90 限界機動
2019/1/22 見直し済み
メインのフルスクリーンモニターは、まるでコックピットを守る装甲がないかのように、外部の様子を映し出してくれる。
この新型SBAは、前方百八十度をモニター化していて、これまでのPBAと違って恐ろしく視認性が良い。
そして、それは、ガラスのように透明に見えているのかというと、それとも趣が異なる。
至る処にゲージが並び、背後やナビゲーターを映すサブモニターが表示されている。
極めつけは、そこに映る物体の説明が表示される。
それは、物体の高さであったり、座標であったり、質量であったり、熱源であったりと、設定によって、さまざまな補助がなされる。
「エネルギーフル、各部モーター異常なし、ジェネレーター温度正常、油圧センサーおよび油温規定値――」
後部座席からは、クラリッサが計器をチェックする声が聞こえる。
聞き慣れた彼女の声をバックミュージックに、拓哉は両手を解すかのように指を鳴らしつつ、自分の周囲に視線を向ける。
左右には機体を動かすためのジョイスティックのような操縦桿が備え付けられ、アームに取り付けられたキーボードのような操作パネルは、目の前に設置されている。
――やっぱり、ここに座ると落ち着くな~。
「――圧力センサー正常、自爆装置解除確認っと。全て正常よ。間違っても爆発することはないわ」
少しばかり異常な想いに耽っていると、少しスパイスの利いたチェック完了報告が、クラリッサからなされた。
拓哉は、その言葉に、思わずニヤリとしてしまう。
すると、サブモニターに含み笑いをするクラリッサが映った。
「ふふふっ、いつもながら、コックピットに座ると顔付きが変わるわ。とても凛々しくて、男らしいわ」
当然ながら、後部座席にいる彼女が直接的にドライバーを覗い見ることはできない。サブモニターに映る拓哉の表情を見てそう感じたのだ。
――おいおい、いつもは、男らしくないのか?
誉め言葉のはずだったのだが、引っ掛かるものを感じて、拓哉は少しばかり不機嫌な表情を浮かべて否定する。
「いつもと同じだぞ」
率直な気持ちをぶつけると、彼女は思いっきり吹き出した。
「ぷっ。あはははは。ごめんなさい。そういう意味ではないのだけど、今の方が頼り甲斐がありそうだわ」
――ぐはっ! どうやら、普段は頼りなく見えるのか……
クラリッサの発言にショックを受けていると、試合開始のサイレンが聞えてきた。
すると、彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、舞踏会が始まるわよ」
その表情は、彼女の想いを如実に表している。
卑怯な手段で戦いを妨害した奴等に、目に物を見せてやるという気持ちが表れているのだ。
しかし、拓哉としては、もう少し過激な想いが身の内に渦巻いていた。
「いや、蹂躙劇だ。木っ端みじんにしてやる。いくぞ!」
感想を述べるや否や、拓哉は即座に機体を走らせる。
途端に、モニターに映る景色が性質を変える。
「ふふふっ」
まるで高速で流れているかのようなモニターの映像で周囲を確認していると、拓哉の耳にクラリッサの満足そうな笑い声が届いた。
フォログラムによる疑似環境であれば、様々な情景の戦場を作り出すことができる。
しかしながら、それは飽く迄も仮想環境であり、そこに見える情景にぶつかることもなければ、登ることもできない。
これが訓練なら、それでも問題ないのだが、実機を使った模擬戦となると不都合な部分も多々ある。
だからといって物理環境で戦場を構築すると、その光景はいつ見ても変わらない。それはそれで、単調な戦いになりやすい。
――ワンパターンなんだよな~。
今回の試合で使われている仮設戦場は、細かな変更は利くものの、大きな変化を得ることができないのが欠点であり、拓哉の記憶能力をもってすれば、この仮設戦場の地理を全て暗記することも容易い。いや、既に頭の中にインプット済みといった方が良いだろう。
それ故に、我が家の庭を行くが如く、機体を走らせている拓哉を捉えるのは、容易なことではないだろう。
