさそうにして告げる。
「すまない、さすがに遅いと思って来たが……まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。行こう、獣王様がお待ちだ」
ユウリがそう言って扉を守る衛兵たちに声を掛けると、間髪入れずに頷いた衛兵たちが扉に手を掛ける。
そして___。
ゆっくりと開いていく扉の先には、一段高い場所に拵えられた大きな玉座とそこに座る虎獣人の姿があり、カイウスたちとその虎獣人との間には不機嫌顔のノイドが控えていた。
_あの人が獣王……大きい
謁見の間に入ったカイウスが、心の中でそう呟く。
カイウスがそう思うのも無理のない事で、虎の獣人である獣王の姿は推定でも三メートルほどの巨躯を誇り、城と同じ色をした透き通るような毛皮からは威圧にも似た重圧のようなものが感じられる。
鋭い爪に、牙、そして隆起した筋肉の大きさが獣王の力強さを如実に物語る。
まるで蛇ににらまれたカエルの様に体が硬く、重くなっていくのをカイウスたちは感じていた。
後数メートルのところまで獣王のもとに近づいたカイウスたち一行は、礼を失することなく、その場で膝をつく。
次の瞬間、獣王の重く威厳の籠った声が謁見の間に響くことになる。
「よく来てくれたモーリタニアの友人たちよ。そなたらの来訪を、我も歓迎しよう」
その声は心の底に響くような、不思議と頭に残る声音だった。
体が高揚するような、それでいてこの人に着いて行きたいと自然とカイウスたちの心に浮かばせるようなものだった。
一行の中から代表するようにしてレイが顔を上げて獣王に応えた。
「獣王様からの過分な言葉、身み染みる幸せにございます。この度使者としてカーランバ獣王国、ひいてはパリアール・スヴィス・フォン・カーランバ陛下にお会いできたこと、嬉しく思います」
「フッ、よすが良いレイ。貴様からそのような格式ばった言葉を聞かされては、世は虫唾が止まらなくなってしまう」
「……」
そう言って楽し気に笑う獣王パリアールの様子に、レイは頬を引きつらせながらそっと俯く。
「ユウリからはおおよその話は聞き及んでおる。此度は非公式な場での面会故、そこまでの厳格な態度を、私は求めない。……重鎮たちもおらぬであろう?」
パリアールは肩を竦めながらあたりを指し示す。
彼の言う通り、現在の謁見の間にはカイウスたち一行を覗くと獣王であるパリアールと、先ほど会ったノイド、そしてウサギ獣人のローザが端っこの方で腕を組みこちらを見ているのみだった。
獣王が続けて言う。
「ユウリから聞き及び、我が国のために遥々やってこられたとか……その功績は十分にこの場で楽な姿勢を取らせることを可能としたものであると、我は判断する。レイよ、遠慮するな。前回の様に、誰もお主を狂犬の様に扱うことはない」
「へぇ~、ま、パリアールがそういうなら、遠慮なく」
獣王の言葉にレイはニヤリと笑い、その場で姿勢を崩す。
そしてぶっきらぼうに話し始めた。
「あ~、よかったよかった、今回は俺一人じゃなくて弟がいるからな……さすがにお前を相手に礼を失して、責任問題なのなんだの言われたらめんどくさいことこのうえねぇからな。あ~、楽になる」
「変わらぬか……お主は全く変わらぬな、レイ。数年経って、幾分か丸くなったかと思ったが……余は嬉しいぞ」
胡坐をかき表情を緩めたレイの言葉に、獣王は懐かしむように嬉しそうな声音で話す。
本来ならば無礼極まりない態度と、謁見の間に相応しくない場の空気だが、この場にいる謁見の間の主にしてこの城の主からの許可が出ているため、誰も何も言うことはなかった。
変わったのは少し離れたところからこちらを伺うノイドの瞳が、少し細められたくらいだ。
レイはそのままの態度で首を鳴らすと、ゆっくりと立ち上がり告げる。
「へいへい、どうせ進歩のない俺ですよ。ま、いいや、そんなことより話さねぇといけねぇことがある、パリアール」
「む? なんだ?」
「こいつのことだ」
レイが指を指した先にいるのは、レイと獣王のやり取りをアワアワと狼狽えながら聞いていたカイウスの姿だった。
