熱砂の上と白亜城
驚くことに、山頂での休憩を終えたカイウスたち一行の移動速度は急激に上がることとなった。
_ここから先は我が国の領土……遠慮はなしだ
_了解
緑豊かな山脈から、切り取られたかのような境界線を経て熱砂の上に降りたった途端、ユウリは獣人特有の圧倒的な運動神経で、レイは得意とする風魔法を纏い、風そのもののなったかのような軽やかさで砂漠の景色を置き去りにした。
「は、はやッ」
「舌かむぞ、少し口を閉じてろ」
「は、はいぃぃ」
カイウスの悲鳴にも似た声が砂漠に響く。
それも無理からぬことで、前世で乗ったことのある車やバイクなどの速度に匹敵するほどの速さが出ていたからだ。
「……むふふ」
「君は……素晴らしいほどに落ち着いているな……ノムストル家は使用人すら普通ではないのか?」
「……いい風、そして良い気持ち」
「ハッハッ、何となくだが、君がここについて来るのを許された理由が少しだけ理解できたような気がするぞ」
レイに追従するように低姿勢で足早に走るユウリは、心配していた存在であるナナが、背中で慌てるどころか自然体で体を預けて来ていることを確認すると、訳知り顔になり、頷いた。
それはきっと、ナナがこの旅について来るために開催された”ノムストル家メイドトーナメント”その顛末を知っているからだ。
屋敷の中で、誰がカイウスの旅路に着いて行き、従者としてカイウスを支えるのか。
それを決めるトーナメントは、序盤は熾烈を極めた。
幼いながら多くの従者に可愛がれ、慕われるカイウスに着いて行くこの権利は、屋敷内で従者同士の牽制という名の軽い私闘が行われるまで発展したのだ。
これに見かねたのは、カイウスの母であるアリーだった。
彼女は中盤を飛ばして、この不毛な事態を収束へと導いた。
もちろん、力づくで。
曰く、『自らを律することができないものにカイウスの側付きを許すつもりはありません』
まず、この一言でカイウスに着いて行きたい従者の大部分が蹴落とされた。
アリーは『教育のし直しね』という一言を追加し、項垂れる多くの者に追撃を入れた。
そしてまだ、アリーの言は続く。
曰く、『こちらで必要な戦力とみなした者には、辞退してもらいます』
アリーにとっては一番釘をさすべきところに的確に、そして確実に差すための一言だった。
ここで私闘を影から助長し、最高のタイミングで権力者に告げ口を行った……すべての黒幕。
メイド長が脱落することとなる。
その時のメイド長とアリーは、静かに見つめ合うだけに留まったが、使用人や従者たちにはそれが逆に嵐の前の静けさのようで恐ろしく感じたとか。
ほとんどの者が脱落し、最後にアリーは言った。
曰く、『以上のもの以外からカイウスの今回の側付きを年齢に関係なく、最も優秀な者に行かせます……あら? もう一人だけね?』
げに恐ろしきは、母かな。
トーナメント開催を発案し、メイド長に施行させ、メイド長の狡猾かつ効率の良い静かなる暗闘を見破った。
その上でまだ新人だったが、カイウスの従者として将来を期待され、陰謀の渦巻く従者ネットワークの中で、まだ新人だったからこそ私闘に参加することを見送り、だが静かに、チャンスがあれば食い込む機会を淡々と伺っていたナナに目を付けた。
_あら、良い子ね
力がなくても、知恵で、そして機を掴むタイミングを虎視眈々と計った、幼いながらも将来への有望さ示したナナを褒める。
_……カイと一緒に育てれば……化けるわね
その後、アリーは諦めの悪いとある影から見守る系エルフとの完全に運任せの試練を形だけ用意してみせ、運すらもしっかりと味方に付けたのを確認すると、文句なしの合格を言い渡した。
「カイをお願いね?」
「……はい、奥様」
これで、終わりである。
と、そんな当人の知らぬマッチポンプ的な事情を、完全なる第三者として見ていたのがユウリだった。
