竜と人の町~レコリソス~
『宿』
そこは多くの旅人が立ち寄る場所であり、疲れ切った心と体を癒す、一種のオアシスのような場所。
宿に使われている古めかしいながらも趣き深い雰囲気の木材と、室内を照らすオレンジ色の淡い照明が、一度宿に入ってきた者に優しさと安堵を与え、笑顔振りまく看板娘や香り立つ夕食の匂いは、旅人たちを食堂へと誘う。
ここは活気あふれるとある宿の食堂の片隅。
そこに二つの小さな影があった。
「「……」」
しゃべるのも億劫そうなカイウスとナナである。
二人が入った宿は、ところどころに多くの傷が刻まれ、決して新しく、貴族をもてなすような高級宿ではないことを一目で気づかせる。
しかし、そんな安っぽい宿もいいところのこの宿であろうとも、案内役のユウリが案内してくれた場所である。
その場所が、どんなにうるさくて叶わなくとも。
その場所が、荒くれ者で溢れた酒場であろうとも。
今日の宿はここであり、食事をする場所はこの場所以外にあり得ない。
空腹と旅による疲労により、席に座った瞬間動けなくなった二人にとって、すべてが雑事。
二人の体と心は、ただただ、食事を、睡眠を、休息を求めている。
「どう? いい宿でしょう?」
そんな二人を見てか、二人の先導が終わるや否や、食堂の喧噪に加わった宿屋のお姉さんが笑みを浮かべながらカイウスたちへと話しかける。
どうやら食事を持ってくるついでに話かけに来たようだ。
しかし、自慢気に話すお姉さんのドヤ顔ですら二人の視界には入らず、問いかけられた声すら、聞こえていないのかもしれない。
カイウスとナナの視界に入るのは、お姉さんが持つそのお椀であり、その中身。
ふわりと沸き立つ湯気とともにとても良い香りが二人の鼻腔を擽る。
「はい……」
「うんうん」
「プッ、そりゃあそうなるわよね……フフフ、こんな時間まで訪ねてこないんだもの、お腹すいてるはずよ」
おざなりな答えが、カイウスの口からお姉さんへと告げられる。
ナナもカイウスがそういうと同時に、何も考えていないように何回も頷き、追従した。
そんな二人の様子に、苦笑いを浮かべたお姉さんは、そっとスープの入った入れ物を二人の前に置いた。
「はいよっと。この宿特製! 滋養強壮にもってこいのキノコスープよ、ゆっくりお食べ……ハハッ、聞いてないわね、こいつら」
カイウスは目の前に置かれたスープをすでにロックオンしており、すでにその耳には何も聞こえていない。
お姉さんはカイウスの様子をちらっと見ると、今度はナナのほうを見る。
メイド服に身を包み、本来なら主であるカイウスの食事の世話をしてみせ、従者としてふるまうべき場面だが……。
「……」
「あんた……あははは、もう空じゃないの!?」
「グッジョブ」
「控えめに言って、めちゃくちゃ最高です」
「イヤ、はやッ……二人とも、どれだけお腹すいてたの」
少し引き気味のお姉さんの声が二人の耳に届く。
お姉さんが見たとき、そこにすでに宿特製のきのこスープの中身などなく……。
一瞬の視線を逸らしただけで、カイウスとナナ、二人ともがその容器を空にし、口々に料理の感想を述べていた。
驚異的な速さだ。
お姉さんのゆっくりという言葉は確かに聞こえていなかったのであろう、未だギラギラ光るその瞳からは、すでに次の獲物を狙っているようで……。
その様子を見て気を取り直したお姉さんは、二人の様子を見て、力強く頷いた。
「たくッ、あんたらちっこい癖に、わかってんじゃん!! おかわりは? ……もちろんするでしょ?
