~ある冒険者ギルドの秘書さんのお話~
私の仕事は、この冒険者ギルドのギルド長秘書。
三人いる秘書の内、その一人が私だ。
「あああ、わっかんねぇ。こりゃなんだ、依頼未達成数の撲滅とこれまでの実績報告書だぁ? んなこと考える暇あんならさっさと依頼達成できるようになりゃぁ良いんだよ。やってりゃ体で覚えるもんだ」
そう言ってギルド長は大事な資料をポイっと投げ、資料はゴミ箱に吸い込まれていく。
ああ、その資料は昨日徹夜で職員がまとめたものなのに…‥‥‥‥‥‥。
ごめんなさい、私にはどうすることもできないの。心を強く持って生きて。
取り敢えず、この事は私だけの秘密にしておきましょう。
そうすればみんなハッピー、私もハッピーよ。
「‥‥‥‥‥次の資料です」
「あ? 今日はもう無理だ。これ以上やりゃ、頭ん中パンクしちまうぜ」
ほう、爆発させてやろうか?
ほら、空っぽの頭だして、そこにめいいっぱい空気を詰め込んでやるッ!
「「「‥‥‥‥‥‥‥」」」
「あ~あ。なんかおもれぇことねぇかな。…‥‥‥‥そういや今日はマリアンヌの新作食べてねぇな。ちょッくら行ってくるわ」
「ギ、ギルド長!! これにサインだけは…‥‥‥」
「そこに置いてある印でも使っとけ。俺は行く」
「「「‥‥‥‥‥死ね、糞オヤジめ」」」
そう言って出て行くギルド長に私達三人は悪態を吐きます。
しかし、文句を言っても何も始まりません。
なんせ、これがこのギルドの現状であり、日常なのですから。
ある日のことでした、いつも通り抜け出したギルド長がすぐに帰って来るという珍事があったのです。
珍しいも珍しい。初めての珍事ですよ、これは。
問題は、そのギルド長のそばにいる方ですが…‥‥‥。
「どうも、本日付けでギルド長代理になりました。カイウス=ノムストルです」
「へっへ、ていう事だからよ。これからはもっと仕事が楽になるぜ?良かったな」
「「「‥‥‥‥‥‥」」」
その時その瞬間、私達三人の許容限界を超えました。
もう空高くに超えて行きました。
『こいつ、いつか殺してやろう』
その時、確かに私たち秘書三人の心が一つになったのです。それはもう、アイコンタクトなしにでも相手の思っていることが正確に分かるくらいに。
左右と自分自身から強烈な殺気が膨れ上がります。
と言っても素人の貧弱な殺気ですが…‥‥。
それでも、もはや執行猶予はないと思え、この糞オヤジめ。
今日こそ、その息の根を止めてやる。
「…‥‥‥おう、後よろしくな、坊ちゃん。なんか背筋がぞっとするから俺ぁ帰るわ」
「はい、勝負は勝負。しっかりやらせてもらいます」
「おうおう、そりゃありがてぇ。…‥‥‥じゃあな」
奴はこういうところが鋭い。
私達の様な素人の、その貧弱な殺気も敏感に感じ取るのだ。
元凄腕冒険者なことだけはある。チッ。
それはともかく、この方をどうしろというのだ。
「カイウス様、後は私たちがやるので、お屋敷に帰られて結構ですよ? 我々の長が失礼をいたしました。誠に申し訳ありません」
「「申し訳ありませんでした」」
一人の秘書が代表で謝ってくれたので、私ともう一人の秘書もそれに続きます。
一応この辺は秘書なので、なんてことはなく対応できるのです。
秘書は優秀。そういう事です。
「ははは、秘書さん達が悪いわけではないですから。それに勝負に負けたのは事実ですし、書類の方を見せていただけますか? できる分はお手伝いいたしますので」
…‥‥‥天使か。
あ、い、いけない。あまりにも慈悲の籠った彼の笑顔に、私の心が洗われていく。
ふふふふ、この笑顔でご飯十杯は堅いわね。
あと、すこし布を…‥‥‥‥‥え、あなたたちもですか? いえ、何も言うまい、同志たちよ。
そんな私達を見ても、彼は笑顔のままでいます。
純真無垢…‥‥ブッ。布がどんどん赤色に染まっていきます。
ハッ、この子は私たちを出血死させる気か‥‥‥‥一度冷静になりましょう、うん。
「こちらが先ほどギルド長が読んでいた資料です」
「はい、ありがとうございます」
