父と母とメイド長と
遅れて申し訳ないです。
三月はこのまま、少し亀更新になりそうです。ごめんなさい。
カイウスが、領地の収穫作業を手伝い、眠るように気を失った夜。
屋敷のリビングでは、優雅にお茶を楽しむ母の姿と、仕事を終えたばかりの疲れた表情の父がいた。
「お疲れ様、あなた」
「……うん、ありがとう、アリー」
母はまず、疲れ切った父に労いの言葉を掛け、父へと心配そうな表情を向ける。
父は、そんな心配そうな母に近づき、隣に座ると、安心させるようにふわりとした優しい笑みを浮かべる。
「カイウスの事、すまないね。今回の事で、いろいろと手を回してくれてたんだろう?」
父は、自らが座った机の上に、いつの間にか用意されていた彼好みの紅茶を啜りながら、母へとカイウスの事について聞いて行く。
「ふふっ、そんなこと言うのは……きっと貴族でもあなただけでしょうね」
「そう、かな? ……いやはや、まだまだ貴族ってものに、僕は成れていないらしい」
父は手に取っていた紅茶をそっと机の上に置くと、頭の後ろへと手をやり、少し恥ずかし気に笑みを浮かべる。
父のその姿は、先程まで疲れ切っていたものではなかった。
まして、貴族として、父としての彼でもなかった。
そこには、ただ一人の、人としてのルヒテルがいた。
そうして父と母は、少しの間お互いがお互いを見つめ合う。
「何でも一人でやろうとして、そこがあなたの昔からの悪い癖ね、カイもそんなところがあなたにそっくり。ふふっ」
母は、楽しそうに、父へと語る。
「ん? 僕はさすがにあそこまで優秀でもヤンチャでもなかったよ。カイウスはどちらかと言うとアリー似だよ?……なんと言っても、あの破天荒さが、特にね」
「ムッ、そうかしら? なら、目元と口元はあなたね。特に、その優しそうな目元はあなたそっくりよ」
「そうかな? 君がそう言ってくれるんなら、きっとそうなんだろうね。でも、耳なんかはアリーに似ているよ? 形なんか、そっくりそのまま移ったみたいだ」
見つめ合った二人が何を言いだすのかと思えば、唯の息子かわいい自慢だった。
それも、お互いがお互いの愛する我が子と似ているような部分を上げ、褒め合い、楽しそうに語らい合うもの。
まさに新婚、とは言わないまでも、客観的に見たら、二人はとても仲睦まじい夫婦に見える。
「「……プッ」」
二人はどちらからともなく笑い出す。
「もう、子供も五人目だっていうのに、私達はいったい何をやっているのかしらね」
「良いんじゃあないかな? こうやってアリーと言い合いしているのは、とても楽しいしね」
母と父はお互いの気持ちが通じ合ったかのように、微笑み合い、場がどんどん明るく、優しい雰囲気へと変わっていく。
しかし、そんな仲良しこよしの、夫婦水入らずの場に一つの影が差し込むことになる。
「そうでございますね、私も概ね、アリー様に同意いたします」
ひっそりと、それでいて速やかに、この家の冥土が現れる……メイドか。
「あっ、ありがとうメイド長………って、君はいつもいつも、本当にいつの間にか現れるね」
少なくなった二人の紅茶をサッサッサと注ぎながら、いつの間にか現れたメイド長。
果たして、メイド長がいつからここにいたのか、なぜルヒテルは気づけなかったのか、その理由はというと……
「メイドですから」
と言う事らしい。
古今東西、全てのスーパー冥土長の魔法の言葉。
これを言われた主人は、何やかんやありながらも、結局のところ納得してしまう。
納得せざるを得ない。
これはそんな言葉だ。
「うん。もう何も言わないよ。これが初めてってわけでもないからね」
もちろん、それはこの父をもってしても例外ではない。
冥土長の言葉には、自然と、誰も逆らえはしないのだ。
父は苦笑いしつつ、何かを諦めたかのような雰囲気を醸し出す。
「ふふふ……サリア、あなたから見たカイウスは、どんな風に見えるの?」
ただ、その対象になるのは、たいていが男性だ。
