とある家の長男のお話
今日はもう一部、行けるかもしれない
僕の名前は、クリスト・ノムストル。
この国では少し名の知れた貴族家の一員だ。
僕は次期国王と名高い王太子殿下の『補佐』という役職に就いて王城で仕事をしている。
とても光栄で、やりがいのある仕事なんだけど……。
現在、そんな僕のもとに屋敷で待機しているはずの執事のキールが訪ねて来ていた。
「お忙しい中、大変申し訳ございません。クリスト様」
「うん、大丈夫だよキール。ちょうど今、ひと段落したところだから」
「ありがとうございます」
僕の執務室に入ってきたキールが慇懃に頭を下げてお礼を言ってきたので、手元でちょうど終わった書類の一枚をひらひらと振って応える。
嘘はついていない。
だけど、本当のことも言ってない。
王太子の補佐の仕事は、それはもう膨大で、基本的に終わりのないものだから、こうして何かしらのタイミングで休憩しないと身が持たないんだ。
だから、休憩ができるという面で、今回のキールの訪問は正直とても喜ばしいことこの上ない、のはずなんだけど……ああ……でも、なんでだろうか。
キールの少し楽し気な表情を見ると、嫌な予感しかしない。
キールがこういう表情をするときは、大抵が僕が少し困ってしまうことに対してこういう表情を浮かべる。
そうか、そうなんだね……今回もきっと、僕自身が対応しないといけない案件で、なおかつ適度に困ってしまうようなことでここに来たんだね……ああ、すごく聞きたくない。
聞かないわけにはいかないんだけど。
「珍しいね、キールがここまで来るだなんて……それだけ僕が直接対応しないといけない案件ができたのかな?」
「その通りでございます。先方の御希望により、クリスト様御本人に直接会ってお話がしたいとのことでしたので、まず私が伺わせていただきました」
「話? うーん、そうだなぁ……この時期だと、相手は侯爵か、それとも四大公爵の方々か……キールで対応できないくて、しかもその日に確認に来るってことはそれだけ『格』がある相手かな?……さて、どんなお話だろうか」
うんうん、と頷きながらこれから自分が相手するであろう者を予測してみる。
現在、帝国との国家間摩擦が取り返しのつかない段階まで来たこの時期に、王太子側近の僕を訪ねてくるのは、最近ではもっぱら武闘派と呼ばれる者たちばかりだ。
その中でも、屋敷の管理人のキールが対応できない。僕自身の予定を告げて後日ということにはできない相手ということは、基本的に爵位が上の相手か、話の重要性が高い時か……ん?
……あれ? でも待て……そう言った階級の人は、直接ここに訪ねて来られることが多いんだが……なぜ、わざわざ屋敷に?
それに、よく考えてみれば、キールのあの言い方はおかしい。
『先方の御希望により、クリスト様と直接会って話がしたい』そう言ってた。
ということは、話の内容をキールが知らない可能性が高い。
これは、絞れてきたなぁ。しかもいやな方向にだ。
ああ、きっとこれからキールが言う案件は、確かに僕を困らせるに違いない。
「ふふ……いいえ、侯爵様方でもなければ、四大公爵様方でもないのです」
僕の悟りきった表情を見て、キールも察したのだろう……楽し気な笑いが堪えきれず漏れてしまっている。
残念ながら僕の予想は的中しているだろうことが、より明確になってしまった。
ああ、嫌だ嫌だ……今度は誰かな……頼むから穏便な内容であってくれ。
「……身内だよね? キール、誰が来たんだい? それだけは先に教えてほしい……頼むからおじい様でないことを祈るよ」
「……大丈夫ですともクリスト様。あなたならできる。なんでもできますよ……だって、現在進行形で王太子様の信頼厚き側近で、未来の重鎮候補ともいわれるあなたではないですか。大丈夫、できますよ」
「ハハッ……ここまで、親友の権力をかさに着ることになるとはね……ああ、すまない、マラス」
「安心してください。クリスト様はそれ以上の貢献でもってマラス王太子殿下を支えていらっしゃるではないですか」
口惜しそうに呟いた僕に、悪魔が囁くようにして言うキール。
