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帝国・戦争への一歩


 カイウスと獣人であるユウリが接触していたころ、モーリタニア王国に隣接する国_帝国では着々と戦争のための準備、前哨戦の口火が切って落とされようとしていた。


 

「ん~~、順調、ですねぇ」



 ここは、帝国首都_帝城。

 

 その中にあって、皇族が生活する場所以外で、最も高い位置に存在する部屋がある。


 _宰相執務室。


 ここはこの国で、今や皇帝に次ぐ権力を持つ者が居座る、絶大な畏敬を集める場所だ。 


 そしてこの部屋の主、ノブリス・クロースは、気分良く鼻歌を口ずさみながら、一枚の報告書を眺めていた。


 

_コンッコンッコンッ



 クロースが報告書を机の上にそっと置いたとき、執務室のドアから来訪者を告げるノックの音が聞こえた。


 はて、誰か訪れる予定でもあったか、思いながらも、そばで控えている執事に入室を許可する意を伝える。


 一礼をした執事がドアの向こうへと消えていき、すぐに見知った者とともに入室してきた。



「ノブリス、僕を呼びつけておいて出迎えもないなんて、舐めているのか?」



 端正なはずのその表情を、不機嫌そうに歪めた青年_勇者エドが乱雑な足取りと、乱暴な言葉とともにクロースの部屋へと入ってきたのだ。

  

 勇者エドはそのままズンズンとクロースのもとへと進み、クロースの使用する机に勢いよく手を叩き、その不機嫌そうな瞳をクロースの瞳と合わせた。


 

「やれやれ……」



 入って早々、礼儀も外聞もない勇者エドの行動にクロースはわざと聞こえるように、そしてこれ見よがしにあきれてみせた。  


 不機嫌そうな瞳に、心の底からの憐みの瞳を向けてやったのだ。


 勇者エドは一瞬固まり、クロースの憐れむ視線が自分に向けられているのに少しの時を要した。


 煽られている……。


 目端をピクピクと震わせながら、勇者エドは、目の前に座る曖昧な笑みを浮かばせ続けるものを見る。


 勇者エドとの年はそう離れてはいない。少し年上程度。

 

 だがしかし、ノブリス・クロースという男には、何か得体のしれない威圧感、気持ち悪くなるかのような雰囲気が感じ取れる。


 条件のある戦いでは負けない。


 だが、戦いまで持っていけるのか、条件を付けることができるのかに、非常に不安と猜疑心を駆り立てる。 


 勇者エドは、不機嫌な表情を治すことはしなかったが、本能的なものからだろうか、一歩机から下がり、クロースの言葉を待つことにした。



「いやはや、申し訳ないです。私が見初めた勇者殿に対し、無礼なご招きでしたな。しかし許されて欲しい。今は大変忙しく、ここから動くことは叶わぬのです」



 クロースは両手を広げるようにして、部屋全体をさす。


 そこには娯楽と呼べるものは皆無であり、紙の束と、それをまとめたり、届けたりする者たちがひっきりなしに動いている。


 先ほど勇者エドが叩いた机の上にも紙がおいてあり、衝撃で落下した紙もすでに元の位置に置いてあった。



「いや、いい。少し気が立っていてな……すまない」


 

 不機嫌そうな顔は幾分和らいだが、それでも少しのイライラからか、人指差しをトントントンとひっきりなしに動かし続けている。 


 

「……ところで、私を呼んだわけを聞かせてくれ。……しょうもない理由なら……」



 鋭く光らせた眼光とともに、勇者エドは言葉を切る。


 

「おお、怖い怖い。一応国家戦略に携わることなので、しょうもない理由ではないとは思うのですがねぇ。……モーリタニアを攻める予定が決まりました。それに合わせて前哨戦でもしてみようかな、と思いましてねぇ。いやはや、そのための準備、やってもらいたい事があるのですが……ふむ、どうやらしょうもない事、ではないようで何よりです」


「ああ、その話なら何を差し置いても大歓迎さ」



 顎を撫でながら言うクロース。途中意図的に言葉をため、勇者エドの反応を見やったが、クロースにとっては予想通りの餓えた獣のような、野心に大炎を燃やした勇者エドの姿が映っていた。


 それを見やったクロースは、誰が見ても作り笑いだと断定できる、酷く冷めた満面の笑みを浮かべて頷いてみせる。


 

「まぁ、簡単なことです。モーリタニアと戦うっといっても、彼らが手ごわいことは歴史が証明しています。何分私自身かの国と戦うのが初めてなもので、不安で不安でしょうがない……なので、打てる手をたくさん打って、打って、打ちまくりましょう。そして……最後に心臓おうぞくを一突きします」