なぜか、女性の方々はあまり気にしない。基本スルーする姿勢である。
……きっと女性同士、何か通じ合うものがあるのだろう。
母は、父のその様子を楽しみつつ、メイド長へ軽く質問する。
「そうですね……一言で言えば、とても将来が楽しみなお方、でしょうか」
メイド長は、母の質問に少し悩みながら答える。
「ふ~ん、あなたにしては大分入れ込んでるみたいだから、そう言う見方になってもおかしくはないわね。……そう、なら聞き方を変えましょう。カイウスは将来、どう言った人になると思う?」
軽い口調から少し真剣な口調へ。
母は、メイド長から何を見定めようとしているのか、普段はあまり見せない、キリッとした真剣な瞳で問いかける。
母の問いかけは、あまりにもあまりな抽象的な問いかけなのだが、そこは百戦錬磨、常勝無敗のスーパーメイド長。
一度溜めてから、流れるように答えて行く。
「……まず、まず間違いなく言えることが一つ。カイウス様はもはや、普通の生活は送れないでしょう。すでに我々大人と比べても遜色がないくらいには戦闘技術や知識がありますし……いえ、知識や考え方に至っては私共の予想をはるかに上回るほどのものがあります」
「”水洗式トイレ”。そして、それに伴った”上下水道”と言うアイデアね」
「はい。特に、上下水道なるものが非常に大きですね」
メイド長は、母の少なくなったカップに、丁寧に紅茶を注ぎながら、真摯に答えて行く。
「……そうだね。動きの速いとこではすでに様々な計画が進行してるからね。それだけ、水を自由に扱えるようになるってのは、考えていた以上に大きなことだよ」
彼女らの真面目な会話に、父も、最近あるところから入手した情報を共有して行く。
少しづつだが、話の内容が大きくなりつつある。
「この仕組みを考えたのは誰なのか、それはまだ掴んでいないみたいだけど、各国ともに似たような事業を行ってる。もちろん、それに伴って僕たちの国に、どんどん探りが入ってきているよ。何て言ったって、正確な情報は僕たちが握ってるんだからね……彼らは今、失敗込での事業に手を付けざるを得ない状況だ」
父は意味深に言葉を発すると、いったん紅茶に口をつける。
「特に、北の帝国と、南の獣人国が大きく動き出すかな。帝国はすでに少しづつちょっかいを掛けてきているけど、それらはほぼ殲滅済み。 ……あの王宮の一件以外は、ね」
父は言い終わると、少し苦い表情をし、そこでいったん言葉を切った。
ここまで来ていれば分かることであろう。
カイウスが少しの興味本位で提案したことは、今や各国の格好の的になっている。
それほど重要な事態まで発展しているのだ。
各国はこぞって、技術の、文明の発展の遅れを取り戻そうと、躍起になっている。
「まさか、あそこで巻き込まれるなんてね……正直、カイウスが無事で本当に良かった」
「ええ、私も久しぶりに自分自身の何かが切れた音を聞いたわ。……あのワイングラス、意外に高かったわよ」
「当然です。王宮で使われているものは、そのどれもが最高級の物。奥様はもう少し、旦那様を見習うべきです……と言っても、大旦那様はそれ以上の事をしてしまったので……本当に、血は争えませんね、奥様」
「うん。確かに、あれはさすがにやり過ぎよ。もう、そのせいで修繕費が莫大に乗っかかってきて、クリストはその埋め合わせで大忙しだし……もし、上下水道や水洗式トイレの資金が無かったら、私のへそくりが半分になるとこだったんだから」
少し切り詰めた雰囲気だったのを、母は緩和するかのように、冗談交じりに告げる。
それにしても……王宮の修繕費、それが二回払えるくらいのへそくり。
果たしてそれは、どの位のへそくりなのだろうか。
もはや、へそくりと言えるのか?
へそくりって、もっと規模が小さいものじゃあなかったっけ?
例えば、タンスの裏に諭吉さんとか、新品の鍋の底に樋口さんとか……大抵、そんなんじゃない?
