77 感想
2019/1/18 見直し済み
殺風景な居室だ。
質素なベッドに、簡素なテーブルとソファー。
もしこれが一般家庭の居室なら正気を疑うのだが、ここが軍事施設であることを考えれば、それも致し方ないというものだ。
それでも、ミルルカにとって、格式ばった会長室よりも、この殺風景な居室の方が遥かにマシに思えた。
そして、そう感じられるのも、自分自身の感性が正常なお蔭だと思いたかった。
それほどまでに、彼女はクワトロ上級訓練校の会長室が気に入らなかった。
そんな彼女は、ドカリとソファーに腰をおろす。
すると、待っていましたとばかりに、テリオスが口を開いた。
「会長、さきほどの諍いは、些か頂けませんでした。今後は気を付けて頂きませんと……」
――さっそく始まったか……本当にこの男は口煩い……あのくらいはスキンシップだろうが!
そう、つい先ほどクラリッサとやり合ったばかりだ。
それをテリオスに突っ込まれて、ミルルカは眉間に皺を寄せる。
しかし、敢えて逆らったりしない。
「ああ、ああ、分っている。分かっている」
「返事は一度だと、何度申せば宜しいのでしょうか」
「ああ、分った!」
嫌味たらしく銀縁眼鏡を押し上げる仕草が、言葉以上にミルルカの癇に障る。
それでも、一応は謝っておかないと、いつまでもネチネチと小言が続くのだ。
先程の出来事は、ミルルカ自身も些かエスカレートし過ぎたと反省していた。それなのに、いちいち上げ足を取るかのように言及されて、気分を悪くしないはずもない。
心中でテリオスを罵りながらも、文句の一つも言い返せないことに、彼女はやり場のない憤りを持て余していた。
されども、奴は言及を止めようとはしない。
「軽はずみにあのような約束をして、もしものことがあったら、どうなされるのですか」
――この男は、よもや私が負けるとでも思っているのか?
やはり言われっぱなしは気に食わないと感じて、一応は反論してみる。
「私が負ける訳がなかろう。それとも負けて欲しいのか?」
「いえ、そのようなことは考えておりませんが、戦いとは何が起こるか解りません。万が一の時に備えて逃げ道を用意するのが得策だと考えております」
――物は言いようとは、このことだな。要は、負けるかもしれんだろ! と言いたいのだろう。
「ふんっ!」
彼女は鼻を鳴らすのだが、ふと、疑問が過る。
なぜ、この男がそんなことを気にするのだろうかと。
自分が負ければ軍門に下るなど、戦いでは当たり前のことなのにと。
そもそも、対校戦で戦う相手は敵ではない。ミルルカはそう考えていた。
仮に、自分が負けるようなことがあれば、喜んで拓哉達の配下になるだろう。
それこそが、ヒュームと戦っている人類の役に立つと考えているからだ。
強き者を盛り立てて、戦いに挑むべきというのが、彼女の持論であり、そう考えているが故に、対校戦で負けることなど恐れていない。一番、恐ろしいのは、敵であるヒュームに屈することだと感じていた。
テリオスの小言を聞き流しながら、そこまで考えたところで、既に憤りも関心も失っていた。
それ故に、適当に話を濁して、テリオスには消えてもらうことにした。
「それはそうと、あの氷の女王、クラリッサ=バルガンの情報は入手できているのか?」
「はい。こちらのデータチップに纏めてあります。かなりのやり手だという情報も届いています。ただ、彼女に見合うドライバーが居なかった頃のデータですので、信憑性については期待できません」
――ふむ。確かに優秀なナビは必要だが、それだけで強くなるものではないからな。優秀なドライバーが居なければ、宝の持ち腐れというものだ。それはそうと……
テリオスからデーターキューブを受け取りながら、ミルルカはナビゲーターの意義について考える。
