閑話・邪龍とレイ
今回は閑話です。
皆さん、夏風邪、胃腸炎にはくれぐれもお気お付けください。
めちゃくちゃだるくなるので。
レイは周辺諸国の動向を調べるため、依頼という形で様々な国に訪れていた。
そして、最後の訪問となった公国からの帰り道。
穏やかだったはずの街道が、少しずつ剣呑な雰囲気に染まっていった。
_それは、唐突に現れた。
「GYAAAAAAAAAAAAA」
真っ黒な雷雲を背負い、圧倒的な存在感を発しながら、他を圧倒する咆哮が大地を震わす。
細く巨大な体躯、鋭い牙、爪、そして漆黒の鱗。縦に割れた眼孔。
自然災害と同規模の扱いを受ける存在がある街道を我が物顔で陣取っていた。
「あークソ、あと少しで帰れるというところで……めんどくせぇ奴が出た」
生物の気配など欠片もなく、ただ風だけが流れるこの場所で、レイは頭を掻きながら漆黒の生物を見上げていた。
”龍”
魔物の頂点に立つともいわれ、その圧倒的な力は何物にも害されることはないと言われる魔物。
ひとたび暴れれば、大災害など目ではないほどの破壊と絶望を周囲にもたらす物。
青年はそんな存在をジッと見つめ、ため息を吐きながら腰に携えられた剣を抜く。
「被害が出ただのの噂は聞いてたけどよぉ、それこことは反対とかだったんだが……マジ勘弁してほしい」
普通の者ならば今頃恐怖に打ち震え、膝を屈し、神に慈悲を乞うていただろう。
しかし、青年は違った。
散歩でもしているかのような軽い足取りでそのまま歩き続け、己の不幸を理知的に理解し、ただ文句を吐く。
まるで目の前の脅威が、その者にとって脅威ではないかのような態度。
「ん? よく考えればラッキーなのかもしれないな……兄の威厳を取り戻せるかも!」
事実、彼にとっては脅威ではないのかもしれない。
人類の枠を超えた人類たる証、S級冒険者の称号を持ち、魔物蔓延るこの世界で、たった一人で旅をする風のような者。
規格外の家族を持ち、有り余る才を持った彼の名は、レイ・ノムストル。
巨大な漆黒の龍に睥睨されど、兄の威厳について語れる胆の据わった、人間だ。
レイは、漆黒の龍を見つつ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ハハハッ、あの生意気な弟を、冷たい使用人どもを見返す時が来たぜ! へっへッ、ここまで仕事すりゃあ三年は安泰だな」
何かとても鬼気迫った力が瞳に込められ、目と目があった漆黒の龍の体全体がビクッと震えた。
レイの発する存在感、威圧感が、龍の知っているそれとはまったく違う、しかし龍を驚愕させるには十分な物が込められていた。
龍の瞳が自らの震えに動揺し、揺れ動く。
たった一瞬レイから目をそらす龍。
レイはその一瞬を逃さなかった。
「俺の威厳になれ」
龍が淡々としたその言葉を聞いたとき、龍の頭に強烈な衝撃が襲った。
”GAAAAYAYYYAAAAA”
龍の悲痛な叫びが衝撃破となって空中に拡散される。
地鳴りが響き、木々が吹き飛び、空気が入れ替わる。
緑豊かな地であった街道が、一瞬にして荒野と化してしまう。
「うっせぇな。こちとら弟に舐められねぇように、兄貴に心配かけねぇように……何より姉、妹にどつかれねぇように日々苦悩して生きてんだ、真ん中の力なめんじゃねぇぞ、コノヤロッ」
龍と目と鼻の先。そこにレイは片手を腰に当て、もう片方の剣を取ったほうを下げながら、不機嫌そうに龍に愚痴をこぼす。
ああ、果たして、どれだけの人類がこのようなことができるであろうか。
声音だけで圧倒的な破壊をしてみせた相手に、その攻撃とも言えぬ攻撃に耐え、家族の愚痴を漏らす余裕がある人間が、どれだけいることであろう。
レイはこちらを認識した龍に剣を向ける。
「ダウンバースト」
破壊の風が無慈悲に落ちてきた。
「ッッッッッッッッッッッ」
龍の叫びにならない声が一瞬聞こえたが、そんなものはお構いなしとばかりに龍を地にたたきつける。
極寒の風と、圧倒的な圧力を伴った空気の塊が、終わることなく地に、龍に叩きつけられる。
その間、レイはただ剣を前方に構えるだけ。
荒野になった場所が龍と風の重さでクレーターになり、木が凍り、地面が凍り、龍が凍っていく。
「……これで終わんねぇかなぁ……無理かぁ」
_ドンッ
龍の顔の部分だけ凍らせ、魔法を解いたレイだったが、それは地面に横たわる龍にあまり効いていないことを察したためであった。
その証拠に龍は何事もなかったかのように起き上がり、口から極太のレイザーのようなブレスをレイに向かって放ってきた。
その光線を難なく避けたレイだったが、遠くに見える山が、一瞬にしてくり貫かれているのがわかる。
「うひゃあ、ありゃ不味い。直撃はさすがに溶けるな……うーむ、取り合えず地面には落としたし、このまま叩き続けるか……エンチャント」
地面に横たわったままレイを睨みつける龍を見ながら、一人方針を呟く。
そして、剣を持っていないほうの手を胸に当て、レイがレイたる所以の魔法を発動した。
この魔法が、レイの暴風たる所以になった魔法。