確かに、書類仕事とか、僕にしかできない雷属性の魔法を使った王国国内で起こる様々な問題に対しての王太子の名代としての速やかな解決などで貢献している……しているけど。
でも、それはいち臣下としては自分の能力で忠誠を示すって言う極当たり前な主従関係なはずだ。
決して、主の権力を傘に着る臣下なんて居ていいはずがない……まぁ、ここにいるんだけど。
「うん、その話はあとにしよう。今は誰が何しに僕を頼りに来たのかが一番大事だ」
主従の関係はもういろんな方面が納得している話だから、ここでは話す必要はない。
本当はゆっくり事情を聴いて、休憩をしようと思ったけど……残念ながらそれは相手が家族とわかった瞬間になくなった。
だって僕がここで書類仕事をする苦行を受け入れたのは親友の手伝いをしたいって言うのと……規格外だけど少し抜けてる家族の助けになりたいって思いがあったからだ。
まぁ、遠慮も配慮もなく、すっごく活用されてるけど……。
贈賄とか、犯罪とかの片棒を担がされてるわけじゃないから、助けになれているんだから本望と言えば本望だ。
色々、滅茶苦茶忙しいけど。
「で、誰かな?」
「……カイウス様です」
「え、カイウス?」
「はい、カイウス様でございます」
「……転移かな」
どうやら末の弟が転移で来たらしいことはわかるんだが……さて、何の用だろうか。
馬車の旅って言ってたし……そろそろレコリソスあたりで宿をとっているはず。
うん~、そこで何か問題が起きたていうのが一番のカイウスの目的の有力候補かな……でも、なぜに僕を頼ったのか……。
よし、とりあえず会いに行こう。
「わかった、会いに行こう。先に屋敷に行くからキールは少しここで待機していてくれ。僕が屋敷に帰っていることを来た人に伝えて」
「かしこまりました」
キールがそう応えたのを聞いて、僕はこの部屋の窓に手を掛け、開け放つ。
外はとてもいい天気で、緩やかな風が頬を撫でる。
王太子側近の執務室であるこの部屋は王城でも比較的高い位置にあり、地面からはもちろん数十メートルは離れている。
僕はすぐに窓枠に足をかけ、その身を空中に身を躍らせた。
_雷魔法 雷速
王城に沿って体が落下する中、すぐに魔法を発動する。
自らを雷とし、瞬時に移動する雷属性の魔法。
雷属性を操れる者の中でも極一部の者にしか使用できない扱いの難しい魔法だけど……少し多用しすぎてごく自然に扱えてしまう。
これで屋敷までは一瞬だ。
_バチッ
「お疲れ様、ヴァン」
「ハッ、お帰りなさいませ、クリスト様」
門の前に着地して、ノムストル家護衛騎士のヴァンに軽く挨拶をして屋敷に入る。
さて、カイウスはどこかな。
「お帰りなさいませクリスト様。お庭にてカイウス様がお待ちです」
「うん、分かった。ありがとう」
屋敷に入ってすぐの廊下ですれ違ったメイドに、挨拶とともにカイウスの場所を教えてもらった。
庭かぁ……たぶんそこに転移してきたんだろうなぁ……御爺様、空間属性をカイウスに教えるのはいいんだけど、ちゃんと規則とかも教えてほしいなぁ……じゃないと僕が困るんだ。
「兄さま!」
「やぁ、カイウス」
庭に入ってすぐだった。僕のお腹にカイウスが飛び込んでくる。
どうしよう……普通に可愛いんだが……いや、ダメだ用件を聞かないと、僕も暇じゃないんだから。
ああ、でも……もうちょっと。
「兄さま、実は急ぎお願いごとがあって訪ねてきたのです」
「……ああ、なんだい? カイ」
僕が抱き着いてきたカイウスの頭を撫でようとしたら、すぐにカイウスは僕のもとから離れて用件を告げ始めてしまった……ああ、この宙に浮いた手が恥ずかしい……姉さんとかなら無理やり抱き寄せたりするんだろうけど……さすがに同性だからなぁ。
用件も聞かないといけないし、諦めよう。
「兄さま、単刀直入に言います!! 龍の鱗を売ってください!」
「龍ッ!? え、龍!?」
「ええ、龍です!!」
「ああ、カイ……君もか」
「??」
うん、大丈夫。わかっていたさ、自分の家族がこんな感じだって。基本的にわけのわからない存在だって。
龍っていえば、それはもう一般人にとっては恐怖の対象であり畏怖の対象だ。
そんな存在の鱗が欲しい?