 声に抑揚はあるが、聞けば聞くほど薄ら寒くなるような声音でクロースは勇者エドに語った。

 

 『不安』という弱気な発言を連発して今回の戦いも小競り合いかと、勇者エドは内心小馬鹿にしたような気持になっていたのだが、少しのための後、当たり前のことを語るかのような、決定事項をそのままいったかのようなクロースの一言に、ゾワッと心の何かが総毛だつ感覚を感じた。


 戦いの場でもないのに、本能が危険だ、逃げろ、と警告を出した。


 もはや、異様だ。この国の海千山千の貴族たちの最高峰に立ち、今や逆らう者がいないと言われている。自分とさほど変わらぬ青年がだ。


 勇者エドは、目の前で薄ら寒い笑顔を浮かばせ続けるクロースに問うた。 



「で? 俺は何やればいいんだ。……つまらん露払いとかはなしだぞ?」


「ハハハ、安心してください勇者エド。貴方には、小国を潰してもらうだけですよ、お一人で」


「……はぁ?」



 勇者エドの力ない驚愕の声が室内に不思議と響く。


 それだけ、クロースの言ったことは驚きと予想外のものであった。


 小国とはいえ、国を一人で潰す。多分、そんなことが可能な人間は、もはや人間ではなくべつの化物なにかだ。


 勇者エドは自分の表情が、だんだんひきつっていくのを感じる。



「……と、さすがに潰すまでは無理でしょう。けど、絶望は与えてきなさい。完膚なきまでに心をへし折り、多くの噂を流しなさい。最悪それだけで十分です」



 クロースの表情から、笑みが消え、より一層得体のしれない感が強まる。そして、ただ淡々と言い切った無表情のクロースの表情に、勇者エドは生唾を飲み込むようにして、重々しく了解の頷きを返す。


 クロースがこの状態の時は、彼の言ったことは絶対成し遂げねばならない……そんな気がしてならなかったのだ。


  

「かの剣聖、そして賢者ならば、鼻歌交じりにやってくれそうですがねぇ……あなたにはできないのですか?」



 それは、安すぎる挑発だった。


 勇者エドも、その挑発は何だ、と拳を震わせながらクロースを睨みつけるが、よくよく考えると、それは本当に挑発なのか? と考え始めた。


 剣聖も賢者も確かに国を落とした実績を持ち、自分はいまだに持っていない。


 これは、明らかに人と化物なにかとの明確な差だ。


 勇者エドはその事実に苦々しい表情を浮かべ、浅く頷いた。



「私もそろそろ実績が必要だとは思っていた。だが……正直、その安い挑発に乗ることが気に食わない。もう少し、何とかならなかったのか」


「ふふふ、挑発だなんてそんな、あなたを軽んじる行為になることをするなんて、とてもとても」



 勇者エドに睨まれるクロースは両手と首を左右に小さく振りながらも一切動揺した様子はない。


 それを見る勇者エドは、わかっていながらも何か得体のしれないものと話している気味悪さを感じる。


 勇者エドはその気味悪さを断ち切るようにクロースに背を向ける。



「日程と場所は後日使いの者に届けさせましょう。貴方の武運をお祈りします」


「わかった」



 背を向けた勇者エドはそれだけ言うと宰相執務室から出ていく。

 

 その後ろ姿は何かを振り切るかのような雰囲気であり、それがいったん何なのかは明確であった。


 執務室に残ったこの部屋の主、クロースは、勇者エドの後ろ姿を見届けると、短く息を吐く。

 


「ふぅ、プライドの高い人はなんと誘導しやすい事か……野心も適度ならいいのですが、彼ほどになるとねぇ。フフッ、過ぎたる炎はあなたの心に留まることなく、その身さえ燃やしかねないというに」



 ほどほどにしてほしいものですねぇ、と小さく呟くクロースは、勇者エドが出て行ったドアを未だ見つめ続けた。


 その後、少しの間何か考えるようにして天井を見つめ続けたクロースは、今までにない得意げな笑顔を浮かべ、いまだ山積みになっている書類に手をやり始めた。



「陛下、始まりますよ。あなたが生み出した私がどこまで行くのか……特等席でご覧ください」



 その笑みは、壮絶で、狂気的で、恐ろしさに溢れていた。


 赤く染まってしまった三日月のような笑みを浮かべるクロース。


 執務室にいるのは、現在は彼ただ一人。


 紙のめくれる音と筆の走る音だけが室内を支配する。


 ごく一握りの人間たちの起こす行動によって、世界は水面下で確かに動き始めるのであった。


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