父の目線
カイウス=ノムストル。
私の新しく生まれた末の息子であり、愛しくも悩みの種になりつつ……なっている存在。
私が思うにカイは、このノムストルという貴族の中でも特殊な家において、特別に特殊な人物だろう。
その理由を語るには、カイが生まれた今からちょうど三年前まで遡ることとなる。
「あい」
「なになに、ご飯かな?」
「……」
「ん?なんだかおかしな匂いがする様な……」
「…………あいあい」
「あぁ、カイ。トイレね、トイレの方ね、了解了解っと」
カイは生まれた時からすでに、他の子とは一線を画した。
まず、泣かない。
夜泣きもなければ嫌がって泣くこともお腹がすいて泣くことも、トイレで泣くこともなかった。
正直、トイレでは泣いて欲しかったが。
泣くことは、赤ん坊の特権と言っていいほど良いこととされているはずなのに。
それが赤ん坊にとっての健康の証のはずなのに。
カイは泣かなかった。
それどころか意思疎通ができているのだから、ちょっとおかしいよね。
なんで生まれて三ヵ月くらいの子が、こちらの問いかけに返事したり、恥ずかしそうに顔を逸らしたりするのだろうか。
まぁ、そんな姿も可愛かったから疑問に思わなかったのだが。
一応、定期健診として教会の治癒術師や産婆に相談したりもした。
しかし、結果は見事なほどの健康体。
元気が有り余っているからもっと運動させた方が良い、とまで言われた。
確かに、意思疎通できることに問題はない。
だって可愛いから。
ご飯もトイレも彼なりの合図があり、その合図に沿って世話をすればいいから、助かっているまである。
しかし泣かないことが不安だった。
むしろ泣いている姿を見たい、見せて欲しいとさえ思う。
だって上の子たちを育ててきて、純粋に泣いている姿を見れたのは、赤ん坊の時くらいだ。
長男は、天然鈍感男に育ったから、大抵の事では泣かないし。
長女はウソ泣きを覚えてからは、私の前では泣かなくなった。
次男は、負けず嫌いで傷だらけになってもヤンチャに笑うようになったし。
次女は、天真爛漫で『泣く?何それ美味しいの?』って具合に純粋に笑いながら過ごしている。
いや、滅茶苦茶良い事なんだろうけどね!?
でも、子供の色んな姿を見たいってのも、親心としてあるからさ。
家の子はとにかく泣いてる姿がレア過ぎて……。
と言う訳で、一度カイを泣かせてみようと突然大きな声を出してみたり、手を顔で覆って驚かせてみたりした。
しかし、帰って来たのはとても冷たい我が子の視線だけだった。
残ったのは、削られた親の自尊心だけだったよ。
うん。
その時の視線で私はカイを泣かせることを諦めた。
さて。
次は、カイが生まれて半年になる頃の事だ。
カイは生まれて半年と少しでハイハイで移動するようになった。
それも普通のハイハイじゃない。
高速、迅速、器用すぎるハイハイだ。
待て待て~、っと微笑ましく追いかけるつもりが、結構本気の鬼ごっこになってしまった時は、戦慄したね。
これ、地獄を見るなって。
上の子たちが歩き始めた時を彷彿とさせる、素早さだったから。
案の定、苦労した。
苦労したけど、同じくらい嬉しかった。
やっぱり子供の成長を見るのは、楽しい。
なんて言うんだろう、上の子たちの時も思ったけど、心がぽかぽかするんだよね。保護欲というか、成長してる実感と言うか、親としての嬉しさと言うか……色々なポジティブな感情が上手に混ぜ込まれている様な気持ちだ。
そんな嬉しさだけだったら良かったのだけど、やっぱり起こった一大事件。
それが、『執念のハイハイ事件』だ。
正直、油断していたよ。部屋出て、屋敷の使用人の目を掻い潜り、赤ん坊の身でお義父さんとお義母さんのいる別邸まで行くなんてね。
他の赤ん坊で、こんな話聞いたこともない。
まぁ、結局、無事だったから良かったけど、当時は屋敷中がてんわやんわの大騒ぎで、お義父さんが嬉しそうに抱いて戻って来た時は、探していた全員が安堵したものだ。
次はカイが一歳となった時だね。
カイが一歳になって立てるようになるとその行動範囲が広くなり、言葉を話すようになった。
もう、この時点で危機感を抱かざるを得なかったが、立った時は嬉しかったし、手をつないで歩いたり、いろんな場所に連れて行った時なんかはずっと口元がにやけていた。
だってうちの子、超かわいいから。
いやぁ、思い出すなぁ。話し出した時なんて、一生懸命、『パパ』と呼ばせようと、刷り込むようにカイに向かって言っていたけど……返って来たのは酷く冷めた視線のみ。
な、なんでだろうね。
妻のことは『かあさま』と呼んでいたのに、姉やお義父さん達だってそれぞれ可愛く呼んでいたっていうのに、何で私だけ?