レイを中心に、風が、暴風が吹き荒れ、その風に乗ったレイが疾風になって龍に迫る。
龍は高速で迫っている龍に向け、その強大なる咢で迎え撃った。
「よいっしょ」
_ブォン
レイはその掛け声とは似つかわしくない身のこなしで紙一重で閉じられた龍の咢を避ける。
そして龍とすれ違うようにして、己の手に持つ風の魔法が纏った剣でその胴体を薙いだ。
_キィン
鉄と鉄がぶつかり合ったかのような甲高い音が鳴る。
「ッチ」
レイに手ごたえはあった、しかし龍に与えたダメージはほんの少し。
短く舌打ちをしたレイはそのことを一瞬の思考で判断し、すぐに折り返す形で龍を薙ぐ。
_キィン
また、甲高い音が鳴る。
「ッち」
舌打ちもなる。
「RYAYAAAAAAA」
龍の方向も鳴り響く。
しかしレイは、そのあと何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
龍の周りを飛び回り、超至近距離での戦闘を続けた。
龍とレイが交錯するたび、地響きが鳴り、風がうねり、空気が震える。
龍にとってはただウザったい攻防、レイにとっては必須と思われる決死の行動であった。
何十回、何百回、何千回繰り返される攻防。終わりなどあるのか、と思わせるほどの攻防であった。
「はぁはぁはぁ、どうだ、俺の威厳野郎……やってやったぜ」
_ドッズン
龍のあの強大だった姿は見る影もなく。レイのあの余裕そうだった態度もなく、全身土汗まみれで息も絶え絶えになっていた。
何十、何百、何千、何万もの傷が刻まれた漆黒の体躯。
何十、何百、何千の生死の境。
龍はその大きな体躯を今、ゆっくりと横たえ、命の炎を消した。
何十ものクレーターができ、生物の気配など感じさせない荒野と化してしまった。
「はぁはぁはぁ、どうだコノヤロー……にしてもギッリギリだったなぁ……」
レイは近くで横たわる龍を見ながらしみじみと言う。
「ん? あれなんだ?」
と、ジッと見ていた龍の体、その額の部分に戦闘中はなかった紋章のような、レイ自身どこかで見たような紋章を見つける。
戦士が剣を掲げている紋章、いや国章。
最近いやでも見る見知った国の国章であった。
「おいおい嘘だろ……最低でもA級の邪龍、だよな。そんな奴の額に国章だと……マジかぁ、これを親父に報告するとか、勘弁してくれよ」
疲れはて、座り込むレイはが天を仰ぐ。
それは、これから来るであろう面倒ごとを思ってのものか、はたまた別の何かか。
「さて、ヤバい気がしてきたなぁ。兄さんが倒れなきゃいいんだが」
どうやって運ぶかなぁ、と苦労性の兄の心配をしながら呟くレイ。
レイは未だ全身に力の入らぬ体を、少し無理に動かし、少し先にあるであろう故郷の街へとこの巨大な龍を運ぶための応援を頼みに行くのであった。
そんな惨状の地から山一つ分離れた場所。
そこである国の制服を着た者たちがしっかりと戦闘の経過を書き留めていた。
「化物め、人一人で勝てるような相手ではないだろうに」
「隊長、行かせてください。今ならやつを確実に屠れるはず」
隊長と呼ばれた遠見の筒と呼ばれる道具を持つ者に、何人かの者たちが訴える。
その視線の先には、起き上がったレイがゆっくりと歩く姿がある。
あれだけ弱体化していればいける、そういう思いが場を渦巻いていた。
しかし、隊長はゆっくりと首を振る。
「撤退せよ。われらの任務は可能であれば実験体を使ってのレイ・ノムストルの撃破、次にデータの速やかな回収だ……われらの戦闘許可は出ていない。残念なことにな」
「し、しかし!」
「二度も言わせるな」
撤退の指示に納得のいかない者が、異議を唱えようと隊長に進言しようとしたが、隊長の淡々とした口調と、握りしめられた拳を見て、引き下がった。
隊長は、それで隊員たちが納得したと思い、すぐさま撤退の準備をさせる。
隊員が静かに敬礼し、己の任務を遂行するために散らばる。
そして、多くの隊員が散らばり、もうすぐで撤退の準備が終わりそうなとき、隊長は最後に撃破対象であったレイを遠見の筒で再び見た。
「ッッッッッッッッ!」
ゾッと体全体が震える。
隊長が見た先にいるレイと、確かに遠見の筒越しで目が合ったのだ
隊長が感じたのは、簡潔に言うとレイが発した殺気。
だが、それだけではない。
この距離でもこちらを認識できる、人間離れしたその感覚に、隊長は凍り付くような感覚を覚えた。
「……化物め」
気づかれたがこの距離、そして相手の消耗した体力を鑑みてもこちらへ来ることは叶わないと判断できていた。
だが、もしも、もしかしたらが頭から離れなかった隊長は、隊員の撤退作業を早めさせ、それ以降レイを見ることをやめた。
「……今、見られてたな……帝国か?」
見られていたレイは、すでに視線を感じなくなった方を見ながら鋭く目を細める。
少しの間、そちらのほうを警戒していたレイであったが、それっきり視線を感じなくなったので、再び歩み始める。
あ~あ、面倒くさいことになったなぁ、とつぶやきながら、レイは頭を掻きながらだるそうに歩いていくのだった。