そうなると、当然ながら、ドライバーについて考えることになる。
「黒き鬼神の噂は、たいしたものだったが、実物は些か期待外れだったな。氷の女王の方がよっぽど面白味があったぞ」
沈黙を選択した結果、拓哉は不評だった。
まあ、クラリッサとミルルカの諍いの間、終始オロオロしているだけだったのだ。
彼女はその時の事を思い起こし、黒き鬼神の噂は、誇張だったのではないのかと考えている。
しかし、テリオスが異議ありと申しでた。
「会長が褒めるほどのナビゲーター、氷の女王が認めたドライバーです。唯者でないのは間違いないでしょう。そのように見誤っておられると足をすくわれることも在り得ます。くれぐれも油断せぬように願います」
――うぐっ……そう言われると、確かに……ちっ、この男にまた一本取られてしまった……本当に頭のよく回る男だ。
至極真っ当なツッコミを受けて、ミルルカは歯噛みする。
それが一理あるだけに、反論すらできないのが悔しいところだ。
それでも、平静を装って場を濁す。
「分かっている。ちょっと言ってみただけだ」
「そう思っておりました。よもや火炎の鋼女たるミルルカ=クアントが、油断などすることはないと信じておりました」
――ぬお~~~! ぬけぬけと、どこまで嫌味たらしいのだ……この男、いつか泣かしてやる!
心中ではハンカチを噛みちぎらんほどに悔しがっているのだが、それを見せる訳にもいかない。ぐっと堪えて頷くしかない。
「ああ、もちろんだ。それよりも明日は団体戦の抽選だ。そっちは頼むぞ。私は少し休むとしよう」
「畏まりました。明日の抽選は私の方で処理いたします。では、失礼します」
これ以上、テリオスと話していると、間違いなく胸中の炎が溢れ出てしまいそうなので、早々に退場してもらうことにした。
そして、テリオスが彼女に割り当てられた居室から退室する。
途端に、ミルルカは大きなため息を吐き、疲れた様子で質素なベッドに身体を横たえた。
「はぁ~、本当にウザい奴だ……あれに比べれば、どれだけオロオロしていようと黒き鬼神の方が遙にマシだと思えるぞ。というか、もし負けたら……」
もし負けたら、拓哉にその身を蹂躙されるのかと考え、そこで思考を停止させた。
――自分でも考えていたじゃないか。負けるのも、それはそれで構わないし、喜んで軍門に下ると……今更、何を怖気づくことがある?
自分自身で理解しているつもりだったのだが、己が身を捧げることを考えた途端、思わず緊張してしまったことを自覚した。そして、考えている以上に、葛藤が己を苛ましているのだと知ることになった。
そんなミルルカは、両腕で身体を抱き、ベッドの上で丸くなる。
そう、封印したはずの記憶が呼び起されたからだ。
結局、まだまだやることが山積みであるのに、ミルルカはそのまま眠りに落ちてしまった。
ガルダルにとって、先程の出来事は、ことのほか衝撃的だった。
無理矢理に会長達から「黒き鬼神の顔を拝みに行くよ」と呼び出されたのは良いのだが――全く良くなかったが、渋々と同行することになった。
まずは、火炎の鋼女と邂逅し、あまりの厳つさに戦慄した。
それ以上に衝撃を受けたのが、その後にやってきた本命ではなく、同伴していた氷の女王の勇ましさだ。
なにしろ、あのオーラ出しまくりの火炎の鋼女――ミルルカ=クアントと互角に渡り合っていたのだ。
――末恐ろしい少女だわ。
ガルダルからすれば、氷の女王なんて二つ名なんてやめて、烈火の女王と名乗った方が良いのではないかと思ったほどだ。
そして、問題の黒き鬼神には、別の意味で驚かされた。
――あの黒き鬼神、オロオロしちゃって、ちょっと可哀想だったけど、可愛かったな~。