「ええ、是非!」
「愚問」
二人は、一も二もなく力強い頷きを返し、おかわりを提案してきた姉さんにギラギラした瞳を向けた。
そこに躊躇いなどない、あるのは食欲のみ。
「了解、了解。すぐに持ってきてあげるよ」
「「お願いします」」
お姉さんがそういって活気あふれる食堂をスルスルと通り抜け、厨房へと向かっていった。
「ああ……生き返った」
「うん、おかげで理性が……戻った」
その様子を見ていた二人は、少し膨れたお腹と、戻った活力に安堵の表情を浮かべる。
二人とも、馬車に乗っていた時に、自分達が考えているよりずっと疲れていたことに気づかされたのだ。
ここで二人はようやく落ち着けた。
レコリソスに着いてからというもの、景色は見れど、馬車の中から出たことはない。
ようやく出たときには、空腹と予想以上の疲労で、フラフラと自分が何をしているのかもよくわからないと来た。
二人に出されたあのきのこスープは、確かに特製であったのだろう。
カイウスとナナ共々、表情に活力が戻ってきて、あたりを見渡す余裕までできている。
「ここがユウリさんが薦めた宿ですか……ちょっと荒っぽそうですけど、スープは絶品でした」
「うん。あれは美味、早くもう一度食べたい」
どんなに落ち着こうと、スープ一杯を食べた程度でしかない、まだまだ二人のお腹の中は空腹でいっぱいだ。
しかしどんなに二人が求めようと、お姉さんは未だ厨房から身を出さない。
カイウスは、チラチラと今度は宿の内装を見だした。
よく見れば趣き深く、柔らかい雰囲気を持つ調度品や家具が数多く存在し、落ち着く木材の匂いと、美味しそうな食事の匂いが混ざり合って、なぜか心が落ち着く空間が出来上がっている。
決してきれいではないこの宿屋であるが、カイウスの瞳に映る一つ一つの傷や、食堂のいたるところから発せられ、反射されたオレンジの微光が……優しさで覆われているかのように感じるのだ。
「酒持ってこぉぉぉいこの野郎ぅ!!」
……少し騒がしいのが難点だったが、それも一種のBGMとでも考えれば、まぁ許容の範囲内であろう。
一人の男が卓の上で立ち上がり、大声を出すと、お姉さんがあきれた表情でその男へジョッキを持ってきた。
「はいよ! 町一番の看板娘からだよ!」
「がっはっはっは、自称、な! 自称うッ!」
自信満々に言い放つお姉さんに、食堂で飲んでいるおっさんから楽し気な突込みが入る。
「むむ、なんだって! へー、ほうほう……あんたたちまだまだ飲み足りないんじゃない? もっとじゃんじゃんエール頼みなさいよ!」
「おうおう、あったりめぇよ! まだまだ飲むぜオラァらはよ! なぁ!!!」
「「「あったりめぇよ!!!」」」
「うーん……いい雰囲気? 陽気ではあるのかな」
ほかの客の相手を次々にこなすお姉さんを尻目に、カイウスと同じように周りを見渡していたナナも、食堂にいる客と宿屋のお姉さんの軽く陽気なやり取りに少しの笑顔を浮かべる。
落ち着いて趣き深い雰囲気の店の内装に、少し騒がしいが、確かな雰囲気とノリの良さを感じさせる客たちの豊かな騒ぎ。
そんなこの宿屋の特徴は、少しずつだったがカイウスとナナの心と体に良き影響を与えていた。
「まだまだ騒ぐぞぉてめぇらー!」
「「「よっっっしゃーー!!! 今日お前のおごりな!!!」」」
「……え、いやちょ「「「「ヒャッハーーー!!! 飲むぜこの野郎!!!」」」」……ハハハ……まっかせろい……クッソウ、俺の財布、空にできるもんならしてみろい、この野郎!!」
「ああ、ああ……なんて、おっそろしいノリだ……」
「ふふふ、きっと、明日は絶望した顔してるよあいつ」
「……楽しそう」
食堂の真ん中で騒ぐ漢達を横目に、いつの間にか宿屋のお姉さんが、美味しそうな香りと暖かな湯気が立つスープをカイウスとナナの前に置きに来た。
ナナはスープとひとりの屍ができつつある騒ぎの場所を交互に見比べる。
どう考えてもこの後、多くのものから記憶が消え、中心に立つ者の財布と翌日のメンタルがすっからかんになること間違いなしのこの状況。
「売り上げは右肩上がりさ」
そう言って悪魔的に笑うお姉さんの笑顔が、なぜかカイウスとナナの脳裏に強く焼き付くのだった。
