76 激突
2019/1/18 見直し済み
時が経つのは本当に早いものだ。
拓哉がこの世界に来てから、どれほどの月日が流れただろうか。
既に半年近くの時が過ぎ去っている。
日本が恋しくないと言えば嘘になるだろう。
家族の事が心配でないと言えば、強がりとなるだろう。
しかし、不思議なことに故郷のことを思い浮かべることはなかった。もちろん、家族のこともだ。
ただ、それに疑問を抱くこともない。なにしろ、思い浮かばないのだから、不思議だとも感じない。
当然ながら、それには理由があり、ごく一部の者がそれを知っている。しかし、誰もがそれを口にしない。
それとは知らない拓哉は、クラリッサやカティーシャという恋人を得て、リディアル達と言う仲間を得て、この世界に満足していた。
そして、彼女等や彼等の力になりたいと考えた結果、ミクストルに協力することにした。
その第一歩として、対校戦に出場することにしたのだが、いまや、それが三日後に迫っていた。
「タクヤ、どう? 飛空艦で空を飛ぶ気分は」
クラリッサが問い掛けた通り、現在の拓哉は飛空艦に乗って空を移動している。
それは飛空艦であり、飛行機ではない。空を飛ぶ戦艦なのだ。
その大きさは駆逐艦くらいのサイズなのだが、文字通り見た目からして船の形をしている。
ただ、その飛行速度は、地球のジェット戦闘機並みだ。
旅客機よりも遙に速く飛んでいるのだが、艦内にいると空を飛んでいるとは思えないほどだ。
当然ながら、耐圧スーツを着ることもなければ、座席にシートベルトで固定されることもない。
そういう意味では、空の旅というよりも海の旅に近いかもしれない。
「凄いな。高速で飛んでいるとは思えないぞ」
「でしょ? それに、この飛空艦には三十機のPBAを搭載できるのよ。空飛ぶ空母といって差し支えないわね」
拓哉が感じたままを口にすると、クラリッサはまるで自分が褒められたかのように微笑んだ。
――それにしても空飛ぶ空母とは、さすがは最先端科学を有する異世界だな。
現在、二人は外の見えるラウンジへとやってきているのだが、そんな二人きりの一時も、いまこの時を以て終わりを告げた。
「こっそり逢引とはズルいじゃないか」
頬を膨らませたカティーシャが現れた。
「いや、別に逢引とかじゃないぞ。外を眺めていただけだ」
「そうよ。タクヤに艦内を案内していただけよ」
拓哉が事実を有りの侭に伝えると、クラリッサもそれに同意したのだが、カティーシャの眼差しは、その話を信じているという風ではなかった。
それでも、彼女は一言だけ文句を付け加えると、表情を戻して話題を代えた。
「そもそも、ボクを誘わない理由がわからないよ。でも、まあいいや。もう直ぐ到着するから艦を降りる準備をしろってさ」
どうやら、わざわざそれを知らせに来てくれたようだ。
そう感じた拓哉は、素直に感謝を告げる。
すると、ご立腹だったはずの彼女が満面の笑みを見せた。
――この表情を見ると、無下にもできないんだよな~。
思わずカティーシャの笑顔に見惚れてしまう。
すると、飛空艦よりも先に、クラリッサの機嫌が急降下する。
有無も言わさずに、拓哉の尻を抓ったのだ。
「いてっ!」
「どうしたの? タク」
「何でもないわよ。注射の後遺症だと思うわ」
拓哉の悲鳴に、カティーシャが怪訝な様子を見せるが、頬を膨らませたクラリッサがしれっと誤魔化した。
眼下には巨大な都市が広がる。
そんな街の上空を音もなく飛行する飛空艦。
誰もが空を見上げるかと思えば、行き交う人々は脚を止めることなく闊歩している。
この街では、上空を飛空艦が頻繁に行き来する。音が煩ければ顰め面をしようものだが、時々、影を落とす程度なら、然して気にならないのだろう。時折、見上げる者はあっても、殆どの者は視線を上げることすらしない。
そんな者達の頭上を、拓哉達が乗った飛空艦がゆっくりと移動する。
さて、拓哉達が飛空艦に乗って遠路遥々《えんろはるばる》大陸の北東部に来たかというと、既にお察しの通り、この街で対校戦が行われるからだ。
ここで少し位置関係を明確にすると、拓哉達が日々訓練を行っているミラルダ初級訓練校は、大陸の中央からやや西寄りの地方に存在する。そして、この旧ビトニア連邦の一都市であるディラッセンは、大陸の北東部に位置する軍事都市だ。
旧ビトニア連邦だが、大陸の北から東にかけて旧ビトニアの地域であり、東から南の地域が旧ラルカス連合。西の地域が旧ミドラア国となっている。そして、ミラルダ初級訓練校は、旧ミドラア国に存在する。