しかも、単刀直入にって……そんな簡単に手元にある物でもないんだけどなぁ……。
「あ」
「どうしました兄さま?」
あった。そういえばあったよ! レイの奴がA級邪龍を討伐した時の奴があったはずだ。
……レイか、レイだなカイをここに来させて巻き込んだのは……龍の鱗が欲しいなら自分で調達すればいいものを、あいつ、めんどくさくて押し付けたな。
「うん君の用件は分かったよ、カイ。でも理由もなしじゃおいそれと売れるものではないんだ。それだけ貴重な品だし、大事なものなんだよ」
正直売るのに躊躇いはない。
少し前までのカイになら考える時間を貰うところだが、今のカイになら大丈夫だと思っている。
レイも付いてるし、何より獣人国の勇者様が付いていて変な悪事には使われないだろう。
ただ、だ。
ホイホイと渡して、言えばなんでもしてくれるんだというのをカイに覚えてほしくない……家族に僕に対する配慮や遠慮が無くなりつつある今日この頃の状況を、カイにまで及ばせるわけには……。
「実は、ナナが龍浸病に侵されてしまって……それにレコリソス全体でも患者に対して薬の供給が間に合ってなくて現地の人たちが苦しんでいるんです……兄さま、どうか売ってくれませんか!」
「よし、わかった売ろう。いや、とりあえず持っていきなさい。あとは兄さんとカナリス領で話し合う。ちょっと待ってて」
「はい!」
そうか、龍浸病だったか……今年は薬の数が足りないほどの流行年だったか……でもおかしいな、そんな状況なら僕のもとまで報告が上がってきてもおかしくない。
報告を怠った?
いや、あそこの領主は少し変人だけど領地経営や民に対する姿勢は誠実でま真っ当な人だ。
僕も面識があるし、裏の調査でも別段悪い噂は聞かない……だとすると。
「……まだいるのか」
屋敷にある自室。
そこにある布袋を手に取って呟く。
だいぶ調査はして、膿を抜ききったと思ったけど……どこかで握り潰されたか?
レコリソスは辺境というだけあって王都からなかなか遠い。
いくつかの貴族の領を挟むし、魔物の危険もある。
そのどこかで問題があったはずだな。
「リコット……いるかい」
「ハッ。今回の顛末の調査、配下の者に手配させます」
「よろしく頼むよ。あそこの領主殿だったら絶対に王都に一報を入れているはずだ。その足跡をたどって見てくれ」
「ハッ、すぐにでも」
僕の影から出てきたエルフの護衛が、そのまま影へと消えていく……最近気づいたけどこの人たちすごく有能なんだよね、僕にとっては生まれてから当たり前にそばにいる存在だけど、マラスから見れば、「頼む、くれッ」って真剣に僕に迫ってくるほどには。
まぁ、彼女に任せればあとは少し経てばしっかりと報告が来るだろうし、あとはこの袋をカイに渡すだけだな。
「カイ、これには龍の鱗といくつか救援物資を入れておいたから、そのまま治療院のヨルト先生に渡してくれ。彼ならすぐに使ってくれるはずだ」
「空間属性が付与された布袋ですか?」
「ああ、御爺様に頂いた結構貴重なものだから後日僕に返すように言っといてくれ。ヨルト先生なら戻してくれるはずだから」
「……わかりました。では兄さま、行きますね」
「うん、頑張っておいで」
「はい」
そう言って布袋を僕が渡すと、カイウスの身からすぐに魔法発動のための魔力光が立ち上る。
いつ見てもすごい魔力量だな……御爺様、僕は育て過ぎだと思うよ。
どう考えても、御爺様レベルの魔力量だ。
「では、お兄さま。お仕事中失礼しました」
「うん、戻ってきたら獣人国のお話を僕に……いや先にクリミア姉さんに話してから僕に話に来てくれ」
「ハハ、兄さまでも姉さまには勝てませんか」
「……無理だね、いつまでたっても頭が上がらないよ、精神的にも物理的にも」
「「ハハハハ……はぁ」」
「姉さまに話した後来ます」
「うん、そうしてくれていいよ」
「じゃあね」
「はい」
魔力光の光が一層光ると同時に笑顔浮かべたカイウスが一瞬で消える。
それを見届けると同時に、僕も屋敷を後にすることにする。
「ヴァン、じゃあまたね」
「いってらっしゃいませ、クリスト様」
「うん、いってきます」
_雷魔法 雷速
魔法を発動して王城の僕の自室まで、すぐに戻る。