その頃、領主への挨拶に向かったレイとユウリと言えば、他の建物より一回り大きい領主の館へとたどり着き、その中にある応接室にて領主との面会を始めていた。
「お久しぶりですな、カーランバ王国一席”勇者”ユウリ殿。そして初めましてかな、レイ=ノムストル殿。カナリス領領主のロドリコ=カナリスだ、この度はわが館にようこそ」
少しの白髪の混じった、茶髪の偉丈夫。
それがロドリコ=カナリスのレイから見た第一印象であった。
ハキハキとした話し方や、一切の嫌味も暗さも感じさせないその雰囲気からは、冒険者であるレイや、どちらかといえば直情的なユウリからすれば、好印象を与えていた。
まずは、立場的にも、伯爵と知り合いという面的にも挨拶がしやすいユウリがその表情を綻ばせながらロドリコへと手を差し伸べた。
「こちらこそ、急な訪問、そして行きに挨拶することなく通ってしまい、誠に申し訳ない」
「ハハハッ、黙っておけば良いものを、正直者のユウリ殿がお変わりないようで安心しましたぞ。事情は王子からの勅使にすべて伺っております。気にするなとは言いませんが水に流しましょう。その程度で揺らぐ我らの関係ではないでしょう?」
「……感謝する、伯爵殿」
開口一番に告げられたユウリの謝罪の言葉に、伯爵は笑い飛ばすことでその答えとした。
そして一枚の王国印入りの手紙をユウリ、そしてレイに見せるように懐からだし、こちらの事情が伝わっていることを二人に伝えた。
笑い飛ばしたうえで、そこまでの対応をされれば、誠実なユウリのとる行動は一つだ。
何かしらの言葉で取り繕うことはせず、自分自身のできる最敬礼にて感謝を伝えるのみ。
「良いのだユウリ殿。事の詳細は聞かせていただいた。私もそなたなら、同じように行動したであろう、が……さすが勇者殿だな、あの砂漠に山脈を休まず踏破したと報告を聞いた時は……あまりの武勇に震えましたぞ」
「ああ……幾度か危険はあったが、少しでも早くという気持ちに嘘が付けなくてな、気づけばモーリタニアについていた」
「ははは、なんとあなたらしい」
最敬礼をするユウリに、伯爵は旧友のように語り掛け、その道中の武勇を褒めたたえる。
実際に、褒めたたえられて然るべきことを成し遂げているだけに、ユウリもその言葉を素直に受け取り、二人の和やかな挨拶は終わる。
次に伯爵が目を向けたのは、ユウリの隣で冒険者とは思えないほどに貴族と同じように礼節を弁えた佇まいでいるレイだ。
「レイ殿申し訳ないな、レコリソスの土地柄少なからずカーランバとのやり取りがあって、ユウリ殿とは昔からの知り合いなのだ」
「いえ、そういったお話はここに来る前にユウリ殿に聞いております。私のことはお気になさらず、どうか久方ぶりに会ったお二人で話されるとよろしいかと」
驚くべきことが、レイとロドリコの挨拶最中、起こっていた。
レイが、貴族然とした、それも貴公子のような挨拶をしているのだ。
その姿、姿勢はもちろんのこと、話し方や声音、仕草まで、どこに出しても恥ずかしくない貴族になっていた。
これほど、珍しく、驚くべきことなど早々起こりえないであろう。
事実、隣のユウリが目を丸くして、口を半開きにしている。
そんな二人の様子を見た伯爵は……。
「クック……ハハハハッ」
「……?」
笑い出した。それはもう盛大に。
貴族としてはあり得ない、あり得てはいけない行動を取られたはずのレイだったが、あまりの突然の伯爵の爆笑に、一周回って困惑してしまい、首を傾げる。
「あ、いやこれはすまぬ。いや、しかし、目の前にいるのが本当に貴族たちの恐れるノムストル、その中でも暴風と恐れられる冒険者だとは全く思えなくてな、噂と実物がここまで一致せぬものも珍しい……私もユウリ殿とあまり変わらぬ性格でな、猫を被っているのなら早めに脱ぐことを推奨するよ、私はね、暴風の麒麟児と呼ばれる凄腕冒険者に会えるのを楽しみにしていたんだ」
笑いが収まり、伯爵から出てきたのは普通の貴族ならば恐ろしく失礼に当たり、激高の末決闘を挑まれたりしても文句を言えない言葉であった。