うん。
その日の私は、酷く落ち込んだね。
当初懸念していた通り、カイは2歳にもなると何の問題もなくスクスクと育って行く。
いや、うん。
もっと、甘えないかい? 普通。
この頃からカイは勉強に力を注いでいた。
一般的な常識からたくさんの物語、魔法、スキル。
とにかくたくさんの事を聞かれたなぁ。
あまりにたくさん聞くからついついこう聞き返してしまった。
「なんで父さんに聞くんだい? お姉さんたちは答えてくれないのかな?」
「え? だって、母上が今一番暇なのは父上だって言ってたから……それに」
「それに?」
「父上、いつもティータイムばっかりしてる」
「おぅ、息子よ」
いや、あの。
仕事、してます。
仕事してますよ、息子よ。
ティータイムや息子との交流は、仕事を終わらせた上で行ってますから。ちゃんと時間管理して、行ってますから。そうしないと君の母が……ゲフンゲフン。
それは置いておいて、
もしかして、カイウスはわざと私を落ち込ませようとしてるだろうか?
なら大成功だよ。
この時のことはすごく衝撃的で、家族みんなに相談したほどだから。
うーん。
それでもなお息子可愛すぎる。
あ、違う違う。
カイは、二歳にしては賢すぎる気がする。
しかし、そう思う自分がいると同時に、この家基準で考えると……まぁ、少し特殊くらいかな?くらいで済んでしまうのがノムストル家基準だ。
なんとも不思議だね。
と言う訳であっと言う間にカイが三歳になった。
ヤンチャ盛りであろうカイは、だんだん外に出たいと言い出すようになった。
気持ちは分かる。分かるが、それはできないんだ。ごめんよ。
この世界では、基本子供は魔法やスキルが使えるようになる五歳まで外に出さない。特に貴族はそれが顕著だ。
貴族とは良くも悪くも関心を買いやすい。恨みや、妬みを受けやすい生き物だ。
無防備な子供が自衛手段も持たずに外に出るなど、どうぞ狙ってください、と言っているようなもの。だから、外に出るとしても五歳から、それも信用出来て、腕の立つ護衛を見つけられるまでだ。
私はカイに丁寧に、そして真剣に向き合って話した。
話したのだが、相手は想定以上の策士だった。
「父上ぇぇ、どうしても、だめ、ですか?う、うぅぅぅ」
「ふぅぅぅぅぅ……ふぅ。おじい様と、行ってきなさい。いいかい?決して離れてはいけないよ?」
ここで泣き落としなど、策以外の何物でもないだろう。
しかし、カイの泣く姿など、それが偽であっても激レア中の激レア。
私の心にクリティカルヒットしたその姿に……負けても、良いよね?
だって、お義父さん強いし。
守れなかったら、誰も守れないよ。
だから私は決して間違ってない。間違ってないはずだ
そして、現在。
健やかに育った息子は、四歳となり、なんかすごかった。
「カイ?その手に抱いているのは何だい? どこで拾って来たんだい?」
「と、父さん大変です!! この子魔の森で倒れてたんです!! 早く父さんの魔法で治療してあげてください!!」
そんな風に執務室に駆け込んできた息子の腕の中には黒い狼___ヘルウルフの子供が抱かれていた。
いや、そいつ、一匹でも現れたら町や少し規模の小さい都市の一つや二つ簡単に滅ぼしてしまう様な危険な魔物だから。冒険者ギルド的に言えば、S級討伐対象に分類される魔物だからね。
どっから拾ってきたの!?
しかもこの魔物がヤバいのは、個でも相当強いのに、その本領は集団戦の時に発揮されるとか言う、理不尽な存在なんだが。
いや、単体でも十分強いんだから、集団戦は苦手であって欲しい。弱点ないじゃん。
そんな魔物の幼体が息子の腕に抱かれて、しかも瀕死の状態で運ばれてきたのだから、父さん混乱しないほうがおかしいと思うんだ。
と言う訳で、後ろから引き攣った笑みを浮かべて、自分関係ないですよオーラを出しているお義父さん。
しっかり説明、お願いしますよ。
じゃないと私、泣きますから。
この歳でガチ泣きしちゃいますからね!
父上ぇぇぇ!!