68 涙
2019/1/15 見直し済み
そこは、建物の間に作られた静かな中庭だった。
芝生のような植物が敷き詰められ、花壇やベンチが設置されている。
この風景だけを見れば、誰もがここを軍の施設とは思わないだろう。
しかしながら、周囲の建物は、教官棟を始めとして、学舎や医療棟などが立ち並び、奥には寮棟も立っている。
それらの風景も合わせてみると、やはり普通の公園ではないと感じるはずだ。
立ち並ぶ建造物は、四角い形をした日本の建物とは異なり、いかにも先進的な雰囲気を持っている。
そんな公園のベンチに、クラリッサが座っている。
彼女はどこか寂しそうだが、困惑している風でもあった。
恐らく、彼女自身、どうすれば良いのか整理がつかないのだろう。
そして、全訓練生が自室待機となっている所為で、人っ子一人通ることのない中庭のベンチに座り、両手で顔を覆ったまま俯いていた。
――やっぱり、ここか……
クラリッサを追ってやってきた拓哉だが、彼女を見つけたものの、なにも言えずにいた。
先程まで校長室で話を聞いていたはずの拓哉とクラリッサが、なにゆえこんなところに居るかというと、それはクラリッサが話の途中で飛び出してしまったからだ。
その話の内容は、彼女にとって衝撃的なものだったのだろう。
なにしろ、味方だと思っていた叔父が、実はヒュームを守りたいと考えていたからだ。
両親を殺されて、ヒュームを憎悪しているクラリッサにとって、それは裏切り行為だと思えたのかも知れない。
――さすがに、あれは拙いよな……
その話は、拓哉が想像すらしていない展開だった。
振り返って思い起こすと、納得できる部分も多くあるし、平和な日本に住んでいた拓哉にとっては、争いのない世界が一番だと思えるが故に、キャリックの意見に賛成したい気持ちもあった。
キャリックの口から、ミクストル――ミックストゥルーの名前が出たのは良いのだ。
しかし、その後が拙かった。次に続いた願い事が良くなかった。
キャリックの想いは、クラリッサの感情を逆なでるものだったのだ。
「ワシはヒュームとの共存を願っている。故に、ホンゴウ君、クラレ、ワシ等に協力してくれないだろうか」
真剣な眼差しでそう告げるキャリックの瞳には、懇願の色が映し出されていた。
拓哉としては、とてもノーと言えない雰囲気だった。しかし、クラリッサには違ったらしい。
彼女は眦を吊り上げると、叔父であるキャリックに食ってかかった。
「それは……それは、どういうことですか。叔父様! 父と母を無残な死に至らしめたヒュームと共存なんて夢物語です。私がヒュームを憎悪しているのを知っていて、これまで騙していたのですか?」
「す、すまぬ。別に騙すつもりはなかったのだ」
激高するクラリッサに、キャリックがおずおずと詫びを入れるのだが、彼女の怒りはそう簡単に冷めるものではなかった。
その証とばかりに、彼女は激情のあまり、キャリックに罵声を浴びせかけた。
「叔父様の裏切り者! 叔父様なんて、叔父様なんて、大っ嫌い!」
彼女はそう叫ぶと、周囲の目を気にすることなく、校長室から出て行ってしまったのだ。
そして、拓哉は直ぐにクラリッサを追いかけた。
それは、キャリックに頼まれたからではない。拓哉自身が心配しての行動だった。
そんな拓哉は、直ぐにこの中庭にきた。というのも、以前、彼女が食堂から姿を消した時もここに居たからだ。
――どうすればいい? 普通に考えれば、校長の言うことが尤ものように思えるんだが……
塞ぎ込むクラリッサを前にして、拓哉は頭を悩ませる。
慌てて追い駆けた割には、何もできずに立ち尽くしている。
そんな自分自身が嫌になってくるのだが、何を口にすれば良いのか、皆目見当もつかないのだ。
それでも、思うところはある。
静かにクラリッサの隣に腰をおろすと、拓哉は自分の考えを口にする。
彼女のことを何も知らないが故に、彼女の気持ちを理解していなかったが故に、拓哉は自分の考えを押し付けた。
「クラレ、人間だって同じだろ? 良い人もいれば悪い人もいる。全てのヒュームが悪い訳ではないのだろう?」
何とも気の利かない言葉だ。いや、それだけではなく、無神経なことばだった。