廃墟となった街を想定した戦場を、我が物顔で駆け回っていると、クラリッサの声がヘッドシステムのスピーカー越しに届いた。
「対戦相手の場所は、全てマークできたわ。やはり、舞姫は単独行動なのね」
もちろん、拓哉の方でも、対戦相手の位置は全てインプットされている。
ただ、それに言及することなく、素直に彼女の言葉を聞き入れる。拓哉は、藪蛇を恐れたのだ。
「了解! まあ、変幻自在な戦い方をする相手だし、近くに味方機が居ない方がやり易いんじゃないか?」
「そうね。そういう意味では、火炎女と同じな訳ね。それでどうするの?」
――火炎女……
火炎女とは、火炎の鋼女、ミルルカ=クアントのことだが、拓哉は思わず顔を引き攣らせてしまう。
ただ、それについても放置して、今回の作戦を――拓哉の想いを伝える。
「正面から力尽く蹂躙するぞ。別に俺の強い自慢をしたい訳じゃないが、目に物を見せてやると誓ったからな」
「そう。問題ないわ。でも、やっぱり、気合の入っている時のタクヤの方がいいわね」
少し呆けていたクラリッサだが、直ぐに正気に戻って全く戦闘に関係のない感想を述べてきた。
拓哉は不満に思いつつも、聞いていない振りをして、舞姫と距離を置いた他の四機に向かって機体を走らせる。
途端に、デスファル側の四機から集中砲火を浴びる。
ミラルダ側は一機のみなのだ。見つけ出すことも、対処することも難しくないだろう。そう、それが拓哉でなければだが。
――気合が入っていない時でも、カッコイイって言われたい……
そんな想いを胸中に押し込み、疾風となって対戦相手の攻撃を避ける。
デスファル側の射撃は正確だ。しかし、拓哉の機体にかすりもしない。
まるで残像を撃ち抜くかのように、エネルギー弾が通り抜けて障害物に着弾する。
――悪いが、この腹いせは、こいつらに受けてもらうとするか。
結局、拓哉は、昨日の暴挙の報復に、身の内の不満を上乗せすることにした。
これを戦闘と呼んで良いものだろうか。
目の前で行われている戦いは、常軌を逸していた。
その黒く塗られた機体は、四機の敵を、恰も唯の木偶人形であるかのように蹂躙していく。
「在り得ないですニャ。あの速度で動かせるはずがないですニャ。人間の反射神経を超えてますニャ。あっ、また消えたですニャ。」
その言葉には何の根拠もない。ただ、レナレが、人間の反射神経を超えているレナレが、そう言うのだから間違いはないのだろう。
彼女が言う通り、モニターに表示されていた黒い機体が、一瞬でその表示範囲から消えてしまった。いや、消えるはずはない。いくら拓哉でも、自分の機体を消すことはできない。
ただ、その理由は、簡単だ。機体の動きが余りにも速過ぎて、モニターに映し出すカメラの追跡速度が間に合わないのだ。
――あれだけ大きな機体を、カメラよりも速く動かすなんて……
尋常ならざる動きに慄いている間に、味方の一機目に撃墜判定が下された。
「なに? 今の……サイキックシールドが簡単に突破された?」
瞳を見開いて驚くガルダルに、レナレが興奮しながらも説明する。
「す、凄いですニャ。どうやったらあんなことが……今の、見たですかニャ。遠距離から連続五発のエネルギー弾を同じところにぶち込んだですニャ」
――そ、それでサイキックシールドをぶち破ったのね。でも、あの距離から連続して同じ場所なんて……
事実を知ったガルダルが身を震わせる。拓哉の異常さを知って、不意に彼女の背筋を冷たい感覚が走り抜けたのだ。
黒い機体と味方の間には、未だかなりの距離が残っている。しかし、まるで目の前で撃ち抜いているかのような正確な射的だ。
機体の情報と照らし合わせるまでもなく。黒い機体は、未だ一発も外していない。ガルダルはそれを認識していた。そして、今更ながらに、黒き鬼神の二つ名に恐れを抱いた。
「話にならないですニャ。こちらの攻撃は全く掠りもしないし、向こうの攻撃は全弾命中とか常軌を逸しているですニャ。ガル、無理ですニャ。戦いなんて、止めて戻るですニャ」
――レナレの言う通りだわ。無理よ。勝てる訳がないわ……
ガルダルは完全に臆してしまった。ただ、その間にも、次々と味方が戦闘不能となっていく。