失礼は承知で、私は試しに先ほど捨てられてしまった職員の努力の結晶を見せます。もちろん、ごみ箱から拾ってきたものをです。
少しでもその職員が報われてほしい。その一心で。
彼はその資料を黙々と読み進んでいき、読み終わると同時にそっと目頭を押さえ始める。
うん? もしかして内容が分かったのかな。でも何で涙が出てきて…‥‥‥。
「ああ、これ、久しぶりに見る。なんだろう、この書類に乗り移ったかのような執念。絶対これ書いた人は必死に、それでいて徹夜したんだ。………絶対そうだ」
「なぜそれを‥‥‥」
「素晴らしいよ、ここまで執念が籠った書類を書けるなんて、ここの職員は優秀な人たちばかりのようだ」
「「「‥‥‥」」」
彼の独り言に私達三人は不覚にも呆然と立ち尽くしてしまいました。
他の二人は口に手を当て、涙まで流しています。それもそうでしょう。
”初めて認められた”
それが私たちの心情なのですから。
糞オヤジの元でひたすら書類と格闘し、冒険者からは改善を要求され続け、職員同士の押しつけ合いまで発展していたのです。
はっきり言って末期です。末期も末期、あと数年もすれば確実になくなっていたでしょうね、この冒険者ギルドは。
そんな職場です。褒められるようなことなど一度もなければ、認められるの何て、万が一にもあろうはずがありません。
比較的仲の良い私達三人ですらこの状況なのです、職員たちの方はもう、悲惨の一言でしょうね。
そんな中でも頑張って、頑張ッてあげられた、一度は捨てられたその書類。
それをしっかり確認して、理解し、認めてくれる存在。
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その後の書類仕事を五歳児に任せてしまったとはいえ、誰も私たちを責めないことでしょう。
もし、攻めてきたら…‥‥‥‥‥。
ええ、徹底抗戦してやります。
そのためにはこの命惜しくはありません。存分に使ってやりますとも。
そうして、限界寸前だった私たちの職場は一人の”ノムストル”(五歳児)に救われるのでした。
ああ、”ノムストル”ってなんて良い響きなのかしら。
それから、時がたつのは早い事であれから一か月。
精神的に限界だった私はもういません。
同僚たちも、もう嬉々として仕事に取り組んでいます。
暗い表情の職員たちも今や満面の笑み。
冒険者の利用数もどんどん増えて行きます。
ああ、良い事ばっかり。
どうしましょう、そんな良い事ばっかりでしたから。ようやく正常に頭が働くようになりました。
誰もがもう気づいている事でしょう、けれど誰も触れない、今の冒険者ギルドのアンタッチャブル。
そこに気づいてしまったのです、いえ正確には認識した、というべきですが。
「ん? どうかしましたか?」
「いえ、資料が出来たのでここに置いておきます」
「秘書さんはいつも仕事が早いですね、私も負けていられません」
「では、失礼します」
「はい、お仕事頑張ってください」
唐突の、エンジェルスマイル…………ブワッッッ。
……………くっ、待て、呑まれるな、私はそんなことを考えていたわけではない。そうでしょうッッッ。
ギルド長室の、これまたギルド長の席に座る五歳児。
私はようやくこの状況が異常なことに気づいたのです。
何せその姿が普通になりつつある、違和感が全くないんです。
ああッ、こう、声を大にして言いたい。
『この冒険者ギルドは間違ってる!!』
きっと、誰もが思ってるであろうそれを私はそっと、本当にそっと、心の奥底に閉じ込めます。
だって、私を見る同僚の視線に殺気が、殺気が込められてるんです!!
こんなことで死にたくないですよ、私は。
席に戻った私は、最近たしなんでいる胃薬を飲みながら書類仕事を進めるのでした。
ああ、どうしてこうなった。
『何ッ、ブラックドラゴンだとッ。このクッソたれッーーーーーー』
某場所、某時間。
BY 暴風の異端児
次回は夕方頃に投稿すると思います。
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