レイはそのままカイウスに近寄ると、猫でも抱き上げるようにして背中の服を掴み上げ、獣王に向かって差し出す。
「今回ここに来た目的は、ユウリから聞いたと思うが、改めて言おう。こいつがお前らの救世主に成りうる、カイウスだ。ついでに俺の弟だ」
レイはそう言って獣王へカイウスを紹介する。
いきなりの扱いにカイウスは抵抗できずに大人しく持ち上げられてしまっていた。
目を丸くしたカイウスと、あきれたような表情を浮かべる獣王の目と目が合う。
獣王がカイウスに向かって一つ頷き、レイに声を掛ける。
「うむ、知っておるぞ。知っておるから離してやれ。いくらそなたの弟と言えど、今は我の客人である。ぞんざいな扱いは止めてくれ」
「おっとこれは失礼。ちょっとカイの奴が緊張してるようでな。解しがてら持ち上げてみた」
獣王の少しとがめるような声に、レイは悪びれずにカイウスを降ろす。
「……兄さん」
カイウスは降ろされたと同時にジトっとした視線でレイを睨む。
「いや、だってよ、緊張して伝えたいことも伝えられませんでした。だと、なんか空しいだろ? パリアールの奴だってここが非公式で、態度は気にしないっていてんだから、意図をくんでやれよ。向こうは腹を割って話がしたい。そう言ってんだ」
カイウスの抗議の視線を受けたレイが、あきれるようにして肩を竦め自分の意図を話した。
その言葉を受け、カイウスが獣王を見る。
すると、レイの言葉が外れてはいなかったのであろう。
カイウスと視線を合わせた獣王が頷きながら告げる。
「……そこまでは言ってないが、当たらずも遠からずと言ったところか。正直私は量りかねているのだ、カイウス殿。そなたの言う上下水道と言うものがこの砂漠の地で本当に我らのために使え、実現可能なのかと言うことを」
「……」
「すまないが、疑っておる。ユウリから聞き、カイウス殿が善意でこうしてカーランバにやってこられたのは理解しているが……わかってほしい、それだけ我らは水に焦がれ、希望を持っているのだ」
絶望の中、希望は光輝き眩しく見える。
だが、その希望がまた絶望に変わることを獣王は知っていた。
国と言うものを治め率いる以上、生半可な覚悟で降ってわいたような希望に縋るわけにはいかなかったのだ。
疑いの視線、と言うよりかは試すような視線をカイウスへと向け、獣王はカイウスの返答待つ。
カイウスはその視線に生唾を飲み込むこととなる。
獣王がカイウスの心に問て来ていることが理解できたからだ。
_万難を排し、成し遂げる覚悟はあるのか
_命の灯を救う、希望の光になる覚悟はあるのか
_行動の結果の責任を負う、その覚悟はあるのか
獣王のその視線は、確かに訴えかけていた。
多くの国難を退け、犠牲を払いながらも希望の光として獣人国導いてきた王の無言の問いに、カイウスは応えなければならない。
_体が、震える
向けられているのはただの視線だ。
だが、その視線がカイウスの体を微細に震わせている。
カイウスの中に恐怖があるわけではない。
一国の長から向けられる覚悟を問う視線に、緊張しているのだ。
ここに来る前から、カイウスの中には”救う”と言う思いは決まっていて覚悟も決めていた。
それでも、当事者たちの長の前では震えて言葉が出にくくなり、あっけらかんとした態度がとれない。
_兄さんはすごいな……こういう人たちを相手に自分を貫いて、友人になっていくんだから、質の悪い人たらしだ
カイウスは『やります』と簡単に口に出して笑顔を浮かべておくつもりの予定だったが、今の現状はどうだ。予定とは全く違う状況ではないか。
先ほど、獣王を相手に気軽に話かけ、自然体で謁見の間の床に座った兄が思い出される。
カイウスは羨ましい、と思う同時にすぐに首を振った。
_兄である必要はない。私は私。自分自身の思いと覚悟を今この場でぶつけるんだ
カイウスは一度目をきつく閉じ、ゆっくり深呼吸をしてから言った。
「実現できます」
力の籠った一言だった。
