06 異世界
2018/12/25見直し済み
意識が覚醒してくる。
異様に頭痛がするのはなぜだろうか。
ゾウさんどころか、恐竜さんが頭の中で暴れているかのように感じていた。
それでも我慢して目を開くと、そこには白い天井があった。
目を覚ました拓哉は、やたらと静かな部屋に驚くことになった。
周囲を確認する。そこは白で覆われた部屋だった。
そんな部屋の真ん中にポツンと置かれたベッド、そこに横たわる自分を認識して、周囲から呑気だと言われる拓哉も、さすがに焦りを隠せない。
右側には身体の状態を確認する機械だろうか、心電図のようなものも映し出されている。
「病院というよりも、これじゃ、まるで監禁だな」
思わず声にしてしまったが、まさにその通りだ。
少しばかり不安を抱きつつも、頭を元の位置に戻す。
――どうしてこんなことに? 確か、地震が起きて、看板が……
別段することもないし、これまでの流れを思い起こすことにした。
扉が開く音が耳に届いたのは、そんな試みを始めた時だった。
「あの……大丈夫?」
それは聞いたことのない言葉だった。
ところが、不思議なことに母国語のように聞き取れる。その意味も理解できる。
それに驚き、拓哉は返答を忘れてしまう。
「もしかして、怒ってるの? いえ、怒るわよね。怒って当然よね?」
おずおずと話し掛けてくる声は、聞き覚えのある声色だった。
そう、つい最近、耳にしたばかりの声であり、忘れるはずもない。
声の主に気付き、声の聞こえた方へと視線を向ける。
そこには、予想通り紫髪の美少女が立っていた。ただ、彼女は一人ではなく、数人の者と一緒だった。
『何を怒ることがあるんだ? ああ、気分は最悪だったけどな』
現状を理解できない拓哉としては、看板から助けてくれたことに感謝こそすれども、怒る要素はどこにもない。ただ、あの時に感じた異様な気持ち悪さを思い出した。
思わず愚痴をこぼした訳だが、その言葉を発した途端、紫美少女の背後に立っていた白衣の中年女性が前に出てくる。
「それは母国語かしら? こちらの言語はインプット済みのはずよ」
今度も全く聞いたことのない言葉だったが、その意味は理解できる。
――今なんて言った? 言語がインプットされてるって言ったよな? それって……
驚きと疑問を抱きながらも、自分の気持ちを彼女達の言葉で口にすることを試みる。
「こ、これでいいのか? てか、ここはどこなんだ?」
「そうそう。さすがね」
拓哉が思い描いたままを言葉にすると、白衣の女性――リカルラは頷きながら納得の表情となっている。
――何が流石なんだ? なんか、スゲー気になるんだが……
「調子はどうかしら」
疑問だらけの拓哉に、白衣の女性は体調を尋ねてくる。
だから、率直に頭痛について話す。
「頭が痛いんですが……」
「それはそうでしょうね。でも、直ぐに治るわ」
――ぐおっ、他人事だと思って、簡単に終わらせやがった。いや、今はそれよりも気になることがある。
「それよりも、ここはどこですか?」
「そうね。その辺りをこれから話しましょうか」
現在の状況を尋ねると、リカルラは頷くと共にのんびりと答えてきた。
紫頭の美少女――クラリッサは大人しく様子を伺っているようで、リカルラ主導のもとに話が進んでいく。
こうして拓哉は己の状況を知り、驚くことになる。というか、絶望的な気分を味わうことになる。
そこは実用に特化した簡素なテーブルと椅子が並べられた場所だった。
拓哉の眼前には、縮こまった紫髪の美少女クラリッサが座っている。
その隣にはリカルラが座り、話の結末を次のように締め括った。
「ここは、あなたの居た世界とは違う世界。そう異世界よ」
――それを信じろと? だって、異世界といえば、普通はファンタジーだろ。中世ヨーロッパみたいな世界で、魔法があって、魔物が居て、王様や勇者や魔王が居る。そんな世界だろ? それが、地球にも存在しないような技術が蔓延る超科学の世界かよ! ないわ~~~~~。
リカルラから聞かされた話は、ここが地球でなく、トワという星であること、地球よりも遙に進んだ技術を持っていること、この世界ではサイキックと呼ばれる能力を使用できること、この星が大きな戦争の真っ最中だということ、ここがその兵士を育てる学校であること、等々だ。
そして、最後に聞いた話が、なによりも最悪だった。
「残念ながら、帰る方法がないのよね」
リカルラはしれっと、空恐ろしくなる台詞を宣ったのだった。
拓哉は聞かされた話に愕然としているのだが、そんなことなど知らぬとばかりに、彼女は話を続ける。
「それで、あなたにはこの学校で働いてもらうことにしたの。さすがに生徒という訳にはいかないでしょ? だって、生徒になると、ゆくゆくは戦場に行くことになるもの」
「はぁ?」
勝手に生活環境を整えていることに、思わず間抜けな声が出てしまったのだが、リカルラは事務的な口調で、淡々と必要なことだけを話し続ける。
確かに、彼女の言うことは理解できる。
誰だって好き好んで戦争に行きたいとは思わない。
――だが、それが、どうして何でここで働くことになるんだ?