とてもではないが伯爵が自分より同格以上の家の貴族相手に使う言葉としては落第もいいところ。
いくら素直で、清々しい性格だからと言って限度があるというものだ。
「……はぁああ、何だよマジでユウリの言う通り話の分かるおっさんだったか……いや助かった、見てくれあまりに薄ら寒くて湿疹が出てやがる」
が、しかし、レイに向けられる言葉として花丸を三重に重ねて星マークを散りばめるほどに大正解で、冒険者というレイに会いたいのであれば、唯一無二の言葉であると言わざるを得ない。
一瞬にして被った貴公子然としたレイ=ノムストルを脱ぎ捨て、あまりにもフランクな本性、冒険者レイがその姿を現す。
一瞬前の人物とは思えないほど雰囲気が様変わりし、貴族に接するにはあまりにも失礼なその態度と雰囲気に、隣のユウリがレイの脇を小突く。
「おい、レイ。それは脱ぎすぎだ。もう少し被りなおせ」
「え、マジ!?」
レイとともにいる時、圧倒的苦労人の雰囲気を醸し出すユウリのその一言に、レイが眉間に皺を寄せながら驚いてみせる。
レイのその表情がゆっくりと伯爵に向いた時。
「ハハハハッ、いや、良い。あなたはそれでこそ暴風と言われるにふさわしい。いやはや光栄だよ、邪龍退治の英雄に生でしかも、個人的に会えるとは……実はファンなんだ」
「そういえば、確かに少し前に伯爵殿はそうおっしゃっていたな。うむ、お前のことだったとは」
「ユウリ殿もお人が悪い。モーリタニアでノムストル兄弟は絶大な人気を誇っているのですぞ。長女様はそのお美しさと賢さから才媛と呼ばれ、長男殿は王子補佐し国のいたるところに高速で現れては問題を解決していく救世主。次男殿はバッサバッサと魔物と悪人を倒し放浪の旅をする孤高の冒険者。次女殿は母親譲りのその魔法才能から今後に多くの期待が寄せられ……この度訪れた末っ子殿、すでに一部では賢者様の再来にして幼いながら超えるのではないかと囁かれていますぞ」
「「……」」
「おっと、だからと言って賢者様や聖者様の人気が陰ることはありません。この二人の二大巨頭は決して揺るがぬ人気。国を救い、個人で国家間の抑止となりえる二人は、それはもうそれはもう。だが期待だけでいえば今熱いのは末っ子殿。ですが安心してくだされ、私は生粋の次男派。あなたが冒険者登録した時の逸話から、子供のころのやんちゃなエピソードまで、それはもうそれはもう頭の中に入っておりますとも」
「「……」」
それは怒涛のマシンガントーク。
先ほどまでの爽やかと快活を足しで二で割ったくらいの伯爵の姿はなく、純度100パーセントの熱い漢がそこにはいた。
嬉々として語るノムストルのモーリタニア事情。
レイはその笑顔が滅茶苦茶引きつり、ユウリは再び驚いたように伯爵を見る。
ファンの事情や、この度のことの自慢、サインが欲しい事など、二人のそんな様子など気にもせず、まっすぐに語り掛ける伯爵。
話しやすく、話の分かる伯爵だということで、ここカナリスの伯爵は有名人であった。
それは貴族に対してもそうであり、平民、そして亜人に対してもそうであった。
ユウリもその認識は変わらず、目の前の伯爵は果たして誰であろうかと首を傾げる。
「無理にとは言いませぬ、冒険者レイ殿に会えたのならばその証を、そう証が欲しかったのです。どうか、どうか」
「え、ええー……ちょっと、これは聞いてないんだが……ユウリ!!」
「いや、すまぬ。我もこんな伯爵は初だ。まぁ、何とかしろ、お前のファンらしいからな」
ユウリが見た伯爵は、確かに自分の知ってる伯爵で……。
「マジか……」
「マジだ」
「そうです何とかしてくだされ。この機会、逃しては一生後悔いたします」
その後、何とか伯爵に一筆書き、満足してもらい、二人は館を後にする。
去り際、伯爵から気を付けるべきことと、そして少しばかり予定を変えねばならぬ情報を与えられ、二人は足早に宿へと向かう。
そして、二人が去った後の領主の館。
夜も更けてきたころのいつもとは珍しく未だ明かりのつく領主の館で、一人の男の歓喜に震える声が聞こえたとか聞こえなかったとか。
竜と人の町レコリソス、この街にたどり着いたばかりのカイウスたち一行の初めの夜はこうして終わりを告げるのだった。