彼女のが口にした言葉――両親が無残に殺されたという言葉を思い出せば、それほど簡単なものではないと気付いたことだろう。
しかし、拓哉自身も戸惑っていたのだ。突然の事実、突然の要望、突然の逃亡、唯でさえ落ち着きのない毎日を過ごしていたが故に、既に拓哉も混乱していたのだ。
ただ、直ぐに自分が無神経だったことに気付く。クラリッサの激情によって。
「そ、そんなことは解っているわ! だからなによ! 父と母は奴等に殺されてしまったのよ。ハチの巣にされて、血と肉の塊……いえ、肉片になったのよ。それを目にした私の気持ちがわかるの? 拓哉にその気持ちが解る? 解る訳がないわ。解らないのに知ったような口を利かないで」
「す、すまん。俺が――」
――そうだな。俺には解らない。だって、血は繋がっていないとはいえ、両親は健在だし、面倒を見てくれた姉貴も元気に大学に通ってるはずだ。あれ? なんだ、これ……
クラリッサに詫びていた拓哉が、家族のことを考えた時だった。
途端に、もつれた糸が解けたように感じた。
それまで、全く思い出さなかった――思い出せなかった家族や親友のことが脳裏に浮かぶ。
――どうして忘れてたんだ? あれからもう半年近くなるけど、みんな元気かな……俺が居なくなって心配していないかな。ああ、忘れていた。あの地震はどうなったんだ? まさか、地震の所為で怪我なんてしてないよな?
気が付くと、拓哉は帰ることのできない故郷のこと、そこに居る家族のことを思い出していた。
拓哉は思わず怒り狂うクラリッサのことも忘れて、故郷に想いを走らせた。
すると、突然、クラリッサが飛び付いてきた。いや、この場合は抱き付いてきたといった方が正しいだろう。
慌てて抱き止めると、彼女はその綺麗な双眸から宝石のように輝く涙を零しながら謝りはじめた。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりではなかったの。あなたに当たるなんて最低だわ。私が勝手に引き摺り込んで、こんな酷いこと言って、本当にごめんなさい」
クラリッサは直ぐに気付いたのだ。自分の行為が八つ当たりだと。それも、本来、尽くすべき相手に当たっているのだと。
彼女は彼女で、拓哉に負い目を持っていた。そして、拓哉が黙り込んだことで、彼の表情を目にしたことで、自分の犯した罪を思い出したのだ。
しかし、拓哉は現在の展開に混乱していた。
泣き縋るクラリッサに、ただただ動揺した拓哉は、彼女が何を謝っているのか解らずにいた。しかし、自分の頬を伝う感触で初めて気付いた。
――俺……泣いているのか? この感触って、涙だよな?
自分でも意識しない内に、故郷を想っていたのかも知れない。
その涙は温かく、頬を伝わる感触が少しだけこそばゆくもあった。
ただ、人前で涙を流したことが久しぶりで、それを考えて狼狽えてしまう。
「こ、これは、これは違うんだ。目にゴミが入っただけなんだ」
慌てて弁解するのだが、クラリッサは首を横に振ると、より強く抱きついてきた。
「いいのよ。誤魔化す必要はないの。誰も知らない、何もわからない、戻ることもできないこんな世界に一人連れて来られて、寂しくならない方が嘘だわ。それなのに……私は最低な女ね……」
彼女は未だに申し訳なく思っていた。拓哉をこの世界に連れてきたことに負い目を感じていた。
しかし、さらなる罪を口にすることはできなかった。そう、彼女は拓哉には言えない秘密を持っていた。
とてもではないが、それを口にすると嫌われてしまうと思い、言い出せずにいた。
ただ、拓哉が涙を流した時、それを目にした時、クラリッサは彼の心が離れたと感じたのだ。
それ故に、彼女は未だ秘密をかくしたまま、必死に謝りながら彼の胸に顔を埋める。
――温かい。いい匂いがする。気持ちが安らいでいく。なんか、幸せな気分になってしまう。
それと知らない拓哉は、自分が抱く少女をとても愛おしく感じていた。
「クラレ。前にも言ったけど、お前が謝ることはないさ。お前と一緒に居られて幸せだし、寂しいと思ったことなんてないぞ? カティも含めると騒がしいくらいだ。だから、お前が卑屈になる必要はないし、思ったことを口にすればいい。俺は……俺はそれを受け止められるような男になって見せるさ」