ただ、拓哉は無性に気になることがあった。
それは、将来的にクラリッサが兵士として戦争に赴くことだ。
別に、彼女に惚れている訳ではない。だが、こんな少女に戦わせて、自分が後ろでぬくぬくと生きていて良いのか。そんな葛藤に苛まされているのだ。
己の立場や行く先、クラリッサと戦場、そんな事を思い悩んでいると、クラリッサが上目遣いで話しかけた。
「ごめんなさい。無理矢理この世界に連れてきてしまって……」
恐ろしく恐縮しているクラリッサを眺めながら、彼女が悪い訳ではないのだと己に言い聞かせる。なにしろ、彼女が強制帰還しなければ、拓哉は死んでいたかもしれないのだ。
「いや、クラリッサが謝ることじゃない。遅くなったけど、助けてくれてありがとう」
縮こまって平謝するクラリッサに向かって、拓哉は逆に頭を下げる。
それに驚いたのか、彼女は両手を突き出した状態で、開いた掌を必死に振りながら慌てる。
「そ、そんなことはないです。だから、頭を上げてください。あなたは私を助けようとしてくれた。私はあの時、とても嬉しかったの。そ、そ、それと、自己紹介が遅れてごめんなさい。私はクラリッサ=バルカン。あの~、その~、クラレと呼んでください」
「わ、わかったよ」
「そ、それで、あなたの名前は?」
「あっ、すまん。俺は本郷拓哉。拓哉でいい」
「ふふふっ、氷の女王も白馬の王子様の前では形無しね」
まるでお見合いのような状況を見て、リカルラが茶化す。
クラリッサは余計に慌てるが、直ぐに頬を膨らませる。
――やっぱ、めっちゃ可愛いな……てか、氷の女王って……
リカルラの言葉に動揺するクラリッサを可愛く思いながらも、拓哉は気になったことを口にする。
「氷の女王って何ですか?」
これまで淡々と話していたリカルラの表情がニヤリと歪む。
「それはね~」
途端に、クラリッサが鬼気迫る勢いでリカルラの口を押え、物理的に彼女の言葉を遮ると、その白く透き通るような肌を真っ赤にして告げてくる。
「な、なんでもないの。なんでもないから、知らなくていいから。タ、タクヤは気にしなくていいのよ」
慌てるクラリッサに抑え込まれたリカルラが、窒息しそうな顔色でバタバタと暴れている。
その光景を目の当たりにして、拓哉は本当に大丈夫なのかと不安を抱く。
ところが、次の瞬間、リカルラが手を振り上げると、クラリッサは体重を感じさせない勢いで宙に投げ飛ばされる。
「クラリッサ! いい加減にしなさい。窒息死するかと思ったわよ!」
リカルラは振った腕を戻しながら、宙にあるクラリッサに苦言を述べた。
「えっ?」
その光景を見た拓哉は、心臓の鼓動が止まるほどに驚愕する。
リカルラの振り上げた手は、全く以てクラリッサに触れていなかった。それなのに、彼女の口を塞いでいたクラリッサが宙に舞ったのだ。
それを目にして驚かないはずがない。地球の常識を持つ者ならば、誰もが声すら出せないほどにぶっ魂消るはずだ。
しかし、更に驚愕の光景が続く。
なんと、宙に投げ出されたクラリッサが軽やかに舞っているのだ。
そう、空中をまるでタンポポの胞子のようにゆっくりと舞ったかと思うと、元の位置に戻ったのだ。
――おいおい、これってどういう原理だ?