……まぁ、取り敢えず、家が規格外だと、へそくりも規格外になる。
そう思うことにしよう。
「少し話が逸れましたが……カイウス様の今後。それは私の見解では、この国に新たな英雄が誕生する。そう思っております」
逸れていた話を、少し強引だがメイド長が戻していく。
そう言っている彼女の目は、本気でそう思っている者の瞳だった。
「英雄、英雄かぁ~~……なんででしょうね。私はどうしても、そうは思えないのよ。カイウスが英雄として称えられて、活躍して行く姿が……どうにも思い浮かばないの。ん~~、何でかしら?」
メイド長の真剣な見解に、母はどうにも納得できないようで、小首を傾げつつ、自らの右手を頬へと添える。
「奥様。大変申し訳ないのですが、何が思い浮かんだのか、私に教えてくださいませんか。私は、あそこまで規格外な五歳児に、今まで出会ったことがありません。カイウス様はなるべくして、その道を行くお方だと、私は思っております」
母の天然さんの様な、曖昧な言い方に、きっちりかっちりの冷静なメイド長は、落ち着いて、それでいて丁寧に聞いて行く。
「あの子は、カイは……なんだかもっと楽しそうに暮らしてそう。英雄みたいな、多くの、不特定多数な人に称えられるんじゃあなくて、本当に大切な人達と、楽しく、伸び伸びと過ごしていそうなのよ。もちろん、英雄が悪いわけじゃあないのよ? とっても名誉なことよ……でもね、カイはきっと英雄には向いていないと思うの。上手くは言えないけど、これは母親の勘、そんなものね。うふふっ」
自らの息子が、とても高い評価だったので嬉しいのか。
はたまた、単純に息子の将来を想像することが楽しいのか。
母の声音は、とてもリズム良く弾んでいた。
「……はぁ。やはり、説得力が違いますね。息子というものを語るのに、母親に勝てるわけがありません。そこに勝ち負けなどなくとも、何か圧倒的な差をつけられた気がします……ああ、私も子供欲しい」
漏れてる。
本音漏れてますよ、スーパーメイド長さん。
あと、メイド長さん。まずは相手から見つけましょう。
あなた、独身ですよ……。
メイド長は、母の、母親しか感じえない勘に、言い知れぬ敗北感を感じたのか、若干うなだれながら、あることを切に願っていた。
「……さてと。そろそろ寝ないとね、また明日も早いんだ」
それから少しの間、ゆっくりと過ごした後。
なんとなく、今日はもう終わり。
そういう雰囲気になりつつあったのを察したのか、父がゆっくりと席から立ちあがる。
「メイド長、今夜の紅茶、とてもおいしかったよ。いつもありがとう」
「ありがとうございます。旦那様」
その場に父が飲み終わったティーカップはすでになく、いつの間にか綺麗に片づけられていた。
…早い、もはや目で追う事すら不可能な早業だ。
「あら? 夜はまだ始まったばかりよ……ルヒテル?」
「ハハハっ、勘弁してくれアリー。今日もすごく疲れていてね、メイド長もなんと…か…って、いないッ!?」
立ち上がった父に、少しづつ寄っていく母。
そして、一瞬でいなくなったメイド長。
そう、先程まで確かに会話していたはずのメイド長が、いない。
なんと奴は、姿まで消せるのかッ。
……もう、この家のメイド長のスペックがとんでもないことになってる。
あ、全員規格外でしたね。
「え? サリアならさっき、屋敷の見回りをしに静かに扉から出て行ったわ。ふふッ、いつものように、音もたてずにね」
「あ、あははははは……ご、ごめん。今思い出したんだけど、急にしなくちゃいけない仕事が……」
何をそんなに動揺しているのか、父の目は右に左に、ついでに上下に、忙しなく動いており、彼の右腕も少しだが震えている。
父は、そう言い終わると、何かに突き動かされるかのように母に背を向け、執務室へと勇気の第一歩を踏み出す。
「……ダメ。今日はお休みにして」
「は、はいぃぃ」
結果から言おう。踏み出した足が地面に着くことはなかった。
その前に、父の襟首には少しの違和感が襲い掛かることになる。
父にとって偉大な第一歩は、どうやら踏み出すことすら許されないらしい。
父の耳、すぐ後ろから、平常通りの母の声が聞こえてきている。
そのまま父と母は、リビングから出ると、夫婦の寝室へと向かう。
もちろんこの時、二人は並んで歩いている。
引きずったりは、していない……。
「奥様。寝室の準備、滞りなく終えております……旦那様、今夜はお楽しみですね」
「あら、サリア。もう見回りは良いの?」
「はい。今夜も異常なしです」
寝室へと続く扉の前には、これまた、ハイスペックなメイド長さん。
彼女はいつも通り冷静に声を出していたはずなのだが、若干、その声音からは隠しようのない楽しさが滲み出ていた。
こいつは、確信犯か……。
「……」