普段だと恥ずかしくて絶対に言えそうにない台詞だった。
しかし、なぜかスラスラと口から出てくる。
それを不思議に思いながらも、拓哉は彼女の頭を撫でる。
すると、涙をこぼしているクラリッサの表情が少しだけ明るくなった。
ただ、これまでのことに罪悪感があるのだろう。少し複雑な表情も混ざっている。
ところが、拓哉は複雑な表情に気付かない。
――どうやら、俺の気持ちが伝わったみたいだな。
クラリッサが落ち着いたのを見て、安堵の息を吐いた。
すると、彼女が上目遣いで問いかける。
「本当に? 本当に寂しくないの? 私を憎んでないの? 怒ってないの?」
彼女は甘えているのかもしれない。いつもと違って、少し子供っぽい雰囲気だ。
その態度が拓哉の心を擽ったのだろう。これまた普段では口にできないような台詞が出てくる。
「ああ。お前が居てくれたから、俺はこの世界を最高だと思ってるぞ。いや、これからも一緒だし、ずっと最高さ」
いつになく饒舌な拓哉に感極まったのか、クラリッサは背中に回していた腕を外し、首に回し直した。
そして、彼女は自分の唇を拓哉にそれに重ねた。
そう、久しぶりの熱い口づけだ。
――柔らかい……甘い香りがする……ダメ、ダメだ。最高過ぎる……
「おほんっ!」
拓哉がクラリッサの熱い口づけで溶かされていると、背後から咳払いが聞えてきた。
慌てて振り返ると、そこにはカティーシャが立っていて、その脇の植木の陰からは、キャスリン、メイファ、ルーミーがこっそりと顔を覗かせていた。
「ちょ、ちょっと」
――マジかよ。お前等……
途端にクラリッサが慌てて唇を離す。
拓哉はといえば、良いところを邪魔されて、思いっきり不機嫌になっていた。
そんな二人の背後では、キャスリンが「か、カティ、じゃ、邪魔しちゃダメよ! いいところなんだから!」なんて言っている。
しかしながら、物調ズラのカティーシャは、わざとらしくもう一度咳払いをしたあとに口を開いた。
「時と場所を選んで欲しいんだよね! こんな公衆の面前でラブシーンなんて、破廉恥極まりないよ」
――いやいや、現在は全員が待機中だし、誰も見る者なんていなはずなんだが……お前達が覗いていただけだろ! このバカちん!
拓哉は口にこそしないが、心中でツッコミ――罵声を浴びせかける。
どうやら、クラリッサも憤慨しているようだ。遠慮なし公言した。
「公認の間柄なのだから、別にどこで口付けしようと、エッチしようと関係ないでしょ?」
――いやいや、どこでもエッチなんて、公衆ワイセツ罪で捕まるからな……てか、何時もよりも言っていることが過激じゃないか?
怒りの所為か、かなり大胆な発言だった。
それ故に、拓哉が少しばかり驚きを見せる。
ところが、カティーシャは不満を抱いたようだ。一気に眦を吊り上げる。
「あのね! 公認ならボクもなんだからね!」
そういうや否や、彼女はドカドカと近づくと、クラリッサを押しやって、拓哉と唇を重ねる。
「あっ! なにしているのよ! ちょ、ちょっと、カティ!」
拓哉に抱き着いたカティーシャを、クラリッサが慌てて引き剥がそうとする。
ただ、拓哉はカティーシャには失礼だが、彼女の柔らかい唇よりも気になることがあった。
そう、その場面を目の当たりにしたキャスリンとメイファの囁きだ。
「あの噂は、本当だったんだ」
「やっぱりなんや。どうみても、おかしいと思ってたんよ」
――ほら! カティ、せっかく隠してたのに、お前の性別がバレたぞ!
慌ててカティーシャに性別がバレたことを囁くと、彼女も我に返って凍り付く。
彼女はまるで壊れた人形のように、ギギギッと植木の陰に隠れる女性陣へと首を回したのだが、そこでルーミーから思わぬ言葉が発せられた。
「やっぱり、タックンって、両刀使いだったの」
そう、彼女達の間で話題になっていたのは、カティーシャの性別ではなく、拓哉の両刀使い説の方だったのだ。
拓哉は焦って否定しようとするのだが、それではカティーシャの性別がバレてしまう。それを思い出し、途中で動きが止まってしまう。
結局のところ、誤解だと弁解する機会すらなく、拓哉はクラリッサとカティーシャに抱き付かれたまま、やり場のない悲しみをどうやって癒そうかと思い悩むのだった。