もう、驚きも驚きだ。在り得ないこと尽くしで、驚愕を遙に超えていた。
拓哉がその光景で普通だと感じることが出来たのは、宙に舞うクラリッサのパンツがとても可愛らしかったことくらいだ。いや、それも拓哉にとっては驚愕の対象かも知れない。というのも、それが彼女の印象とは全く異なる可愛いパンツだったからだ。
――いやいや、パンツの事は忘れよう。脳裏に焼き付いてはいるが、ここは見なかったことにすべきだよな。
そう思う理由は簡単だ。拓哉の眼前に居る彼女は、恐ろしいほどに赤面し、頬を膨らませているからだ。
「ねえ、タクヤ、見た? 見たでしょ? 見たわよね? 正直に言いなさい。見たのよね?」
クラリッサはまるで機関銃の如く物凄い連射攻撃で捲し立てた。
その弾丸を避けるかの如く、拓哉はひたすら首を横に振り続ける。
そう、ここで口を開けたら間違いなく肯定してしまいそうなのだ。可愛いパンツだったと……
結局、何とかクラリッサの攻撃から逃げ切る事に成功したのだが、あまりの猛追に怯んでしまい、彼女やリカルラの使った手品について聞きそびれてしまった。
そんな拓哉は、最終的にこの学校の職員寮を使わせてもらい、整備班の手伝いをすることになるのだった。
広いだけが取り柄の殺風景な居室。
入り口と反対側に窓があるだけで、両側は書架の一つも置かれておらず、ただただ真っ白な壁があった。
ただ中央には、実用だけが取り柄のこの部屋に相反して、木目の美しいテーブルと、それを挟むように革張りの大きなソファーが置かれている。
しかし、この部屋を預かる者は、窓際に置かれた執務机の横に立ち、陽の落ちかかった空を眺めていた。
「校長。結局、彼の処遇をどうするおつもりですか?」
いつまでも動くことなく、赤く染まる景色を眺めるキャリックに、端末を片手にした白衣の女性が問いかける。
しかし、キャリックは白衣の女性――リカルラに反応するどころか、いつまでも景色を眺めている。
そんな校長の考えを察することができなかったからか、リカルラは少しムッとした表情でゆっくりと進める。
――まあ、気持ちは分からなくもないのだけど、返事くらいしてくれてもいいのではないかしら……
心中で愚痴を零しつつ、キャリックの横に並んだリカルラは、チラリと視線を上方に向けた。
身長が百八十センチを超えるキャリックに対し、リカルラは百六十半ばであり、近くに立って相手の顔を見るには、少しばかり見上げる必要があるのだ。
「キャリック」
少し冷たい眼差しを向けたリカルラは、将軍であり校長でもあるキャリックを呼び捨てにした。
年齢的にもキャリックの方が二十近く上なのだが、彼は顔を顰めることすらしなかった。いや、それどころか、不服そうにするリカルラを横目で見やると、肩を竦めつつ詫びの言葉を口にした。
「すまんすまん。少し考え事していてな。それで、彼は何と言ったかな」
「はぁ~、ユウスケ。ユウスケ=ホンゴウです」
「ふむ。君は彼のことをどう思う?」
嘆息するリカルラの態度をサラリと流し、キャリックは拓哉について尋ねる。
リカルラは端末を脇に挟むと、腕を組んで少し悩む素振りをするが、直ぐに自分の考えを口にする。
「そうですね~。サイキックは望めませんが、人間性には問題なさそうです。それに、とても頭が良いのではないかしら」
「どうしてそう思うのだ?」
「それは、あの落ち着きようです。普通なら異世界に連れてこられたと聞けば、酷く動転するはずですが、彼はサラリと受け入れました。恐らく、自分の置かれた状況を素早く理解する能力があるのだと思います。それに、語学のインプットをしているとはいえ、恐ろしく簡単にこちらの言葉に順応しましたから、適応能力も高いと思います」
「そうか……」
スラスラと答えるリカルラの言葉を聞き、キャリックは再び考え込む。
しかし、そう簡単には逃がさないとばかりに、リカルラがキャリックの腕を取って、その大きな胸を押し付けた。
その様子からして、二人が只ならぬ関係であるのは明白だ。
「キャリック。それで、どうするのですか?」
「う~ん」
弾力のある胸を押し付けられ、キャリックがその豪奢な眉を下げる。
もちろん、下心から表情を緩めた訳ではない。未だ自分の中に答えがないのだ。
それ故に、ゆっくりと首を横に振った。
「暫くは様子を見るとしよう」
「もしかして――」
「まだ何とも言えん」
キャリックの態度を見やり、リカルラは訝しげな表情で自分の憶測を口にしようとする。
しかし、キャリックは即座に首を横に振った。
「そうですか。それならベッドでゆっくり相談しましょうか」
「ふぐっ……」
結局、リカルラの強引な押しに負けたキャリックは、顔を引き攣らせて瞳を泳がせるのだった。