因みに、大陸の南西部は、既にヒュームによって占領されており、その範囲は大陸の十分の一を占めている。
そう考えると、この大陸の危機的状況が解ろうというものだ。
俺達の乗った飛空艦は、街外れにある軍事基地へと辿り着き、今まさに着陸しようというところだった。
とはいっても、この飛空艦は垂直飛行も可能なので、余程のことがない限り事故など起きない。
そして、この飛空艦の原動力なのだが、拓哉が尋ねてみたものの、答えはブラックボックスということだった。
実際、ブラックボックスではなく、軍事機密なのだろう。
これだけの技術をそうそう盗まれる訳にはいかないだろう。情報の流出を抑えるために、規制をかけて当然だ。
ただ、クラリッサは少しだけ知っていたようだ。
反重力エンジンとサイキックを使用していると、拓哉に教えていた。
それ故に、ジェット機のような轟音を撒き散らすことなく、無音に近い状態で飛行し、巨大な船体を易々と着陸させることができるのだ。
「さて、到着したようね」
リラックスルームに戻ったクラリッサが、艦内放送を耳にして頷く。
すると、カティーシャが肩を竦めた。
「さっさと降りろってことかな。その後は、宿舎のミーティングルームで会議だってさ」
「マジかよ……会議なんて止めようぜ」
この後のスケジュールを知った途端、リディアルがゲッソリとした表情で愚痴をこぼす。
ただ、キャスリンはやる気満々なのか、リディアルの後ろ頭を軽く叩いた。
「少しは真面目にやりなさいよ!」
「だってな~! 飛空艦に乗っている間も、ずっと訓練続きだったじゃないか」
どうやら、リディアルは休息がないことに不満を抱いているようだ。
まあ、それも仕方ないのかもしれない。移動中もララカリア特製のシミュレーターで訓練ばかりだったのだ。疲れていても仕方あるまい。
しかしながら、そこで眦を吊り上げたのは鬼軍曹だ。
「あら? リディアル君は観光に来たのかしら?」
「……」
――哀れだな、リディ。一声も発することができずか……
拓哉が哀れみの視線を向けていると、リディアルは直ぐに拓哉の横にやって来たかと思うと、小さな声で囁いた。
「タクヤ、あのおっかないのをマジで嫁にする気か?」
ここでそれを言われても、拓哉の選択肢は一つしかない。なにしろ、ノーとは言えないのだから。
だいたい、リディアルはこそこそ話したつもりであろうが、それが彼女の耳に入らない訳がない。
そう、彼は自分から地雷を踏んだのだ。そこにあることを知っていて、わざわざ踏み抜いたのだ。
「リディアル君は、どうやら模擬戦をご所望のようね」
「嘘です! 嘘です! 冗談です!」
氷片が散りばめられたかのような声色で、クラリッサが威圧すると、リディアルが必死で謝り続ける。
それを拓哉は嘆息しつつ、どう収めようかと考える。
しかし、そこに天の助けが入る。
「いつまでこんなところで騒いでいるの? さあ、さっさと降りるわよ」
まるで修学旅行の引率のようなリカルラの声で、凍り付いていた場の空気が柔らかくなる。
まさに天の助けだと言わんばかりに、拓哉が行動を起こす。
「そうだな。さっさと降りよう。ここに何時まで居ても仕方ないし。会議をするにしても、休息をとるにしても、早く降りた方が良いだろう?」
チラリとリディアルに視線をむけつつも、拓哉は率先して昇降口へと向かう。
しかし、拓哉は知らなかった。飛空艦から降りた途端にトラブルが起ることなど、この時の彼は全く想像すらしていなかった。
拓哉達が飛空艦から降りると複数の者が立っていた。
首を傾げつつも、拓哉はこの軍事基地の関係者かと思ったのだが、そこに立つ一人の少女を見て、そうではないと判断した。
そう、そこには十人程度の制服を着た者達が立っていたのだが、その中の一人に見覚えがあったからだ。
「あっ、巨乳美人だ! いてっ!」
「あんたは、ちびっと口を謹みや」
リディアルが頭を摩る。今度はメイファに叩かれていた。
――まあ、リディに同情できなくもないよな。だって、ほんとに巨乳美人だし……いやいや、そんなに睨むなよ……
首を窄める拓哉は置いておくとして、見覚えのある一人とは、先日データチップを送りつけてきたミルルカ=クアントだった。
「誰が黒き鬼神だ?」
品定めでもするかのように眺めていたミルルカは、その大きな胸を張ってそう尋ねてきた。
ただ、拓哉としても胸ばかりが気になっている訳ではない。そのはずなのだが……
――おいおい、クラレの上をいってるじゃんか! いてっ!