火炎の鋼女と氷の女王の諍いをオロオロしながら止めようとしていた姿に、ミルルカと異なる印象を持った。ガルダルからすれば、とても好ましく感じたのだ。
それと同時に、頼りなさそうな姿とは相反して、尋常ではないドライバーだとも感じていた。
その理由は自分でも解らない。ただ、彼女の勘がそう囁いたのだ。あの男は半端ないと。
「黒き鬼神は、噂倒れだったようですね」
「そうだな。鬼神というよりもチキンといった風だったな」
「黒きチキンですか。なかなか面白いですね」
副会長の言葉に、会長が面白くもないジョークで返した。
ガルダルは思わず顔を顰めそうになるが、それを必死に堪える。
――ジョークの面白くなさよりも、彼等の見解の方が問題だわ。だって、完全に見誤っているもの。でも、この人達に、あのタクヤ=ホンゴウの本質を見抜けと言う方が無理か……なにしろ、この人達は所謂、無能と呼ばれる者達だもの。
ガルダルは心中で会長と副会長をこき下ろす。
ただ、彼女の言う無能は、サイキックが使えないという意味ではない。
それとは全く逆であり、サイキックは使えるが、何の役にも立たない者達という意味なのだ。
そして、ガルダルが一番嫌いなタイプだった。
力があるのに努力しない。親の威を借りて弱者を虐げる。まさに、絵に描いたようなクズの部類だった。
それ故に、ガルダルは、この二人と同じ空気を吸うのにも嫌悪感を抱いていた。
それほどに嫌う二人の内の一人、会長がガルダルに視線を向けた。
彼女は思わず吐き気を催すが、それをぐっと堪えた。
「殲滅の舞姫としての見解はどうかな?」
「ガルダルのことだから、あの程度の対戦者であれば、軽く撃墜できるのでは?」
会長に遭い乗って、副会長が立て続けに愚かな問いを重ねた。
二人の顔には嫌らしい笑みが貼り付いている。
――うえっ、気持ち悪い……我慢よ。我慢。さて、どうしたものか……この愚か者達に本当のことを伝えて、何かの得があるだろうか。いえ、そもそも私の言葉を理解してもらえるはずもないか。それどころか、逆ギレしそうだし……
どう答えるべきかと悩んでいると、即答しないガルダルを見て、会長が顔色を変えた。
「どうしたんだね。ガルダル=ミーファン。まさか殲滅の舞姫ともあろう者が臆した訳ではないだろうね」
――いやいや、臆するわよ。あれは間違いなく怪物よ。いえ、それよりも、あなた達の低能さに臆しそうだわ。仕方ない、ここは烈火の女王……いえ、氷の女王に頑張ってもらいましょう。
「返答が遅くなってすみません。未だ読み切れていなくて……ただ、見た感じは頼りなさそうでしたが、あの氷の女王と呼ばれるクラリッサ=バルガンが認めたほどのドライバーだと考えれば、油断は禁物だと思います」
極力、角が立たないように気を付けるガルダルだったが、どうやら、それは無駄な努力だったようだ。
途端に、副会長がムッとした表情を見せた。それを目にして、失敗したと感じたのだが、会長が諫めるかのように相槌を打った。
「ふむ。確かにそれは一理あるかもしれないな。それにあの氷の女王は、火炎の鋼女に食って掛かったほどの女傑だ。君の言うことが正しいかもしれん」
――かもしれんじゃないわよ。このアフォ! 一度、PBAで頭を殴ってもらった方がいいんじゃない?
気に入らない会長を心中でボロクソにこき下ろしていると、不快な表情を一気に明るくした副会長が、ゴマを擦り始めた。
「そうですね。会長の言う通りだと思います」
――なによ、この風見鶏。もう死ねばいいのに……いえ、それよりも、作戦を立てる必要がありそうだわ。
会長と副会長の頭の悪さ加減に嫌気を感じながらも、ガルダルは黒き鬼神と戦う術を見出すために、思考を巡らせることを優先した。