その光景をモニターで確認しているのだが、表示されるのは、やられている味方ばかりで、黒い機体は残像を確認できるものの、その本体はといえば、幻と呼んでも吝かではないほどに姿を暗ませている。
「とにかく、足を止めてはダメなのですニャ。こちらも動きつつ、接近戦に持ち込むしか勝機はないですニャ」
レナレが的確な手段を口にするのだが、ガルダルの不安は全く解消されない。
――止まるなと言われても、どれほどもつことか……やはり、あれを使うしかないのかな……
「全機撃墜されたですニャ。こっちに向かってくるですニャ。仕方ないですニャ。ガル、戦闘準備ですニャ」
一瞬、思考を別のことに囚われていたガルダルの耳に、レナレの悲痛な叫びが届く。
「ちょっ、戦闘開始からまだ数分しか経ってないじゃない……幾らなんでも速過ぎよ」
誰にともなく愚痴を溢しながらも、ガルダルは即座に戦闘態勢へと移行する。
なんだかんだと言いながらも、直ぐに戦闘態勢を執れる辺りが、殲滅の舞姫といわれる所以だろう。
そこに、レナレからの助言がある。
「奴の脚を狙うですニャ。とにかく、あの移動能力を奪うしかないですニャ」
「そうね。そうするわ」
レナレの助言は尤もだ。拓哉が操る機体のスピードは常軌を逸している。それを何とかしない限りには、勝てる可能性など皆無だ。
ただ、ガルダルは、言うは易く行うは難し、なんて考えながら、恐ろしいほどの速度で向かってくる黒い機体に焦点をあわせつつ、己の機体を移動させた。
さすがは特殊部隊の上級訓練校だけあって、なかなか的を絞らせてくれなかったが、一機目をなんとか撃墜した後は、焦りを感じたのか、動きが単調になった。
「初めは結構やるものだと感心したのだけど、崩れ出すとあっという間だったわね」
冷やかな声色で告げてくるクラリッサの言う通り、二機目からは然して苦労することなく倒すことができた。
特殊部隊というからには、何らかしらの突出した技能を持ち合わせているのだろうと考えていたが、もしかすると、その真価を発揮する前に倒してしまったのかもしれない。
これといって、目を見張るような技術や戦法を目の当たりにすることはなかった。
そういう意味では、何らかの真価を持っていたにしろ、使えなければ無いのと同じだ。抜けない伝家の宝刀など、無意味なのだ。
「さあ、これからが本番よ」
これまでは準備運動と変わらない。いや、それすら怪しいほどに易々と撃破してしまった。
「じゃ、久々に全開でいくぞ!」
クラリッサが放った景気づけの台詞に、拓哉も応える。
ところが、彼女は途端に慌て始めた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 全開でやるの? 今、強化サイキックシステムを起動するから……少しだけ待って」
クラリッサですら、拓哉の全開時には、対G制御を強化するためのサイキックシステムを起動させる必要があるのだ。
これは、他の機体に搭載されていないシステムであり、拓哉のナビ専用のシステムだ。
「オーケー! 準備完了よ」
彼女の声と共に、コックピット内のグリーンだった灯りがオレンジ色に変わる。
これこそが、バトルモードであり、拓哉にとって、これまではアイドリングと変わらない。
さらに、このモードを起動すると、駆動系のサイキックシステムも起動する。そして、機体の稼働率を百パーセントまで使いきることができる。
もちろん、駆動系サイキックシステムを使用するのがクラリッサということもあり、彼女の負担はかなりのものとなるが、現在の拓哉には無理なので、彼女に甘えるしかない。
ただ、実際に機体を動かすのは拓哉なので、それに合わせてサイキックシステムを使用できるのはクラリッサくらいのものだった。
それ故に、拓哉のナビは、クラリッサにしか務まらないと言えるだろう。
「よっしゃ~! 本気モードでいくぜ!」
「いいわよ! 思いっきりやりなさい!」
景気づけの声を張り上げると、悪乗りしたようなクラリッサが応じる。
その言葉を心地よく受け止めながら、拓哉は久々の限界機動に突入した。