無言の父は、こびり付いたかの様な堅い笑みで、そのメイド長を見ている。
「さぁ、行きましょう……あなた」
「……お手柔らかにお願いします」
「逝ってらっしゃいませ、旦那様」
夫婦の寝室の扉が閉まる前に、ボソッと、父にだけ聞こえるようにメイド長は呟く。
「君はまたッ……」
父が何を言ったのかは、分からない。
言い終える前に、その扉はそっと閉じられてしまった。
「さて、私も、もうひと頑張り致しましょうか……スヒィア、ラミアここに」
その扉の閉じられる瞬間を見ることなく、メイド長は影から守る系の護衛二人を呼ぶ。
「「はッッ!」」
その声に、スッと、二人は闇の中から現れる。
「隣のベケッタ領、タジリーラ領から、害虫の侵入を確認しました。すぐに駆除へと向かいなさい」
「「はッッ!!」」
メイド長からの指示が出るや否や、二人は溶けるように闇の中へと消えて行く。
「……」
指示を出し終えたメイド長は、消えて行く二人の姿を一度も見ることなく、今夜も屋敷の中を歩いて行くのだった。
翌日の朝食の時間帯。
「えっと、お母様。今日はいつもより機嫌がよさそうですね」
「あ、わかる? ええ。今日の朝は、とてもいい心地で起きれたのよ、うふふふっ」
母は、妙に艶のある肌とともに、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
カイウスはそんな母を見た後、次の瞬間にはいつもそこにいるはずの今は空席になっている、とある席を見る。
「そ、そう、ですか。それ大変喜ばしい事で……では、私は出掛けてきますね」
カイウスがこの家に生まれて、もうすぐ六年。
どんなことを聞いて良いのか、それとも聞いてはいけないのか。
カイウスには、しっかりと理解している。できているはず。
……今回の場合、空気というものは吸うものではなく、読むもの。
そういう事だ。
空いていることの珍しい席が空いていて、その原因を作ったであろう人物が幸せそうにしている。
もはや、考えるまでもないだろう。
昨日は無事、荒々しい肉食動物は無抵抗の草食動物を美味しく召し上がったみたいだ。
カイウスは食べた朝食を片付けると、今日も収穫に行くために、屋敷の玄関へと向かう。
「カイウス!」
「はい、お母様…なんでしょう?」
そんな、急ぐように屋敷から出て行こうとするカイウスに、母が、満面の笑みを浮かべながら、呼び止める。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「……はい!!」
呼び止めたのは、この一言いうためであったらしい。
母は、元気に駆けだしていくカイウスを眺めながら、小さく手を振る。
「……おはよう、アリー……」
「あら、あなた。おはよう」
出て行ったカイウスとすれ違うように、寝室からぐったりとした父が出てくる。
母は、満面の笑みで、父へと挨拶を返した。
「朝食、出来てるわよ」
「うん、もう少し休んだら、すぐに食べるよ」
そう言って父はゆっくりと自らの席へと向かって行く。
その姿は、頼りなく、フラフラとした足取りだった。
「うふふっ、ほら、捕まって。そんなにフラフラしてたら、危ないわよ?」
「うん。ありがとう、アリー」
あまりにもフラフラ歩いて行く父を見かねたのか、母が父の片側に寄り添い、支えながら歩いて行く。
「さて、少しづつだけど、忙しくなっていくわね、いろいろと」
母は、寄り添ったまま、父の耳元で囁くように告げる。
「そう、だね。本当に、今でも結構いっぱいいっぱいなんだけどなぁ。はぁ……でもまぁ、僕一人で大変そうなときは、こうして君が支えてくれるから、まだまだ僕は頑張れるよ」
父は短い溜息を吐いた後、優しく母へと笑いかけた。
「ふふっ、そんな素敵な言葉を言われても、何も出てこないわよ」
母はそんな父の言葉に、大変嬉しそうに答えるのであった。
この時から、今まで少しづつ動きだしていた様々な国や組織が、たった一つの技術を求め、本格的に動き始めることとなる。
いつの時代も、新たな技術とは、新たな戦乱を呼ぶものだ。
それが例え小さなことであろうと、大きな事であろうと、変わることはない。
戦いは姿を変え、形式を変え、行われて行く。
その技術が、真に必要であればあるほど、人は、欲し、手に入れようとする。
他者より先に求め、他者より多く求め、その技術を自己のためだけに求める。
どんな世界でも、欲を完全に抑え込める人間なんて、居はしないのだ。
今まさに、一つの激動の時代が幕を開けようとしていた。
『私が結婚できないのではなく、ふさわしい相手というものが現れないだけです』
BY 子供が欲しいハイスペックメイド長
評価・ブックマーク・感想、ありがとうございます。
毎日、豆腐メンタルに切れ込みが入りつつも、頑張って行きます。