窓は開けてくれてると思うけど、最悪破ってしまうかもしれない……まぁ仕方ない。マラスに謝ればいいだけだし。
「ただいま、キール。カイの用件はすぐに終わったよ」
「さすがでございます。『雷神』の名に恥じぬ働きっぷりですね」
「……僕は別にその名を認めたわけではないんだけどなぁ」
「多くの尊敬と畏怖が集まったあなたの名です。悪戯好きな子供だったあなたがここまでご成長為されて……涙が出てきそうです」
「……そう言ながら笑ってるのは、主に対してすごく失礼だと思うよ、キール」
「すいません、趣味です。許してください」
「主をおちょくるのが趣味か……いやな趣味だなぁ」
窓はしっかり開けてくれてたみたいで、自室が悲惨なことにならなくて助かった……半分くらい悲惨なことになって仕事から解放されたいと思ってたけど、キールがそんなへまするわけがなかった。
それにしても、主をおちょくるのが趣味って……よくその主の前で言えるよね。
キールには多くの迷惑と実害を与えてきたから何にも言えないけど、僕以外の貴族なら即お暇をだされているよ。
「安心してください。ノムストル家以外に使える気は毛頭なく。辞めるとき老衰で死ぬ時だけですので」
「長生きする気満々だなぁ」
自然に心を読まれたような気がするけど、多分表情とか仕草でバレたんだろうな。
よくあることだし、家の従者相手に心が読まれる程度で驚いてはいられない。
「では、私の用件は以上でございますので、屋敷に戻らせていただきます」
「うん、屋敷の管理、頼むよキール」
「かしこまりましたクリスト様。失礼いたします」
そう言ってキールが何事もなかったかのように頭を下げて帰っていく。
見ないようにしてたけど……ダメだよね、現実を見なくちゃ。
そう思って取り残された僕は、自室の机の上を恐る恐る見る。
増えてる。
いや違うな、戻ってると言おうか。
机の上にある書類の束が、ごく自然に今日の朝おかれていた量に戻っているんだ。
「ん? これは……ああ、最悪のタイミングで来てたのか、マラス」
机の真ん中にでかでかと一枚の羊皮紙が置かれ、そこには見慣れた親友の筆跡で大きな文字が書かれていた。
『王城無断出入りの罰だ。今日やった分はリセットさせてもらったぞ。ついでに俺は今からちゃんと門で検査をしたうえで下町調査だ……良かろう?』
「マラス、自分の分を押し付けに来てたのか……くっ、なぜタイミングだけはいつもいつもいいんだ」
もしかしたら下町調査という名目のさぼりというか休憩に僕も誘いに来たのかもしれないけど、僕のいない間にここにきてキールに事情を聴いたに違いない。
そして、これを思いついたと。
マラスはたまにこういう小賢しいことを思いつくんだよな。
昔は王道に一直線の眩しい存在だったのに……いつからこうなったのか。
「……はぁ、やるか」
用件は済んだし、目の前のこの量を終わらせるなら休憩も今日は返上だろう。
ちょっと理不尽だけど、こういう負担を日ごろからしないと、ちょっとたまに来る僕の理不尽なお願いにマラス答えにくくなるだろう。
仕事しよう。
カイのことは少し心配だけど、あの様子僕にできることはしたし、あとは待つだけだ。レイもユウリ殿もいる。
きっと大丈夫だ。
「……にしても誘拐事件と言い、今回の龍の鱗のお願いごとと言い……後が怖いな、なんか段々と僕に助けを求める内容が上がって言うような気がしてならない……頼むよカイ」
これ以上要求を上げないでくれ。
将来的にはどこかの魔王の相手とか、大きな問題の手助けを要求されそうな雰囲気がある。
僕的には、さすがにこれ以上は厳しいから、どうか今回の獣人国が終わったらカイがゆっくりできますようにそう祈っておきたい。
_どうか、末の弟の未来が平穏でありますように
「……」
どうしよう、内心でそう願ってみたんだけど……全然叶う気がしないや。
……仕事しよ。
クリスト・ノムストル。
『雷神』と呼ばれ、多くの貴婦人たちが憧れ、多くの冒険者や騎士が尊敬する、ノムストル家の貴公子。
しかしその実態は、家族や親友からの頼みを断れず、助けてしまう苦労人だった。
貴公子の受難は始まったばかり。
優しく父親似のクリストは、今日も今日とて親友と家族のため、書類と戦う日々に身を投じるのだった。