ミルルカの言葉ではなく、その胸に引き付けられてしまい、クラリッサにお尻を抓られてしまった。
しかし、この場合、拓哉が「俺が黒き鬼神です!」というのも間抜けにみえる。
そもそも、二つ名なんて、自称でもなければ、認めた訳でもないのだ。
それ故に、誰も答えることなく、沈黙が支配する。
すると、物言わぬことにキレたのか、ミルルカが憤慨してしまった。
「お前達には口がないのか? 返事くらいしろ!」
「会長! 少し落ち着いてください」
ミルルカが憤慨をあからさまにすると、そのやや斜め後ろに立っていた真面目そうな男――テリオスが彼女を諫めた。
しかし、彼女は鼻を鳴らしつつテリオスを強引に退けると、何を考えたのか、今度は毒を吐き散らした。
「ふんっ! 黒き鬼神とは、返事すらできないような腰抜けか! 噂とは本当に当てにならないものだな」
――そうは言われても、自称するほど格好悪い姿はないだろ?
拓哉は不満を抱きつつも、やはり沈黙で返すことにした。ところが、いきり立ったクラリッサが一歩前に出た。
「私のタクヤが腰抜けだなんて、何を根拠に仰っているのですか? 火炎の鋼女とは、ただ単に短気と短慮を持ち合わせた、傲慢で不遜な存在だったのですね。ガッカリしました」
――おいおいおい! クラレさんや、揉め事を始めるのは止めてくれんかね……
憤慨するクラリッサを慌てて押し留めようとしたのだが、その行動は時既に遅かったようだ。
罵られたミルルカが腕を組んで目を細めた。
「ほう。元気のよい小娘だ! お前は誰だ?」
怒りを露わにするかと思いきや、ミルルカは啖呵を切ったクラリッサに興味を抱いたようだ。
不敵な笑みを浮かべて、品定めするかのようにクラリッサを観察しはじめた。
――ちょっ、ちょっと、小娘って……あんたと、二、三歳くらいしか変わらんだろ?
拓哉はツッコミを入れたくてウズウズしていたのだが、それを差し置き、クラリッサが速攻で名乗りをあげる。
「私はクラリッサ=バルガンです。黒き鬼神は、私のフィアンセです」
――おいおいおいおい! ここでもそのネタか!
もはや、ツッコミどころばかりなのだが、この場合、口にしなかった理由は、開いた口が塞がらないからだ。
ただ、その威勢の良さを快く感じたのか、ミルルカはニヤリとしたかと思うと、楽しげな声色を発した。
「お前が氷の女王か! いや、それもよりも黒き鬼神がフィアンセだと? 面白い」
――いやいや、全然面白くないから……嬉しいけど、面白はなしじゃないから。
拓哉としては、水と油のような二人を見やりながらヒヤヒヤしているのだが、クラリッサは一味違っていた。
「先程のお言葉、撤回して頂きたいのですが」
「ほう~、なかなか元気な小娘だ。よし、良かろう。私に勝てたら撤回してやる。いや、私が黒き鬼神の嫁になってやろう」
――ちょっとまて~~い! そんな宣言をされたら、勝とうにも勝てないじゃないか! どんな嫌がらせだ? もしかして、それが作戦か?
とんでもない発言に、拓哉も思わず一歩前にでる。
ところが、クラリッサは、さらに二歩前に出た。
どうやら、彼女も不満を感じたのだろう。ミルルカの言葉を批判し始めた。
「タクヤの嫁は間に合っています。私がフィアンセだと聞えなかったのでしょうか? だいたい、そんな宣言をされると、勝てる戦いを放棄するしかなくなるではないですか」
憤慨したクラリッサが、相手の感情を逆なでするような物言いで攻撃する。
そして、その過激な発言が拙かった。そう、ミルルカに闘志という名の炎を点火したのだ。
「なんだと!? それは私に勝てると思っての言葉か?」
「もちろんです。百回やって百回勝つでしょう」
「なにぉ~~~! よ~~し、そこまで言うのなら解った。もし私が負けたらお前達の召使になろう。だが、勝ったら、その男は私が頂くからな」
「問題ありません。私達が負ける可能性など、那由多に一つすらありませんから」
――おいおい! クラレさんや、何を勝手に決めてるのかな? そろそろ止めてくれんかな?
オロオロする拓哉を余所に、クラリッサとミルルカは勝手に勝負の内容を決めてしまう。
こうして拓哉は、対校戦を行う街に着いた途端、なぜか自分自身を賭けた戦いに巻き込まれることになった。