カイウスの護衛なら自らとレイだけで充分であると分かっていたが、無理を言っているのは自分であるという自覚から、ナナのことは何も言わずノムストル家の意向に従った。
アリーに対し、何か言い知れぬ畏怖があったのも一部理由ではあるが……。
ユウリが熱砂の上を走る中、唐突にナナが衝撃的なことを呟く。
「だって、メイド長のほうがもっと早い」
「ん? なんだと? まさか、獣人の私よりか?」
背中越しにナナ頷くのをユウリは感じた。
今は走っている速度は、ユウリにとっては大体八割弱の速さだ。
世界でも有数の実力者であるとの自負とヒト族より身体能力の優れた種族である獣人の自分より早いものがいる。
それも一貴族家の使用人だというのだから、ナナが口にしたことが信じられなかった。
だが、もっと衝撃的なことをナナは付け加えた。
「足音すらたてない」
「……それは、本当にヒト族か?」
「……ちょっと、わかんない」
嘘を言っている気配のないナナにユウリは困惑する。自分で言っているナナもその声音には困惑の色が隠せてない。
話の中心人物であるメイド長がこの場にはいない今、二人の中ではその存在は大きくなり、疑問と謎に包まれるのであった。
カーランバ王国、白亜城。
カイウスたち一行が高速で熱砂の中を駆け抜ける中、ユウリを送り出した虎獣人の獣王と山羊獣人であるノイドが王の執務室で話をしていた。
「……あいつは問題を起こさず帰って来れるだろうか……あやつの足ならば、そろそろ帰ってきても不思議ではないだろうに、どこで道草を食っているのやら」
「そうだな、知らせのないまま一月近く立とうとしている……足取りは一応、モーリタニアの王城に着いたところまでは把握しているのだがな……それ以降が全くつかめん。ま、容易く死ぬようなやつではないし、案外ひょっこりと顔を出しそうではあるがな」
獣王とその側近である宰相のノイドは悩まし気に告げた。
「お前は、普段は勇者に厳しいくせに……こういう時は儂以上に頼みの綱にするよな……実は、あいつのこと大好きだろう?」
「……”勇者”の議席は伊達ではない。ユウリはそれだけこの国を救い、この国を思って行動する、この国の頼れる剣だ……少し真っ直ぐすぎることが傷だが……あなたもそんなことはわかっているはずだ、パリアール・スヴィス・フォン・カーランバ陛下」
「ククッ、いや、すまなんだ。王宮一の知恵者を揶揄ってみたかっただけよ、許せノイド。単なる戯れよ」
「……仰せのままに」
不満な表情を隠さないノイドはそう言って礼をする。
臣下と主にしては少し気軽すぎるやり取りのようにも見えるが、それはここに二人しかおらず、獣王であるパリアールが言葉遣いについてはかみ砕け、という指示が出ているからに他ならない。
それから少しの間、他の政策などについて意見を交わしていた時だ。
執務室で羊皮紙に目を通していたパリアールがふと窓を見る。
その方角は偶然か、はたまた必然か、カイウスたち一行が現在進行形で走り抜けている砂漠の地の方角であり__。
「インフラ、と言ったか……民の生活を豊かにする術を考え出した者は、果たしてどんな者だろうか。運気を掴み取った、ただ人か、それとも余の知らぬ新たな世界の傑物か……クックッ、ユウリならば手ぶらでは戻りはしまい。はてさて、今回はその輪郭でも掴めれば御の字だな」
「……」
鋭い眼光を浮かべるパリアールが独り言のように窓に向かって言い放つ。
パリアールの意見に従う様にしてノイドは黙って同じ方角を見た。
国を思っての暴走行為を繰り返し、その都度不思議とある程度の国益を運んでくる勇者の存在に、二人は今度も何かしら国に齎してくれるに違いない。
そうであろうことを、しかと予感していた。
その予感は見事に的中することとなる。
カイウスという存在を連れてくるという、見事に予感の上を突き抜けてみせた結果に、二人揃って目を丸くすることになるのだが……それはまだ、数刻先の出来事であった。