カイウスはその赤い瞳を玉座から見下ろす獣王と合わせ、心の中に根付く救いたいという思いを乗せた。
その言葉を聞き、カイウスの回答をジッと黙って待っていた獣王がゆっくり頷く。
「そうか」
獣王のカイウスへの返答もたったの一言だった。
だが、獣王にはしっかりとカイウスの覚悟と、何より言葉に乗せられた思いが伝わっていた。
何より、この城にあって眩しいくらいに輝いて見えたカイウスの瞳に、獣王は賭けてみたくなった。
獣人国の現状を打破し、恵みをもたらしてくれるのか、はたまた不可能であるという事実を突きつけ、諦めという絶望を叩きつけられるのか。
この瞳になら賭けられる。この思いになら縋れる。
パリアール・スヴィス・フォン・カーランバは思う。
_時代の変遷……その時が来たのかもしれん
代々受け継いできた獣人国国王の位。
いつの時代も渇きから逃れることはできなかった。
先人たちが知恵を絞りに絞っても、多くの問題が立ちはだかり、結局喉の渇きが癒されることはなかった。
まさか、自分の時代に。まさか、人間の知恵によって。
長年苦しんだ問題に終止符が打たれるかもしれない日が来るとは、夢にも思っていなかった。
獣王は呟く。可能性だけでも運んできてくれた異種の少年に、この純粋な気持ちを伝えるために。
「……よろしく、お願いする」
獣王は、自分でも気づいていないうちに涙を流していた。
紡がれた言葉は嗚咽で途切れ途切れに聞こえ、滴る涙がゆっくりと流れ落ちる。
_いつぶりか、涙などとうに枯れ果てたと思ったが……まだ、残っておったか
渇きと過酷な地によって果てていく同胞たちを見て、幾度も涙を流した。
そしていつの頃からか、出ることのなくなった涙を知りとうとう枯れ果てた、そう本気で思っていた。
だが、目の前の小柄な少年の覚悟の光と、その強い思いが、獣王のどうしようもならなかった思いを刺激し、枯れ果てた涙を再び呼び起こしたのだ。
涙を見られないようにと、少し頭を下げた獣王にカイウスが再び声を張り上げて告げる。
「はい! 多くの人を救い、この地を緑豊かな土地にしてみせましょう!」
「「「「!?」」」」
カイウスの自信満々な言葉に、謁見の間にいる者たちは声にならない驚きを見せる。
カイウスは全員の視線が集まっていることを知ってなお、今はいた大言を取り消すことはなく、むしろ言ってのけた自分自身を誇る様にして胸を張った。
「……ふふっ、フハハハハハ、渇きを癒すだけでなく、この地を緑豊かにするとは……宣ったのがお主でなければ、虚言・妄言の類として嘲笑ってているところだが、そのどこまでも本気の表情と、疑うことのない眼を見せられれば……信じるほかあるまい。私は信じるぞ、この砂で満ちる過酷な世界が、神により祝福されし緑豊かな土地になることを……カイウス、私は信じるぞ」
獣王は驚きつつも、声に出して笑った。
馬鹿にするような笑いではなく、どこまでも愉快そうに、言ってのけたカイウスと心を通じ合わせるようにして笑ったのだ。
疑うような、試すような視線をカイウスに向けていた獣王はもういない。
獣人族の王はその束ねる種族の者たちと同じように、その身を熱い魂で震わせていた。
カイウスの大言壮語も、もし水を一定量この地に曳くことができれば不可能ではないことに気づいたからだ。
力強い視線でそう訴えられたカイウスは、短く獣王に応える。
「はい!」
時代の移り変わりを感じ、一つの未来を夢見た獣王はカイウスの応えに満足げに頷いた。
今ここに、カイウスの目的のための第一歩は為され、獣人国の未来は変わりゆくことになった。
その未来が良いものになるのか、果たして悪いものになってしまうのかは、カイウスの手に委ねられることになる。
だが、この場にいる誰もが獣人国の未来はよりよくなると、信じて疑わなかった。
白亜の城に当たる太陽の光が、丁度真上に来る。
謁見の間を照らす光が、獣王の決定をそしてカイウスの決意を祝福するかの様に美しく二人へと注がれるのであった。
獣王は……熱く優しい、王様なんです。
本日2話目です。




